あらすじ
桜井章一の流儀はこうだ! 変化に合わせて生きていけば動きは柔らかくなる/いい仕草は「流体のカラダ」から生まれる/「一口食べる」感覚で力を抜く/強い人は動作が見えない/耳で見ろ!/軸は取ったほうが勝つ/カラダが消しゴムになって、いい動きを消してしまう/底力を引き出すカラダの整理術<実践編>等々……かつて棲んでいた「感覚の世界」を取り戻そう。
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Posted by ブクログ
面白かった。
読み終えたばかりなので未実践。
仕事柄ほとんどの時間、PCに向き合っているだけなのでまずは肩凝りを治す体操と歩くときはやや上向き遠くを見ることからやっていきたい。
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「自然界は壮大な循環のシステムでできている。水、土、空気、風、太陽の光、そして生物の連鎖…、全てが循環という流れの中でつながっている。いうまでもなく人もその中の一つである。外の循環と同調するように体も心も循環させることが、生物としての人の本来の在り方である。」
本質を突いていると思う。
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チェック項目12箇所。力が入ると何事も嘘っぽくなる、力まず、そっと触れるという感覚、力を入れる生き方から離れて、そっと触れる感覚を取り戻せば、どんなものごともスムーズに何かを成せることをカラダは素直に教えてくれる、幸せもつかみにいくのでなく、そっと触れる感覚を持てたときに、本当の幸せを感じるのかもしれない。カラダを使った遊びのおもしろさ、人が成長するにつれ、言葉を増やし、知のほうへ行くに従ってそれは見えにくくなるが、本来は本能に根差した無条件の喜びを伴うものだ。「力を抜く」ということは力が入っていない状態だが、これは何に対しても「~しよう」という思考の癖を持っている人にとっては難しい、だから、力を抜こうと思うのでなく、カラダの動きを流れにするという感覚を持ったほうがカラダは素直になるかもしれない、カラダが素直になる、正直になるということが、カラダのもっとも自然な状態なのである。カラダを正直にすると、気持ちも正直になる、それが、みんな気持ちから入って「気持ちを正直にしいよう」とするから、嘘っぽくなるのだ、気持ちをいくら正直にしたつもりでも、カラダに対しては正直になれない、カラダはどこか力が入っている。目線は地面と平行でなく、やや上にして遠くを見るようにするといい、立った状態で目線を下にするときと目線をやや上にするときを比べてほしい、目線がやや上を向いていると、気持ちが広がっていく感覚があるはずだ、カラダも流れだし、動きも軽くなる。カラダというものは部分でなく、全体で考えるべきだ、部分だけに囚われてあれこれ努力したりするのではなく、全体のバランスの中でこの部分をどうしようという発想をしないといけない、そうしなければ、必ずおかしなことになるものだ。指が開いていないと不自由に見えるが、軽く閉じたものが自由に力を操れるのである、だが、生活習慣などで指を開く癖がついていたりすると、相撲をとっている最中に微妙に開いてしまうことがあるのだろう、また指を開いてしまうことでカラダが硬くなってしまう。膝が痛くなったり、腰痛になるのも、すべてはカラダが下に下がって負荷が膝や腰に強くかかるからだ、その意味でも、縦の動きをふだんからよくしている人は、歳を取ってもカラダ全体が下へ下がるスピードが遅くなるのである。素直な人は癖が少ない、素直とは「素」になることである、背伸びも飾りもない自分の基本に戻ることである、人が素の状態でずっといることがもしできれば、癖はできない。人は動物である、動物というのは動くから動物なのだ、働くという文字も「人が動く」と書く、常に動くことがすなわち生きるということである、変化という流れの中で生きていれば、当たり前のことだ、生身のカラダを持っている限り、人のカラダは絶えずどこかへ動こうとする本能的な意思を秘めている。
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桜井章一を知ったのは、甲野善紀の本を読んでから。合気道を始めてもっと上手くなろうと色々な本を探したら、甲野善紀の武術研究に出会った。この本では、私の感心事の身体の動きの本質を教えてもらった。辞書として手元に置いておきたい本です。
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動きや体の使い方を中心にした生き方指南書。
もっとも桜井さんは指南なんてつもりなく、
語っておられるのだろうが。
全体に(写真が多数)男性向きだったみたい。
だけど、真髄は男女問わず、通じる。
私には、桜井さんは現代の野口晴哉さんのよう。
今の時代にこれだけ身体重視、本能重視を説く人は
めずらしい。忘れないように時々、桜井さんの本読みたい。
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著者は、「雀鬼」の異名をとった麻雀打ちのプロ。超絶的な強さで、
無敗伝説を誇った勝負師だそうですが、現在は、麻雀を通して人間
を鍛えることを目的とした私塾「雀鬼会」を主宰しています。
勝負師とか登山家とか狩猟家とか、究極の場面を経験してきた人に
は、常人が辿り着けない境地に達した人が多いので、著者もきっと
凄い世界を持っているに違いないと、ずっと興味を持ってきました。
最近、ひょんなきっかけから、彼の本を手にとってみたのですが、
これが実に面白い!やはりギリギリのところで生きてきた人は違い
ます。「プロ麻雀師」というと偏見がある方もいるでしょうが、極
めて真っ当な方で、その深い人間洞察、人間理解に基づく、本質的
な言葉の数々には、教えられることが多いです。
本書は、そんな著者のカラダ論。麻雀とカラダって結びつくの?と
思いましたが、真剣勝負の麻雀は、牌の打ち方一つで相手の出方や
心理が読めてしまう世界。いかに自然に牌を打てるか、いかに場全
体を読むことができるか、いかに変わり続ける流れに柔軟に対応で
きるかが、問われるのです。それは、自然の中で野性動物と対峙す
る狩猟の世界に似ています。ちょっとした変化の中に相手の気配を
読む。こちらは自然と同化し、相手に気配を覚られないようにする。
だから、思考を止め、力を抜き、感覚を頼りに、流れるようにカラ
ダを動かすのです。「麻雀に愛された」著者は、自らを追い込み、
真剣勝負を重ねる中で、自然とこの流れるような柔らかなカラダの
使い方を身につけてきたのでした。
これらのカラダの使い方を覚えると、常識では考えられない力を出
すことができるし、運やチャンスを逃すこともなくなる、と言いま
す。勿論、老化や怪我の予防にも役立ちます。
カラダから力を抜くための体操なども紹介されていますが、正直、
この本を読んだからと言って、カラダがうまく使えるようになると
は全く思いません。しかし、思考偏重、視力依存の普段の生活の間
違いに気づき、もっとカラダで感じることを大事にしようと改心す
るきっかけにはなることは請け合いです。
仕事に社交にと、何かと忙殺される師走ですが、こういう時こそ、
カラダの声に耳を傾けてあげたいですね。「体の癖は心の癖」と著
者も書いていますが、体を整え、心新たな良い年を迎えるためにも、
是非、読んでみて下さい。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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力が入ると何事も嘘っぽくなる。力まず、そっと触れるという感覚。
力を入れる生き方から離れて、そっと触れる感覚を取り戻せば、ど
んなものごともスムーズに何かを成せることをカラダは素直に教え
てくれる。
カラダのおもしろさが一番わかっているのは、子どもだ。
生きるということは、次々起こる変化という流れに応じることであ
る。
変化に間に合うには大きな動作をしてはいけないのだ。勝負のよう
な場においてはそれは大きな命取りになる。
力を抜けば、力はゼロになるのでなく、核分裂反応を起こすような
エネルギーがそこから湧いてくるのである。
真に力を抜いた状態とは、もちろんカラダから単に脱力することで
はない。どこにも緊張を入れず柔らかな状態にカラダを置くことが、
「力を抜く」ことなのだ。
空気はつかむことができない。だが触れるような感覚は持てる。そ
れと同じで感覚もつかむことはできないが、触れることはできるの
だ。
目的主義に陥ると、「過程」というものがおろそかにされる。結果
さえ出せばいいという姿勢でやっている人は、ところどころでそれ
なりの結果を出せるかもしれないが、あまり、長続きはしない。
私は、自分のことを麻雀から愛された人間だと思っている。それゆ
えに牌から、人生の大事なことをたくさん教わることもできたと感
じている。
感覚を探るのは難しいが、違和感を覚える部分はいくらでもある。
違和感を覚えるということは、反対にいえばそうでない部分を探せ
る可能性があるということだ。つまり、違和感をとっかかりにすれ
ば、反対に自然な感覚を探しやすくなるということがいえる。
人間は柔らかく生まれて、硬くなって死んでいく。
カラダが硬くなると思考も硬くなる。
頭が柔らかいと変化に対応できる。柔らかいということは、いくら
でも変化していける可能性を孕んでいるということだ。そう考える
と、強いカラダとは、どういうふうに状況が変わろうとも臨機応変
に対応できるカラダといえる。
小指を意識して使うと、カラダの動作は柔らかくなる。
自然に生きるということは、すなわち変化に対応して生きることで
ある。
素直な人は癖が少ない。
素直とは「素」になることである。背伸びも飾りもない自分の基本
に戻ることである。人が素の状態でずっといることがもしできれば、
癖はできない。
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●[2]編集後記
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日曜日、町内の餅つきに参加してきました。町内総出で餅をついて、
ご高齢の方と子ども達に配る、というなかなか良いイベント。恥ず
かしながら、餅なんてまともについたことがなかったので、経験者
に教えて頂きながら、見よう見まねで何とかやってきました。
釜で炊いたお米を臼にあけ、二つの杵で力を合わせながらこねる。
このこねるところが大事で、いかに短時間に美味しい餅にするかは、
ここで決まるそうです。
でも、これが実に難しい。くいっくいっとヒネリを加えながら、二
つの杵でこねていくのですが、なかなかうまくいきません。手の力
でやろうとすると疲れるので、腰を使うのですが、もう全然ダメ。
二人の息を合わせるのも難しい。
その後は杵でつくのですが、これも手だけでやろうとするとすぐに
疲れてしまいます。それはわかっていて、腰と重力をうまく使うの
だと、自分に言い聞かせるのですが、思うようにいかず、すぐに疲
れてしまいます。
そうやって若い衆は皆すぐにヘロヘロになってしまうのに、70を過
ぎた老人達は淡々とつき続けるのです。疲れる気配ゼロ。見ている
と、全く動きに無駄がなく、腰をうまく使って、カラダ全体でつい
ている。ヤバいです。超カッコいい。参りました。そして、昔の人
達のカラダ使いの見事さに、心底尊敬の念がわいてきました。
つき終わって、餅を食べろと言われても、握力がなくなって、うま
く箸が使えない。その横で、淡々と飲み食いしているお爺ちゃん達。
ほんと脱帽でした。
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伝説の雀鬼による、頭でわかるより体でわかれ、みたいな感じの本。とてもわかりやすく、そして難しい。掴むのではなく、触れるということ。流れるように。
鍛錬でなったのではなさそう。「虎はもともと強い」という言葉が頭に浮かびました。
科学的ではなさそうなので、こういう本はハマり過ぎるとまずいなあと思いつつも、何か妙に説得力がある。
Posted by ブクログ
桜井さんの著書は、一見するとかなり感覚的で、悪く言えばうさんくさいのですが、なぜか信じたくなります。けっこう好きになってきました。
しなやかに生きていくための、上手な身体の使い方を教えてくれます。
つかむではなくさわる感じ、流れるように、自然なかたちを大切にする。力を抜くのが人間の本来の生き方。
人間と自然、文明の関係、そして癖の話も興味深かった。
麻雀が好きな人がなぜ身体論なのか、という根本的な疑問はありますが、個人的には一読してみる価値はあると思いました。
Posted by ブクログ
ギャンブラーが身体の事を語ることができるのか?という問いがある。
しかし、そのような問いなど全く無意味かのように、スパスパと本質を語っているように思った。
この本は、気功、体操、整体、の棚には無く、ギャンブルの棚にあった。ギャンブルと身体が繋がらないように感じたのだが、その面白さもあって購入した。
ギャンブルと身体の関連性については「触れる感覚」が大事であるということ。チャンスは掴んではいけない。チャンスは触れなければならないと言う。それは身体が固い状態で、掴みにいっては駄目だということ。体の流れを意識し、ゆるりと目的に触れる大切さ。それが大事であるということ。
筆者に気功、体操、整体の知識があるかどうかわからないが、それらをギャンブルでも意識しているという事実がある。専門用語を使うことによって表現される嫌らしさがなく、ごくまともな、自然な言葉使いが体への深い理解を生む。
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①ツキを呼ぶカラダの使い方は?
・体の力を抜いて素直になる→気持ちも正直に→流れに任せる
・目線を上にして遠くを見る
・「一口食べる」感覚で力を抜く
・部分的なトレーニングではなく全体でやるべき
②体の使い方で注意点は?
・循環を良くするため体を柔らかくする
・自然に触れる
③気づき
・いい仕草は流体の体から生まれる
・楽しみながら励む
・スポーツ時も力を抜く
・違和感が自然な感覚のヒントになる
・チャンスをつかむのではなく、チャンスに触れる感覚が大事
・断食、不眠で動物本能を呼び起こす
Posted by ブクログ
幸せをつかみにいくのではなく、そっと触れにいく。
私は自分のことを麻雀から愛された人間だと思っている。それゆえに牌から、人生の大事なことをたくさん教わることもできたと感じている。
といった言葉がすごく心に残った。