【感想・ネタバレ】物語 タイの歴史 微笑みの国の真実のレビュー

あらすじ

一三世紀以降、現在の領域に南下し、スコータイ、アユッタヤーといった王朝を経て、一八世紀に現王制が成立したタイ。西欧列強の進出のなか、東南アジアで唯一独立を守り、第二次世界大戦では日本と同盟を組みながらも、「敗戦国」として扱われず、世渡りの上手さを見せてきた。本書は、ベトナム、ビルマなどの周辺諸国、英、仏、日本などの大国に翻弄されながらも生き残った、タイ民族二〇〇〇年の軌跡を描くものである。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

「微笑の国の真実」というサブタイトル。しかし、19世紀以降、西欧諸国が東南アジアに進出してきたあたりからの「世渡り上手な国」の実情を知ると、「ほくそ笑み」の国と呼ぶ方が相応しいように思えてくる。タイの歴史の主なポイントは次のとおり。
1.中国の揚子江以南(四川から雲南)に出自を持つタイ族は11~12世紀頃、漢民族の居住域の拡大により南下・西進。チャオプラヤー川の流域に大ムアン(くに)を形成する。
2.アンコール朝(クメール族)が支配していたヨム河畔のスコータイをタイ族が奪う。こうして生まれたスコータイ朝(1240年頃~1438年)は、初めて現在のタイ領をほぼ支配下に置いたマンダラ型国家となった。
3.アユタヤ国(1351-1767年)は、アンコール国(クメール王朝)を滅ぼし(1431年)、スコータイ朝を服属させ(1438年)、アユタヤ朝(1438~1767年)となる。位階田制を整備し中央集権化に努める一方、ビルマとの間で熾烈な攻防を繰り返す。1569-84年、ビルマの属国となるが、ナレースワン王により独立を回復。
アユタヤは港市としても繁栄し、日本人町も形成され、有能な外国人は官吏にも登用する。1612年に長崎商館を介して、朱印船で長崎から渡っ山田長政はその一人。アユタヤは1767年、コウバウン国(現ミャンマー)の攻撃を受け滅亡。
4. コンバウン軍が退却した後タークシンは、アユタヤの再興を諦めトンブリーへ遷都。トンブリ―朝(1767~82年)を築く。バンコクを都とし、ベトナムと勢力争いを繰り返す。タークシンと同じ潮州(ちょうしゅう:広東省東部、多くの華僑を出す)系中国人商人の活動が活性化する。
5.アユタヤ王家の血を引くラーマ1世は、アユタヤをバンコクの地に復活させようと、トンブリー朝の対岸に、現在のラッタナコーシン朝(別名チャクリー朝。1782~)を築く。
6.19世紀には英仏による周辺諸国の植民地化という状況下で、モンクット王(ラーマ4世)は1855年にイギリスと不平等条約を強制され、王室独占貿易は崩壊。領土も「割譲」された(1909年に現在の領域が確定)。一方、タイの関税収入の増加のため代表的輸出品として位置づけたのがコメ。現在もコメの輸出量では、タイは世界1・2位である。
7.インドシナ半島の東部(ベトナム)をフランスが、西部(ビルマ)をイギリスが植民地化。両国の衝突を避けるため1896年、両国はタイのチャオプラヤー川流域を「緩衝地帯」とした(英仏宣言)。タイは日本と並びアジアで唯一植民地にされなかった国となる。チュラロンコン王(ラーマ5世)は英仏の緩衝国として独立を維持するだけでなく、積極的に上からの近代化政策=チャクリー改革を推進し、鉄道による領域統合を進めた。
8.第一次世界大戦が勃発すると、タイは洞ヶ峠を決め込む。戦勝国となって列強との不平等条約を改正するためである。1917年4月のアメリカ参戦により、連合国側での参戦を決める。
9.1932年の絶対君主制から立憲君主制への革命が起きる。以後、頻繁に軍事クーデタが生じる。
10.ピブーン首相が「大タイ主義」を掲げ、国名をシャムからタイに変更。第二次世界大戦も当初は中立を決め込み、日本と不即不離の関係を保ちながら失地回復を目論む。1942年1月に枢軸国側として連合国側に宣戦布告。しかし、宣戦布告に必要な3人の摂政の内1名が不在として、1945年8月16日に宣戦布告無効宣言を行う。
11.米国との協調により国際社会に復帰し、米輸出により復興する。
12.1949年の中華人民共和国の成立やベトナムの共産化の中で、反共を前面に出す。親米開発独裁政権(サリット・タノーム両政権)の下、外資導入型工業化を目指し、反共の地域協力機構ASEANを結成。これらは成功の一方で徐々に格差是正・民主化運動を活発化させてしまう。
13.2005年の総選挙に圧勝したタックシンは、世界的なグローバル化に伴う自由化、規制緩和の潮流の中、「世界の台所」「アジアのデトロイト」などのキャッチフレーズを掲げ、国際競争力を高めようとする。しかし権威主義に起因する諸問題の発生と「売夢政策」に対する国民的不信から、2006年9月に軍によるクーデタが起き、政権が崩壊する。

タイは「微笑の国」と呼ばれるが、東南アジアの社会では、笑いによって様々なコミュニケーションがとられている。人間関係が全てに優先するタイは、実は日本人と共通する点が多い(橘令「日本人」pp.18-32)。

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2018年01月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイを含めインドシナの国々へ、いつか行ってみたくて、
その成り立ちや構造の仕組みを理解する一助とすべく。

外国との関わり合いのなかでうまく立ち回ってきた、アジアの優等生、という著者の評価は、
たしかにあの笑顔のタイ人たちに、とてもよく当てはまる言葉だと感じさせます。
カンボジアやミャンマー、ラオス、マレーシアとの違いはどこにあるのか、といえば
それらの歴史に根ざしたアイデンティティにもないことはないのかも、と思いました。

また、先進国の中に名を連ね、近隣諸国や西欧各国との関係性を見直すべき地点に立っている、という点で、
日本との共通点が見出せます。

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2016年01月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
日本と同時期に近代化を歩みはじめ、東南アジアで唯一独立を守ったタイ。
時代に翻弄されながら生き残ったタイ民族一〇〇〇年の興亡史。

[ 目次 ]


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2011年04月02日

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