あらすじ
いまウォール街では、既存の金融人とはまったく異質な人々が勃興している。「クオンツ」と呼ばれ物理や数学のエキスパートでもあるトレーダー達は、複雑怪奇な市場をいかに予測し、成功しているのか? 物理学者はいかにして「予測不能」な市場を読むのか? いまウォール街では、従来の金融業界とはまったく異質な “クオンツ”と呼ばれる人びとが席捲している。物理学や数学の博士号を持つが、金融の専門家でも経済学者でもない。2008年の金融危機後もなお、高度な理論を駆使して圧倒的なパフォーマンスをあげる彼らの手法には批判の声もある。だが、クオンツたちは本当に悪者なのだろうか? そんな小さな疑問をきっかけに、好奇心に導かれて探求を進めていった著者は、思いもかけない深遠で魅力的な物語を発見していく。そこには、一見するとまったくランダムに見える株価や相場の動きを予測すべく全力を傾けてきた、数々の天才物理学者・数学者たちの姿があった――理論的思考と人間的洞察を兼ね備えた視点でウォール街の最先端を読み解き、経済と金融の未来を展望する、気宇壮大な科学ドキュメンタリー。
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Posted by ブクログ
”ウォール街”に代表されるファイナンスの世界で物理学者(というか数学者も含めた理系研究者)とその理論がいかに活躍しているのかを描いた本。
一般には金融工学の行き過ぎがリーマンショックにつながったと理解されているところがある。本書はそのような評価に対して、金融危機が生じたのは金融工学の数理理論の適用にあたってその限界を越えて誤って使っていたからであり、常に進化を続けている理論を正しく使っていれば、金融危機を当の理論のおかげで防げたかもしれないと主張する。実際に統計的理論によって金融ショックからは無傷であったプレイヤも少なからず存在していたことを挙げている (その例として、経済や金融出身者を雇わず、物理学や数学の分野を学んできた人間だけで固める、ジェームス・シモンズ率いるルネサンス・テクノロジーが挙げられている)。
本書は、統計理論を金融市場に適用してきた歴史をその理論を発明した具体的な登場人物を挙げてひもといたものだ。数理理論の経済への適用の歴史として、本書はルイ・バシュリエという20世紀初めのフランスの経済学者から始める。バシュリエの理論によると、株式市場における株価は、予測可能なできごとをすべて織り込んでおり、そこから上がるか下がるかはランダム(=正規分布に従う)だと仮定する。そこから一定の期間後の株価の分布を統計的に予測する「ランダムウォーク仮説」が導かれ、オプション価格が決定される。その理論に対して、オズボーンは株価が正規分布するのではなく、株価収益率が正規分布するという、より現実を正しく補正した仮説を提唱する。更にフラクタル幾何学の研究で有名なマンデルブロにより、大数の法則に従わないコーシー分布の適用が提唱されたり、更に一般化されたレヴィ安定分布により分布のランダムさという概念が取り入れられたりといった理論の発展・精緻化が行われる。このようにして、数理モデルはその限界を広げていったというのが筆者の見立てである。
そして、アメリカにおけるオプション取引市場の開放とブラック・ショールズモデルの登場とを契機としたデリバティブ取引の拡大やヘッジファンドの隆盛が描かれる。金融市場が直面したボラティリティやファットテイルリスクからマンデルブロの理論が見直されたり、カオス理論のバタフライエフェクトが注目されたりといったように市場の危機においても理論数理学と経済学との関係性が見出される。
『ブラックスワン』などで指摘される数理理論の限界性に対しても、ディディエ・ソネットによる統計解析によるバブルの検出と崩壊予測が理論により可能であることを紹介している。ソネットは市場バブルを”ドラゴン・キング”と呼び、実際にリーマンショックの金融危機の到来とその時期をもほぼ正確に予言していた。さらにソネットは日本の1999年のアンチバブルも同様の手法により予測して、その1年での株価上昇を言い当てている。ここで著者は、ブラックスワンのように見えるできごとのなかには、ドラゴンのように足音を立てながら近づいてくるものがたくさんある、といい、例外事象を予測して対策を立てることも不可能ではないとしている。
どんなことでもそうだが、科学を現実に導入するためには、その限界条件を正しく認識した上で適切に導入することの重要だ。先の金融危機は住宅市場の独立性という誤った前提をもとにリスク管理をしたことによるもので、理論自体が主な問題であったわけではないというのが著者の主張だ。しかもその異常状態は、統計的にも予測可能であったことも付言しているわけである。
本書の最終的なメッセージはどうやら次のようなもののだろう。理論は、正しく使われなくてはいけないし、正確に知られるべきであるということだ。つまり、「投資に物理学を使うつもりなら、その理論の限界を正確に知っておかなくてはいけない ... 物理学のやり方を忘れて物理学を使おうとするときに、危険はやってくるのだ」
ちなみに原題は、”The Physics of Wall Street - A Brief History of Predicting the Unpredictable” - 『ウォール街の物理学』と『ウォール街の物理学者』とでは印象が違う。『ウォール街の物理学』の方が妥当だと思うんだけど、本のタイトルとしては今の方が若干の誤解はあっても座りがいいのかもしれない。最後には、ゲージ理論やひも理論まで出てきたので、タイトルも正当化されたかもしれない。
こういう解説本は、日本人著者だと新書なんかで同じような内容は書けるのかもしれないけど、登場人物の描き込みやストーリーの作り込みなどの点で、このような海外ものの方が一枚も二枚も上だ。話の中盤にネタ的に入れられる数理理論学者の統計的発想によるブラックジャックやルーレットでの必勝モデルの構築とその実践は、読み物としても面白さを加えているし、結局のところ株式がギャンブルとの相同性を持つとともに、統計的考え方が非常に重要であるというメッセージを示すことに成功している。
ということで、結構面白かったのでおすすめ。