あらすじ
「答えがすぐには出ない、答えが複数ありうる、いや答えがあるかどうかもよくわからない」──そんな息苦しさを抱えた時代に、社会生活において、人生において、私たちは哲学をどう「使う」ことができるのか? 《初期設定》からの問いかえしを試み、新たな見晴らしよい世界のありかたを求め描く、著者渾身の書き下ろし。
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Posted by ブクログ
日本人の書く哲学入門書というのは、とかく、西洋の哲学のおおざっぱな解説に終わりがち。
本書は哲学は学問のみに終わらず、人間や世界のあらゆる問いを立てるという活動すべてが哲学になる、その対象領域は科学,倫理、芸術、政治、経済さまざまに及ぶ。哲学が近寄りがたいのは、ときに一般人をけむに巻く難解な言術のせいであるが、社会生活を営むうえで欠かせないものである。
臨床哲学者というだけであって、社会のさまざまな身近な事象やときには村上龍のようなエンタメ文学からも素材をとり、哲学への入口へと誘う。
すべてをまったく理解するのは難しいが、この著者には読者を難解な用語で遠ざけるよな俯瞰的な思考が感じられず、読みあたりがよい。こんな哲学書に出会いたかった。
Posted by ブクログ
哲学界のたこ八郎、鷲田先生による言葉の拾遺集が朝日新聞の連載で始まったのは、この春の喜びである。まだ一週間ほどだけど、八面六臂の参照先は、先生らしくもあり、意外にも感じられたり、とにかく行く末が楽しみです。
確か東北震災後のことだったと思うが、あるシンポジウムで科学者が集まるなか、鷲田先生ひとり人文系として出席されていて、議論が科学者の専門家としてのありかたというようなあたりに及んださい、先生が発言されたことがいまでも強く印象にのこる。
「何でも答えてくれる人というのはあまり信用がおけないわけです。自分の持ってる知識の範囲内で言ってるだけだろうと思うから。思考の限界まで考えに考えてる人は、あっさりと、わからないことはわからないと言う。こういう人は信用できる」
この言葉はそのまま本書のエッセンスである。哲学者も全く同じである。先生が長く取り組まれている、一般市民による哲学カフェに至る道は、臨床というキーワードの周辺にいるあらゆる人びとに参照してもらいたいものだ。
パスカルの系列は現代にこのように生きている。
Posted by ブクログ
後半はよくわからなかった為、第一章のみまとめ
哲学とは「〇〇である。」ではなく、「哲学とは何か。」という問いから始まる。例えるならばスタートラインに立った時、ここは本当にスタートラインだろうかと問うことこそ哲学なのだろう。カントの「哲学を学ぶことはできない、人はただ哲学することを学びうるのみだ。」という言葉はまさに的を得ている。
人が哲学に焦がれるのは直面している困難をうまく解決できないときだ。そしてそういった困難は正解でないことがある。それに対し我々が紡ぐべき思考というのは、わからないけど大事だということをわからないまま正確に対処することだ。ここで重要なのはわからない問題に対して安直な理論で片付けないことだ。たとえわからない問題が出ても問題が立体的に見えるまで耐え忍ぶことが重要。
わからない問題を正確に対処するためにはあらゆる方向から問題を見る必要がある。つまり多くの視点が必要だ。人は都合の良い視点で世界を捉えているため、
その視点のままでは正確に対処できない。
自分の知らない真逆からの視点や思いもつかない視点から見なければならない。そういった自らの視点を自らの関心の「外」の視点とをつなぐことで理解している枠組みを解体し組み変えることができる。