あらすじ
復員しても、いまだに戦争中だと錯覚している元中尉の異常な言動を描いて、戦争と戦争思想の愚劣さを痛烈にあばき、真の戦争犠牲者に対して強い同情をよせた『遙拝隊長』、“本日休診”の札を出した病院に、その札を無視してつぎつぎと訪れる庶民の姿を洒脱な老医の視点から描く『本日休診』。戦後の救いなき世相を反映させ、ほろにがいユーモアをただよわせた2編を収録。
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Posted by ブクログ
ゼミで取り扱われるので、「遥拝隊長」だけとりあえず読んだ。一言で言って、どう読んだらよいものか、よく分からなかった。
復員しても、いまだに戦争中だと錯覚している元中尉の以上な言動を描いて、戦争と戦争思想の愚劣さを痛烈にあばき、真の戦争犠牲者に対して強い同情をよせた『遥拝隊長』
(新潮文庫版、裏表紙のあらすじより)
文庫版のあらすじの書き方からすると、「戦争と戦争思想の愚劣さ」に対する批判の物語ということになる。
戦争中、陸軍中尉で小隊の隊長としてマレーに派遣された悠一は、遥拝が好きであった。ラジオで朗報があるたび、自分の小隊を整列させ、遥拝をさせていたことから、彼の小隊は「遥拝小隊」と呼ばれ、悠一も「遥拝隊長」とあだ名されることになる。
ある時、小隊は、敵に落とされた橋の架橋工事にあたり、トラックが足止めをくらう。そのときの雑談で「戦争は贅沢」だと言った部下に腹を立てた悠一は、その部下を殴りつけ、続けて殴りつけようとした際、乗っていたトラックが動いたことで、部下もろとも川に落ちてしまった。これをきっかけに、その部下は死んでしまい、悠一自身も、左足がびっことなって、さらに、頭を打ったことで「痴呆症」の後遺症を負ってしまう。
後遺症を得た悠一は、復員してからも発作を起こす。まだ戦争は続いていて、自分が小隊長だと勘違いし、近くにいる青壮年に、突然、隊長時代の命令や訓示を叫びまわる。
悠一が口にする「軍隊用語」は、戦時中であれば「何か威力のあるようなものでも感じて怖け」(p10)させる言葉であった。けれども、悠一の発作にも慣れてしまうと、その姿は滑稽で、同じ部落内の人々は、発作が面倒にならないように、悠一の命令に付きやってあげさえする。
この地方の訛言葉によると、村内にどさくさのあることを「村が、めげる」と云う。また部落内にどさくさのあることは、「こうちが、めげる」と云う。「こうち」とは、部落または近所隣のことである。「めげる」とは物の毀れることで、平穏無事な日常に破綻を来たす、といったような言葉である。(p8)
この物語を読んでいて感じたのは、明らかにおかしな行動も、部落内の人々にとっては、「どさくさ」程度のことでしかなく、何となくそのコミュニティの中で受け入れられていることである。その理由の一つは、悠一の母に、悠一以外に暮らす人がいないことにある。
近所の人たちは、その母を気遣って悠一の存在を受け入れて、母も迷惑をかけてしまったときは、近隣にお詫びを言いにまわる。
「発作」という言葉が使われている通り、悠一は、いつも異常な言動を繰り返すわけではない。平時は、母といっしょに耕作をし、内職の傘張りなんかもする。一方で、この発作が原因で殴り合いのけんかまで起こしたりする。
もし悠一のような人間が、現代にいれば、どのようなことになるのだろうか。殴り合ったその部分だけ切り取られて、警察に通報されるか。報道されるか。SNSで炎上するか。
悠一は、戦争の加害者であると同時に、戦争思想が生み出した一人の被害者である。しかし、戦後間もない頃、まだ残っていた閉じた地域コミュニティは、そういった被害者を受け入れるだけの寛容さを持っていた。
この物語は、地縁による地域コミュニティの、よかったところを書き残した物語だと自分は読んだ。言うまでもなく、そうしたコミュニティには、保守的で、負の側面も多分にあったであろう。しかし、こうした顔見知りだから赦される関係性。戦争という特殊な状況で、そうならざるを得なかった被害者たちを受け入れるためのヒントが、残されているという意味で、この物語は、大切にされるべきだと思った。