あらすじ
京都の名所旧跡の路上にも、醜悪な電柱と電線が張り巡らされている――。1960年代以降、日本の国土は開発により「近代的」に変わり始めた。伝統的な景観がさまざまな形で壊されていく様子を、著者は“国際的な目線”で見続けてきた。本書は、全国で撮影した「醜悪な建築」「邪魔な工業物」「過剰な看板」などの写真を並べながら、日本の景観が壊されてしまう構造を論じ、貴重な観光資源を破壊する国家的損失を指摘し、美しい景観を取り戻すにはどうすればいいのかを提言する。異色のヴィジュアル文明批判である。【目次】序章/第一章 細かな規制と正反対の眺め ―電線、鉄塔、携帯基地局/第二章 「町をきれいにしましょう」 ―看板と広告―/第三章 コンクリートの前衛芸術―土木/第四章 人をビックリさせるものを作る力―建築、モニュメント/第五章 ピカピカの「工場思想」―工業モード/第六章 人生は「ふれあい」―スローガン/第七章 古いものは恥ずかしい―町へのプライド/第八章 国土の大掃除―観光テクノロジー/ニッポンの景観テクノロジーを世界へ/終章 日本人が掌に持っている宝
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Posted by ブクログ
ニッポンの景観が壊されていくと。電信柱、橋、携帯の基地局、ダム、護岸、工事の際の防護壁、ブルーシート。欧米では、建物の工事の際も、景観と訪れる人への配慮で、足場などにも工夫を施すと。ちょうど、鎌倉の段葛も工事に入ったが、無愛想な壁面になり、道路を断絶している。もう少し何とかならないものかと、この本を読んで特に思う。
Posted by ブクログ
東京は住む環境に値しない。
長野県どん詰まりの田舎から東京に帰るたびに常々思う。
人が多すぎ、なんか生ゴミ臭い、空は狭い、水がマズい。
そんなコンクリートジャングルの汚い写真がこれでもかと本書には掲載されている。
だから本来の日本の風景を取り戻そう、というのが筆者の主張である。
さて、ここまで同意してきたのだが、この主張には反発してみよう。
一転反論である。
かつて日本の町は木と紙と土の家だった。
大地震が起き、戦争で焼け野原になり、その度に焦土の中から復興してきた。
現在の日本の(特に東京)のコンクリートジャングルは合理性の塊である。
地震に強い、火事に強い、さらには東京一極集中の人口を飲み込むマンション群。
景観、そんなものは災害の度に失くしてきた。
出口戦略がまるで無く、ただただ合理性のみを追求してきた街並みが東京である。
その結果、日本が得た最大の武器はインフラ技術である。
家電、半導体など日本がかつて市場を席巻していたことは今は昔、軒並みオワっている。
21世紀に入り情報産業で日本は押され続け、世界に対して技術的優位を保っている分野は、もうほとんど無い。
残ったのは自動車産業、そしてインフラ技術だ。
コンクリートで谷を埋め、コンクリートで川を堰き止め、山を削り、道を伸ばし、自然を破壊してきた代償に得たのがインフラ技術である。
そのインフラ技術を求める声が世界にある。
その技術は誇ってもいい。
だから、日本の醜い景観を並べ「だから日本は醜い」とディスるだけの主張には腹が立つのだ。
数百年前の街並みが未だに残る大学町、オックスフォード。
塔から見下ろすレンガ色の家々、フィレンツェ。
いくつもの時計塔が町から突きだす、コペンハーゲン。
旧市街のカラフルな家が並ぶ旧市街、ストックホルム。
川向うに立ち並ぶ無数の塔が夜の街に浮かぶ、プラハ。
ヨーロッパの国々は美しい。
景観を壊すことは文化を壊すことだ。
しかし、東京のどこに守るべき景観がある?
描くべき未来がなく、合理性を追求し続ける都市、東京。
SF映画で描かれる未来的な都市になる可能性があるのは、世界中で東京だけなのではないかと思う。
ならばいっそ、その可能性に賭けてみるのが面白いのではないか。
東京は汚い、住む環境にない、ならば田舎に来ればいい。
今住んでいる長野県は空家率が全国二位、お隣の山梨県は全国一位だそうだ。
これから空家率は増える一方、需要が無いなら価格も下がるだろう。
平日は東京で仕事をして、休日は田舎ライフ。
都会の汚さを嘆くなら、そんなライフスタイルはどうだい?