あらすじ
恋愛で結びつくなどという結婚は、働かないと食べてゆけない人がすること──。上流階級でしか暮らせない男女のめぐり逢いを、醒めた文体で描いた、四篇からなるロンド小説。欲望を経た純愛、秘かな被虐性愛、静かに熱を帯びる片恋、南島での邪淫。満ち足りた暮らしの満たされない孤独を、四組の「わたし」と「藤沢さん」が織りなす。異才が贈る、正しい背徳と倦怠。(『コルセット』改題)
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Posted by ブクログ
したたりそうに熟れて美しい表紙や題名が想像をかきたてる。連作短編集。上流の人ってこんな世界で生きてるんだろうか。お金以外のところに不自由な印象を受けた。
・反行カノン・・・冷静な田鶴子さんが可愛い男子高校生の藤沢さんに恋する話。田鶴子さんは高校生がハマるほどステキな女性なんだろうなあと想像。
・フレンチ・カンカン・・・田鶴子さんの夫の妹、栞さんと藤沢先生。上流に暮らす栞さんの心が空洞のように感じる。
・三幕アリア・・・お手伝いさんの娘、牧子ちゃんと偶然食事を一緒にした藤沢さん。大金持ちでダンディーで最後までステキだった。牧子ちゃんの幼くて一生懸命な思いがせつなかった。
・輪舞・・・田鶴子さんの遠縁でお花の家元の長女、澪さんが色々疲れてバリ島へ。2話に出てくるPさんと、インドネシア人と日本人のハーフの藤沢くんとのあれこれ。何て大人なお付き合い。最後に澪さんは家元を継いで3話の藤沢さんとご結婚!澪さんお幸せに。
Posted by ブクログ
四編の輪環形式連作小説。
「反行カノン」
「私」が藤沢さんに抱く恋愛感情がハンパない。
抑えられないほどの熱情がわき上がる感覚は貴重だと思う。
「フレンチ・カンカン」
「私」は、僕が苦手なタイプ。具体的に「ここが嫌い」と書けるのだけれど、言わぬが花と思い、詳細を記さず。こういう人って(庶民にも)ときどき居る。
「何処が嫌なタイプなの?」と疑問に思う人とも、僕は親しくなれない。
藤沢さんのタイプとは、親しくなったことが無い。
「三幕アリア」
まともな人である、と思う。藤沢さんも「私」も。
実際にこのオケージョンになった場合、僕は藤沢さんのようには振る舞えない。
「輪舞曲」
官能的だった。一生に一度、こんな経験をすると、それだけで生きていけるような気がする。
南の島のバカンスに行って、帰ってきたような気分になった。
旅行に行きたくなったのではない。
具体的に自分でこのような旅行を計画したら、「これだけ自由に使える金があるなら」と、別のことに使うと思う。そんなふうに思う自分を、つくづく小市民だと思う。
旅情は、この小説を一冊読んだことで満たされました。
Posted by ブクログ
「恋愛なるものを俯瞰するような」ものでなければ関心は向かない、恋の顛末を切々と追うものは苦手、というようなことが筆者あとがきにあって、姫野カヲルコの小説が、多くの女性作家と異なる理由がわかった。女性の感情や欲望をここまで描いているのに、自分にうっとりしない感じ…そこが心地よい。
Posted by ブクログ
テーマは理解できるのですが、姫野カオルコさんの作品の中ではいまいちだと思いました。
なんだかつながりがあるようでないので(ないのかな)、とてもわかりにくかったです。私だけでしょうか?
私が「お金のある人」や「上流階級」ではないからわからなかったのかなー・・。共感できる部分もあんまりなかったし。
この著者の文章なので、読み進めることはできましたが、他の作品ほどの驚きや感銘はまったくなかったです。
姫野さん!得意分野で書いて下さい!是非お願いします!
Posted by ブクログ
姫野さんの「整形美女」がそこそこ面白かったので二冊目。
普段はタイトルと表紙絵、裏表紙にある作品内容で決めるけれど、今回はタイトルと表紙絵で決定。
いいね、この果実が熟れて、朽ちかけている感じ。
美味しそうに艶やかで甘い香りを誘うように放ちながら、中では休むことなく腐敗をつづけるという、見えないところは悪臭に満ち腐り切っているというところ。
こういう上辺と中身が大違いなひと、大好き。人間はこうでなくちゃね。
四篇の短編の書き出しと書き終わりがバトンを渡すように繋がった作品。
全ての物語に「藤沢さん」が出てくるが、全て別の「藤沢さん」。
「藤沢さん」以外の人物は主人公に当たる「わたし」、それ以外は⚪︎⚪︎さんや××さんと名前さえない。
「わたし」もそれぞれ別の「わたし」。
四篇とも「わたし」の恋を描いている。
上流階級とお金持ちの皆さんの物語。
わたし自身は上流階級やお金持ちと呼ばれる家庭では育っていないが、わたしの周囲には多かった。
このひとの家の玄関に我が家の居間がスッポリ入っちゃうとか、お父さんがなんとかの何代目とか、子供心に住むところが違うということがあるのだなと感じた。
働かなくても生きていけるという環境で育つと、様々なことの考え方や価値観が庶民とは違ってくる。そういったことに若い頃は羨望と僻みがあり、興味ないもん関係ないもんと思っていたけれど、年を取るのはいいこともあって、知らない世界はどんなんかしらと素直な好奇心が持てるようになった。
感じ方などによくわからないと感じるところもあったり、意外に自分にも共通するところもあったりで楽しめた。
文章の中に、日頃見かけない言葉が多くあり、辞書片手に読むということも面白かった。
まだまだ知らない言葉があって勉強になる。
上流階級やお金持ちばかり出てくるので、鼻について仕方ないひともいるだろうから、好みが別れる作品だと思う。
その中では庶民である「わたし」の出てくる『三幕アリア』は癒される。
お金や家柄といったものが既に手元にあるひとは、それを手にいれようと頑張る必要がない。
それを幸せと捉えるか不幸と捉えるかはそれぞれではある。
ただ、庶民であるわたしとしては、無いものを手にいれようと頑張ってこそ生きるということじゃないかと思うことにする。
庶民バンザイ。