あらすじ
いつの日か、この日本で本物のウイスキーを造る――。大正7年、ひとりの日本人青年が単身スコットランドに渡った。竹鶴政孝、24歳。異国の地で、ウイスキー造りを学ぶ彼は、やがて生涯の伴侶となる女性リタと出会う。周囲の反対を押し切って結婚した二人。竹鶴は度重なる苦難にも負けず夢を追い、リタは夫を支え続けた。“日本のウイスキーの父”の情熱と夫婦の絆を描く。増補新装版。
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Posted by ブクログ
NHKのドラマは見ていません。
竹鶴政孝とリタの出会いから亡くなるまでの物語です。
しかしウィスキーの歴史から日本に普及するまでの経緯が描かれていて、
とても興味深く読みました。
またウィスキーと言っても、以前はかなりの粗悪品が出廻っていたため、
その粗悪品に追従するべきか、品質を追求するべきか、竹鶴政孝だけでなく周囲のスタッフの苦労が描かれています。
またエピローグにもインタビューした関係者が記載されていますが、
周到に取材した様子がわかります。
本当に良い内容でした。ありがとうございました。
Posted by ブクログ
マッサンや自伝では苦労話が少ないと思っていたら、こちらでは留学時代の苦労話、弱かったマーケティングをどう補ったか等、よくわかった。
家業を継げば安泰だったエリートが、並外れた努力を続けて、本物にこだわり、極東の地に新たな文化を根付かせたのは素直に感動できた。また、夫婦の愛情について改めて考えさせられた。
自分にとって、最高の自己啓発書の一つになると思う。
Posted by ブクログ
NHK朝ドラの原作。予想以上に面白かったです。
これを読むと、サントリーよりもニッカウイスキーを飲みたくなる。スコットランドが身近になる。日本人のものづくりってすごいと思える。仲睦まじい夫婦っていいなと思える。
そしてなにより、一つのことを一所懸命にやり続けるって、やっぱり素晴らしいと思える。
良書です。
Posted by ブクログ
朝ドラ「マッサン」のモデルともなった、
竹鶴夫妻の生涯を追いかけたノンフィクション。
“日本で本物のウイスキーを造る”、
その想いだけでスコットランドに渡った、竹鶴氏。
時代は大正、慣れない異国の地で、試行錯誤を重ねつつ、
一つ一つ、ウイスキーの真髄を紐といていきます。
帰国してからも、決して順風満帆なわけではなく、
周囲の無理解や資金繰り、立地など、様々な困難にぶつかります。
“一人前のウイスキー原酒に成長するまで、
辛抱強くいとおしんでやること。”
それでも決してあきらめることなく、プリンシプルも見失わずに、
その夢は寿屋(現・サントリー)と、ニッカにて結実します。
“酒”とはこんなにも慈しんで造るものなのか、
なんて、『風のマジム』ともシンクロしながら、、
あっという間に読んでしまいました、面白かったです。
ウイスキー、ここ最近ご無沙汰でしたが、
何かしら試してみようと、そんな風に感じた一冊です。
Posted by ブクログ
ニッカの創業者の生涯を小説形式で綴った物語。今期の朝ドラ主人公のモデルでもあるけれど、ドラマではさらりと描かれていたスコットランドでのウイスキー修業の描写が綿密で読み応えがありました。
そして何と言ってもリタさん。この方の日本に骨を埋めた強靭な意志と、余市で沢庵漬けや塩辛造りまで覚えるに至ったど根性に裏打ちされた探求心にひたすら敬服するばかりです。
マッサンとリタさんの生き方は決して器用とは言えないけれど、実りある生涯。つい楽な方に流れがちな自分をふと反省……。
Posted by ブクログ
日本で最初の本格ウイスキーを作った男、竹鶴政孝の伝記小説。ミーハー枠。興味深いことが多くあった。
マッサンとリタののろけ本になっていない。ウイスキーの歴史をきちんと踏まえているので、非常に勉強になる本。
悪いが朝ドラは、話の展開がダラダラしているなー。と思う。しょうがないけどね。
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p25 日本最初の洋酒はジン
日本初の輸入西洋酒は明治三年のジンだった。酒の教養。
p27 一石=180㍑
日本人の年間白米消費量とほぼ一緒。日本酒でも使われるから知っておいてよい。
p40 竹鶴という苗字
広島の竹原の大地主の一角。塩田地主だった。先祖は岸本という苗字だったが、庭の竹林に鶴が巣を作ったという縁起(普通松に巣を作っても竹林には作らない)を担いで改名したらしい。
p43 兄弟
マッサンの兄弟。長兄は早稲田の商科をでてシンガポールでゴム栽培をした。次兄は九州帝大の工科を出て、北海道炭鉱汽船に入社した。弟は北野中学から慶応大学にすすんだ。実家の酒屋を継ごうとするのはマッサンしかいなかった。まぁ、マッサンも継がなかったけど、三男が跡継ぎになっていたのはそういう事情。
p49 池田勇人
マッサンの母校、忠海中学校の後輩には池田勇人がいる。のちにつながる。
p64 え?沈没?
マッサンが渡英した時の客船が途中で漁船に激突して、相手の船コナクリ号を沈めた。乗務員一命を除いて全員死亡したらしい。
なんか、凄いことをサラッと描写していて心に残った。当時は第一次大戦中で客船を出すのも大変だったようだ。ドイツの無制限潜水艦作戦もでていたしね。
p73 ウイスキーの歴史
歴史が書かれている部分。良い知識になる。酒税とともに地酒から世界の酒になっていた。酒税をかけて、大手業者の育成を図ろうとした当局の思惑とは裏腹に、密造者を増やすことになった。しかし、その密造のおかげで地域ごとの個性的なウイスキー文化が発展したともいえる。また、ブレンデットウイスキーにもつながる。1870年代後半にフランスでブドウが病気でワインやブランデーの生産量が落ち、代わりにウイスキーが全英・アメリカや英自治領に広がった。
p100 グレンリベットでの研修
知ってる蒸留所の名前が出てきてテンションあがる。
p141 日本の労働条件
マッサンはスコットランドの職工の姿を見て、日本の当時の労働条件に物申す。当時の日本は休日は月二回、有給もなく、労働者に余裕なんてなかった。それに対してスコットランドでは週休二日で、安息日は絶対働かず家族と過ごす。人として安定したあるべき姿があり、そういう社会を作ってこそ、本当のウイスキーを味わえるのだと感じた。ウイスキーを飲むにふさわしい飲み手を生み出すことも大事だと、先見性のある考えを持った。
p149 マッサン
政孝は大阪の会社では「まぁちゃん」と愛称されていた。それをリタも真似始めたが、日本では旦那をそうは呼ばないとして、せめて、マッサンと呼ぶようにさせた。
マッサンとリタが日本に来たときは第一次大戦後の戦後恐慌で、戦時景気に浮かれていた企業も軒並み事業縮小をしていた。なのでウイスキー事業も凍結だった。
p167 宣伝効果のため山崎がチョイスされた
政孝がウイスキー造をするために鳥井信二郎の寿屋に入社して、大阪周辺でウイスキー製造工場を建てることになった。その理由は「これからの時代はお客はんに工場見学に来てもらえるようやないと損や。宣伝に不利なんや。」というものだった。他の候補地では、佃、小林、枚方、吹田などがあった。
p177 酒税は租税の三分の一もあった
明治になって日本でも酒税を作り、自家醸造や零細企業を締め出した。明治33年には租税収入の三分の一を占めた。
酒税は造石制度で、作った酒に課税される。しかしウイスキーは貯蔵して、販売するころには蒸発して液量が減少するから損をすることになる。政孝はこの制度改正にも尽力して、スコットランドの制度を役人に教えた。
p184 サントリーの名前
由来は、主力商品だった赤玉ポートワインの赤(太陽)の鳥井から文字った。これを国産初のウイスキー「白札サントリー」につけた。
p192 ビール
寿屋がビールに手を出したのは、ウイスキーの補てん用の商品としてだった。しかし、安さを売りに出してカスケードビール・オラガビールを東京中心に売り出したが、関東は安さよりも高いものを見栄で買う性質だから、予想外に売れなかった。
p196 退社
退社のエピソード。商人と技術者の思想の違いが、鳥井と竹鶴をすれ違いさせたかな。
p201 リンゴの名産地
竹鶴が独立した北海道余市はリンゴの名産地(あと鰊)。竹鶴はウイスキー作りの副業としてリンゴジュースも作った。があまり売れなかった。
p228 完璧症なリタ
リタは日本料理を本格的に覚えたし、努力家の完璧しょうだった。畳職人が目安で二時間で終わるといったのに、あと少しで終わらなかったのを咎めたり、有名な完璧おばさんだったらしい。
p229 塩辛はこう作れ
イカの塩辛はいかの筋が気になる。それはイカの身を縦に切っているから。横向きに切ってつくれば筋がなく作れる。リタの発見、研究努力。
p235 ニッカ
ニッカは大日本果汁からきた。リンゴジュース屋さんでもあったんだもんね。
p242 戦時下の売り上げ
第二次大戦中、ウイスキーは好況だった。酒は生産減少傾向だったから、酒の物価が高かった。ウイスキーは貯蔵するので生産量のダメージをあまり受けなかった。
p244 戦時中の男女関係
戦時中は男女でいちゃつくのは不謹慎だった。そういう不合理な考え方は政孝は嫌いだった。ここでもイギリス留学で得た教養が発揮されている。
p321 勲章
昭和44年、政孝にウイスキー造りの功労者に勲四等叙勲の申し入れがあった。しかし、断った。ビール会社社長は勲三等をもらっている。もし私が勲四等を受ければ
その後のウイスキー功労者も勲四等で決まってしまう。業界のために断るという。
その後、勲三等で再打診を受けて、受勲した。
p333 酒好きが作ったから、良い文化ができた
解説の一節。金儲けのための外国技術の導入はよくあることである。しかし、そこには冷たいビジネスライクな感情しか生まれず、温かみのある文化はできない。
ウイスキーを作ったのが、一日一本のウイスキーを飲んだ竹鶴正孝でよかった。酒好きだからこだわったものを作ってくれた。それに、ウイスキーを飲む風土をつくることも考えていたのも偉い。
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完全にミーハーで読んだ本だけど、本当に良い作品だった。
サントリーのウイスキー工場にはいったので、ちゃんと余市にも宮城峡にも行こうと思います。
Posted by ブクログ
リタさんとまっさんの外国人同士でも重なる真摯な心や真面目さや豪快なチャレンジが読めた
こんなにこだわって作ってるウィスキー、日本初のウィスキー、他社のが偽物に思えてきた
まっさんの作品をハイボールでなく味わいたい
Posted by ブクログ
竹鶴政孝の本物への拘り。
武士は食わねど高楊枝?
日本男児の本懐ですね。
ご実家で愛を受け、会社で夢が芽生え、2人で道を切り開いていく力強い物語り。
この本は、政孝氏のご家族への愛、ウィスキーへの愛、リタ夫人への愛、愛が沢山詰まった物語りだと思う。
日本人であることが嬉しくなる本だった。
Posted by ブクログ
主人公竹鶴政孝のキャラも良いけど、奥さんのリタがイイねぇ。「夕方は何時に帰るのか。夕食は家で食べるのか食べないのか。それをはっきり告げるのが男の礼儀ではありませんか。」日本のウイスキーの誕生やその作り方、竹鶴政孝の偉業は勿論だけれど、何と言っても登場人物の人となりや個々のエピソードが面白い。
Posted by ブクログ
本書は1980年代に出た本の文庫化であるが、輝きは損なわれていない!旧き善き職人という風情も残す、決して妥協をしない、余市では“名物おじさん”的に親しまれたらしい竹鶴氏とリタさんの物語…非常に面白い!!
Posted by ブクログ
朝ドラもみてて過去1度読んでたけど、久々に再読。隙間隙間で読んでたけど、読みやすく面白い。
日本でウイスキーを作る難易度、ウイスキーの市場をつくること、ニッカとして地位を得ること、こんなに大変だったとは…
本当生涯通してウイスキーに注いでくれた先人。
途中で挫けてもおかしくない状況が何度もあったのに、ウイスキー作りへの情熱が途絶えず凄かった
そしてリタの強さ。
故郷を離れ、家族と離れ、日本に住み、日本に住む以上は日本に馴染もうと尽くし支えた強い女性だなぁと…
Posted by ブクログ
竹鶴政孝 単身でスコットランドへ。ウイスキーを学びながら生涯の伴侶となるリタと出会う。
周囲の反対を押し切って結婚した2人。竹鶴は夢を追い、リタは夫を支える。「日本のウイスキーの父」の情熱と夫婦の絆を描く。
Posted by ブクログ
最近ウイスキーにハマったので読んでみました。
きっと人生は上手くいかなかったことが大半だったと思う、でも拘って生きることの素晴らしさを教えてもらった。
竹鶴さんのおかげで、今美味しいウイスキーが飲めてます。ありがとうございます。
Posted by ブクログ
「人生を懸けて何かを成し遂げる」
ひとつひとつの決断を、エゴであろうとも全力に、前向きに、全ては国産本格ウイスキーの為に。自分の夢の為に。
初めてのんだウイスキーは、コンビニのグレンウイスキーだった。ただの罰ゲーム用のお酒。そんな学生時代、ゼミの先生に連れていってもらった木屋町サンボアで、山崎18年をショットで飲む先生を見てかっこいいと思った。
試しに無理してかった山崎12年を家で真似して飲んでみた。衝撃。
ウイスキーと出会いもう10年。
この時も今後お世話になるだろう樽がどこかで眠ってるのだろう。
いまの日々の努力が、10年後、12年後、30年後に活きてくるはず。
そんな人間同士の日々をヴァッティングしてボトリング、どこかのバーで花ひらく時を夢みて、1日1日を過ごして行きたいと思う。
Posted by ブクログ
NHK朝の連続テレビドラマになった原作。日本で初めてスコッチウィスキーを製造した、ニッカウィスキーの創業者であるマッサンこと竹鶴政孝氏の生涯が描かれている。
外国に行くこと自体が難しかった大正時代に、当時勤めていた酒造会社の社長にスコットランド留学に行かせてもらい、飛び込みでウィスキー作りを学ぶ。当時、資金もノウハウもなかった日本では、偽物のウィスキーが売られ、飲まれていた。竹鶴は本物のウィスキーを日本で作って売るという野望を抱き、独立し北海道に工場を作る。さまざまな障壁を乗り越え、やっと望むウィスキーが作れるようになるのは、晩年のことである。
彼の夢を支えるのは、スコットランド人のリタ夫人である。日本人になりきろうとするリタ夫人、寄り添う二人の愛には感動した。私の配偶者も英国人なので、二人の人生が重なった。今までは、自分が死んだら骨は祖国日本に送ってもらおうと考えていたが、配偶者と同じ墓に骨を埋めてもらいたいと初めて思った。
ウィスキー愛好者や国際結婚をしている人には特におすすめしたい1冊である。ウィスキーをちびちびやりながら読むと楽しいだろう。
Posted by ブクログ
竹鶴政孝の妥協しない職人気質、
それから、仕事とプライベートの両立をモットーとした彼の心意気。
そして、スコットランドから共にしたリタ夫人。
彼女の日本人的な気質。
彼らなくしては誕生しなかった
本格ウイスキーの秘話に感銘を受けた。
概要めいた内容ではあるが、
読む側には起きた事実は十分に伝わるものでありました。
Posted by ブクログ
朝ドラ見たいなーと思いつつも仕事で見られないので、原作を読もうと手にとった本。
帯にもあるように、リタの「私もその夢を共に生きたい」という言葉がとてもステキで、夫婦が支え合いながら大きな夢を成し遂げる姿は感動的だった。
スコットランドでツテもなく勉強するって、竹鶴さんはすごい人。まず度胸やウイスキーへの情熱が人一倍あって、英語も相当できたんだろな。
でも、竹鶴がウイスキーの勉強をしてウイスキーで商売を軌道に乗せる・・・というストーリーが主だったので、夫婦の姿やリタの視点からのストーリーを読みたいなと思った。別本で出てるのを本屋で発見したので、次はそれ読もう。
Posted by ブクログ
特に朝ドラ「マッサン」の原作本というわけではないが、ニッカウヰスキー創設者の竹鶴夫妻を描いた本。
主人公の生い立ちから、スコットランドでの修行、リタとの出会い、寿屋での国産ウイスキー生産開始、寿屋から袂を分かち余市での工場立ち上げ等々、淡々と事実を連ねていく。
メロドラマ的要素は全くないが、主人公の固い信念と行動は読む者に感銘を与えるのに十分である。
それにしてもウイスキーの原酒が1滴も入っていなくても「ウイスキー」を名乗っていた時代が何十年も続いていたとは。
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日本で初めてウィスキーを作った男、竹鶴政孝氏とリタ夫人の生涯。
小樽商大の先生に勧められて文庫本を購入。余市のニッカの蒸留所のスタンプを押していい気になっていたのだけど、帰りの飛行機で忘れてしまい、これは二冊目><
小樽で学んだアントレプレナーシップと余市蒸留所の風景を思い出し、胸にジンときた。
竹鶴氏は戦後の企業家としてもっと評価されていい。
朝ドラがそのきっかけになればと思う。
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H26年9月29日から始まった朝の連続テレビ小説「マッサン」の原作の文庫版。国産ウイスキーの夢を追い求める竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)のウイスキーにかける情熱と夫婦の絆を描く作品。
ウイスキーととても呼べないような粗悪な国産ウイスキーが出回っていた時代を経て、今やジャパニーズ・ウイスキーは世界でも評価が高くなっている。しかし現在に至るまでには相当の苦労があった。ニッカウイスキー創業者竹鶴政孝とそれを支援した人たちがいなければ現在ウイスキーはこれほど日本に浸透していなかったかもしれない。何かを新たに始めようとするものは批判される。それを乗り越え何かを成し遂げることの難しさは言うまでもない。これからはウイスキー片手にテレビ小説「マッサン」を見ながら再び竹鶴政孝さんと夫人リタさんの人生を味わっていきたい。
Posted by ブクログ
日本のウイスキー史、サントリーとニッカの因縁、ニッカの由来等、興味深く読みました。
それに加えて、竹鶴政孝とその妻リタさんの絆を描かれているので、頭の中に鮮やかに竹鶴政孝の動く姿が浮かび上がります。
ふと気付けば私も父と同じウイスキー党になっていましたが、父にこの本とニッカの“竹鶴”をプレゼントしようかな。
Posted by ブクログ
朝ドラ「マッサン」のモデルになった、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴さんのおはなし。
サントリーのウイスキー工場見学には行ったことあるけどこれ読んだらより深く見学できそう。
初めてウヰスキーを日本で作り、商業化したその精神は並々ならぬもので凡人には成し遂げられないものだと思う。
ニッカウヰスキーを深く堪能したい。余市も行ってみたい。
Posted by ブクログ
スコッチに嵌っていた頃、この小説を読んだ。日本のスコッチづくりに邁進する竹鶴、彼を支える妻のリタ。スコッチとともに味わいある夫婦を深く知った。
Posted by ブクログ
さらさらーっと読めるのは良いのですが、もう少し掘り下げて欲しかったなぁ。
あっさりしすぎてて、少し物足りない感じです。
もちろん、そうは言うても、面白いからこそものたらんのやろけどね
Posted by ブクログ
竹鶴政孝の伝記。日本のウヰスキーをつくった男。竹原出身。スコットランド留学中にリタさんと結婚。今度の朝の連続ドラマ「まっさん」の原作?本格ウヰスキーを作るまで順調だったわけではない。どんな伝記もそうだけど,何かしようとするときに困難は起きること,その困難に対してどうアプローチし真摯に向き合うか,そして結果が望む物でなくても打ちのめされずに次に行くこと,その望まない結果が巡り巡って次のチャンスを成功に導くこと,これらの要素が含まれる。人生の原理なのか。