【感想・ネタバレ】日本語の哲学へのレビュー

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Posted by ブクログ

和辻哲郎による問題提起に始まり、パルメニデス、デカルト、ヘーゲル、ハイデッガーによる「存在」への問いを概観しつつ、万葉集を引用しての上代の日本語、漢字の由来にまで議論が及ぶ。哲学と、歴史と、ことばと。面白くて、美しくて、ためになる。西洋哲学の入門書のような価値があると同時に、ことばというものの知的でロマンティックな部分に深く触れることができた価値ある一冊。「あとがき」が『歴史的仮名遣ひ』で書かれているのも印象的。

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2011年04月02日

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和辻とハイデガー、さらにデカルトとヘーゲルの思想を理解する助けになる。文章は読みやすく潔い。第4章までが勉強になる。第5章と第6章は、西洋語でなかなか捉えきれないものが日本語ではできる、ということが丁寧に説かれていて面白いが、だからどうなのか?とも思ってしまう。本居宣長同様、“だから日本はすごい”という気持ちが文章に滲み出ているので、そこはちょっと引いてしまう。

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2022年08月12日

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和辻哲郎の『続日本精神史研究』に収められている「日本語と哲学」という論考を手がかりにしながら、日本語という観点に立つことで西洋から輸入された哲学的な思索がどのような新たな眺望が得られることになるのかを考察している本です。

前半は、デカルトやヘーゲルらの思想と、それに対して和辻がどのように切り結ぼうとしているのかを明らかにしながら、少しずつ著者自身の問題意識が明らかにされていきます。後半になると、日本語の「もの」と「こと」をめぐる著者自身の思索が展開されます。とくに著者は、「もの」ということばに「無のかげ」が差し入っていることと、「こと」ということばによってその内容が区切られ、際立たされていることに鋭い考察のメスを入れています。さらにこうした著者自身の洞察が、存在の呼び声に聴従し、言葉を「存在の家」と規定した後期ハイデガーの思索に接近していることにも目を向けつつ、「もの」と「こと」を交差させることに「日本語の哲学」の可能性を見ようとしています。

静謐な文体と強靭な哲学的思索があいまって、深い印象を残す内容になっていると感じました。

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2017年12月15日

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和辻哲郎が「日本語の哲学」を目指したことを受け、その思い、チャレンジの経緯を探りながら、デカルト、パルミニデス、ハイデッガーといった哲学者たちと「日本語」をもって切りむすぶ、知的バトルが繰りかえされる。

最後、万葉集という日本の先祖が使ってきた「言葉」、「もの」、「こと」の奥の深さの探求があり、日本語をもってする日本人の「知の希求」の道が将来もっと、もっと開かれていることを期待したい。

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2011年07月21日

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ネタバレ

日本語の哲学について考えさせられた本。全体として和辻氏の論文を中心にして、その間で論考が行われているように読める。

全体として、面白い。スリリングといっても良いような内容。哲学をするうえでは言語というのは非常に重要であるという事を再認識させてもらった。

入門書ではないが、哲学の本としては面白く、お勧めだと思う。

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2011年06月23日

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人は考えるとき、必ず何語であれ、どれかの言葉で考える。そして、言葉が概念を切り取る。そのため、考えるとき、自分の言語の影響を受ける。西洋の言葉で考えられてきた哲学を日本語でとらえ直そうという和辻氏の言葉を受けてかかれてもの。特に、「存在」と「存在者」の関係を、「もの」「こと」という日本人が昔から自然に使ってきた言葉を見つめ直している。

万葉集などの和歌までさかのぼり、「もの」には無のかげがちらついている、例えば、 物悲しいとか、という見つめ直しが面白かった。
ただ、人の考えの批評が多く、もうひとつ踏み込んで議論してほしかった。
未完という意味で「日本語の哲学へ」なのだろう。

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2011年05月12日

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かつて、西洋哲学の巨人達は自分の「母語」に無自覚であったために心理追求の隘路に陥ってしまった。西洋哲学のテーマである「存在」の解明にはギリシア系の言語やヘブライ系の言語よりも、「漢字を日本語化」した日本語で解明した方がよい。時に哲学の概論というよりも哲学そのものになってしまって、訳が判らなくなる部分もあったが、理詰めで読み解かれるテーマはとてもスリリング。

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2011年08月19日

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大学の課題のために読んだ。そうでなければパルメニデスの「哲学詩」のところで挫折して読み切れなかっただろう。哲学の「難関(アポリア)」に立ち向かう際においての日本語と西洋語の違いを考察するという内容。ただ私の思想には反していた。

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2020年01月25日

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【目次】
1. 日本語と哲学
2. デカルトに挑む
3. 「ある」の難関
4. ハイデッガーと和辻哲郎
5. 「もの」の意味
6. 「こと」の意味

【概要】
物事をどのように理解するかは、言葉の形によって左右される。
「存在とは何か」という哲学の根本命題を日本語で思索する場合にも、西洋哲学の用語を翻訳して理解しただけでは不十分であり、まずは日本語自体のもつ「わかり」の形を明らかにしなくてはならない。
そうした道具立てをしっかりとした上で、日本語の哲学が始まる。

【感想】
結局、「もの」と「こと」との根本義について、筆者の見解を述べただけで終わる、中途半端な内容。
物事が次々に生じては消えていく時間の流れの中で、「こと」は「つぎつぎになりゆく」側面に目を向けたものであり、「もの」が出で来たものが去り行く後ろ姿を眺めている、という解釈は、それなりに納得できるものではある。
(もっとも、著書の中で解説されている、大野晋および荒木博之の、「こと」は時間的に変化する出来事や行為をさし、「もの」は時間的に不変な物事をさす、という解釈の方が素直な気もするけど。)
でも、そのように解釈をすることで、著書の中心課題である「あるということはどういうことか」についてどのような知見が得られるのか、何ら説明がない。
それは、新しい日本語論ではあっても、日本語の哲学とは呼べないと思う。

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2013年06月02日

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