あらすじ
明治初頭、長崎港外の深堀に士族の娘として生まれた蝶は、父の形見の『学問のすゝめ』を読んで育つ。かくれキリシタンの少女ユリとも仲良しになり、文明開化の夢がふくらむものの、コレラの流行で母と祖母を失って運命は一変。小学校を卒業すると同時に丸山遊郭「水月楼」の女将の養女となって長崎へ向かう。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
蝶々さんと出会ったのは、島田雅彦氏の『彗星の住人』に登場人物として登場したことがその端緒だったと記憶している。父の足跡を辿る形式で描かれた『彗星の住人』は、衝撃的な出会いだった。以後、島田氏の著作は、数多く読んでいる。島田雅彦という作家に心酔したのは当然のこととして、歴史に翻弄されつつ、その歴史の渦にともすれば飲み込まれそうになりながらも、おのが恋と意志を貫いた蝶々さんという一人の女性に心惹かれた。自分でも蝶々さんの足跡を少しでも辿ってみようと、数々のマダム・バタフライに関する著作を読んでみたし、蝶々さんの故郷である長崎の町を再訪したりもした。
プッチーニの手になるオペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』が有名になりすぎて、蝶々さんは完全にフィクションの中の人だと思っていた。しかし市川森一氏の『蝶々さん』は、そんな先入観をいとも容易に打ち破ってしまうほど、リアリティに満ちている。実在する人々や史実が多く盛り込まれたこの物語で、蝶々さんはやはり歴史に翻弄される。明治の世、それも幕府体制から急転換したいわゆる「御一新」の世においては、女性が一人で生き抜いてゆくことは大変な精神力、つまり意志が必要となる。時には権謀術数を駆使しなければならない。望むと望まないとにかかわらず、男の力を頼まなければならない場面もある。おのれの意志なく男にもたれかかれば、それはすなわち男に流されるだけだ。士族の末裔として生きた蝶々さんという一人の娘は、しかし士族の娘であることを矜持として、そうならずに御一新の世をたくましくも生き抜いてゆく。
上巻で語られる蝶々さんは、いわば幼年期から小学生くらいの頃であるが、すでに逞しさを存分に発揮している。父親の顔を見ることなく、母と祖母をひょんなことから同時に失い、そこから怒涛の運命に翻弄されるが、幼くして決して自分を見失うことはない。時に幼子の無邪気さを見せることはあっても、狡猾な大人たちに隙を見せて、おのが人生を蹂躙されるようなことはない。運命には潔く身を委ねても、自分が向かうべき方向を失わない強さは、読んでいて爽快な気持ちになる。
長崎という、御一新前は我が国で唯一外国に門戸が開かれ、その結果明治の世においても当時は珍しかったであろう青い目の外国人たちが集う土地で懸命に武士道精神を秘めて生きようとする蝶々さんは、本当に生き生きと本書の中に実存する。下巻は、いわゆるオペラで描かれるマダム・バタフライの生涯を辿ることになるだろう。はたして市川森一は、すでに巷間に知られたマダム・バタフライの生涯をどのように色づけしてくれるのだろう。読む前から、つい心が躍ってしまう。