あらすじ
7年ぶりに再会したシーラは、派手な髪のパンク少女だった。かつての楽しかった日々も二人の信頼関係も憶えていないという。少しでも打ち解けるよう、トリイはクリニックの手伝いを頼む。やがてシーラの口から、幼い頃からの性的虐待の事実が明るみに……。真の癒しを見出すまでのシーラとトリイの葛藤を描く。
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Posted by ブクログ
再読。著者本人もそう思っていたようだし編集者も書かない方が良いと結論を出していた『シーラという子』(1980)の後日譚で、7年後思春期の13歳になっていたシーラとの再会を描いたのが本書『タイガーと呼ばれた子』(1995)だ。時期的には『シーラという子』の出版から15年後ノンフィクションシリーズ8作中の6作目にあたる。
この作品の中で出版準備中の『シーラという子』をシーラ本人に読ませていることから1980年より少し前の出来事であったことが推察される。さらにこの時シーラが14歳の誕生日を迎えていることから、今現在40代後半もしかすると自分とさほど歳が違わないかも知れないということに気づいて、なんだか嬉しくなってしまった。果して今ごろ彼女はどうしているのだろうか。とは言えそれは本書を最後まで読めば大体予想はできるのだが。
後日譚を書かない方が良いという判断は、たぶん他の作品のように情緒障害児たちが主役になるのではなく、すでに情緒障害から立ち直りごく普通の思春期の13歳になっていた少女と著者本人とのとても私的な関係性を描くという意味でシリーズのテーマに則していなかったからではないかと思われる。またこの本の内容はむしろ『シーラという子』のドラマティックさに比べて極めてリアルに地味な思い出話にならざるをえず、読者にとって期待はずれになるという危惧があったためのようである。
にもかかわらず完成したこの本を最後まで読むと『シーラという子』とは切っても切り離せない絶対に必要な完結編だと思える。これがあってこそシーラの幼少期を描いた『シーラという子』の本当の魅力が伝わってくると言える。そしてまたこの再会の後、またしてもシーラに関する数々な問題に東奔西走させられてしまうトリイ・ヘイデンだったが、彼女はすでにシーラの教師ではなく、シーラもまた彼女の生徒ではなかった。
その答えが本書の最後の会話によって明らかになる。まあたぶん、著者はこの極めて地味で温かな結末を読者が気に入るだろうと予想したから当初の考えを置いて本にすることを決めたのだろうと思う。
『シーラという子』で学年が変わり別れて行った後もシーラや他の生徒たちの動向を気にかけていた著者は、突然シーラの行方だけ見失ってしまった。再び収監された父親の影響だったということまでは分かったが、その後数年に渡ってシーラの所在がつかめず、ようやく再会できた時はすでに7年が経過していた。トリイとの思い出や教室での日々をほとんど思い出せないというシーラの言葉にとまどいつつ、再び彼女との関係を修復しようと躍起になる著者だったが、またしてもシーラによって引き起こされた事件の後、シーラと父親は住んでいた家からこつ然と姿を消してしまった……
Posted by ブクログ
勧められて読んだ
「シーラという子」の続編
シーラという子もそうだったけど、この人の作品は本当に面白い
「itと呼ばれた子」というの似たタイトルの本もあるけれど(これも有名)、比べ物にならない
内容はシーラの思春期の話
トリイのことを忘れてしまっていたシーラとトリイが、以前のような関係を構築していくお話
最後まで読んだ感想は一言
「もったいねえ」
天才だと思うんだけどなあ
まあ人によって何が良いのかは違うのだろう
そんなことは知っているけれどもやっぱり
「もったいねえ・・」