あらすじ
人は、どんなときに「あ、わかった」「わけがわからない」「腑に落ちた!」などと感じるのだろうか。また「わかった」途端に快感が生じたりする。そのとき、脳ではなにが起こっているのか―脳の高次機能障害の臨床医である著者が、自身の経験(心像・知識・記憶)を総動員して、ヒトの認識のメカニズムを解き明かす。
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Posted by ブクログ
「わかる」ということを脳科学の観点から解説した本。
「わかる」というのは感情。
「わかる」ためには、記憶が必要であり、わかったことでないと表現できない。逆にいえば、表現をするためには、「わかる」必要があり、そのためには記憶が必要である、ということが「わかった」。村上春樹が「職業としての小説家」で記していたように、名文であれ駄文であれ古今東西の小説の表現の記憶つまり「記号」とその「意味の記憶」、および自分が人生に遭遇する出来事(人であれなんであれ)の「記憶心象」の二つが小説を書くためには必要という話と通ずるものがある。
はじめにーわかる・わからない・でもわかる
第1章 「わかる」ための素材
第2章 「わかる」ための手がかりー記号
第3章 「わかる」ための土台ー記憶
第4章 「わかる」にもいろいろある
第5章 どんな時に「わかった」と思うのか
第6章 「わかる」ためにはなにが必要か
第7章 より大きく深く「わかる」ために
Posted by ブクログ
わかるということは当たり前に起きている出来事だけど
それができるようになるためには
それはそれはたくさんの段階が必要になること。
時には繰り返し、繰り返し行って
定着させることが必要になることが
ままあります。
と、思うと人の理解というものは
長い時間をかけなければできないということ。
そして、きちんとそこに目的や
考えがなければ身につかないということ…
何気に恐ろしいこと言っていますよね。
この中には深い言葉が1つあります。
それはわかるということは理解できたものの、
それをおろかな手段に使い
後世にもさらし者になった人たちに対する
批判です。
分かりやすい集団ですけどね。
あの人たちは理解できても
その理解の応用を間違えてしまったわけで。
結構哲学的かも。
でも言わんとすることはわかるはず。
Posted by ブクログ
『本当にわかったことは応用できます』とある。『うまくまとめられると、わかったという感情が生じる』し、『わかる』と『自分のもの』にすることができる。
ただ、それがむつかしい。著者は『訓練さえすれば、われわれの知覚はすごい弁別能力を発揮します』という。いくつかポイントがある。ひとつは『見当をつける』こと。『小さな状況の理解(小さな意味)はたいして重要でない』、『遠い距離から眺め、他の問題とのかかわりがどうなっているのか』など『全体像を掴む』ことだ。ただ、『あらかじめある程度の考えを持っていないと、見当をつけらない』とのことなので、『わからない場合はまず図を作ってみる』とよいとある。人は『表現しようとするもののイメージをはっきりさせておかないと、心の外へは持ち出せない』のだそうだ。
『わかる、というのは秩序を生む心の働き』なのだそうだ。『意味とは、とりもなおさず、わからないものをわかるようにする働き』、『わかりたいと思うのは心の根本的な傾向』、『情報収集とは、結局のところ秩序を生み出すための働き』・・・素直に向き合えということなのだろう。著者は『心の声』を聞けという。これは、ただ待つということではない。『前から眺め、横から眺め、上から眺め、下から眺め、回して眺め、落として眺めて…』によって『頭が解くのでなく、いわば身体が解いてくれる』とある。
もうひとつは『「違いがわかる」という能力が知覚の基本』という点だ。『わからないことがあるからこそ、わかったという事態も発生』する。『考えなければ、わからないまま』だ。『知識の網の目が出来ると、何がわかっていて、何がわかっていないのかがはっきりする』、『わかるの原点は後にも先にもまず、言葉の正確な意味理解』・・・『繰り返し繰り返し実際にやってみることでしか、蓄積出来ません』ということなので、意識してやってゆくしかない。
要約すると、『心の声が聞こえなければ、わかるも、わからないもない』かつ『ひとつの心像だけでわかるという経験は起こりません』ということを十分に理解しておかねばならないということだ。
『生きることは、自分の足で立ち、自分の足で歩くこと』、『社会で生きてゆく、自然の中で生きてゆく、というのはその時その時、新しい発見、新しい仮説を必要』とするが、『客観的事実を扱うには、普通の心の働きとは別の心の働きが必要』であるし、『われわれの思考の単位』は心像でしかない。また、『印象に残る心像が浮かんだとしても、たいていは次の瞬間には消えて』しまうし、これを『意志の力で注意を維持するのはなかなか大変』なことでもある。
『心は好奇心(おおまかな心の傾向)→注意(具体的な方向づけ)→知覚(正確な区別)の流れ』で働くものだから、『何事も、好きになることが大事』だそうだ。『意志の力で注意を維持するのはなかなか大変ですが、好きなことだと努力の感情なしに没頭』できるからだ。
心が落ち着かないというのは、わかっていないということなんだろう。心の声に素直に向き合い、大きな意味の違いがわかるように精進しないといけない。
Posted by ブクログ
仕事をしていると、よく「分かりやすい説明」を求められます。でも、その「分かりやすい説明」は往々にして相手が代わると通じなくなります。
分かりやすいって、なんて分かりにくい概念なんだろうと思い、本書を手に取りました。
内容的には、言語学や心理学の入門書や、資料の作り方のハウツー本を、「わかる」をテーマに整理し直したものといったところ。
著者の専門である高次機能障害学も、脳損傷の方のエピソードとしては使われますが、理論的な説明に踏み込むわけではなく、読むためのハードルにはなりません。
筆致も平易に語ろうとする姿勢が感じられます。
ただ一点、個人的に目から鱗だったのが、わかる・わからないは、感情だということでした。
感情であれば、同じ事柄について同じ説明を同程度の知識水準の人にしても、深い理解、浅い理解、分からないといった様々な反応がありえます。
あるいは、何か分からないことがあって、それが自分の利益にならないことでも分かるまで追い求めてしまう、その得体の知れない原動力を浮き彫りにされたような気さえしました。
この分かりたいという感情こそが、エントロピーの増大し続けるこの世界にあって、これに抗いエントロピーを減少させようとする生命の本質、なのかは、まあ、よくわかりませんが。