あらすじ
だまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの世界になってしまう。――星の見えない村のプラネタリウムで拾われ、彗星にちなんで名付けられたふたご。ひとりは手品師に、ひとりは星の語り部になった。おのおのの運命に従い彼らが果たした役割とは? こころの救済と絶望を巧まず描いた長編小説。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』をもっと童話チックにした作品。だれかと一緒にだまされ同じ夢を見ることが、いかに人生を豊かでおもしろいものにするか、ということが手を変え品を変え実演される。手品に、まじない、言い伝え、それからもちろん小説も。目の見えない老女が家出した亭主の名をかたって書いた自分宛ての手紙を、その内実を察しながらも素知らぬふりして朗読をつづけるタットルや、「泣き男」がプラネタリウムに映してみせた見せかけの星に魅了される村の人たちや、タットル扮する熊をいつまでたっても撃ち逃してしまう猟師たちや、テンペルになりきったタットルに騙される「栓ぬき」とおなじように、一読者として私も存分にだまされ、そして楽しんだ。
Posted by ブクログ
「晴れ、時々クラゲを呼ぶ」で小崎ちゃんが激薦めしてたので。
山に囲まれた街にあるブラネタリウムを独りでやっていた泣き男さんが、ある日ブラネタリウムに捨てられていた双子に彗星の名前からとったテンペルとタットルという名前を付けた。二人は成長し、ブラネタリウムを手伝いながら、郵便配達をしていたが、ある時街にやってきた手品師の興業にテンペルはついて行ってしまう。双子は違った運命をたどっていく。
騙される才覚が人にないと、この世はかさっかさの世界になってしまう。
タットルは熊狩りで村人たちを騙し、テンペルは手品師として人々を騙す。事故で命を落としたテンペルの代わりにタットルが一世一代の騙しをすることで、一人の少年が救われる。
長かったー。
Posted by ブクログ
プラネタリウムもサーカスも「現実と見紛うような虚構性」により魅力を放つが、それらはあくまでも「虚構」であることが暗黙のうちに了承されていなければならない。
「虚構」は他者と共有され「物語」化された時に命が吹き込まれる。一方で「物語」を共有しない者にとっては何の意味も持たない。
タットル扮する熊は町の猟師以外が銃を向けたら恐らく弾が当たっていたし、テンペルの悲劇は「物語」を共有しない者によって誘発される。
「虚構」と「現実」を見誤ってはいけない。
500Pほどありなかなかのボリュームでゆっくりと読んだが、興味深く読むことができる内容だった。
次は「麦ふみクーツェ」を読みたい。
Posted by ブクログ
プラネタリウムに置いて行かれたふたご。テンペルタットル彗星の解説中に泣いたことから、テンペルとタットルというなまえで呼ばれるようになる。銀色の髪をした美しいふたご。
紙製品の工場が動き続ける村では、もやや煙で星が見えない。
ふたごは解説員「泣き男」のもとでプラネタリウムや星、神話に親しみながら育つ。
あるとき、魔術師テオ一座が村にやってきたことからふたごは離れ離れになる。タットルは郵便配達をしながら星を語り、テンペルは手品師へと。
「麦ふみクーツェ」以来の、いしいしんじ作品でした。
クーツェを読んだのも思い出せないくらい昔のことで、いしい作品をほぼ知らない状態での読書でした。
優しい文章は気持ちを暖かくさせる。でもその優しさは、シリアスな展開では不思議な感覚にさせました。
登場人物に名前がない(ふたごとテオを除いて)、時代や場所の背景がはっきりと描かれていない分、私の想像が世界を作っていくので楽しかった。
作品の中には、ふたごも村の人も、一座の人も、人を「だます」シーンがある。「だます」というとちょっと聞こえが悪いけれど、悪い意味ではなく、誰かを思っての行動だった。
村に新しい工場ができることになり、それまで村や人々にとって畏怖や畏敬の対象だった北の山が崩されることに。何十年も熊が出ていない山で、毎年狩りの時期に行う儀式。なんのためだったのだろう、と肩を落とす狩人。しかし北の山に熊が出たことによって、再び村は盛り上がる。
でも実はその熊、タットルだった。
山を開かせないようにという思いでした行動なのだと思う。(撃たれないか撃たれないかとハラハラ読んでた。)
しかし村の人たちは、熊はタットルが正体だと知っていた。知ったうえで作戦をねり、山へとのぼっていた。
これはお互いにだましあっていたってことなんだろう。
でもそれでいい、と村人は思っていたのだろう。
毎年毎年、儀式的に行ってきた自分たちの行為、村を思ってのタットルの行動。嘘とか、本当とか、そんなことではなくて、誰かを喜ばせたいという気持ちがそうさせたんだろう。
そしてお話の最後には、みんなが大きな「嘘」をつくことになる。それでも一人の男の子を救った。
喜ばせたい、幸せになってほしいという気持ちが生んだことなのだろう。
個人的には、死と星が結びつかなかったことに不思議な安心を感じた。(これは私の個人的な死生観?)
氷山の氷から、ゆっくり解けだして水になる。水になったらすべての海とつながりをもち、雲になってどこかに降りそそぐ。
そうやってもっと広い世界へとつながりを持つのかもしれない。
思えば、プラネタリウムの中でも人をだますことになるのかなぁ、と。
天井に広がっているのはにせものの空で、にせものの星。時間も操作できるので、にせものの時間の中にいる。そのなかで、本物とおなじように見せる。
星座に描かれた神話は、実は出典がごちゃごちゃになっていたりして、生まれてから長い年月と人の営みを経て変化してきたもの。だからはっきりとした正解がない。でもそれを、きちんとお話をする。
小さい地球上ではわからない天体の動きや、その科学的なものを、空間や時間を操作して(にせものの世界のなかで)お話をする。
でもそれは、誰かを喜ばせることのできる。ちょっとした手品なのだ、と教えてもらったような気がした。
Posted by ブクログ
これどうやって終わるんだろう?と後半のかなり後の方まで思っていた。
出来事というほどのことは起こらず、淡々と進んでいく話で、全体に静かで詩的なトーンで綺麗だけど、、、と思っていたら、いきなりそんな!
ふたごの再会をみたかった。
再会できていたら、互いの手品を、投影を、どう見ただろうか。
酔って大きな玉に入って眠ってしまったとき、二度と会えないなんて、思わなかっただろう。
いろんなことが、つながっていた。
あたたかいけど、さみしい気持ちになる話だった。