あらすじ
青春を戦争の渦中に過ごした若い女性の、くやしさと、それゆえの、未来への夢。スパッと歯切れのいい言葉が断言的に出てくる、主張のある詩、論理の詩。ときには初々しく震え、またときには凛として顔を上げる。素直な表現で、人を励まし奮い立たせてくれる、「現代詩の長女」茨木のり子のエッセンス。(対談=大岡信、解説=小池昌代)
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Posted by ブクログ
谷川俊太郎追悼ウィークとして、谷川俊太郎選の変わり種として何気なく手に取った。茨木のり子、教科書でも取り上げたと思うのだが記憶にない。初読として読んで、こんなに素敵な女性がいたのかと嬉しくなる。詩集自体を読んでいきたいと思った。
好きだった詩
『対話』内部からくさる桃、⭐︎もっと強く、準備する
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 明石の鯛が食べたいと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと
・・・
女が欲しければ奪うのもいいのだ
男が欲しければ奪うのもいいのだ
ああ わたしたちが
もっともっと貪欲にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ
『見えない配達夫』敵について、わたしが一番きれいだったとき、大学を出た奥さん、怒るときと許すとき
『鎮魂歌』⭐︎花の名、女の子のマーチ、七夕、りゅうりぇんれんの物語、
・・・
いい男だったわ お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きている時言いたくて言えなかった言葉です
棺のまわりに誰もいなくなったとき
私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
氷ともちがう陶器ともちがうふしぎなつめたさ
菜の花畑のまんなかの火葬場から ビスケットを焼くような黒い煙がひとすじ昇る
ふるさとの海辺の町はへんに明るく
すべてを童話に見せてしまう
・・・
『茨木のり子詩集』首吊
『人名詩集』くりかえしのうた、兄弟、箸、居酒屋にて
『自分の感受性くらい』詩集と刺繍、自分の感受性くらい、二人の左官屋、波の音、⭐︎木の実
・・・
木の実と見えたのは
苔むした一個の髑髏である
・・・
生前
この頭を
かけがえなく いとおしいものとして
掻抱いた女が きっと居たに違いない
小さな顳顬(こめかみ)のひよめきを
じっと視ていたのはどんな母
この髪に指からませて
やさしく引き寄せたのは どんな女(ひと)
もし それが わたしだったら…
・・・
もし それが わたしだったら
に続く一行を 遂に立たせられないまま
『寸志』苦い味、⭐︎笑って、賑々しきなかの、寸志
・・・
ねえ
笑って!
あちらで
驪姫という娘のように
はればれと
『茨木のり子』(花神ブックスI) 一人は賑やか、みずうみ
『食卓に珈琲の匂い流れ』四行詩
『倚りかからず』時代おくれ、倚りかからず
『茨木のり子集 言の葉3』行方不明の時間
『歳月』本当素敵だった…
その時、夢、⭐︎部分、⭐︎夜の庭、⭐︎恋唄、一人の人、⭐︎急がなくては、なれる、⭐︎(存在)
部分
日に日に重ねてゆけば
薄れてゆくのではないかしら
それを恐れた
あなたのからだの記憶
好きだった頸すじの匂い
やわらかだった髪の毛
皮脂なめらかな頬
水泳で鍛えた厚い胸廓
兀字型のおへそ
ひんぴんとこぶらがえりを起したふくらはぎ
爪のびれば肉に喰いこむ癖あった足の親指
ああ それから
もっともっとひそやかな細部
どうしたことでしょう
それら日に夜に新たに
いつでも取りだせるほど鮮やかに
形を成してくる
あなたの部分
恋唄
肉体をうしなって
あなたは一層 あなたになった
純粋の原酒(モルト)になって
一層わたしを酔わしめる
恋に肉体は不要なのかもしれない
けれど今 恋いわたるこのなつかしさは
肉体を通してしか
ついに得られなかったもの
どれほど多くのひとびとが
潜って行ったことでしょう
かかる矛盾の門を
惑乱し 涙し
急がなくては
急がなくてはなりません
静かに
急がなくてはなりません
感情を整えて
あなたのもとへ
急がなくてはなりません
あなたのかたわらで眠ること
ふたたび目覚めない眠りを眠ること
それがわたくしたちの成就です
辿る目的地のある ありがたさ
ゆっくりと
急いでいます
(存在)
あなたは もしかしたら
存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か
素敵な気がすぅっと流れてただけで
わたしも ほんとうは
存在していないのかもしれない
何か在りげに
息などしてはいるけれども
ただ透明な気と気が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
いきものはすべてそうして消え失せてゆくような
巻末収録の対談(茨木のり子、大岡信)、「美しい言葉を求めて」も面白かった。
(大岡)結局女性対男性というのはイデオロギーだけではとても解決できない面が非常にあると思うんです。
(茨木)まったくですね。
(大岡)男も女もたまたま一緒になった相手、あるいは恋愛している相手から影響される。それで形作られてゆく自我は、自分だけの自我ではなく、相手が入り込んできている自我ですから、そういうところでは、男と女を対立関係だけでとらえることはできない。…
Posted by ブクログ
抜こうと思っているわけではないのに
追いかけているわけでもないのに
人を抜いたと感じる瞬間の いわんかたなき寂しさ
父を抜いたと感じてしまった夜
私は哭いた 寝床のなかで 声をたてずに
…
そういう瞬間を持ってしまう自分が
おお とても 厭!
どうみたって その人より 私が
たちまさるとは真実おもえないのに
…
抜いたときには 確かにわかる
けれど
抜かれるときには わからないらしいのだな
…
一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが
二人酔ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな
…
…
四十年前の ある晩秋
夜行で発って朝まだき
奈良駅についた
法隆寺へ行きたいのだが
まだバスも出ない
しかたなく
昨夜買った駅弁をもそもそ食べていると
その待合室に 駅長さんが近づいてきて
二、三の客にお茶をふるまってくれた
ゆるやかに流れていた時間
駅長さんの顔は忘れてしまったが
大きな薬缶と 制服と
注いでくれた熱い渋茶の味は
今でも思い出すことができる
…
人を愛するなんてことも何時のまにやら
覚えてしまって
臆病風はどうやら そのあたりからも
吹いてくるらしい
通らなければならないトンネルならば
さまざまな怖れを十分に味わいつくして行こう
いつか ほんとうの
勇気凛凛になれるかしら
子供のときとは まるで違った
…
大岡 ぼくらの同級生でも、軍の学校へ行ったのが何人かいましたね。ぼくは、死ぬのは嫌でたまらなかった。そういう意味では、戦争中、自分がなぜ死んでもいいという気持ちになれないのか、という自責の念、恥ずかしさはすごくありました。
茨木 ああ。
大岡 「お国のためならば死んでもいい」というふうなことを、少年でも顔にあらわさなきゃならないような時代でしたが、ぼくは漠然としてはいたけれど、文学とか言葉の作品、そういうものの大事さがあるっていうことをなんとなく感じていたから、まだ死にたくない、という気持ちがあったんですけど、茨木さんの場合は、女性だから、もう一つそこのところが複雑だと思うのね。
茨木 ええ。
大岡 結局女性の場合には後続部隊というか、男の連中が出で立ってゆくのを見送って、口もとまで出てくる悲しみや喜びを全部押しかくして、外には出さない、という形だったでしょう。そこからくる抑圧された思いというのが、戦後になって爆発するわけですけれど、女の人の多くは、風俗、つまりファッション的なもので戦争中の抑圧を解放する。また、恋愛もね。さまざまだと思うんですが、茨木さんの場合は、むしろ稀なケースですね。つまり、言葉というものに初めからぶつかった、という人は、あの当時まだ少なかった。
茨木 ええ、何よりもまず自分のしっかりした言葉がほしいと思った。変わってたかもしれませんね。
…
…
茨木 単純にすっきりさせたい。モヤモヤや悶々をそのまま出したくないんですね。だってほかの人の作品を読むときでも、単純な言葉で深いことを言えてるものが最高と思いますもの。それから、さっきの弱さをあんまり出したくないということを、自分で分析しますと、戦後すぐのこと、当時は過去のものは全部否定的でしたよね。そういう風潮に影響されたと思うんですけど、日本の詩歌の伝統も「淋し、佗し」の連続でいかにも弱々しいという思いがわっときた。もっと強くて張りのある詩が書かれるべきであると自分なりに考えたらしいんですね。
…
…
大岡
…言葉っていうものを、自分自身に固有のものと思わない、という気持ちが、ますます強くなっていく。…言葉というのは何だろうと思う。翻訳でもむしろある種のものが伝わってしまうということが、言葉のある意味の恐ろしさを示すものではないかと思えてくる。つまり精密出なくても伝わってゆく、そしてそれは一概に否定できなくて、むしろ、しゃべっているとお互いにわかりあってしまうことがずいぶんあるという気がします。翻って考えてみると、日本語でしゃべり合っていたって、お互いにわかりあっていると言えないんじゃないか。そういう意味でいうと、言語というものは、非常にたくさんの、ぶよぶよしたものを身にまとっているんじゃないか。そういう部分でわれわれは、わかりあったり、わかりあえなくて喧嘩したりしるんじゃないかっていう気がして、だから、ぼくは言葉というものに対して、ある意味でいえば、非常に頼りないものだなっていう気がするんです。逆に言うと、そういうものであるにもかかわらず、わかりあえるところが、言葉のすごさだろうとも思っているんです。…
Posted by ブクログ
詩集を購入して読むって、難しいけど、茨木のり子さんは「自分の感受性くらい」が有名で、何度聴いても心が震えるので、一冊買っておこうと思って、文庫を買いました。心に響くものも、響かないものも、もちろんあったけど「歳月」という章は、先に亡くなった夫の不在や、体を重ねた思い出、夫の故郷(お墓)をモチーフにしていて、切なくもエロティックで素敵だった。その前までの章の、日中韓の関係や政治や社会を批判した詩との対比もよかった。
私が特に好きだと感じ、心が震えたのは「木の実」「水の星」「かの名称」。
「木の実」はミンダナオ島で、木の芽にひっかかった髑髏が、木の成長とともに上へ上へと伸びていった光景から、その男性を愛した人もいただろうと思いをはせた歌。
「水の星」は地球が地球である奇跡をうたっている。
「かの名称」は陰部をなんと呼ぶかという歌で非常に面白く、そんなテーマなのに、茨木のり子さんにかかると芸術になる!という。
詩集を一冊持っておくって、素敵なことかもしれない。
Posted by ブクログ
※「茨木のり子全詩集」(花神社)が在庫なしで登録できなかったので仮登録。(岩波の方に載ってないやつあるかもしれません)
・よかった編
「自分の感受性くらい」
初めて読んだ時は教科書に載ってたんじゃないかなー。言い訳を許さぬ”ばかものよ”に当時怖くなったことを思い出す。というか根性なしなので、すべて自分の責任で逃げ場がないというのは今も怖い。でも外野がどうあれ、やっぱり自分の幸せを追求するのは本質的に自分しかいないよなあと。怖いけども手放せない名句。
「マザー・テレサの瞳」
”外科手術の必要な者に繃帯を巻いて歩いただけ~”のフレーズにそうだろうなあ、と思う。だって彼女が救いたかったのはおそらく命じゃなく魂だろうから。最近闘病記とか読んだせいか、終末医療とかQOLとかいう単語が浮かぶ。しかしうっすら理解はできても、波打ち際に砂の城を築くような行為を、生涯かけて実践し続けた彼女を”静かなる狂”というのがいい得て妙だなーと思った。
「獣めく」
えっこれも茨木のり子なの?下手なエロ本よりそわそわするんですが。亡き旦那さんへの想いと思い出を綴った遺稿の1篇らしい。発表する気があったのか分からない私的な詩だからなのか、生々しいというか率直で、よっぽどぞっこんだったんだなあと違う一面を見たりもした気が。
総評
正直よく分からない詩もあった。昔読んでて懐かしい詩もあった。激しい詩も優しい詩も色々ごちゃまぜで、全部は消化しきれない感がある。でもその分読み直すごとに発見がありそうというかその時の自分に引っかかる詩があると思うので、今いいなと思った詩だけでも心にとめて、また時間をおいて読みたいと思う。