あらすじ
人は、どんなときに「あ、わかった」「わけがわからない」「腑に落ちた!」などと感じるのだろうか。また「わかった」途端に快感が生じたりする。そのとき、脳ではなにが起こっているのか―脳の高次機能障害の臨床医である著者が、自身の経験(心像・知識・記憶)を総動員して、ヒトの認識のメカニズムを解き明かす。
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Posted by ブクログ
心像の形成によって、見えている世界。この世に対する知識は、暗記するところから始まっている。生まれた瞬間は無であってそこからあらゆる情報を蓄えていき、自分の中にある理解と照らし合わせていき、知識の束を創出する。
しかし、そうと考えると、人間は生まれた瞬間から元から「何か」を知っている生き物ではないのかとも思った。ただそれは筆者の畑とは異質な哲学的、非科学的考えといいうるが‥。対称的に、脳神経医学の見地から人間の記憶の根本理解から発生まで論理的に説明しているため、説得力があった。また、端的な内容で、余計な説明等がなかったことを高く評価したい。
Posted by ブクログ
生きることは、自分の足で立ち、自分の足で歩くことです。世界に立ち向かうためには自分が使えるしっかりした海図を自分で作ってゆかなければなりません。そうやってはじめて大きい意味や深い意味を発見することができるようになるのです。
それが快感や、落ち着きをもたらす、世界がもっと楽しくなるってことなんだよねー、わかるわかるわかるーーー!!!!!!
Posted by ブクログ
本書は、「わかる」ということ、認識の仕組みをやさしくまとめたものです。
「わかりました」って、本当にわかったのか。どこまでをどうわかったかという、いつもながらの疑問に応えるヒントの書です。
脳科学から、「わかる」へのアプローチです。
気になったのは、以下です。
・わからないことがあるからこそ、わかったがある。わからないのがわかったというのは考えたからです。考えなければわからないままです。
・こころの動きには2つあります。ひとつは感情で、もう一つは思考です。
感情はこころの全体の動きである傾向を示します。なんとなく好き、なんとなく嫌い、なのであって、理由ははっきりしません
思考は心像という心理的な単位を、縦にならべたり、横にならべたりそれらの間に関係を作りだす働きです。
・知覚を介して新しい経験を受け入れます。視覚、聴覚、臭覚、味覚、体性感覚などがあります。心像の獲得は知覚からはじまります。
・知覚のもっとも重要な働きは、対象を区別することです、違いがわかることです。
・知覚を十分に発揮するためには、注意という仕掛けが必要です。注意をかき立てるのは感情です。好奇心です。心は、好奇心⇒注意⇒知覚の流れで働きます。何事も好きになることが大事です。「好きこそものの上手なれ」です。
・視覚系の機能は、対象を区別し同定することです。
・心像には、現在まわりで起こっていることを知覚し続けている知覚心像と、すでに心に溜め込まれている記憶心像の2種類があります。
・知覚心像のままでは、意味をもちません。記憶心像という裏付けがあってこそ、意味を持ちます
・名前を付けるというは、記憶心像に音声記号を張り付けるということです。
・記号とは、なにかを表すためのしるしです。そのしるし自体には、もともと意味がありません。しるしはかくかくしかじかというモノを表しますという取り決めです。
・記号の中でもっとも重要なモノが言語です。単語を区別するための記憶心像を音韻といいます。
・正確な通信手段が集団としての行動を可能とし、危険を未然に防ぎ、種族を生き延びさせるのに大いに役立ったはずです。
・石原慎太郎の「「NO」といえる日本」。日本語にNOにあたる言葉がないので、わざわざNOを使っています。使う必要のない言葉は、生まれないのです。
・外来文化が大量に入ってくるときには、異なる概念である言葉が大量に入ってきます。これを自分の国の言葉に消化するのに時間がかかります。その時間がとれないと、消化不良の言葉が社会に溢れることになります。明治時代がそうでした。
・新しい概念は、解説付きの新しい言葉としてしか受け入れることができません。
・わかる、分かったという経験の第一歩は、なんといっても言語体験です。相手と同じ心像を喚起するためには、その手段である言葉とことばの意味を正しく覚えておく必要があります。記憶になりことはわからないのです。
・分からない言葉はきちんと辞書を引くか、その都度正しく覚えておかなければなりません。
・「IT」などという記号をなんとなく雰囲気や脈絡だけでつかうのはもっとも危険です。なんとなくわかったような気分になりますが、わかっているのは文脈から立ち上がる輪郭だけで、中身がありません。しっかりした記憶心像はきちんと記憶しておかない限り作れません。
・音だけを気分で使っていると頭の方がそれに馴れてきて、聞きなれない言葉を聞いても、「それ何?」と問いかけなくなります。
・わかるの原点は後にも先にもまず、言葉の正確な意味理解です。ここをおろそかにしてはいけません。
・単語の意味がわかるためには、その記号を自分が蓄積させている記憶心像と照合させる必要があります。その都度、辞書を引いて「あゝ、わかった」ではなかなか先へ進めません。自分でちゃんと記憶しておく必要があります。
・いろんな記憶
① 情動反応 悲しくなるとなけてくる、うれしくなると笑えてきます。この情動反応も記憶の1つです。
② 出来事の記憶 身の回りに起こる1回1回の出来事の記憶 出来事、場所、時間、感情、その時の考えなどさまざまな情報の複合体で、シーンの連続として記録されます
③ 意味の記憶 出来事のうちの変わらない部分です。生活に必要な概念や約束事の記憶です
ことがらの記憶 あるまとまりを形成していることがらがそのまま記憶されていて、それを呼び出せばその記憶の働きが終了するタイプの記憶 何度も繰り返し経験することで少しずつ作り上げている記憶
関係の意味 ことがらとことがらの関係 たとえば親子関係
変化の概念 動詞のイメージ 隠れる、移るなどの概念
④ 手順の記憶
・すべて最初は出来事として記憶される
・いろいろな「わかる」
① 全体像で「わかる」 地図をイメージ、大局観、俯瞰、 「木を見ず、森を見よ」
② 整理すると「わかる」 分類できるとすっきりする
③ 筋が通ると「わかる」 説明がうまくつながれば「わかった」と感じられる。
④ 空間関係で「わかる」 2次元、3次元イメージでわかる。立体の理解、回転、移動、変型できるとわかる
⑤ 仕組みで「わかる」 物体の相互の動きを理解することでわかる 動きの背後・理由を知ることでわかる
⑥ 規則で「わかる」 原理原則を理解する 手順を進めてわかる わかったというのは感情なのでです。約束の手順を進めるにあたって何かを感じることはありません。
・どんなときに「わかる」
① 直観的に「わかる」 納得する、合点がいく、腑に落ちる
② まとまることで「わかる」 本を読み終えてわかる。ドラマを見終えてわかる。友人と会話をしてわかる
③ ルールを発見することで「わかる」 仮説検証してわかる
④ 置き換えることで「わかる」 比喩や、たとえ話をみてわかる
・「わかる」ためには何が必要か
意味が分からないとわかりたいと感じる。わかるというのは秩序を生む心の動き。秩序が生まれると、心はわかったと感じてくれる、心に快感、落ち着きが生まれる
わかるためには、記憶と知識の意味の網み目が必要、そのためには、何千語という言葉の知識の蓄積が必要
知識の網の目にひっかかってくれるのが、「わからない」。わかること、知識がないと「わからない」は引っかからない
そのためには、網の目を長い時間をかけて作る必要がある。近道はない
わかるためには、「これはわからない」「ここまではわかった」ということに気がつく必要がある。「わからない」とは、新しい問題に直面したときに、これは自分の頭いんはおさまらないぞという、「心の異物感」である
わかるとは自分でわかる必要があります。自分でわからないこと路を見つけ、自分でわかるようにならなくてはならない
・本当にわかったか
図にしてみる わからなければ、図にかけない
自分でやってみる 運動化できなければ本当にわかっていない
自分のことばで説明し直してみる わからなければ、自分の言葉で表現はできない
そうしてみれば本当にわかったのか、それとも、分かった気になっているが全然わかっていないのかがわかる
・全体のつながりを理解することが大きな意味、言葉や出来事、細かいことを理解するのが小さな意味。大きな意味を理解する必要がある。
【結論】
生きることは、自分の足で立ち、自分の足で歩くことです。世界に立ち向かうためには、自分が使えるしっかりした海図を自分で作っていく必要があります。そうやってはじめて、大きい意味や深い意味を発見することができるようになります。
目次
はじめに わかる・わからない・でもわかる
第1章 「わかる」ための素材
第2章 「わかる」ための手がかり
第3章 「わかる」ための土台
第4章 「わかる」にもいろいろある
第5章 どんな時に「わかった」と思うのか
第6章 「わかる」ためには何が必要か
終章 より大きく深く「わかる」ために
ISBN:9784480059390
出版社:筑摩書房
判型:新書
ページ数:240ページ
定価:800円(本体)
発行年月日:2021年12月10日第25刷
Posted by ブクログ
そもそもわかるとはなんぞや?とふと思い、読んでみたら非常に面白かった。難しい事をわかりやすく、なおかつ体系的に書くのは困難だったのではないかと思う。もちろん理解できないこともあるが、それは私の知識がないからであろう。個人的に特に興味深かったのは、生命の本質はエントロピーを減少させること。秩序が生まれると落ち着きが生まれるという文章に納得。わからない、難しいな、と思いながら生きていこうと思う。
Posted by ブクログ
「わかる」ということを脳科学の観点から解説した本。
「わかる」というのは感情。
「わかる」ためには、記憶が必要であり、わかったことでないと表現できない。逆にいえば、表現をするためには、「わかる」必要があり、そのためには記憶が必要である、ということが「わかった」。村上春樹が「職業としての小説家」で記していたように、名文であれ駄文であれ古今東西の小説の表現の記憶つまり「記号」とその「意味の記憶」、および自分が人生に遭遇する出来事(人であれなんであれ)の「記憶心象」の二つが小説を書くためには必要という話と通ずるものがある。
はじめにーわかる・わからない・でもわかる
第1章 「わかる」ための素材
第2章 「わかる」ための手がかりー記号
第3章 「わかる」ための土台ー記憶
第4章 「わかる」にもいろいろある
第5章 どんな時に「わかった」と思うのか
第6章 「わかる」ためにはなにが必要か
第7章 より大きく深く「わかる」ために
Posted by ブクログ
『わかるとはどういうことか』という題名に惹かれて本書を手に取りました。当初は、文学作品や日常の事象を題材に「わかる」ことの意味が論じられているのだろうと想定していました。ところが実際には、著者が神経内科医であり、脳の仕組みを通して「理解に至る過程」を解き明かす内容でした。そのため、医学的でやや専門的に感じる部分も少なくありませんでした。
しかし読み進めるうちに、学びとして取り入れたいと感じる考え方が二つありました。
第一は、「わからないことはミステリーの犯人探しに似ている」という視点です。限られた手がかりから答えを導き出すプロセスは、まさに推理小説のようであり、仕事や日常で疑問が生じたときにも、主体的に調べながら答えを探していくことの大切さを教えてくれました。現在の自分は「日々を面白く過ごす」ことを意識しているので、この考え方は大いに共感できました。
第二は、「わからないことがあれば図にする」という方法です。頭では理解できたつもりでも、人に説明しようとすると意外と曖昧なことがあります。図に描くことで理解が可視化され、より深い定着につながると感じました。今後は意識的に実践していきたいと思います。
本書を通じて、「わかる」とは単に知識を得ることではなく、問いを立て、探求し、表現を通じて理解を深めていく営みであると気づきました。今後はこの姿勢を仕事や生活に活かし、学びを一層広げていきたいと考えています。
Posted by ブクログ
脳機能障害の臨床医による、わかるという認識の仕組みについて
非常にとっつきにくく哲学的であり脳科学的な主題を様々なエピソードを交えてわかりやすく説明しようと試みていて興味深い。
Posted by ブクログ
読んだきっかけは息子がトライしている中学入試で塾が紹介したからだった。著者は神経内科が専門で高次機能障害学を研究しているらしい。私は「高次機能障害」にちょっと興味を持っていた。自分が1年前に適応障害にかかり、3か月くらいで治ったように思える部分と何か脳の一部に問題があるのではないかと感じたことがあった。なんとなく認知能力や記憶力の低下を年のせいにしていた。半分あってるかもしれないけど。
息子と会話がかみあわず、お互いにイライラしていることが多かった。単なる息子の反抗期にも思えたのだが、それだけとは言えなさそうだ。会社の仕事で重要なことを記憶違いしてしまったり、記憶が欠落したかのようになってしまうことがあって、ショックを受けたこともあったからだ。このとき理由を調べてみると、うつ病や適応障害との関連で脳の認知機能障害や高次機能障害の話が出てきたため、関心を持つようになった。普通は高次機能障害というと脳卒中になったり、脳に事故などで損傷を受けた人がなりやすい病気らしい。でも脳の血流という捉え方をすれば、メンタルの問題でも同様のことが起きてもおかしくないと思う。
ひとえに記憶力がなくなったといっても、短期記憶と長期記憶のどちらも記憶力かでも原因は異なるし、全体的な関係性の記憶と具体的な直近の記憶なのかなどで記憶に結びつけて「分かる」といっても様々だ。それを理解しやすく説明してくれているのは、ありがたい!
心像(メンタルイメージ)は、普段聞きなれない言葉だから慣れるのに時間がかかったが、わかるということにおいて区別できる、特に言葉で違いを明確化できることは一つの重要な要素だと改めて思った。筆者が説明する知覚心像と記憶心像をふまえて読み進めると、人が語感をどうやって身に着けていくのかが理解できる。知覚と記憶のリンクで考えていくと、なるほどなあと思った。
サイエンスの領域で「分かる」ことに対して「分類整理」、明らかにするものに対して分かっていることとわかっていないことの「識別」、「モデル」思考という概念が重視して取り組まれる理由がこの本を読んでいくと納得がいく。
いろんな意味でなるほどねぇ、と「分かる」体験をさせてくれる本だった。
Posted by ブクログ
わかるということは、記憶のある事とある事の関係性が明らかになること
記憶や経験が無ければ、わかるとはならない
また、分かったとは分かった気がするという人の主観的な心の働きで、決して客観的事実では無いこと
間違っていても、説明ができたり関係性が分かったりすれば、分かったと感じてしまう
本当に分かったかどうかを調べるには、説明したりして運動を介して外に発信してみること
曖昧にしていたところでは上手く説明が出来ないし、応用も出来ない
分かったは心の動きなので、わかったから全てを深く理解したとういう気にならないようにすること
Posted by ブクログ
わかるときに脳がどのような働きをしているのかが書いてあり、非常に興味深かったです。
特に、自分の心に心像を作り上げるという概念が新鮮でおもしろかったです。
Posted by ブクログ
困ったことがあると誰かなんとかしてくれるって思ってることが、わかるをそれまでにしてしまってることって日常生活ですらいっぱいあるなと改めて感じました。
Posted by ブクログ
例えが多く読みやすい文章だった。
わかると心に秩序が生まれるため、人はわかりたいと願う。
特に印象に残った点を2つ書くと、
「わからない」ことに気づく
自分から自発的にわからないことをはっきりさせ、それを自分で解決してゆかない限り、自分の能力にはならない。
わからないことをはっきりさせるには応用すること。図にしたり関係性を説明してみる。
わかったことは行為に移すことが出来る。
世界に立ち向かうには、自分の解釈だけで世界を理解しようとするような理解力ではなく、仮説と検証によって答えを導き出すような発見的な理解力を身につけていかねばならない
Posted by ブクログ
なにかを理解しようとしても、わからない理解できない。
そもそも自分がなにがわからないのかもわからない。
「わかる」とは一体なんなのか、どうしたら「わかる」のか
そんな経験のある人にはいい本かもしれない
著者は脳に障害を生じて、認知機能をきたした人の診断治療リハビリの先生であり神経内科の専門で高次機能障害学のプロだそうだ
そんな先生が専門用語を使わずにとても簡単で分かりやすい言葉で教えてくれる
この本を読んだからと言って、その「わからない」が急に「わかる」ようになることはないが
自分の「わからない」レベルに気づき、どうしたら「わかる」ようになるのか参考になるかもしれない
Posted by ブクログ
わかるということは当たり前に起きている出来事だけど
それができるようになるためには
それはそれはたくさんの段階が必要になること。
時には繰り返し、繰り返し行って
定着させることが必要になることが
ままあります。
と、思うと人の理解というものは
長い時間をかけなければできないということ。
そして、きちんとそこに目的や
考えがなければ身につかないということ…
何気に恐ろしいこと言っていますよね。
この中には深い言葉が1つあります。
それはわかるということは理解できたものの、
それをおろかな手段に使い
後世にもさらし者になった人たちに対する
批判です。
分かりやすい集団ですけどね。
あの人たちは理解できても
その理解の応用を間違えてしまったわけで。
結構哲学的かも。
でも言わんとすることはわかるはず。
Posted by ブクログ
普段何気なく分かったと感じていることは、過去の経験による記憶がつなぎ合わさって心像が生成されていること。何事も理解するにはそれなりの知識が必要
Posted by ブクログ
『本当にわかったことは応用できます』とある。『うまくまとめられると、わかったという感情が生じる』し、『わかる』と『自分のもの』にすることができる。
ただ、それがむつかしい。著者は『訓練さえすれば、われわれの知覚はすごい弁別能力を発揮します』という。いくつかポイントがある。ひとつは『見当をつける』こと。『小さな状況の理解(小さな意味)はたいして重要でない』、『遠い距離から眺め、他の問題とのかかわりがどうなっているのか』など『全体像を掴む』ことだ。ただ、『あらかじめある程度の考えを持っていないと、見当をつけらない』とのことなので、『わからない場合はまず図を作ってみる』とよいとある。人は『表現しようとするもののイメージをはっきりさせておかないと、心の外へは持ち出せない』のだそうだ。
『わかる、というのは秩序を生む心の働き』なのだそうだ。『意味とは、とりもなおさず、わからないものをわかるようにする働き』、『わかりたいと思うのは心の根本的な傾向』、『情報収集とは、結局のところ秩序を生み出すための働き』・・・素直に向き合えということなのだろう。著者は『心の声』を聞けという。これは、ただ待つということではない。『前から眺め、横から眺め、上から眺め、下から眺め、回して眺め、落として眺めて…』によって『頭が解くのでなく、いわば身体が解いてくれる』とある。
もうひとつは『「違いがわかる」という能力が知覚の基本』という点だ。『わからないことがあるからこそ、わかったという事態も発生』する。『考えなければ、わからないまま』だ。『知識の網の目が出来ると、何がわかっていて、何がわかっていないのかがはっきりする』、『わかるの原点は後にも先にもまず、言葉の正確な意味理解』・・・『繰り返し繰り返し実際にやってみることでしか、蓄積出来ません』ということなので、意識してやってゆくしかない。
要約すると、『心の声が聞こえなければ、わかるも、わからないもない』かつ『ひとつの心像だけでわかるという経験は起こりません』ということを十分に理解しておかねばならないということだ。
『生きることは、自分の足で立ち、自分の足で歩くこと』、『社会で生きてゆく、自然の中で生きてゆく、というのはその時その時、新しい発見、新しい仮説を必要』とするが、『客観的事実を扱うには、普通の心の働きとは別の心の働きが必要』であるし、『われわれの思考の単位』は心像でしかない。また、『印象に残る心像が浮かんだとしても、たいていは次の瞬間には消えて』しまうし、これを『意志の力で注意を維持するのはなかなか大変』なことでもある。
『心は好奇心(おおまかな心の傾向)→注意(具体的な方向づけ)→知覚(正確な区別)の流れ』で働くものだから、『何事も、好きになることが大事』だそうだ。『意志の力で注意を維持するのはなかなか大変ですが、好きなことだと努力の感情なしに没頭』できるからだ。
心が落ち着かないというのは、わかっていないということなんだろう。心の声に素直に向き合い、大きな意味の違いがわかるように精進しないといけない。
Posted by ブクログ
☆☆☆☆
この本を読みながら常に頭に置かれていたのは【心像】と言うイメージです。記憶するにも、感じるにも自分の内部に存在するこの心像という器という自分の外に想像した心像という器に、砂を注いで満たしていくそんなイメージで読み続けました。
・「知識の網の目のお話し」は『天網恢々疎にして漏らさず』という老子の言葉が良いイメージ創りをしてくれました。
・「絵の極意はひたすら見ることにある」という高名な日本画家の言わんとすることも、外の心像が自分の内部の心像の器に砂を注いでそれを創り上げていくことをイメージして読んでいました。
そのほかにも、「いい表現だなぁ」「そう言うとらえ方もあるなぁ」と自分の心像を大きくしたり、知識の網の目を細かくしてくれるというイメージをたくさんのいただけました。
本の最後にも、帯にも書かれていることが山鳥氏のメッセージだと思います。「『自発性という色を持った知識』が海図なき航海という人生には必要なんだよ」
というメッセージです。ここにある自発性とは自分の内部にある心像を育てるというイメージを持つことで近づけたような気がします。
2017/1/11
「わかる」って表現は、 「頻繁に使う割には、物凄く大雑把な感覚表現だなぁ」「もう少しスッキリしたいなぁ」と思ったので、この本を手にしてみました。
スッキリはしないまでも、「そういうものなのか」という読後感があります。
この本を手にした目的の達成度とは別に、
①【「わかりたい」と思うのはなぜか】の章で説明されていたエントロピーの話、たいへん興味を持ちました。(著者は謙遜に拙い説明と言っていますが、私には興味を抱き「わかりたい」と感じさせてくれる良い内容でした。)
〜〜ある装置と知識(動き回る分子を見分ける)があると、混沌の中から秩序を作り出せるのです。分子のレベルでは、たとえば、空気の中から酸素だけを選び出しています。あるいは食事の中から鉄や銅だけを選び出しています。分子より上の、もう少し複雑な物質だと、たんぱく質や、脂肪や、炭水化物だけを選び出しています。つまり、生命の本質はエントロピーを減少させることにあると考えることが出来ます(物理学者エルヴィン・シュレディンガー)
この原理は物質的部分だけでなく、心理的現象にも貫徹しています。〜〜
それと、
②「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず」
の引用がされている部分での、人間の知識の獲得のイメージを描いた文章は、意味が違いますが上記の老子の言葉とともに、私の記憶に深く刻まれました。
〜〜知識は意味の網の目を作ります。網の目は逆に知識を支えます。ひとつひとつだと不安定ですが、網の目になると安定度を増します。ひとつの知識だと不安定ですが、100の関連知識に支えられると、その知識は安定度を増します。
心理過程はすべての記憶の重なりです。知らず知らずに覚えこんだか、意識して覚え込んだかの違いはあっても、覚えこんだものが積み重なった結果が現在の心です。
記憶の網の目ができると、何がわかっていて、何がわかっていないのかがはっきりするようになります。網の目が変なものをひっかけてくれるのです。
知識の網のおかげで、わかるところとわからないところが区別できるのです。まったく何も知識がなければそもそも網の目ができていませんから、網にひっかけること自体ができません。すべてのものは網を遠く外れたところをどんどん流れていってしまいます。
何事であっても、わかるためには、それ相応の知識が要ります。知識の網の目を作らなければなりません。〜〜
③
〜〜社会で生きてゆくには自分で自分のわからないところをはっきりさせ、自分でそれを解決してゆく力が必要です。
人間は生物です。生物の特徴は生きることです。それも自分で生き抜くことです。知識も同じで、よくわかるためには自分でわかる必要があります。自分でわからないところを見つけ、自分でわかるようにならなければなりません。自発性という色がつかないと、わかっているようなみえても、借り物にすぎません。実地の役には立たないことが多いのです。〜〜
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
われわれは、どんなときに「あ、わかった」「わけがわからない」「腑に落ちた!」などと感じるのだろうか。
また「わかった」途端に快感が生じたりする。
そのとき、脳ではなにが起こっているのか―脳の高次機能障害の臨床医である著者が、自身の経験(心像・知識・記憶)を総動員して、ヒトの認識のメカニズムを、きわめて平明に解き明かす刺激的な試み。
[ 目次 ]
第1章 「わかる」ための素材
第2章 「わかる」ための手がかり―記号
第3章 「わかる」ための土台―記憶
第4章 「わかる」にもいろいろある
第5章 どんな時に「わかった」と思うのか
第6章 「わかる」ためにはなにが必要か
終章 より大きく深く「わかる」ために
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
他人にどうしたらわかってもらえるか、そんな悩みがあったし、そもそも脳の仕組みなどにも興味があったので手に取った。わかるといっても、いろんな種類の分かり方があること、わかるは自分の経験値に影響されることなど様々なタイプがあることがわかった(笑)
わかるって、結構、主観的で、ふわふわしてるな、と思って、世の中は不確かなものなんだなぁて改めて思った。
Posted by ブクログ
わかるにも色々ありますが、自分はそのことがイメージできるとわかるようになると思います。だから、絵にしたり、図にしたり、漫画にしたりすることが多いんじゃないですかね?特に最近は漫画で解説しているものが多いような気がします。
Posted by ブクログ
仕事をしていると、よく「分かりやすい説明」を求められます。でも、その「分かりやすい説明」は往々にして相手が代わると通じなくなります。
分かりやすいって、なんて分かりにくい概念なんだろうと思い、本書を手に取りました。
内容的には、言語学や心理学の入門書や、資料の作り方のハウツー本を、「わかる」をテーマに整理し直したものといったところ。
著者の専門である高次機能障害学も、脳損傷の方のエピソードとしては使われますが、理論的な説明に踏み込むわけではなく、読むためのハードルにはなりません。
筆致も平易に語ろうとする姿勢が感じられます。
ただ一点、個人的に目から鱗だったのが、わかる・わからないは、感情だということでした。
感情であれば、同じ事柄について同じ説明を同程度の知識水準の人にしても、深い理解、浅い理解、分からないといった様々な反応がありえます。
あるいは、何か分からないことがあって、それが自分の利益にならないことでも分かるまで追い求めてしまう、その得体の知れない原動力を浮き彫りにされたような気さえしました。
この分かりたいという感情こそが、エントロピーの増大し続けるこの世界にあって、これに抗いエントロピーを減少させようとする生命の本質、なのかは、まあ、よくわかりませんが。
Posted by ブクログ
精神科の先生が書かれた本。
「わかる」と一言にいっても様々なグラデーションと種類がある。
同じ言葉でも人によって捉えている「心像(メンタルイメージ)」は異なり、それが共通しているとい前提が成り立つから会話も可能になるそうだ。
たしかに、誰かと会話していて、ある言葉に対する認識が違っているせいで誤解が生まれて、衝突しているケースは多い。
中には意味を理解せずに言葉だけが先走っていることもあり、コミュニケーションとは言葉の前提にあるメンタルイメージが共有できるからこそ成り立つものなのだと感じた。
とはいえ、見えないし聞こえないメンタルイメージを共有するのは難しく、話し合ったり、同じ経験を共有したりする過程で理解できていくのだろう。
そう考えると、多様性を意識して相手を理解しようとする姿勢を持ちたい!
Posted by ブクログ
鉛筆をどの角度から見ても鉛筆とわかるのは確かにすごいことだ
普段何気なく自分でわかって、認知して、見分けていることがすごいことなんだと認識させられた
Posted by ブクログ
新しい道を敷いてくれる本というよりは、道を丁寧にコンクリートで舗装してくれる感じの本。
わかっていることは運動に変換できるというのはよくわかる。フィギュアを造っていると、分かってないところがすぐ露わになる。そこを何か見たり調べたりしつつ頭で一生懸命考えないと、手で表現できない。それは一部の隙もなく対象を「わかっていく」快感を得るための工程なのだと思う。そこまで隙のない造形ができるわけではないけども、目指すのはそこだ。
Posted by ブクログ
高次機能障害を専門とする著者が脳科学の分野から「わかる」ということに迫った本。わかるということを素材、手かがり、土台という形で分類して基礎を作り、その上でいろいろなわかり方のパターンを提示した後、それが脳障害の事例を弾きながら、どのように分かっているのかを説明してくれる。いろいろなわかり方のパターンが勉強になるとともに、脳障害についてある程度の知識が得られる本と思う。
Posted by ブクログ
分かるとは知識の網の目の作ること。という考え方は自分には無いもので新たな発見となった。分かるということに対して様々な角度から見解が述べられているが、各章は具体例が多く、目次だけ読めばある程度は内容を理解することができると思う。