【感想・ネタバレ】食の終焉のレビュー

あらすじ

高度な食料経済の構築により、農産物や食肉、加工食品を一年中どこでも買えるようになった。しかし、低コスト・大量生産モデルを世界的規模に拡大することで、私たちはその恩恵だけでなく、負の要素も世界中に広めてしまった。その負の要素とは何か、このシステムは持続可能なのか、膨大な取材をもとに明らかにする。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

食とグローバリゼーションについて書いた大著。
500頁を越えるのに読みやすいのも良い。訳がいい。




自分の食べているものがどこで生産され、どこからやって来るのか?
自分はあまりにもそれに対して無知だったと思わざるをえない内容だった。
同時に自分がなにも生産せず、生産できず、貨幣との交換を通じてしか生きる糧を得られない存在なのだと実感した。

また「食」のほうも、いかにして貨幣と交換できるようにするか?つまり商品化の一途を辿ってきた。本書では「今や食品は、どんな高級食品でもただの一商品にすぎなくなり、これが価格の下落に拍車をかけてきたが、この傾向はその一方で、目に見えないコストも発生させていた」(p.129)と指摘している。「食」の商品化とは、「食」が経済活動を意味するということだが、このことに対して筆者は「食そのものは基本的に経済活動ではない」(p.23)という立場を取っている。

ここでいう「食」とは、食事をすることだけではない。かつては生産し、加工し、調理していた全てを含んでいる。そうした広義での「食」である。

グローバリゼーションと食の関係を取り上げた本書は巨大なサプライチェーンがいかに脆弱な構造になっているかを貿易、国際政治、公衆衛生、環境問題、人口学、遺伝子工学など様々な視点から切り取っている。

例えば、食中毒事件などの食の安全に関するものである。
本書で指摘していることを知ると安心・安全な食べ物を得ることが不可能なのではないかと思えてしまう。「人類の病原菌との戦いに関して何より驚くべきことは、それが大変困難な戦いだという事実よりも、そもそも私たちがそれに勝てると思っていたことだ」(p.311)とあるように、生鮮食料品だけでなく冷凍食品もやO-157サルモネラ菌の混入を防ぐことはできない、ということを指摘している。そもそもO-157は胃酸で死ぬあまり問題の無い菌だったが、牛を早く成長させるために餌が牧草から穀物に変わったことで耐酸性の菌、O-157が生まれたという過程がある。
また食肉の解体も機械化され効率化されるが、個体差によってうまく処理できず内蔵が混ざることで大腸菌などに汚染されてしまう。鶏も胸肉が好まれるため胸筋が早く発達するように改良される一方、まともに成長できなくなっている。

他にも食の工業化や工業化の前提である比較優位論の問題点も挙げられている。
工業化の前提としての比較優位論とは、各国がそれぞれ得意な生産物に特化して生産し、お互いに貿易しあえば、世界全体の生産量が増え、より効率的になるというものだ。さらに工業化して、より生産量を増やすべきだというものだ。
本書では「『国家は食料の自給自足を目指すべきであるという考えは薄れてきています。私たちもそうは思っていません。食料安全保障は貿易によって達成するのが一番だと考えています』とスミスは言う。スミスもまた、それぞれの国が一番うまく栽培できるものを栽培し、ほかのものを他国にまかせるべきだと言うのだ…しかし、スミスの主張はまた、開発をめぐる議論の中でも最も根深い矛盾を抱えている。そもそも公平な貿易など存在したためしがないのだ…自由貿易の恩恵は裕福な国へ一方的に流れていった。アメリカやEU諸国は、気候と土地の自然条件や多額の補助金を与えてくれる高価な農業プログラムによる人為的な条件(コストより安い穀物生産が可能)で他国より有利な立場にあることに加え、生産技術や研究、低利の融資など経済的な成功がもたらす数々の構造的な強みにも恵まれている」(p.296~297)
ここで指摘されているのは、アメリカは工業的な農業に成功したがその要因は自由な貿易ではないし、現状、公平で自由な貿易は約束してくれないという問題である。
「アメリカは世界で最もコスト競争力のある農業生産国だが、それはあくまで名目上の話だ。なぜ名目上かと言えばアメリカの安価な穀物価格は、政府の膨大な補助金なしではあり得ないものだからだ」(p.223)例えば、2005年には1兆5200億円もの補助金が投入された。また、大規模な工業的な農業が効率的でコストがかからないというのは、水の汚染や土壌侵食などの外部コストを除外して見ているからである。「農業通商政策研究所のスティーブ・サッパン研究部長は指摘する。『私たちは実際に安価な食料を生産しているわけではありません。多くのコストを外部化することによって、安価に見せているだけなのです』」(p.376~377)

ミズーリ大学のジョン・イカード名誉教授は、「『工業化された農業が強調している高収量とは、本来は"一時的"なものだ。なぜなら、それは、長期的な生産性の基盤となる天然資源や人的資源を搾取することによって支えられているものだからである』」(p.378)と指摘し、「工業化された農業は、他の多くの工業化モデルと同様、『自然を使い果たし、社会を疲弊させる。そして、そうした自然資源と人的資源がなくなった後には、経済を持続させる手段は残っていない』」(p.378)と警鐘を鳴らす。こうしたことに対して「多くの生産者や政治家は持続不可能な食システムの上に生じた表面的な症状に対して、ひたすら対症療法を施すだけで、小手先の修正にすぎない」(p.397)そこで筆者は「自分たちが食べるものをどう考え、それをどう作るのかを、もう一度根本から問い直してみる」必要があるのではないかと主張している。

「食は何千年もの間、人間と物質界をつなぐ“へその緒”のような役割を果たしてきた。この消費と生産の間のつながりを細くしたことで私たちは、自分たちを現実の世界から遠のかせ、その働きや状況を理解して気遣うことができなくなっていった」(p.522)筆者は最後にこう語る。
この“へその緒”こそ、現代ではグローバルサプライチェーンにとって代わられたものだ。世界中に結ばれているそれをわれわれ消費者が強くひきすぎたのかもしれない。いや、先回りした企業が引っ張ってくれたものに乗りすぎたのかもしれない。
その鎖は一見強固にすら見える。実際非常に複雑で、いかに効率よくコストを下げて、安く消費者の下へ売るか?という目的のために創られてきた。
売るための複雑さであり、生産のためでも、贈与のためでもない。
貨幣との交換のためである。
この交換のための鎖が異常な大きさになった結果、この鎖は貨幣以外のものも容易に運ぶようになった。
それは病原菌やインフルエンザウィルスである。また、この鎖は大きすぎて止められない。止めてしまうと、そこから食料を得ている数千万人規模に混乱が生じるからだ。この鎖は様々な無駄を省きながら、地球を締め付けている。鎖を締め付ければ締め付けるほど、土地やその鎖に乗れない人は痛めつけられていく。そうした外部コストがいつ爆発してもおかしくないはずだ。ギリギリと「むこう側」と「こちら側」を結び付ける鎖は締められていく。

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2013年05月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

圧倒的な取材力のもとに、現在の「食」をめぐる様々な事象に多角的かつ深く切り込んだ本。
かなり読み応えのある本。
内容も濃いし、政治的な議題に関しても双方の意見を出して偏りをなくしつつ、自分のスタンスをきっちり表明できているのは見事。

悲観的な予想が並ぶけど、それが的外れかと言えばそうではなく、むしろ現実に即しているように思える。
その悲観的なシナリオを後押しする食のサプライチェーンでは、訳者の言葉にもあったけど、結局は「消費者」という実態の掴みにくい大きなモノが支配してるんやなーと実感。
ここでも「システム」の大きさに圧倒される。
やっぱりフードシステムの変換を促すのは、消費者一人一人の自覚を促していくしかないんかなー?
果たしてそんな時間が残されているのかどうか。。。
ひとまず、これまでのシステムの成り立ちを把握できたのがよかったと思います。

『食物生産を他者に任せたことや、自分が食べるものの特性や優先事項やそれについての思いを、遠く離れた経済モデルによって決められてもかまわないと思ったがゆえに、私たちは食の衰退を加速させ、それと同時に、人生にとって重要な何かを失ったのではないかということだ。』
(P522 エピローグより)

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2012年11月06日

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