あらすじ
《自殺か、他殺か、虚飾の女王、謎の死》――醜聞(スキャンダル)にまみれて謎の死を遂げた美貌の女実業家富小路公子。彼女に関わった二十七人の男女へのインタビューで浮び上がってきたのは、騙された男たちにもそれと気付かれぬ、恐ろしくも奇想天外な女の悪の愉しみ方だった。男社会を逆手にとり、しかも女の魅力を完璧に発揮して男たちを翻弄しながら、豪奢に悪を愉しんだ女の一生を綴る長編小説。
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Posted by ブクログ
疑問の残る話ではあった。
証人何の証言が必ずしも正しいとは限らない。信頼できない(絶対ではない)書き手が主になって進むストーリーである。
考察
彼女は常に計算をして生きてきた。尾藤家からは、母由来の話し方"まああ"を学んだのではないか。人によってベッドを共にした際の印象が大きく違っているのもポイントではないだろうか。富本の際に大きな声を出していたのは、家を建て替えるためではないかと勘繰ってしまった。
彼女の子について
彼女の長男は『義彦』、次男は『義光』である。
これらの名前は『渡瀬義雄』と『尾藤輝彦』のいずれかの名前から取られている。このことは、彼女にとって最後まで心にいたのは尾藤ではないかと考えた。顔についても、輝彦のほうが似ていると言われている描写がされていた。しかし、次男に関しては沢村かもしれない。彼は不勉強であり、長男の証言によれば彼を冷遇していたからである。
わからなかったこと
なぜ、彼女は習っていたはずのそろばん教室を「習ったことはない」といい、偽の宝石を売りつけるようなことしたのだろうか。彼女にとっては「美しい」こそが1番であったため、経歴を詐称することは頷ける。しかし、偽の宝石を売りつけることに対する理由は思いつかなかった。
誰か考えがあれば、教えて欲しいです。
最後に
肉ノ小路ニクヨさんの紹介を見て本を読みました。500pありましたが1日で読んでしまうぐらい面白かったです。
Posted by ブクログ
タイトルが『悪女』なので悪女に違いないと思いながら読んでしまうが…実際どうだったのだろうか、
会ってみたいと思わざるを得ない。
時代を感じるが、古さは感じない、素晴らしい作品。
Posted by ブクログ
公子のことを清く正しくいい人という人ととんでもなく嘘つきで悪い人という人がいる。
私も、とんでもなく頭が良くて、感心するほど計算上手な悪女だと思った。けれど、公子の幼なじみがそろばんを習ってたよねって言った時に公子は全く覚えていない様子なのがずっと引っかかってた。嘘をつけば済む事なのに覚えていない、人間違いだと言い切ったところに、もしかして双子かなりすましで2人いるんじゃないかと思ったくらい。そういうふうに私は本当は高貴な家の生まれなのにという作り話もそういうふうに本当に信じ込んで生きていくしかなかったのかな、その時その時で別人格を生きているのかなと思った。ドラマでは、公子がもし自殺だとしたら、人生の幸せの絶頂で終わりたかったのかなといっていたけどそれもそうなのかもしれないなと思った。
Posted by ブクログ
有吉佐和子文学忌、有吉忌
1978年に週刊朝日で連載された有吉佐和子の『悪女について』は、1週ごとに1人、計27人が“悪女”富小路公子について語るという構成がユニークな作品。同時期にドラマも放映され、毎週少しずつ人物像が立ち上がってくる感覚は連載ならではだと思う。テレビ朝日系ドラマと週刊誌連載が、ほぼ同時進行だったとは、それは凄すぎる。
読んでいて思い出したのが、芥川龍之介の『藪の中』や、塩田武士『朱色の化身』。どちらも、複数の証言から一人の人間像を描こうとするが、語り手ごとにまったく違う顔が浮かび上がる。『悪女について』でも、公子を天使のように言う人もいれば、冷酷な計算高い女と決めつける人もいて、いったい何が本当なのか、最後まで見えてこない。
しかも、公子の死は自殺なのか他殺なのかも明らかにされず、ドラマでも結末はぼかされたままだ。だが、そこがこの小説の本質で、魅力でもある。「悪女」は、本当に存在するのでなく、語る人の思いや偏見が作り出す残像なのでは。