あらすじ
あらゆる領域に巨大な影響を与えたフーコーの最も重要な著作を気鋭が四十二年ぶりに新訳。フーコーが『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』を生み出した自らの方法論を、伝統的な「思想史」と訣別し、歴史の連続性と人間学的思考から解き放たれた「考古学」として開示する。それまでの思考のありかたに根底から転換をせまる名著が新たなすがたで甦る。
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Posted by ブクログ
普段、私たちは現在の知識を基準にして過去を見ることが多い。例えば、昔の医学で水銀が薬として使われていたことについても、「昔の人は水銀の危険性を知らなかったため間違った治療をしていた」と考えてしまう。しかしフーコーが見ようとするのは、現代の基準から過去の知識を否定することではなかった。その時代の知識の体系の中で、なぜ水銀が治療に用いられるものとして考えられたのかを考えるのである。それは当時の医学や物質への理解の中では一定の合理性を持った知識として成立していた。そして、解釈と言説形成の分析の違いについて。解釈とは人や文章の内側を見ることであり、「この人は何を意味していたのか」「なぜそのように考えたのか」を理解しようとするものである。一方、言説形成の分析では、人や文章を可能にした外側の条件を見る。「なぜ、この発言がその時代に知識として成立できたのか」という問いである。例えば、水銀を薬として使用していた医学者について考えると、解釈ではその医学者がなぜ水銀に治療効果があると考えたのかを理解しようとする。しかし分析ではそのような考え方が医学的知識として認められるための条件を見る。どのような病気の理解があり、どのような分類や考え方の中で、その知識が成立していたのかを分析するのである。知の考古学は、知識を人間が少しずつ真理へ近づいてきた結果として見るのではなく、それぞれの時代に存在する知の枠組みや条件によって成立するものとして捉える試みについて書かれている。読んでいて難しい部分も多かったが、過去の知識が現在の知識に向かう途中の未完成な段階だったという見方ではなく、それぞれの時代の知識がどのような条件の中で成立していたのかを見るという視点を得た。今の私たちの基準や解釈だけで過去を判断せず、過去から現在までを一つの連続した進歩として捉えるのでもなく、それぞれの時代の知識を、その時代の体系や成立条件の中で見るということなのだと思う。本を読む上で解釈より進んだ理解を得るために必要な知識だと思った。