あらすじ
極貧の家に生れた愛川吾一は、貧しさゆえに幼くして奉公に出される。やがて母親の死を期に、ただ一人上京した彼は、苦労の末、見習いを経て文選工となってゆく。厳しい境遇におかれながらも純真さを失わず、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿。本書には、主人公吾一の青年期を躍動的に描いた六章を“路傍の石・付録”として併せ収める。
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Posted by ブクログ
もし自分が、このお話の主人公だったとしたら、
果たして今のように自分自身を保っていられるだろうか?
この本は何十年も前に読書感想文の為に選び、いちど読んでいますが、
改めて読み終わった今、真っ先にそう感じてます。
主人公、愛川吾一は道ばたの蹴られる石。タイトルの通り
彼は話のいたるところで理不尽な扱いを受け、ほんのささいな希望すら
踏みにじられては、それでもそのたび起き上がって生きていく
雑草魂を幼少期の頃から否応なしに求められます。
彼の生まれるすこし前の日本では、明治維新が起こり、
歴史的大転換期をうまく変化できた者と、そうでなかった者で真っ二つに割れ、
この吾一の父親、愛川庄吾の育った環境は後者である『古いお侍』の思想を
色濃く受け継ぐ条件が揃っていました。
幕府が倒れたといえ、人間の意識は一朝一夕には変わりません。
黙っていても懐にお金が転がり込むのが当たり前と思う父親と、
幼少時から家にお金がなく、たった一銭の焼きいもを買いに
使いにいかされるその息子。
働かない父親の代わりに袋張りの内職で家計を支える母親。
路傍の石のこういうシーンは、ひょっとして当時の没落士族の
家族にまで及んだ、時代とのマインドのギャップと貧困の織りなす悪影響を、
最大公約数として捉えているのかもしれないですね。
福沢諭吉の学問のすゝめを読んでインスパイアを受けた吾一は、
時をほぼ同じくして人の厚意でせっかくまとまりかけた中学進学への道を
むざむざ断ってしまう父、愛川庄吾からのお説教を受けます。
庄吾には『今』の時代がまったく見えていず、過去に家がお侍であった
ことだけを笠に着て、自らを正当化することばかりに躍起になる。
ここには天と地ほどのギャップが存在しています。
過去に自分がこの本を読んでなぜ強烈な印象として残っているのか、
理由としてこのパートでの『対比』が挙げられると思います。
直前に偉人を引き合いに出して、その後、愚かな者の思い込みを
語らせる。プロボクサーが職業的にやるパンチみたいに、
うごきに無駄がなく威力は最大限というあんばいの計算された演出なように思いました。
何十年経って読んでも、これはとびっきり最高に胸くそ悪い(笑)
路傍の石全編を通して、山本有三が伝えたかったのは恐らくここだろうと。
少年期、青年期にたびたびすさまじい重しとなる『父の存在』が
話の大きな潮目を作っていて、過去と現在の狭間にある罪を精算する為に
否応なしに対応を迫られた、若い世代の心の叫びがここにはぎっしりと詰まっていると思います。
吾一に救いがあるとすれば、彼は周囲の雑音に負けず、
様々な本から有益なことを学び自らの行動に反映させていく姿勢を
決して忘れなかったことです。
知識の蓄積と実践行動の両輪を回して取り組み、メキメキと結果を出し、
出世していく姿がこれから拝めるか、そんな所でこの話は終わります。
出来ればこの続きを知りたい気持ちもしますが、きっと吾一のことですから、
青さ・若さから、成功の友を立ち上げて軌道に乗りかかったこの先も、
出た芽を外圧からつぶされてしまったり、失敗は尽きないでしょう。
でもそのたびに、立ち上がり奮起しては次のステージに進む。
吾一はそういうタフな男です。
いまは一見して、全てのものが満たされ豊かな暮らしをしている
そんな時代なようにも見えますが、
もしも山本有三が現世に居て同じような運命を辿ったとしたら、
きっといまも同じように、児童の心の機微を捉えて影に隠れた貧困や、
社会問題に踏みこんだ物語を書かれることと思います。
そんな彼の意志を、ほんの少しでも改めて受け取ることができて
良かったと思っています。
路傍の石は自分の読書生活最初の1ページとして、
これからも人生の節目節目で意識して手にとってみたいですね。
Posted by ブクログ
逆境におかれながらも経済的、精神的に自立した人間になろうと、ひたむきに努力する吾一少年の姿に心が震えた。
自分はいかにして生きるかという本質的な問いに対する答え、戦略を持つことの大切さを改めて感じた。
すごく面白かったけど、検閲の網に引っかかって未完なのが残念。
Posted by ブクログ
一気に読んだ。ここで終わんの!!!て感じ。
今でも十分やのに速記を覚えたり、手を繋ぎ合わないとという話を自分なりに解釈して味方にしたり、素直さと貪欲さに痺れた。
少年が頑張る話、いつまでも好きやわ…
Posted by ブクログ
働かないで家にも滅多に帰ってこず、吾一の貯めたわずかばかりの貯金さえ使い込んでしまうような父。生活のために内職をして体をこわし早くに亡くなってしまう母。吾一は奉公先を飛び出し東京で一人なんとか生きていく。子供ながらにその強さには感心する。次野先生の「吾一」とは「われひとり」この世にたった一人の大切な存在なのだと言うことばを胸にひたすらに努力して自力で学校にも通い、勉強を重ねる。だが再び父親に独立しようと貯めておいたお金を使い込まれる。彼は何度も何度も蹴られる路傍の石であった。
Posted by ブクログ
本の内容はあえて省く。この本の書かれた時代が偶然にせよ、完結にまでいたらせなかったことが非常に残念ではある。主人公が厳しい境遇にありながらたくましく生きていくことは素晴らしいことであるが、自分の乏しい経験からするともはや時代遅れと感じている。
20年以上も前になるが、自分がいた会社で統括部長がその年にが新入社員に訓示したことは「石の上にも三年という言葉があるが、今はそんなことはない」というものであった。去る者はとっととされ、自分のやり方についてくるものだけついてこい、と自分は理解したが当時会社の中でもプロジェクトがあまり思わしくない状況であり、目の前は誰が見ても泥船でありそれを立て直すことに運命づけられた新人ははっきりいってハズレくじを引いたとしかいいようがない。
話がズレて申し訳ないが、少子化の時代でこの本を読むことは自らの幸せを感じることになることに一見みえるが、成人のそのあとはとても明るいものとは思えない。作者はこのような時代になるとはとても想像しなかったろう。
Posted by ブクログ
いわゆる成長小説です。どんぞこの状況下で生きてきた少年の成長を描いた作品。すごくおもしろかったのですが、悲しいことに未完。理由は戦時中の校閲、戦後の校閲など言論の自由への制約から、書くことが出来なかったため。戦後再開をするのですが、もう筆者には「書けなかった」ということです。すごく残念です。
人一人の人生とは、それぞれにドラマがあることを改めて感じます。
Posted by ブクログ
子供の頃、恐らく読んだことのある名作ですが、
大人になった今、改めて読みました。
一気に読み切りました。
この作品って未完だったのですね。
勉学に励みたくても貧乏のため、奉公にでなくてはならなくてはならなかった主人公の吾一。
彼のひたむきで正直な姿に時代は昔のものですが、作品としては今でも素晴らしいと思いました。
今の時代の子供にも、大人にも読んでもらいたい一冊です。
Posted by ブクログ
小説の中身もさることながら、軍国主義の中で、作品自体も、途中からねじ曲げられ未完のまま終わっていたりと、その時代背景すら作品の一部となっている。
プライドとコンプレックス。
才能のある少年吾一は、不条理な時代をどう生き抜くのか?
はたして、路傍の石の運命は?
現代の日本人がなくしてしまった、武士の魂がここにある気がした。
Posted by ブクログ
祖父に勧められて読んだ本。
小学校、中学校の頃に読んだのであまり覚えていないが、主人公の吾一と言う名前には、「この世に吾一人」という意味が込められている。子供心に、自分という人間はこの世に唯一人であり、アイデンティティーを大事にしていこうと考えさせられた作品。
もう一度読み返したいと思う数少ない作品の内の一つ。
Posted by ブクログ
小川洋子さんのラジオで紹介されていて、今更ながら読んでみたが、とてもよかった。
昭和15年、制裁を受け、未完にせざるを得なかったことは「ペンを折る」に書かれている。
吾一の志が素晴らしい。
Posted by ブクログ
主人公の吾一と同年代である若いときに読むのもいいけれど、大人になって改めて読んだらまた、大人の登場人物の心情や日露戦争前後の社会の空気など、いろいろ違うものが見えて面白かった。
Posted by ブクログ
山本有三記念館に行ったのをきっかけに、どんな文章を書く人だったのだろう?と思って読み始めてみた本。もっと古めかしい文章かと思ったら、意外と読みやすい。だけどタイトルの「路傍の石」の様に、この本も戦争によってあっちでけっとばされ、こっちでけっとばされ。結局完成しなかった。完成してないけど、それもまた良いかと思ってしまうのがこの本の不思議なところ。統制を受け、自由な表現が規制された時代。今でも何でもOKなわけではないけれど、作家にとってどんなにか息苦しい時代だったのだろう。今後二度と、そんな日本にはなって欲しくないな。作品も良かったけど、「ペンを折る」という文章がとても印象に残った。働くとは"はた(周り)"を"楽"にする事。そんなん無理!!傍に楽にして欲しいよ(笑)
Posted by ブクログ
中途半端なところで一時中断、そして再開するも微妙なところで終わっているのが勿体無い。
明治時代に生まれた少年の成長記です。時代的には日露戦争後?父親に振り回され奉公に出され、都会に出て身を立てる家主の娘といい雰囲気になるかな?と思ったらまた父親、またお前か!
困難だらけの人生ですが、それでも上を目指していこうと頑張る吾一を見てると応援したくなります。
そしてあんな父親いたら嫌だ...
Posted by ブクログ
人間としていかに生きるか、といかにして生きるのか。世界共通の課題であろう。本書は、様々な人間模様が見えて大変面白い。正直にまっすぐ生きることが、果たして良いことなのか。いや、そもそも生きることとは何かを考える良い刺激になった。
Posted by ブクログ
昔、小学校の時分に読んだ覚えがある。呉服屋に奉公に行くこと、鉄橋で度胸試しをすることなど、部分部分覚えている箇所もあったが、今読み返してみると、主人公の苦労は、単なる苦労どころの話ではなく、まさに生きるか死ぬかという崖っぷちの苦労であることに驚いた。こんな過酷な話だったのかと驚いた。
なんとなく、人間は優しいのが当たり前だと思い込んでしまっているようなことがあるかもしれないが、それは違うと教えてくれる。
人が社会で生きることは、生やさしいことではないのだと、教えてくれる良書だ。
Posted by ブクログ
明治時代中期を生きた少年の成長記(但し未完)です。
遅刻するから、と待ち合わせに現れない友達を諦め学校へ急ぐ優等生吾一。学校のできた彼であったが貧乏という致命的な重荷を背負っていた。優位逆転に屈辱を味わい親父にも度々足を引っ張られながらも、か細いツテと運をテコに持ち前の闘争心で人生を切り拓いていく。
誰よりも早く始め誰よりも遅くまでやる、辛抱、ド根性の時代。成長してなお多少の嫌味が抜けない主人公の姿にかえって著者の誠意を感じました。美しすぎる人物は信用できない。ただただ彼の生命力が眩しく、皆生きることに逞しい。続きが読みたかったです。切に。
Posted by ブクログ
戦争の時代に書かれた本です。
治安維持法などの法律により、山本有三は物語の続きを書けませんでした。
政府に対する思想を持っていたためですが、
途中で打ち切りとなってしまったので、続きがとても気になる終わり方になってしまっていました。
主人公が関わる人たちが著者の思いを代弁しており、
その中でもいちばん印象的だったのが学校の先生でした。
学校で教えることは何なのか、
このままでいいのか、など、今でも同じことが言えると
思うようなことがたくさん書かれていました。
日本政府はこのような大事なことを伝えていた作家を邪魔して、
とても大きな失敗をしてしまったと思いました。
Posted by ブクログ
極貧の家に生れた愛川吾一は、貧しさゆえに幼くして奉公に出される。やがて母親の死を期に、ただ一人上京した彼は、苦労の末、見習いを経て文選工となってゆく。厳しい境遇におかれながらも純真さを失わず、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿
Posted by ブクログ
つらいことを我慢して、我慢して…
読んでてつらかった。
苦労すればいつかそれが糧になる、的な考え方が、いかにも昭和的な一昔前のような印象。
でもそれぞれの登場人物の思考や言動がリアル。
Posted by ブクログ
明治時代の生活がよくわかる。ある意味吾一のサクセスストーリーとも読める。ペンを折るところで、どうしてこういう小説が統制を受けなければならなかったのか、昭和初期の軍国主義の理不尽さを体験することができる。
Posted by ブクログ
小学生向けの問題集にちらほらと載っていてそれの吾一がかわいかったので全部読んでみたんだけども、思ったより吾一おっきかったし、かわいかったのは序盤だけで、ずーっとふんだりけったりなだけやった。ふんだりけったりな話は好きなはずなんやけども、それが少年ていうだけで何でこんなに痛々しくなるのか。
京造いいやつだな。次野先生もいい人やった。文学したい人間はああいうことが言えるのよね。
Posted by ブクログ
数年前,三鷹の山本有三記念館に立ち寄る機会があり,それ以来,いつか読もうと思っていた本.やはり中学,高校生のうちに読みたかったというのが正直なところ.実際,子供の学校の推薦図書リストに入ったりしている.このような貧しさとほとんど無縁に育った世代がこの本を読んでどう思うのだろう..
付録として掲載されている青年期の物語は,改訂されたあとの本編とはその目指すものが違ってしまっているようにも思われた.もしこの方向に進んでいくのなら,道徳の教科書か,自己啓発本になってしまったのではないか.そういう意味では未完で良かったのかもしれない.