あらすじ
絶世の美女にして全身に百の眼を持つ妖怪・百目。彼女の探偵事務所は、妖怪と人間が共存する〈真朱の街〉にある。請け負う事件は、すべて妖怪がらみ。依頼人は、報酬を自分の寿命で払うのが決まりだ。助手の相良邦雄は、時々百目に寿命を吸われつつ、事件解決にこき使われる日々を送るのだが……。数多のもののけたちが跳梁跋扈する、妖怪ハードボイルド第1弾!
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Posted by ブクログ
タイトルから想像されるようなオカルト・ミステリー要素だけの物語ではない。本書の著者はハードSFの名手である。SF要素がどうしても嫌いという場合には注意が必要だ。
本書の著者の短編集『魚舟・獣舟』に、第0話に当たる話(『真朱の街』)が掲載されている。内容としては相良が真朱の街に現れて百目と出会い、その助手となる経緯を描いた作品だが、未読でも本書を読むのに特に困ることはないように作られている。
プロローグとして読んでから本書に入っても良いし、本書を読んだ後に前日譚として読んでも良いと思う。
オーシャンクロニクルシリーズやデビュー作の『火星ダーク・バラード』、短編集に収録されている作品がどれも美しく、面白く、多彩だったので、本書の著者を良質なハードSF(+ 人間描写)作品を生み出す作家だと思っていたが、短編集の中にはSFテイストでありながらオカルト(ホラー?)じみた内容を含む作品も散見され「この路線も面白い!」と気になっていた。
そのうちの一つが独立して続き物となっていることを知り、読んでみたいと思っていた。
「(タイトルや帯にある文言のように)これは本当にファンタジーなのだろうか?」そう思いながら読み始めたが、1話の終盤で、『(妖怪が突如現れ、消えるような空間移動を実現するには)多次元と空間の謎を解明する必要がある』のような一節が前触れもなく挟まれたことで、「これはファンタジーとSFの境目を行ったり来たりする作品だ」と思いを改めた。
本書を読んでいるうちに、以前読んだ『イギリス怪談集』の編者あとがきの内容が思い出された。
そこには、『ミステリーは推理により合理化し、解決し、闇を白昼に戻す。幻想やオカルトはその反対で白昼を闇に置き戻し、超常のものの日常への関与・浸透を予感さす。前者は合理と日常の勝利であり、後者は堅固な合理と日常の崩壊であるが、その過程における不安と恐怖とを、ベクトルの方向は逆であっても、ともに共有することは注目されてよい』という、ミステリーとオカルトは根を同じくした背中合わせの存在である旨や、それらジャンル分けは『かつての優れた物語が含んでいた諸要素を純化して分業化したに過ぎない』というようなことが述べられていた。
この解説を「私がミステリーもオカルトも好きであることの理由が上手く分析・表現されているな」と感服しながら読んだ覚えがあるが、本書はこれと似た構造を感じられる作品であった。
ファンタジーとSF、オカルトとSFには明瞭な境界線が引かれているわけではなく、入れ子になっているのだと感じる。作風によって科学がファンタジーに食い込んで解明したり、オカルトが科学を侵食したりするので境界は流動的でもある。普通の作品はどちらかに主体を置いて物語が展開されるので、この境界の侵犯は起きたとしても自然に、さりげなく行われるのだが、本書は敢えて境界領域に陣取って物語を進めていくので、科学技術とオカルトが大きく振れたり混在一体となって現れたりする。
第3話のようにミステリー・ホラー寄りの内容があったと思えば、次の第4話はSFを前面に押し出した導入になっている、という具合に、世界観は一緒ながら各話で表に出ている特色が異なっていたりもする。
本書に登場する妖怪達がなじみ深いためか、違和感なく妖怪という存在をオカルトだと思ってしまうのだが、”妖怪”を、”異星人”や”地球外の知的生命”に置き換えてみると、急に印象が変わり、近年のSFのど真ん中のテーマのひとつである「コミュニケーションはとれるのに全く分かり合えない地球外生命とのコンタクト」のお話となる。その手の作品は、ファーストコンタクトものとしてはもっともらしいと思う反面、どうしてもとっつきにくく難解な作品になりがちである。しかし、本書では”妖怪”という皮を被せることで親しみやすく、拒絶反応が出ずに難しいテーマに馴染んでいくようになっている。これはスゴイと思った。
また、著者は現代科学の延長線上にあるようなリアリティのあるSF設定が素晴らしいのはもちろんなのだが、人間の内面描写も巧みだと思っている。本作では、意思疎通はできるが非人間的な思考の妖怪達と対比することで様々な人間性を描き出しているようにも見える。
物語の内容としては、
第1、2話は相良の身の回りで起きる出来事からこの物語の世界の様子や主要なキャラクターの紹介をするような内容となっている。派手なアクションや駆け引きは無く、特に緊張する場面もなく、(相良の性格もあって)比較的淡々と話が進む。
第3話からはミステリーっぽい内容になり、妖怪の探偵業(?〉がはじまる。これまでのなんとなく抜けたコミカルな様相からホラーテイストを含んだ気味の悪い雰囲気が漂うようになり、科学だけでなくオカルト的知識も現れてくる。
第4話では一転、ロボットが現れて「SF!?」となる。この4話はオカルトとSFのハイブリッドだ。呪による防御が出てくる一方で、妖怪の力と呪の干渉では重力レンズが生じる。空間を自在に移動し、何も無いところから物を取り出すこともでき、それに対するエネルギーの収支も合っていない、一見デタラメに見える妖怪の力だが、それでも物理に制約されうる存在だとわかるシーンだと思っている。
第4話自体のテーマ「高度に発達したプログラムは心を持っていると言えるのか」というのはSFのみならず、実在の科学の分野でも問題として取り扱われている事柄である。このロボットの問題を妖怪の意識から見るというのは面白い。他に類を見ない発想ではないか。
最後の第5話は百目も相良も登場しない、播磨遼太郎の物語。播磨を50代くらいの人物かと思っていたので意外に若くて驚く。この話はオカルト的なアクションが山盛りだが、その舞台は真朱の街のほか、人工浮島が浮かぶような近未来のSF世界。ロボットが存在し、無線通信も完備の未来世界で陰陽師が呪や式神を当たり前のように操って活躍する、ちょっと常識外れの組み合わせだ。ともすれば浮いてしまいそうなアンバランスな状況を著者の優れた筆致で違和感を生じさせていない。
本書では何も解決せず、謎と因縁を残して次巻へ続いていく。