あらすじ
少年たちが従軍した西南戦争から、政治家・思想家を狙った「子ども」による昭和のテロ、徴兵制、知られざる昭和天皇の姿、尖閣問題まで。気鋭の歴史学者と練達のジャーナリストが乱世の時代を見定めるヒントを伝授!
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Posted by ブクログ
加藤陽子という人の、独特のものの見方というのは論理性と当事者性にあるのかと思っていたが、そうばかりでもない、というのは本書で笠原和夫と大杉栄という補助線を得て、了解した。国や国民に対するどこかさめた距離感は、いってみればアナーキストのそれなのかもしれない。
取り上げられた中で備忘:笹まくらと東京裁判三部作。
Posted by ブクログ
正義とは何か?公平とは?一つの考えに傾倒し、突き進んでしまう傾向にある日本の政治・マスコミ・国民が如何に危うい結果を生んできたか。誰も疑っていないことはむしろ恐しいのだ。クリーンなタカとダーティーなハトといった端的な切り分け表現すら怖いと感じてしまう。
Posted by ブクログ
特に印象的だったことを徒然に書き記しておきます。
学徒出陣に対して、庶民からはむしろ当時のエリート層である
大学生が出征することを、喜んでいたような節があるというような
話が興味深かった。「不幸の均霑」という言葉を用いて説明されているんだけど、「同じ辛い思いをしろ」というような、庶民側の感情というものがあったと。これなんか、まさしく今の日本とおなじ構造だと思う。昨今の過激な発言で賑わす政治家達が既得権益をぶっつぶすみたいなこと言うけど、それに市民は喜んで同調してしまう。
その背景にあるのは「大変な思いをしている時に甘い汁を吸っているやつらはけしからん」というような、感情と同じだと思う。
本当は、研究者や学生までもが戦争にかり出されて行く姿を異常だって気づかないと行けないのに。
「非政治的な活動」がいつのまにか、結果的に政治的な方向に導く力を持っていた、こととか。国防婦人会なんてのは、最初はもっとローカルで無害な、コミュニティとしての集まりだったと。主婦の節約術、的なことを教えていくような。それがいつしか組織化され、国家の意向を推進するような強い影響力を持って行ったと。人があつまる、団結する、組織化するということ、それ自体にもともと力があるんだと思う。そして、それはもしかしたら目的があるかなしか、に関わらず、ただそれだけでパワーがあるんだろう。大正デモクラシーとかにもちょろっと触れていたけど、当時の日本人にとって、そういう全国規模で何かをするっていうこと自体がもしかしたら新しかったのかもしれない。そういう一体感っていうのがある種、感覚を麻痺させる麻薬的な要素があるんだろう。そういう非政治的な部分っていうのは、目的が明確でなかった分、一度方向を間違えると危ういんだと思う。
個人的に思うのは、日本人は政治を嫌う傾向にあると思う。
職場や学校で政治の話、自分の心情などを話すのはタブー視されている雰囲気があるけどそれってダメだと思うし、それこそが、みんな思考を停止してしまう、引いては自分のこととして政治を考えられなくしてしまうことなんじゃないかと。本当はもっと身近な話題であるはずなんだよね。誰かと話す、意見が食い違う、そこから問題意識が深められると思うんですよね。だから、私としては、いろんな人と話そうと心がけるようにしております。
Posted by ブクログ
NHKのさかのぼり日本史をみて、加藤陽子さんの本を読んでみた。佐高信さんとの対談。
加藤さんの
国民を刺激しない形で「その気にさせる」ため、公平で平等に徴兵する。今まで特別待遇だった徴収猶予の対象であった人たち、知識階級の帝国大学の学生などを徴兵していく。そういう人たちを、ガダルカナルやレイテで戦わせる。そういうことを一般の国民は正直「いい気持ち」がしたのではないか。これは、「皆さん等しく不幸です」というところで保っていた社会だ、「不幸の均霑」である。という話。
なるほどなあと思う。今だって、みんな一緒だった仕方ないと思うだろうなあと思う。昔、早くに夫に死なれて4人の子供をたった一人で育てた祖母が「みんな貧乏だったから、うちも生きていけた。戦争中だから生きられた」といってのを思い出した。
家の光の小説を読んで満洲への移民が敷居の低いものになったという話も納得した。国の欲するブームを作ることがマスコミはうまい。
以前、歴史の教科書に、社会を学ぶのはだまされないためです。と書いてあったけど本当にその通りだと思う。