あらすじ
師千利休は何故太閤様より死を賜り、一言の申し開きもせず従容と死に赴いたのか? 弟子の本覚坊は、師の縁の人々を尋ね語らい、又冷え枯れた磧の道を行く師に夢の中でまみえる。本覚坊の手記の形で利休自刃の謎に迫り、狭い茶室で命を突きつけあう乱世の侘茶に、死をも貫徹する芸術精神を描く。文化勲章はじめ現世の名誉を得た晩年にあって、なお已み難い作家精神の耀きを示した名作。日本文学大賞受賞作。
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静謐で、噛み締めたくなる美しさを基調に、緩急のある振れ。しとしとと降った長雨のあと、ようやく日の差し始めたまだ少し鈍い色の空に、微かな虹を視たような、透徹として晴れがましい読後感。
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千利休が太閤から賜った死に、抗いもせずに従ったのはなぜなのか?
千利休の弟子・本覚坊の日記からという設定にて、利休死後の隠遁生活中の出会いの折々に触れられる師・利休の在りし日の想いや評価を通じて、本覚坊が「その時」の内面から利休とその侘茶の真の精神を半生をかけて悟るという物語。
物語の各章はかなりの年月が開いており、前章にて本覚坊が出会い会話した人物が既に他界していて次章にまた新たな人物が登場してくるという趣向だが、その人選はなかなか凝らされていて面白い。東陽坊、岡野江雪斎、古田織部、織田有楽、千宗旦、それら利休ゆかりの人物と穏やかな時間の流れにて慎ましく語られる利休への想いが、本覚坊に師・利休の精神の高みと暗さを次第に明らかにさせていく。そして実は、岡野江雪斎は利休の弟子・山上宗二の仮託として、また、千宗旦に依頼されて本覚坊が太閤の茶会の思い出を語るという体裁であり、結局、利休とその高弟たち、そして、命令を下した太閤の言動を振り返りつつ利休の内面を辿るという構成になっている。本書にて利休の死(内面も含む)に関わったとしている人物の内、古田織部を除き、太閤、山上宗二、利休本人がほとんど又聞きや想像で登場するほか、茶の湯を離れた細川三斎が折々に触れられこそすれ登場しないなど奥ゆかしい筆致にて逆に彼らのイメージを際立たせている技法はすばらしい。
「死」と向き合い、「死」を覚悟する場として大成した「侘茶」の真髄は、それを極める最後として、「死」をもって己自身もなくなることであり、山上宗二、利休、古田織部ら師弟が身をもって体現したということだろうか。動乱の時代に咲いた「侘茶」という「死」と対峙した真剣勝負の芸術の極致を、ゆるやかに味わい深く読者に浸透させてくれる。
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千利休の死に際を、本覚坊という人間の目を通じ、井上靖が語る、という趣向。
千利休とは?利休の茶とは?いったいなんだったのでしょう?茶を「遊び」でなく、生死をかけた「人生哲学」「美学」に高めた利休の内面を、弟子の本覚坊を中心に、山之上宗二、古田織部、東陽坊、江雪斎、宗旦というもっとも利休に近い人々の「目」を自在に借りながら露わにしていく。
ミステリーっぽいところが読みやすい。
井上靖の「孔子」も同じように、師に寄り添い、師なきあと、仲間から距離をおいた、弟子の目を使って、語っていたな。
つまるところ、井上靖自身が「弟子」その人であるかのように仕立てていて、ノンフィクションのように思えるところがさすが。