あらすじ
横町の奥の崖下にある暗い家で世間に背をむけてひっそりと生きる宗助と御米。「彼らは自業自得で、彼らの未来を塗抹した」が、一度犯した罪はどこまでも追って来る。彼らをおそう「運命の力」が全篇を通じて徹底した〈映像=言語〉で描かれる。『三四郎』『それから』につづく三部作の終篇。 (解説 辻 邦生・注 石崎 等)
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Posted by ブクログ
p.21註
「明治30年代から40年代にかけて、都市居住者の家庭に登場し急速に普及した〈ちゃぶ台〉のこと。四、五人が坐れるくらいの大きさで、厚板の下に四本脚がついている。円形、四角形の二種類があり、脚は折りたたみ式のものもあった。……」
ちゃぶ台って深く考えたことなかったが、明治末頃にひろまったというのは時代が感じられて面白い。それ以前は何を使っていたのか。……というまあ、時代背景が知れて面白い註釈はよいが、ネタバラシを注釈でするのは如何かと思う。
たとえば、序盤で宗助とおヨネの間のギクシャクしているわけではないけど妙に冷めている、なんともいえない雰囲気が書かれていて、それを読み手は一体過去に何があったんだろうと思って読み進めていくのに、ふと註釈があってみてみると、「宗助とおヨネの姦通をにおわせている」と書いてあって、本文でもまだでてこないのに、註釈でさきに経緯を知ってしまう。録画したドラマをみるまえに内容聴かされるようなもんで本当に興醒め。
それと、註釈あんなに沢山いらない。一眼みて当字だなとわかるものにまで「◯◯の当字」とまじめにして註釈つけているのが滑稽だった。
さて本題。三島由紀夫『豊饒の海』のあのアラヤシキ攻めがとても辛くて(涙)、本作で禅寺のくだりに差し掛かったときに本を閉じそうになった。
禅寺のくだりは結局、宗助が自らの運命をかえようと思って縋りついた一筋の藁穂である禅の教えが、宗助には最後まで会得できず、宗助自身もそれを続けてゆくだけの心をもちあわせず、したがってまた元の運命の中に自らすごすごと戻ってゆかざるを得なかった、ということなのかな。
家に戻るとまた日常が始まり、幸にか安井も坂井の家を離れ蒙古に戻り、宗助とおよねの生活はまた旧の状態に復したが、宗助はそれを運命としてめぐってくるものと観念している風でもあり、受け入れたというよりは俎の魚として自覚しているようにもみえた。結局、運命の門をこじ開けるだけの根気も意欲もなかった宗助は、運命を受け入れざるを得ないと。
Posted by ブクログ
最初の方でごく普通のように見えながら少し不穏な家庭の様子が書かれていましたが、後になってその秘密がわかりました。秘密が分かってからは日常のような場面でもかなり怖く感じます。
最初からずっとあったわだかまりは結局消えないまま残っていたのもまた恐ろしかったです。
Posted by ブクログ
前期三部作の第三部。
宗助と御米は不倫の末結ばれた夫婦で、他人との交流を最小限に抑えてひっそりと慎ましく暮らしていた。彼らの不義は社会的な制裁のみならず、運命的な力も彼らを苦しめる。宗助は不安を解消するために宗教にすがるが、何も変わらないまま季節は移ろいでゆく。
宗助・御米夫婦は、互いを慈しみ支え合って生きている。きっと理想的な夫婦と言えると思う。しかし、「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」(P224)のイメージが示すように、悲哀や不幸、憂うつから逃れるすべをもたない。哀しくて切ない。
Posted by ブクログ
漱石前期三部作のトリを飾る作品『門』。
世間から冷たい目で見られる覚悟を互いにしてまで不倫関係となった代助と千代子。その二人は今後どう生きていき、どう世の中を渡り歩いていくのか。その答えが『門』にあると、『それから』の解説では述べられていた。
自分自身その事が気になっていただけあって、「門=不倫後の話」を頭の中で繰り返しつつ読み進めていった。けど、どこにも見当たらない。気付けば残るページは1/3。ここから先にようやく出てくるのかと思いきや、迫りくる事態に対処できる自信をつけるために参禅し、戻ってきたら無事暗雲は過ぎ去っていきましたとさ、めでたしめでたし。気付けば注訳のページになっていた。
宗助とお米が不倫関係であることに全く気付かなく、解説を読んでそのことを知った時は衝撃が走った。言われてみれば確かにそのようなくだりがあったかもしれないと思う程度のおぼろげな記憶しか残っていなかった事実を再認した。おそらくその箇所は現と夢の境を彷徨っている中読んでいたのだろう。それらしい記憶もあり、今では納得できる。
今度読み直す時は宗助とお米の関係に特に注意し、心の底から『それから』の続編であると実感したい。