あらすじ
人は、なぜ孤独を怖れるのか。多くは孤独が寂しいからだと言う。だが、寂しさはどんな嫌なことを貴方にもたらすだろう。それはマスコミがつくったステレオタイプの虚構の寂しさを、悪だと思わされているだけではないのか。現代人は〈絆〉を売り物にする商売にのせられ過剰に他者とつながりたがって〈絆の肥満〉状態だ。孤独とは、他者からの無視でも社会の拒絶でもない。社会と共生しながら、自分の思い描いた「自由」を生きることである。人間を苛む得体の知れない孤独感を、少しでも和らげるための画期的な人生論。
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Posted by ブクログ
それは本当に欲しいものなのか考えないといけない。考えるには孤独は最適である。流されやすい私はもっと孤独の価値を上げ、考えることで、数々の悩みを解決出来るのでは?と思わせてくれた。
Posted by ブクログ
「孤独=悪」と無条件に決めつけていませんか、という問題提起。「孤独」にはべったりと悪いイメージがこびりついているが、「自分だけの時間」と言い換えればどうだろう?
タイトルはやや刺激的だが、内容はど真ん中の正論で、孤独というイメージの悪い言葉をテーマに「自分の頭で考える」ことの重要性が述べられている。
寂しい人にも、そうでない人にもおすすめできる。
Posted by ブクログ
どこか影のある人、に惹かれる理由が
わかった瞬間がありました。
ひとりで考えたり考えなかったりする時を過ごして
その中で生まれたものを大切にして
時には形にして人に見せることもある、
そんな人に惹かれるし
なれるものなら自分も、と思えました。
それだけでは生きていけないけど、
いつでも誰かと、でなくてもいいという
感覚を肯定してもらえる一冊でした。
Posted by ブクログ
孤独に関してフォーカスを当てた作品。
孤独はひどくなく、人間としての美を感じるものだという結論。
感情に影響するのは変化率。
孤独を愛する人と寂しさを感じる人に分かれる。
何かあった時は創作活動に精を出してみる
わびさびという美
つまらないものが愛おしく見えれば孤独の本質が理解できてるのでは。
孤独とは贅沢である。
Posted by ブクログ
SNSなどで他者との「つながり」が重要視される現代。「孤独であってもいいのではないか」と考えさせられる一冊。個人的には孤独(1人の時間)が好きで大切にしているので共感できる部分が多かった。孤独サイコー!
それでも人は1人では生きていけない。 普段関わっている人を理解・共感していくことはとても大事なことだと思う。
「バランス」や「多様性」について考え続けることをやめないようにしたい。
Posted by ブクログ
僕はそもそも社会の目、人の目というものをほとんど気にしない。両親の影響が半分と、残りは自分の経験した孤独の中から育って来た価値観のように思われる。
自分の人生を有意義にしたいなら、唯一必要なものは、自分の思想。
寂しいことが悪いことだという先入観があるから、いろいろマイナスが表面化する。多くの人が単に思い込みだけで寂しさを必要以上に悪く捉えている。
寂しさは悪いことなのか?多くのエンタテインメントでは人と人との繋がりとかを宣伝して、孤独は排除しなければという先入観を植え付ける。そうすると思考停止になる。その観念がどこから来たのかと考えもしなくなる。そこに危険がある。
寂しいことの良さもある。
ブランコを漕ぐ。ひとりの寂しさがあるから誰かといる時の楽しさも感じられる。どっちもどっちで二つあるからどちらも楽しめる。
景色が綺麗だと思うのは年寄り方が多い。人生の終わりとかを感じているから。
肉体的な活動は、若いものほど得意である。しかし精神の深さというものはやはり生きて来た時間が素養となる。人はここに、人間自体の洗練を見つけようとした。なぜみんな同じところへ詰めかけるのからなぜ人ごみの中へ出かけていくのか。いつも一緒にいようとするのか。非常に不思議な光景に僕には見える。鳥、あり、家畜として育てられている鶏や羊が似ている。与えられた餌を食べて卵を産む。守られているし、支配されている。ちょっと虚しい?
無駄なことをするのは孤独の対処として効果がある。何かのためにとか考えず、ただ疲れるとかマイナス面だけを受け止める。一種の修行。
身も食べられず花も美しくない草でも生長したり枯れたりという変化をして、それを見守る。そこに孤独の本質、そのなんともいえない美しさが見えてくるのではないか。馬鹿馬鹿しいものが面白く感じる。つまならいものが、愛おしく感じる。
ちょっとした変化でも愛せる、楽しめるようになるってことかな。
Posted by ブクログ
字面から受ける印象は良くないが、この状態が一番理想だというのは良くわかる(ような気がする)。かつて小学生の頃、クラスの仲間に仲間はずれにされた経験がある。あれはつまりイジメだったんだろうなあと思うけど、かなりな原体験になっていて、あんな寂しさ、恥ずかしさはもう味わいたくないと思うから、むしろ人付き合いは好きじゃない。でも、たまに飲める友達や知り合いが少なくてもいてくれて、カミさんもいるし、好きな野球だってやれるから、仕事場がつまらなくてもこれはこれでいいかなと無理に思おうとしていたら、かなり自然になってきた。もう別に二度と事務所の連中と飲みたいなんて思ってないのに、退職するやつや入社するやつがいるから参加せざるを得ないし、自分が退職するときは飲み会は遠慮したい。
この本の著者がいうように、もちろん支えてくれる人には感謝してるけど、一人なら一人で全然いいんだよな。
でも、例えば20年後、カミさんがいなくなってたら、こんなこと言えるだろうか…
ああ一日も早く、事務所に行かなくていい、日常なにも約束がない、そんな毎日を送りたい。
Posted by ブクログ
孤独は悪いことではないという言葉に少し救われた気がした。例えば創作活動や芸術をする上では一人で静かな環境の方が最適である。賑やかな楽しい所からはアイデアは生まれない。アーティストがなぜ孤独を好んでいるのかが分かった気がする。寂しさに耐えられて、孤独を好むことが、芸術家になる必要条件なのかもしれない。
映画「リトル・ミス・サンシャイン」で出てきた「苦しんだ時こそ自分を形成出来る最良の日々。幸せな月日は無駄にすぎて何も学ばない」という言葉を思い出した。賑やか=良いこと。寂しい=悪いことと決めつけて、孤独を避けて生きていくのは危ないなと感じた。
自分はどちらかと言うとある程度の孤独は耐えられるし、じっくりものを考えられるし、むしろ好きな方だと思う。楽しめている自覚もあると思う。ただずっと孤独で居ると気が滅入るから、そういう時は友達と会ったり賑やかな場所に行ったりバランス良くしようと思う。
サインカーブの話も面白かった。楽しさと寂しさの関係はブランコの揺動と同じようなもので、人生において寂しさの割合が大きければ、楽しさも同じくらい大きくなる。逆に孤独を避けて、賑やかさばかりを求めている人は大きな寂しさは感じないかもだけど、大きな感動や楽しさも得られない。逆に寂しさや孤独を楽しめる人は、楽しめない人よりも、賑やかな時間も含めて、2倍以上豊かな時間過ごせていることになる。
他にも孤独という観点から、学校生活や家族観とか色々な問題を述べていたのが面白くて、納得したものが多かった。ずっと独身でいることは変な目で見られたり、逆に心配されたりして、結婚して幸せな家庭を築くことこそが正しいのだ、という価値観は本当に偏った考えだと思う。だけど今はその作られた虚構が崩れつつあって、反動として、結婚しない若者が今増えているのは、貧困とか社会保障などが原因ではなくて、家族を持って絆に縛られる生き方より、自由(孤独)さを求める人が多くなっているからだ、という筆者の考えに共感した。そういう考えが多数派を占めつつあるから、独身や未婚が現代社会に許容されつつある。こう考えると少子化対策とかはあまり意味がないと思うし、政府がどんなに頑張っても、自由さを望み始めた社会の流れは、止められないのかなとも思う。これから自由という名の孤独を好む人がどんどん増えていきそうだな。
Posted by ブクログ
寂しさの感覚はその瞬間の何かに感じるのではなく、その後の努力や対応への力が必要で嫌な予感からきている。
サインカーブを微分する考え方は面白いアプローチだった。
最近はおひとりさまという言葉も浸透して、一人でいることで奇異の目にさらされることは少なくなったように感じる。
でも孤独は避けるべきで、大勢の人と繋がっている方が優れているという価値観はまだあるのだと思う。
そんな考えに対して著者独自の視点も交えながら、孤独の価値を再認識させてくれる一冊。
Posted by ブクログ
幸せすぎると幸せを感じなくなるのはなぜなんだろう。
そんなことを昔からよく考えていたけど、
正弦波と同じと書いてあってなんだか納得した。
プラスとマイナスが最大の時はエネルギーを使っておらず、幸せや辛さを一番感じるのはゼロの状態。プラスからマイナス、あるいはマイナスからプラスへ転換する時。
確かにそうだと思う、今底辺にいるなぁ〜って時、辛くないもん。上がり始めるとあの時は底辺だったなと気づく。
森さんは当たり前のことをわかりやすく言語化してくれる人だなぁと本を読む度思う。
ふわっと認識していたことを、はっきりと言語化してくれる。ご自身でも書いていた通りたまに極論だけど。
寂しいってなんなんだろうな。私は人と会って別れた後は、楽しい時間が終わってしまったことにその瞬間は寂しさを感じるけど、なんやかんや一人は楽しい。
恋人に会えなくて会いたいなぁって思う気持ちは寂しさではなく恋焦がれているだけな気がするし。やっぱそこはよくわからん。
面白かったです。
Posted by ブクログ
人と会わない生活が快適だったはずなのに、なにか物足りない…と思って読み始めた。そうそう、読書や物書きはこんなに楽しかったんだよ!と思い出すことが出来た。著者のエッセイは、おそらく初めて読んだけど、小説の雰囲気を思い出すことがチラホラあって読みやすかった。死体に驚かないキャラクタ、大好き!笑
Posted by ブクログ
いままであまり感じなかった孤独を最近たまに感じるな、と思って読みはじめた。森博嗣は小説もエッセイもいくつか読んできて、考え方が好みとわかっているので、安心して読める。具体的に役に立つことは一切かかれないが、心の平穏によい。
Posted by ブクログ
孤独=悪いものだという認識の人が多いというのは実感するところです。
独身独居な今ですが、よく「寂しくない?」と訊かれるので。でもこれが、ほとんど寂しくないです。森さんと同じように、たまに友人とやりとりするし、仕事には平日ほぼ毎日出勤しているので1日に一言も人と会話しないという状態にはなかなかなりません。
一人の時間は自分をリセットするのに絶対必要で、それでバランスとっているので、この本にはとても力付けられました。
椎名林檎さんと宮本浩次さんも歌ってました、「孤独とは言い換えりゃ自由」と。
完全な自由ではないですが、以前よりは自由になったので、自分とひたと向き合ってこれからどう進むか考えてみようと思いました。
Posted by ブクログ
著者が実体験を元に「孤独」について語る。
普段から疑問を持っていて、何か他人の意見が知りたいと思い手に取った。まえがきから既に興味深く、ドライで冷静な人生論に引き込まれた。
いろんな感じ方があり生き方があるということを知らせたい、届けたいという思いが随所に見られる。
普段、人からこういう話を聞く機会は無いので、本があってよかったと心から思う。励まされるような気持ちになる箇所もあった。他者から価値観を否定されたときはこの本を思い出したい。
Posted by ブクログ
積読していた森さんのエッセイを読む。
孤独がどんなにいいのか力説してくれているのかと思ったら、孤独が怖い人向けだった(笑)
私はむしろ一人大好きタイプなんで、途中まではピンと来ず。でも、世の中にはこんなにも一人の時間を持て余す人がいるのかー!と驚いた(森さんが書かれている文面を読んでの感覚です。実際は知らんけど)
最後の方の「結婚しない、結婚しても子供を作らない理由」っていうのが、私の中にストンと落ちた。色々言われているけど確かにこれが一番あるのかもしれない。
だとしたら、この先このままの状態が続くと本当に日本には子供がいなくなるかもしれないな、とふと思った。
Posted by ブクログ
男として憧れるのは、孤独を愛して一人ぼっち。男は黙ってサッポロビールという渋い男であります。でも概してこういう人は友達多いんですよ。野田知佑さんも男が孤独で何が悪いんだと書いていますが、その実めちゃくちゃ友達が多いですから。
僕も孤独を愛せるようになりたいなと思ってみたものの、人ごみや人と一緒にいる事がさほど好きではないのに、妙に寂しがり屋な部分があるのも分かっています。
それを踏まえた上でこの本を読むと、一人でいる事そのものをおかしい事だと思わずに、人と触れ合いたいとき以外は自分の頭の中と向き合って、創造的に生きて行こうと思えます。
そもそも森博嗣さん自体変人の域に達している人なので人の気持ちが分からない所が有りますが、そこも含めていちいち分析しているのがなんだか面白くて笑えます。理屈で行動しつつ情動を否定しない人っていいですよね。漫画の柳沢教授みたい。
Posted by ブクログ
一般的な孤独に対するマイナスイメージがあるけれど本当に孤独はいけないことなのかということを考える本。
友情、家族、絆のようなメディアで流されるできごとはあくまで商売、数字のためにやっているのであってそういった虚構の価値観を楽しめているのなら問題ないが、それで苦しむ必要はない。とても面白い考え方をする人だと思った。
孤独の価値というテーマではあるが、一番主張していたのは自分で考えろということであった。孤独とは本当に無価値なのか、いけないことなのか。先入観だけで思っていないか?思い込みだけで思っていないか?まずはじぶんで考えよう。孤独だけでなく既存の価値観すべてについて改めて考えなおさなければならない。
Posted by ブクログ
森博嗣さんのエッセイ的な一冊。孤独について語る森博嗣さんは相変わらず、偏屈で、ご自分の世界を確立されていて、真似はできぬが「孤独」もそんな悪いものじゃないとお墨付きをいただいた気分にはなる。孤独と孤立は字面は似ているが、性質は異なるもので。群れたい人は群れればいいし、孤独を楽しむ人は楽しめばいいし、それをおかしいとか悪とかカテゴライズする必要はどこにもないわけで。
Posted by ブクログ
タイトル通り、孤独の大切さを教えてくれる本です。
私としては、学校教育において孤独が非難されている現実が特に興味深かった。たしかに学校教育では仲間が意識され、一人でいるといわゆる友達がいない=孤独とみなされ、可哀想な目を向けられる。
だが、勉強も読書も社会における仕事も基本的には一人で行うものである。確かに縦や横の連携や、協調性は必要だ。しかし、意見を共有するためには一人の時間が必要で、自分の考えを持たなければならないことは明確である。休み時間に読書をしたって、一人で絵を描いたっていいではないか。なぜ親はみんなと遊んでいるかを気にするのか。みんなと一緒にする集団行動は、授業で十分に学べるのだ。孤独と孤立は別物である。
一人であることを自ら選べるというのは、自分の世界を持っている強さである。まったく非難されることではない。これが、いじめとなれば別であるが。
私もこれを機会に、楽しい孤独を味わい、意識的に自分の世界を持とうと思った。
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孤独を楽しむ事ができれば人生救われる気がする。でも孤独である事がいいとは自分は思わない。ある程度の人間関係は必要な気がする。それでも1人でいたい時間もあるし、そうでなくても生じる孤独な時間をいかに楽しく過ごせるかが人生を幸せにする鍵を握っていると思う。
Posted by ブクログ
1人の時間は大好き。ないと、息苦しくなってしまう。
“自分ひとりで思考する時間”の価値を、改めて実感することができた。
人と一緒にしかできないこともあるけれど、ひとりじゃないとできないこともある。
孤独、最高!
Posted by ブクログ
【Before】
元々自分一人の時間は大好きである。孤独を悪いものとも思っていない。
しかし本当にそうなのか?孤独が好きということは単なる自分の強がりではないか?
【気付き】
・「寂しい」におけるマイナスイメージは、マスコミが作り上げた虚構である
・孤独=「寂しさ」とも言えるが、寂しい時間があればその分「楽しい」時間が待っている。寂しさと楽しさはブランコのようなもの。振れ幅は一緒である
・ただし、受信オンリーな人間が孤独に陥ると危険である。常に助けを自身の外に求めているから、その立場が危うくなった時のダメージが大きい。
・自身が「創作」したものと向き合うことでそこに逃げ道を見出すことができる。
【Todo】
・孤独の価値は計り知れない。迷うことなく自分のやりたいことに時間を使おう
・孤独な時間をアウトプットにつなげよう
【まとめ】
人は一人では生きていけないが、必要以上に他人に期待する必要もない。一番大事なのは「自分」なのだから、孤独な時間をもっと自信を持って楽しむ自分になりたい。
Posted by ブクログ
孤独と楽しさはブランコの関係にある →日本一周したときの経験はこのブランコの状態とはないか。ずっと続く孤独と時折くる楽しい状況(人との出会いや名所)との落差はまさしくブランコそのものであった。また、バックパッカーで最後に過ごしたマレーシアでの1週間は何にも代え難い時間だった。一人であったが、とても充実した時間だった。 孤独を受け入れる方法は、創作する、研究する、無駄をすることの3つ。 →無駄なことはしている。ウォーキング。ぼーっとする。創作や研究はしているか?何もしていない。アウトプットの仕方も不明。
Posted by ブクログ
研究者であるからこそ、孤独の価値の著作に研究を絡めて書いてあってよかった。
以下読書メモ
ーーーーー
・すなわち、僕は、そういった孤独感が、主として外界の観察不足と本人の不自由な思考から生じるものだと感じていて、「思い込み」を取り除くことと、少し「考えてみる」ことが、危機的な孤独からの脱出の鍵になると考えているからである。
・ 思考しなかったら、つまりは人間ではない。人間というのは、考えるから人間なのだ。したがって、考えることを放棄してしまったら、それこそ救いようがない、という状態になってしまう。
・「死を怖れている人はいません。死に至る生を怖れているのよ」
これも、同じ理屈だ。無意識のうちに、人間は現状(ポテンシャル)の変化を微分したもので感情を動かされているのだ。
・ だが、科学分野ではそうはいかない。他者に理解され、他者によって再現できなければ、「技術」にはならない。だから、作業がいくら孤独であっても、成果の評価には、広いコミュニケーションが不可欠になる。それは、人と会って楽しくおしゃべりをすることとは一線を画するものだが、僕にとっては、これが「社会との協調」である。
・芸術というのは、人間の最も醜いもの、最も虚しいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスのものをプラスに変換する行為だといえる。これは、覚えておいて損はない。たとえば、もし耐えられないような孤独のどん底に自分があると思ったら、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、そういった創作をすることを是非すすめたい。詩を読むという受け身の行為では効果はあまりない。それではますます孤独感を強くする危険さえある。しかし、自分で創り出す行為に時間を費やせば、気持ちの一部は必ず昇華される。もし、そういった才能を少しでも持っているなら、なんでも良いから試してみることをおすすめする。絵でも詩でも音楽でも演劇でもどんなものでも良い。アートであればその機能があるはずである。
・人間にとって孤独というものは、非常に価値のある状態である。これは、数ある欲求に直結する本能的なもの、動物的なものではなく、人間にだけある高尚な感覚といえる。孤独を知らなくても、もちろん生きていける。でも、それは動物的に生きているだけで、人間として生きていることにはならない、と極言することだって可能だろう。それくらい、人間らしい、人間だけの特権と言えるものだ。
・芸術以外に、孤独を変換するような創作的行為があるだろうか。一つは、「研究」がこれに当てはまる。研究は創作ではないが、オリジナリティー が必要であり、やはりなにかしらの発想が原動力になる。今すぐに生活に役立つというものでもないため、社会に必要なものだと認められにくい。それに、研究活動というのは、孤独を感じる行為だ。何故なら、世界の誰もまだ到達していない領域へ踏み入っていくのだから、少なくとも同じ経験をする仲間がいない。グループで研究を行う場合にも、それぞれに分担をしているだけで、個人の活動はやはり孤独の中にある。
研究の本質は、自分を認めてほしいといった欲求とも少し違っている。もしそれがあるとしても、将来認められれば良い、という程度のものでしかない。それよりも、確かめたい自分、知りたい自分によって推進している。孤独が原動力といっても良いくらいだ。だから、孤独を受け入れるなら、なにか研究をすれば良い。研究が、孤独を消費してくれるだろう。
・最先端科学、数学といったものに挑戦しろと言っているのではない。自分の身近なことで良い。誰も調べたことがないものに着目し、そこに自分の道理を見つけるのである。大事なことは、他者のやっているものを真似しないこと。本を読むのはいいけれど、学ぶことは研究ではない。学んでいるうち、つまり情報を吸収しているうちは、まだ発想していない。それは、研究をするための資料集めであって、あくまでも準備段階、スタートする以前の行為だ。その段階では、孤独を感じることもない。むしろ、大勢の人間の足跡を辿るわけだから、他者の支援を体感し、感謝をすることになる。これは孤独でもないし、孤独の消費にもならない。
・どうして自分はこんな馬鹿げたことをしているのだろう、という疑問が大事なのだ。それを体感することが本質だと思う。何故なら、人生なんて、そもそも同じくらい無駄で馬鹿馬鹿しいものなのだ。もちろん、孤独も無駄なものである。けれども、実も食べられず、花も美しくない草でも、生長したり、枯れたりという変化をして、それを貴方は見守ることになる。雑草を毎日眺めて、なにかを考える。雑草なんて、なんの役にも立たないけれど、それでも、エネルギィを消費して生きているのである。
・ 創作は、豊かな社会では人々を満足させる機能がある。研究も、将来的には人類の生活を支えるかもしれない。しかし、今すぐにそれがなくても良い、という性質のものである。現に、多くの人が、「芸術なんか何の役に立つんだ?」「研究は金にならない」と眉を顰める。特に、ばりばりと仕事をしている世代、毎日我慢して働いて家族の生活を支えている人にとっては、「そんなものに費やす時間はないよ」と否定する無駄以外のなにものでもない。しかし、無駄なものに価値を見いだすことが、その本質であり、それにこそ人間だけが到達できる精神がある。孤独が教えてくれるものとは、この価値なのだ。それは紛れもなく貧しさとは正反対のものであり、豊かさの中でしか見つけられない。
・結婚をして子供を作ってという人生が「人の幸せ」だ、という決めつけが崩れかけているだけなのである。もっと自由に生きられるのではないか、孤独であっても自分の人生なのだから好きなようにしたい、と気づいた人が増えている、というだけのことだろう。非常に自然な流れだと思われる。
Posted by ブクログ
メルカリ購入、メルカリ売却
孤独って定義を、多くに人は、ネガティブに捉えているよね。
そもそも、それってMajorな考えであって、納得だけど、正しいわけではないよね。
寂しさと楽しさは正反対。
孤独だからと言って、寂しいわけではないよ、人によって違うし。
自分のお価値を、人に押し付ける人が多いから、そこは弁えない(わきまえない)といけないと思う。 って考えさせられた。
Posted by ブクログ
人生には金もさほどいらないし、またそれほど仲間というものも必要ない。一人で暮らしていける。しかし、もし自分の人生を有意義にしたいのならば、それには唯一必要なものがある。それが自分の思想なのである。
(P.10)
少数派であっても、その生き方や価値観を無視しては行けない。仲間や家族が人生で最高に大切なものでなくても、けっして異常ではないし、また寂しいわけでもない。それ以外にも、楽しさはいくらでもあるし、また美しいものだって沢山ある。
(P.63)
Posted by ブクログ
海外で大学院生活を送った中で、「孤独」と戦ってきた経験と学びを書き残しておこう、とおもってブログ記事を書いているなかで、少し参考になる本はないか、と思って探した一つである。
結論からいうと、賛成できる部分が3割ぐらいという感触だった。あまりに「孤独」のネガティブなイメージを再定義しようとして、多くの孤独に苦しんでいる人を引き付けられない内容になっている印象を受ける。
著者が冒頭で宣言している通り、「孤独というものは、それほどひどい状況ではない」という主旨が一貫して展開されるエッセイなのであるが、本当に孤独に苦しみ、そして向き合って乗り越えた経験を踏まえると、本当に孤独の中でもがき苦しんでいる状況では、そんな「考え方の転換」は非常に難しい。
違和感だったのは、「孤独を感じること」が間違ったように論じられている点だ。孤独が仲間のぬくもりとか、友達と交わる楽しさといったものを失うことで、喪失感となって孤独感を引き起こすとしている。しかし、それは実は人と仲良くしないといけない、仲間に認められ、みんなでなにかを成し遂げることが善だという「刷り込み」があるだけで、そもそもそれが善であるわけではない、と指摘する。
なるほど、それもそうだと思う。一人でいることが悪いわけではないし、一人でいることを好む人を「あいつは寂しいやつだ」とジャッジするのは間違っていると思う。例えば「一般的ではないだろうけど、たとえば、天体観測に一生を捧げる人生だってある。数学の問題を解くことが、なにより大事だという人生だってある。仏像を彫るために、命を懸ける人生だってある。」という部分は納得だ。「友達や家族に裏切られても、自分一人で楽しく生きていける道があると教えることがあるだろうか」という部分もまさしくそのとおりだ。孤独が悪いものと決めつける風潮がおかしいという点には同意できる。
しかし、自分が一人でいて寂しいと感じるその感情は否定してはいけないと思う。一人でいて、周りには自分を理解してくれる人がいない。自分の苦しみをわかってくれる人がいない。その気持ちを受け入れて、消化することが重要なのであって、そんな感情は間違っている、という論には個人的には賛同はできない。私が書こうとしているのは、これをどう受け入れて、消化したかである。
しかし、本当に孤独に苦しむ経験を得ることで、孤独の価値を理解することもまた事実だ。多くの仲間や友達に囲まれていたときとは違う自分を見つけるプロセスでもある。それもまた、孤独の辛さを受け入れるプロセスで見えてくるものである。そういう意味では、本書はすでにその境地に至った視点からのコメントととも受け取れる。
この辺りの表現だと、私は池田晶子の言葉好きだ。孤独を味わうという文脈の中で、子供の頃しつけのために押入れに入れられていたのを実は好んでいたという。「空間的に閉じこもることによって、逆に内に開ける」という表現は、そこに至れば孤独を味わうと言える境地だということをうまく表している。(池田晶子『暮らしの哲学』)