あらすじ
人は、なぜ孤独を怖れるのか。多くは孤独が寂しいからだと言う。だが、寂しさはどんな嫌なことを貴方にもたらすだろう。それはマスコミがつくったステレオタイプの虚構の寂しさを、悪だと思わされているだけではないのか。現代人は〈絆〉を売り物にする商売にのせられ過剰に他者とつながりたがって〈絆の肥満〉状態だ。孤独とは、他者からの無視でも社会の拒絶でもない。社会と共生しながら、自分の思い描いた「自由」を生きることである。人間を苛む得体の知れない孤独感を、少しでも和らげるための画期的な人生論。
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Posted by ブクログ
著者が実体験を元に「孤独」について語る。
普段から疑問を持っていて、何か他人の意見が知りたいと思い手に取った。まえがきから既に興味深く、ドライで冷静な人生論に引き込まれた。
いろんな感じ方があり生き方があるということを知らせたい、届けたいという思いが随所に見られる。
普段、人からこういう話を聞く機会は無いので、本があってよかったと心から思う。励まされるような気持ちになる箇所もあった。他者から価値観を否定されたときはこの本を思い出したい。
Posted by ブクログ
研究者であるからこそ、孤独の価値の著作に研究を絡めて書いてあってよかった。
以下読書メモ
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・すなわち、僕は、そういった孤独感が、主として外界の観察不足と本人の不自由な思考から生じるものだと感じていて、「思い込み」を取り除くことと、少し「考えてみる」ことが、危機的な孤独からの脱出の鍵になると考えているからである。
・ 思考しなかったら、つまりは人間ではない。人間というのは、考えるから人間なのだ。したがって、考えることを放棄してしまったら、それこそ救いようがない、という状態になってしまう。
・「死を怖れている人はいません。死に至る生を怖れているのよ」
これも、同じ理屈だ。無意識のうちに、人間は現状(ポテンシャル)の変化を微分したもので感情を動かされているのだ。
・ だが、科学分野ではそうはいかない。他者に理解され、他者によって再現できなければ、「技術」にはならない。だから、作業がいくら孤独であっても、成果の評価には、広いコミュニケーションが不可欠になる。それは、人と会って楽しくおしゃべりをすることとは一線を画するものだが、僕にとっては、これが「社会との協調」である。
・芸術というのは、人間の最も醜いもの、最も虚しいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスのものをプラスに変換する行為だといえる。これは、覚えておいて損はない。たとえば、もし耐えられないような孤独のどん底に自分があると思ったら、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、そういった創作をすることを是非すすめたい。詩を読むという受け身の行為では効果はあまりない。それではますます孤独感を強くする危険さえある。しかし、自分で創り出す行為に時間を費やせば、気持ちの一部は必ず昇華される。もし、そういった才能を少しでも持っているなら、なんでも良いから試してみることをおすすめする。絵でも詩でも音楽でも演劇でもどんなものでも良い。アートであればその機能があるはずである。
・人間にとって孤独というものは、非常に価値のある状態である。これは、数ある欲求に直結する本能的なもの、動物的なものではなく、人間にだけある高尚な感覚といえる。孤独を知らなくても、もちろん生きていける。でも、それは動物的に生きているだけで、人間として生きていることにはならない、と極言することだって可能だろう。それくらい、人間らしい、人間だけの特権と言えるものだ。
・芸術以外に、孤独を変換するような創作的行為があるだろうか。一つは、「研究」がこれに当てはまる。研究は創作ではないが、オリジナリティー が必要であり、やはりなにかしらの発想が原動力になる。今すぐに生活に役立つというものでもないため、社会に必要なものだと認められにくい。それに、研究活動というのは、孤独を感じる行為だ。何故なら、世界の誰もまだ到達していない領域へ踏み入っていくのだから、少なくとも同じ経験をする仲間がいない。グループで研究を行う場合にも、それぞれに分担をしているだけで、個人の活動はやはり孤独の中にある。
研究の本質は、自分を認めてほしいといった欲求とも少し違っている。もしそれがあるとしても、将来認められれば良い、という程度のものでしかない。それよりも、確かめたい自分、知りたい自分によって推進している。孤独が原動力といっても良いくらいだ。だから、孤独を受け入れるなら、なにか研究をすれば良い。研究が、孤独を消費してくれるだろう。
・最先端科学、数学といったものに挑戦しろと言っているのではない。自分の身近なことで良い。誰も調べたことがないものに着目し、そこに自分の道理を見つけるのである。大事なことは、他者のやっているものを真似しないこと。本を読むのはいいけれど、学ぶことは研究ではない。学んでいるうち、つまり情報を吸収しているうちは、まだ発想していない。それは、研究をするための資料集めであって、あくまでも準備段階、スタートする以前の行為だ。その段階では、孤独を感じることもない。むしろ、大勢の人間の足跡を辿るわけだから、他者の支援を体感し、感謝をすることになる。これは孤独でもないし、孤独の消費にもならない。
・どうして自分はこんな馬鹿げたことをしているのだろう、という疑問が大事なのだ。それを体感することが本質だと思う。何故なら、人生なんて、そもそも同じくらい無駄で馬鹿馬鹿しいものなのだ。もちろん、孤独も無駄なものである。けれども、実も食べられず、花も美しくない草でも、生長したり、枯れたりという変化をして、それを貴方は見守ることになる。雑草を毎日眺めて、なにかを考える。雑草なんて、なんの役にも立たないけれど、それでも、エネルギィを消費して生きているのである。
・ 創作は、豊かな社会では人々を満足させる機能がある。研究も、将来的には人類の生活を支えるかもしれない。しかし、今すぐにそれがなくても良い、という性質のものである。現に、多くの人が、「芸術なんか何の役に立つんだ?」「研究は金にならない」と眉を顰める。特に、ばりばりと仕事をしている世代、毎日我慢して働いて家族の生活を支えている人にとっては、「そんなものに費やす時間はないよ」と否定する無駄以外のなにものでもない。しかし、無駄なものに価値を見いだすことが、その本質であり、それにこそ人間だけが到達できる精神がある。孤独が教えてくれるものとは、この価値なのだ。それは紛れもなく貧しさとは正反対のものであり、豊かさの中でしか見つけられない。
・結婚をして子供を作ってという人生が「人の幸せ」だ、という決めつけが崩れかけているだけなのである。もっと自由に生きられるのではないか、孤独であっても自分の人生なのだから好きなようにしたい、と気づいた人が増えている、というだけのことだろう。非常に自然な流れだと思われる。