あらすじ
大国の漢と匈奴とにはさまれた弱小国楼蘭は、匈奴の劫掠から逃れるために住み慣れたロブ湖畔の城邑から新しい都城に移り、漢の庇護下に入った。新しい国家はぜん善と呼ばれたが、人々は自分たちの故地を忘れたことはなかった。それから数百年を経て、若い武将が祖先の地を奪回しようと計ったが……。西域の一オアシス国家の苛烈な運命を描く表題作など、歴史作品を中心に12編を収録。
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Posted by ブクログ
目次
・楼蘭
・洪水
・異域の人
・狼災記(ろうさいき)
・羅刹女国(らせつにょこく)
・僧伽羅国縁起(そうからこくえんぎ)
・宦者中行説(かんじゃちゅうこうえつ)
・褒姒(ほうじ)の笑い
・幽鬼
・補陀落(ほだらく)渡海記
・小磐梯(こばんだい)
・北の駅路
表題作を読みたいと、ずっと思っていた。
中学校の国語の教科書にスウェン・ヘディンの『さまよえる湖』が載っていて、それに関してこの作品を先生から紹介されたので。
大きくなったら探検家になりたい!と熱い思いを抱かせるヘディンの行動を読んで、この『楼蘭』もさぞや熱い思いがあふれているのだろうと思っていたら、ノンフィクションのルポルタージュかってくらい冷静な筆致に、逆にのけ反る。
事実を淡々と連ねる文章は、ともすれば歴史の専門書を読んでいるようで、これが小説であることを忘れてしまう。
何百年にもわたる、ロブ湖のほとりの楼蘭という国の歴史。
しかし、これはヘディンが発掘した楼蘭の遺跡からインスパイアされた、れっきとした小説なのだ。
誰がこのような想いを持って行動したかなどと、どんな歴史書にも書いてはいない。
特定の主人公がいなくても、語り手の心情が声高に言われなくても、これはあくまでも作者が創作したものがありなのだ。
だけど、司馬遼太郎の小説でさえ、事実のように受け止めてしまう人が多い昨今、これを史実ととらえる人が多いのだろうと思う。
次の『洪水』なども、歴史書から引っ張ってきたのかと思われるほど、具体的な記述が続く。
でも、よく読んでみると、『洪水』に似たようなエピソードはヤマトタケルとオトタチバナヒメにもある。
そういえば 『羅刹女国』などはセイレーンのようでもあるし。
『狼災記』も、『山月記』の変奏曲のようである。
『三国志』よりも古い時代の歴史。
もう神話に片足を突っ込んでいると言っていい。
日本の神話、インドの神話、西洋の神話。
『宦者中行説』と『補陀落渡海記』は、年をとればとるほど沁みてくるのではないだろうか。
『狼災記』は、『山月記』よりもなお容赦ない。
『幽鬼』以降は日本を舞台にした作品。
光秀を主役とした『幽鬼』を読んで、三成を主役とした尾崎士郎の『篝火』を思い出す。
どちらも敗戦の将だが、光秀の謀反に対する腹の座らなさが際立つ。
次は『天平の甍』を読みたい。
時間が許せば『おろしや国粋夢譚』も。
Posted by ブクログ
楼蘭の1つの国の趨勢、異域の人の班超の生涯、宦者中行説の匈奴で得た夢、何れも真に迫っていて、そこに西域や匈奴の風土を感じるかの様でした。班超が歿する前、故国に西域との繋がりを見、彼が「胡人」と呼ばれた描写には、彼の一生の軌跡が表れている様に思います。
狼へと変わった陸沈康とカレ族の女が出る狼災記、羅刹の棲む島を書いた羅刹女国では、言い伝えや伝承を基にした不可思議な出来事が現実味を帯びて書かれていて惹かれました。狼災記で狼となった2人が、獣の掟に従い獣として生きる様が、人の姿を喪い人で無くなった彼等が、既に人としての生き方が出来ないのだと訴えかけて来ている様に思われました。