あらすじ
「西洋世界の挑戦に対してこの国が発した返答」の鮮やかなモデル・ケースとして、幕末日本のエリートの西欧文明に対するさまざまの知的・心理的・感性的反応と外国側の彼らに対する反響を探り出し、一八六二年の遣欧使節団の行動を評価し直す。従来、外交史家にしか顧みられなかった使節一行の諸記録は、ここに初めて興味深い記録文学としての姿を現わす。新文明に接して急激に自己変革を迫られる幕末日本の鼓動を伝える、比較文学徒の労作。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
徳川幕府は、その最末期の7,8年の間に、ほとんど一年おきないし連年という忙しさで大小の外交使節団を欧米に派遣したいました。
一番よく知られているのは、いうまでもなく日米修好通商条約の批准交換のため、1860年アメリカに行ったこと。
そして、第二回がこの本に描かれた1862年の遣欧使節で、江戸・大坂・兵庫・新潟の開市開港の延期をヨーロッパ諸国に認めさせることを主目的にしていたものである。
何しろ、極東の島国である長年鎖国を行っていた日本からの使節が当時のヨーロッパ諸国では大変珍しいものであり、歓待されたのである。
そんな使命を受けた日本の優秀な武士官僚が経験した様々なことが政治史の視点からではなく、比較文学者の視点で、残された文献で描かれた作品である。
福沢諭吉を始めとして当時の若者の感性が著者の観点で捉えられていた。
そして、後の歴史ではあまり語られなかった重要な史実を目にすることができるのです。
勝てば官軍のバイアスがかかり歪められた徳川幕府の真実が掘り起こされていて大変すばらしい作品でした。