【感想・ネタバレ】サヨナラ、学校化社会のレビュー

あらすじ

★「こんな不況でよかったね。
親や先生は将来のためにがんばりなさいと言うけれど、
そんな生き方はみんなカラ手形になりました」
★義務教育から大学院、2年間のオーバードクターを含む24年の学生生活。
そして偏差値四流校から東大までの教師生活。
学校教育の受益者にして被害者という上野千鶴子が直言!
★評価に怯える優等生シンドロームの東大生、
子育てに追い込まれた「音羽の母」。
学校的価値に覆われた息苦しい社会をどう超えるか。
★学校はけっして人生のすべてじゃない。
こちらがダメならあちらがある。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

いわゆる良い大学を出た人間の最大の強みは「やればなんとかなる、自分にはそれだけの力がある、という意識を持てていることである」、という言葉が印象的でした。学歴がもたらすものは「知識」よりも「自信」なのだということ、そしてその「自信」が無ければ先に進む為に行動を起こすことすら出来なくなってしまうこと等が書かれていました。

低学歴でかつニート・フリーターなど社会的に弱い立場にある人達が思考停止しそこから脱出しようとする意欲すら持たなくなる背景にはこのような心理的背景があるのだということ、本人達の「怠け」ではなく学歴社会による心理的な圧迫があるのではないかという疑問に思い至り、社会問題を感情論ではなくロジカルに読み解くためのひとつのヒントになりました。

0
2011年11月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

すーーーーっごい、血となり肉となった本。

どこかの本で『極端に示すことで見えてくるときがある』と書いてあったけど、上野さんはそれを体現してくれてる人で、新しいなにかを生み出すために、あえて極端に言ったり挑発したりして、世の中とか自分とか相手とか聞き手を前に進ませようとしてるところがあるように思う。

あとサービス精神がすごい。本ひとつにしても講演ひとつにしても、「お客様の大切なお金を頂いたからには、それなり、それ以上ものを持って帰っていただきます」というところがとても好き。

内容は、学ぶってことはどういうことか、働くってどういうことか。欠陥だらけの学校教育についてとか、偏差値は親の収入と結びついているという研究結果とか、偏差値が高くても『知のグルメ』でしかなく情報を産み出す能力がない人が多いとか、日本の頭のいいということは相手に都合の良い人になれる人だということなど。

今までとこれからの自分の『学ぶ』こと『働く』ことについての、視野を思いきり広げてくれた本。借りた本だけど絶対買う!は〜学生の時にでもこの本に出会っていれば、慌てて勉強したのにな〜。

0
2011年10月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 別の著者の本の中に、この人の名前を何度か目にしたことがあったので、一番簡単そうなやつを手にとって読んでみる。

 わたし、その「別の著者」のスタンスに似ているなと思うんですが、「フェミニズムには賛同するが、フェミニストには賛同しない。」という考えの持ち主な気がします。

 そもそもフェミニズムってなんだって聞かれても的確に答えられる言葉を持っていないのだけど、フェミニストの人の話を聞いていると、なんだかとんがっていて、ちょっと同意するに余裕が無い人を何人か見てきたからかもしれません。



 で、この本を読んでみて、少し見方が変わったかも、と思った。フェミニストって、私が思うよりももっと寛容さがあるんじゃないかと思える面があったからかもしれない。


 はてさて。この本。

 同意できるなって、思うことも多くあった。うん。大半がそうだよなと思ってもいいかもしれない。でもいくつか、私はそうは思わないなと思うことがあった。

 それは著者からしたら揚げ足とるようなものにすぎないのかもしれないのだけど、わたしがこれから、この人の著作を読むにあたっての誤解を納得に変えてくれるきっかけになるものであったり、やっぱり違うなと、違いを際立たせてくれるきっかけになるものになるように、ここに記しておく。3点ほど。


 一つ目。
 学校は、不相応に知育、徳育、体育、生活指導、心の教育、全人教育などやらずに、知育だけに特化すれば良い、相応にダウンサイジングすべきだ、と学校の先生に話すが、いつも反発される、というところ。

 うーん。この人に対して「反発」しているように見えたのかもしれない。でも、恐らく多くの教員からしてみれば、「教えることだけに特化出来ればどれほど楽か。」と思っているのではないだろうか。「教えることに特化するために」まずやらなきゃいけないことが山積していて、やらざるを得ないから知育以外のことをやってるんじゃないかと思う。ダウンサイジングだけして知育に特化することを強制的に学校がやっても、めちゃくちゃになるだけ。知識の足らぬ人間を切り落としたところで、次に受け皿となった場所で同じことが繰り返されることは容易に想像できる。それをなんとか食い止めようと(なぜならそれは生徒の望むことではないから。)知育以外のことにも手を出さざるを得なかったのが今の教育現場なのではないだろうか。


その2
今の教育が最悪な点は、、学ぶ側が教師を選べないということ。授業は学校が提供する商品。学ぶ側はいわば消費者。教師を選べるという「消費者の権利」が確立されない限り、学校というシステムは変わらない。


 この人は、「学校化社会」を批判する一方で、「システム化された社会」を学校に取り込んでいこうとしているのだろうか。

 わたしは、教育はサービス業ではない、と思う。逆に、あらゆる人が(それは教師を含む)教育をサービス業と捉えているから、いろんな問題が出てきているのだと思う。「教師を選べる学校教育は、『いろんな人間が集まる環境』を作らないだけでなく、学力低下、競争社会を激化するだけだと思う。

 「サービス業、資本主義、消費社会」そうでない社会も世の中にある、という視座に立てる人間を育てるのが、教育なんじゃないだろうか。

 今の子たちは、「消費者の権利」を、無遠慮に教育に突きつけてくる。「先生、これやって何の得があるんですか?」「何のために勉強するんですか?」「これだけやっとけば単位取れますか?」評価の絶対的存在が「教師」で、教師の望むものをいかに楽なエネルギーでこなしていくか(=いかに安いお金で高い価値のものを手に入れるか)に躍起になる学習方法をすればそれなりの結果を得られることを「学ぶこと」だと履き違えてる。だからこその彼女の目のあたりにした東大生の実態があるのでしょう。そこの根本、覆さなきゃ教育なんて変わりゃしないよ。「自分の好きなこと、よくわかんないけど楽しそうなもの(=無駄かもしれないもの)に、どれだけ熱を注げるか、そこに達成感得られるかっていう、消費や効率と真逆のベクトルにあるのが「教育」だと私は思う。



その3
 雇用の多様化、労働の柔軟化をすすめるべきだ。でもその一方でそれは、貧富の階層化を避ける事が出来ない。

 要は貧富の差、階層化を認めろってことだよね。

 身の程わきまえて、持てぬものは持てぬままその階層を受け入れて、好きなように生きて行け、だって「好きなこと」をやって生きる生き方選んだあんたの自己責任でしょってことだろうか。

 
 
 「偏差値競争の勝者も敗者もどちらも幸せにしない現在の教育システム」に危機感を抱く気持ちはわかる。「これではいけないという焦燥感は、現場にいれば痛いほどジレンマにとらわれる。

 でも、彼女のやり方では、この本を読んだ限りでは、苦しさが移動しただけで、痛みが弱者に向ってしまうだけで、根本の解決にはならないと思う。


 そもそも根本の解決なんて望むべきじゃないっていうか。

 教育なんて、昔から教えてること、大きく変わってないんだよ。それを根本から変えるなんてほど、今の人間が頭よくってエライなんてことありえない。先人たちの積み重ねてきたもの亡き者にして、「いまのニーズにあってないから」って、何もかも変えてしまうのは、得策じゃない。「いまのニーズに合うもの」を安易に取り入れたのが「ゆとり教育」とか呼ばれるものでしょうが。

 教育の効果が現れるのは、学んでから1週間後とか、そんな安易なものじゃないし、教えたことが同じように全員に浸透してくなんてありえない。だから面白いんだし、だから思いがけない発見があるんだし、だからわけのわからないものを学ぶ意味があるんだと思う。

 要は、「根本から変える必要はない」。但し、機能不全に陥っているものを適宜点検して、修繕していきながら、今のシステムも大切にしていくのが…良いのではないかなぁと、私は思う。

0
2012年10月31日

「学術・語学」ランキング