あらすじ
「一歩を譲る」「人にやさしく己に厳しく」など、人づきあいの極意、治世に応じた生き方、人間の器の磨き方を明快に説く、処世訓の最高傑作。わかりやすい現代語訳と解説で楽しむ、初心者にやさしい入門書。
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Posted by ブクログ
読みやすくて大変助かった。
ミステリーなど小説は話が途切れるのが嫌なので中断せず通して読みたいが、こういった名言など一節一節が完結しているものは昼休みの読書に打って付けだった。
中身の話をしよう。
千年の時を超えて届く言葉には深みがある。
昔の人も気苦労をしたのだろうと切に感じる。
自分や周りの人間の醜い姿を見てきてのだろう。
省みる、穏やかになる。そう、気をつけようと思った。
Posted by ブクログ
以前からちょこちょこつまみ読みしていたが、ここにきて一気読み。逆境にいる人には刺さる言葉が多いらしい。
何事もほどほどに、中庸が一番。
入門編?もっと突っ込んだ菜根譚も読みたくなった。
Posted by ブクログ
現代にも通ずる考え方や立ち振る舞い、己に焦点を当て律することの必要性、外の不可避な状況への日々の対処法といった多くを学べます。論語や孫氏の兵法、武士道や宮本武蔵の五輪書を再読したい気持ちになりました。
Posted by ブクログ
標題、現代語訳、訓読、原文
人は常に菜根をよく咬んでいればあらゆる事はなしとげられる(野菜の根は堅くて筋が多いけれど、それを苦にせずよく咬めば、世の中の真の味を理解できる)
C0198
Posted by ブクログ
表装はいまいち。でも、漢文と訳、解説が一緒に載っているところが気に入って購入。
解釈はわたしが考えることと違うところがあるけど、自分に都合よく読んでいます。それでいいよね。
Posted by ブクログ
父に渡されて読む。
後編は何となく思うところがあった。
私は父と折り合いが悪い。ほとんど話さないし、話すと言ったら、思いやりのない言動を母に向ける父に対しての怒りやら何やらをぶつける時がほとんどだ。
正直こんなん、読みたくなかった。
何でこんなん渡したん?未だ自分が子に影響を与えられることを信じてるのか?虫が良すぎる。
何で渡されたんか分からんから、読んだ。イライラしながら読んだ。これが自分の生き様の指針としている本であるとでも言いたいのだろうか。自分に有益だから、私にも有益だと思ってるんだろうか。読めば読むほど分からなくなるだけだった。
後半、「死ぬ時になって初めて、子や財産が無益なものだと分かる」という一節を見つける。
これが、言いたいのかもしれない、と思う。父にとっても私(というか自分の子供達)との関係は苦しみ以外の何物でもなく、それでも死ぬ間際まで有益であることを信じなくてはならない苦痛なものなのである、と。
もしくは…無為自然、何者にも囚われていない自分ゆえに今がある、とか。
父は子や母の話など聞き入れてくれたことなど、ない。黙って無視を決め込み、逃げる。
それは、俗世間のよくにまみれたお前らとは次元が違うとかいう話なんだろうか。
分からない。ただ彼にとって私(子どもたち?)はやはり苦しみを与える存在なんじゃないかと、思う。それを無益だったと、思いたいんじゃないか。
じゃあ、なんで産むことに加担したんだ?
物心ついた辺りからそんな調子で、いくばくも育児などに関わらず、父は本当は子どもなんて欲しくなかったんだろうって、ずーーーーっと思っていて、それが私が生きる上でものすごく大きな生きづらさの原因になっていて、でも何とか誰も責めずにここまでやって来たのに
「子女は無益」
父にとっても「俺だって辛いのだ」と
訴えるものがこの本であるなら、私は一体これからどうしていったらこの気持ちを消化、昇華できるんだろう?
…なんて穿った見方をせずに、「あなたにも学びがありますように」という気持ちを素直に受け止めればいいのにね。だから私は、父を傷つけているのだろう。ごめんなさい。せめて害悪でなく、あなたにとって無益でいられるように、努力する。
Posted by ブクログ
読みやすい構成だったが、解説が学術的(この文章がどこから発想を得ているか、どこから引用された故事かなど)だった。わかりやすい現代語訳からさらに自分の身近な例に引き寄せるには自分の頭を使って変換しなければいけないということだろう。
Posted by ブクログ
先日読み終えた「キャッチャーという人生」の中で、川上哲治や野村克也が愛読したなんて書いてあるから気になって手に取ってみた。
「中庸」という言葉に初めて触れたのは三國志Ⅷの隠し武将になっていた楽毅の性格欄で、それ以降その二文字が自分の人生の指針になってるんだからゲームも捨てたもんじゃない。
今でいうTwitterなんかで、それっぽく立派なこと言ってる人を見るとなんだかこっちが恥ずかしくなるんだけど、それに通じるものがあったような、なかったような。何かにつけて「熱すぎてはダメだけど、冷たすぎてもダメ」とか「強すぎてはダメだけど、弱すぎてもダメ」みたいに、「丁度良い」塩梅を見つけなさいと執拗に説いてくる。それこそが菜根譚の核心の一つでもある中庸の精神ってやつで、それを心掛けることは簡単なようでいてとても難しい。天秤を等しく保ち続けることより、どちらか片方に傾ける方がずっと簡単ってことです。
全部で300条以上もあるんだから、絶対どこかに「さっきと言ってること違うやん!」みたいなのがあると思うんだけど、そういうのも含めて洪自誠の言葉に右往左往させられながら、自分にとっての真ん中を見つけるための本だった。