あらすじ
ヒマラヤの大岩壁に果敢な単独登攀で挑み続けた山野井泰史。その行動と思想を克明な取材で追う。 10代のクライミング武者修行からトール西壁、冬季フィッツロイ、冬季アマ・ダブラム西壁の単独初登を経て、チョ・オユー、マカルーといった8000メートル峰の壁に挑むまでを描いた意欲作である。 山野井泰史は、沢木耕太郎著『凍』のモデルとなった登山家で、『凍』は講談社ノンフィクション賞も受賞している。
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Posted by ブクログ
「凍」と「垂直の記憶」を読んでから山野井さん関連本にハマっている。
「ソロ」は山野井さんの生い立ちやクライミングの経歴に関してかなり細かく書かれており、非常に興味深く読むことができた。
関係者の話も多く、山野井さんの人物像がよくわかる。
山野井さんの山にかける情熱、生き方は簡単に真似ができるものではないが、男としてとても憧れる。
最後に、筆者が山野井さんへの取材を通して感じた「ソロで登ること」に関しての考察が書かれており、非常に熱く、胸に響いた。
Posted by ブクログ
単独登攀者・山野井泰史さんの半生をつづったノンフィクション。なぜクライマーとなり、単独登攀にこだわるのかが克明な取材で明らかになる。山に対する山野井さんの真摯な気持ち、常に高い目標を持ち、決して妥協しないストイックな生き方に憧れてしまう。
沢木耕太郎の『凍』を読み、山野井泰史というクライマーを知った。その後、本人自身の筆による『垂直の記憶』を読み、さらにこの本を手にした。いずれの作品も違った角度からクライマー山野井泰史に迫る良書である。
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極寒の冬山、自分が体験したことのない世界で、体験したことのない恐怖感と向き合い、人間の体力と精神力ギリギリのところで、登り続ける先には何があるのか?想像してもきっとそんなもんじゃないであろう世界を知っているのはこの人だけなのかも。日本人にこんなにすごい人がいるんだなぁ。
途中から、完全に本の中に入ってしまいました。読み終わった時、しばらく何も手につきませんでした。
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孤高の登山家、山野井泰史のルポ。
尊敬する人はだれか?と問われたら、私は候補の一人に山野井を挙げる。
本書の最終章、著者丸山が山野井を通じて感じたことが心を打つ。
人は生まれながら善性を持つ。
残りすべては書けないが、事あるたびにここを読み返したい。
自分にとっての人生とは?自分は何者なのか?
私は未だその答えを自分で持ってはいない。
Posted by ブクログ
沢木耕太郎『凍』を読んだ後、
山野井泰史氏のことをもっと知りたくなり、本書を読んだ。
『凍』がギャチュンカン登攀をメインに据えて
そこに至るまでの過程として山野井氏の人となり・経歴に触れているのに対して、
本書は時系列としてギャチュンカンに至る前の97年〜98年にかけて
書かれた本なので、当然ながら山野井氏にとって
大きな意味を持つギャチュンカンについては本書には書かれていない。
そのため、ソロのアルパインスタイルで輝かしい登攀を行ってきた
山野井氏の生い立ちからキャリアのピークに近い部分までを
本人・関係者への取材を通して詳細に描いた
ノンフィクションという位置づけになる。
両方読んだ感想としては、物語としては『凍』の方が良いが
山野井氏の人となり・考え方・経歴を詳しく知りたいのであれば
本書がいいのではないかと思う。
ただ、かなり癖のあるノンフィクションライターのようで、
相当詳しく取材している分、自己主張・自意識が強く
山野井氏の行動・あり方に対して自分がどう思ったかが
ストレートに書いてあるのは人を選ぶと思う。
登攀失敗時を描いた文章には、
ぶざま・醜態・負け犬などという言葉が並ぶし
何もこんなこと言わなくても(書かなくても)という箇所が
いくつもある。
ただ、山野井氏に対してある部分確かに尊敬し、すごいと思っている
とも感じられるので、個人的には許容できる範囲だった。
Posted by ブクログ
さすが物書きを仕事にしている人の文章
読みやすい
表現が「くさく」て閉口するが嫌いではない
8000メートル以上は居るだけで体力が消耗する世界
死ぬこと自体が怖いんじゃない。ひとりで死ぬことが怖いんだ。
痛がったり寒がったりしても何の解決にもならない
思い入れのないクライミングはおもしろくない
怖いがゆえに挑まずにはいられない。血がカッと熱くなる、しかし極めて静謐な~クライマー特有の美意識なのかもしれない。
Posted by ブクログ
自身も山に登るフリーランス記者、丸山直樹氏による、単独登攀者 山野井泰史氏のルポ。
図らずも借りることになったので読んでみた。
アタックの状況を克明に記しているわけではないんだけれど、それでもソロで岩山をフリークライミングすることは想像を絶する極限の状況であることが伝わってくる。
ボクは山登り、とりわけ彼のようなフリークライミングやアルパイン・クライミングなんかは全くやったことないから、正直彼らの本当の気持ちはわからないけど、筆者が言うような「麻薬的」常習性や高揚感が彼らを駆り立てるその理由だとするならば、ソレに近い感覚は全く想像できないとこともないかもしれない…。(もちろん麻薬はやったことないけれども)
ともあれそんな極限の状況に挑み続ける山野井氏のことを最後の方では少し宗教チックにも解説している部分がある。その例えが陳腐とは言わないし、軽々しいとも思わないけれど、なんとなく違和感を覚えた。きっと山野井氏は我々が持つ言葉や概念では表せない“次元の違う”人なんじゃないだろうか。
あと、丸山氏の主張性の強い文章は、やや読み手を選ぶかも。山野井氏自身が書いたらもっと面白くなったかな。