あらすじ
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天主堂から原子野に鳴り渡る長崎の鐘――、それは今も、世界に向けて平和の響きを伝える。
戦後数多く出版された長崎の証言の中でも、本書は「人類史上もっとも貴重なノンフィクションの一冊」として多くの言語に訳され、『夜と霧』『アンネの日記』と並んで世界的な反響を巻き起こして、映画や歌謡曲にまでなった。
しかし永井隆博士が1946年8月脱稿した原稿は、当初占領軍司令部の発行差し止めを受け、米国防総省に送られ、条件付きで公刊が許可されたのは1949年1月になってからだった。
永井博士は3日間の救護活動が一段落してから、全焼した家で緑夫人の遺骨を拾い、2児の疎開先で医療隊を再編成。そして自らの白血病と不眠不休の救護をおして本書を綴った。永遠の人間愛が今もなお感動と共感を呼ぶ、全人類必読の書。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
当時の情景や傷を負った人々の身体の感覚が想像させられる。
これが小説ではなく著者の体験記録であることが受け入れ難いが、目を背けてはいけないと思う。
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長崎大学医学部内で原爆被害にあった医者のレポなんだけど、医者だから科学的な視点になったはだしのゲンみたいで凄かった。人の死がそこら中にあるリアル地獄絵図。
永井隆
明治41年(1908)に父 寛(のぶる)、母 ツネの長男として島根県松江市苧町(おまち)に生まれた。医師である父の影響を受け、恵まれた家庭で幼少年期を過ごした。昭和3年(1928)、医学を志し旧制長崎医科大学(現長崎大学医学部)に入学。在学中はバスケットボール部に所属。卒業後、放射線医学教室に在籍、放射線物理療法の研究に取り組んだ。昭和8年(1933)、満州事変に幹部候補生として出征する。このとき慰問袋の中にあったカトリックの書「公共要理」を読み大いに感銘を受け、帰還後カトリックに改宗、霊名「パウロ」を授かる。昭和9年(1934)、学生時代からの下宿先の一人娘、森山 緑と結婚する。
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「戦争で死んだ人たちは正直に自分を犠牲にして働いたのですからな。わしらも負けずによほど苦しまねばなりまっせんたい/わしは罪人だから苦しんで賠償させてもらうのが何より楽しみです。祈りながら働きましょう」
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被爆して一年も経たずして書かれた生々しく悲惨な戦争の記憶。それでも前向きに人生を捉えようとする永井隆博士の志に感銘をうけました。
今こそ改めて読むべき名著だと思います。
Posted by ブクログ
長崎への原爆投下当時、爆心地からわずか700メートルの場所にあった長崎医科大学で教鞭をとっていた永井隆博士。自らも被爆しながらも生き残った者たちと懸命に被爆者の救出、介護にあたる模様を記録した本。医者としての冷静に傷や病気を観察した模様も描かれており、医療記録としても貴重だと思われる。
涙が出てくるような感動的な話はない。どちらかというと何が起こったのかもわからないまま混乱し、狼狽する描写が続く。なにか相当な破壊力をもった爆弾にやられたらしいことはわかったが、状況を把握できないながらも、けが人の救助、火災からの避難と、なすべきことに邁進する。あたりに転がる無数の遺体。そこには教え子の顔も、同僚の顔もあり、悲しみがこみ上げてくるが、そんなことに気を取られる前に、ひとつでも救える命を救うという医師としての使命感で突き進んでいく。
原爆の話というと悲哀、痛み、憎しみ、虚無感漂うものが多いが、この『長崎の鐘』には医療従事者たちの勇壮な姿が見える。例えとしてふさわしいかわからないが、米ドラマの『ER』みたいだ。
この本、先にレポを書いた『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』のなかで、気になったことがあったので読んだ。それは永井博士の「原爆は神の御摂理」という思想だ。
とんでもない思想だ、という意見は当時も今もある。自分もそう思った。なんでそんなこと言ったのだろうと気になった。
本の中では、ある信者の問いかけに対して、この言葉は語られていた。
原爆により妻子を失ったある復員兵の問いかけ。たぶんキリスト教徒の土地である浦上に原爆が落ちて、諏訪祭神を祀る市内中心地の犠牲者が比較的少なかったという事実を受けてのこと。
「誰に会うてもこういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残ったものは神様から特別なお恵みをいただいたんじゃと。それじゃ私の家内と子どもは悪者でしたか!」
それに対する答えとして語られたのが「原子爆弾は神のみ摂理」だった。
神は罪深き人間の行いを嘆き多くの罰を与えた。日本以外でも多くの大聖堂が焼かれ、キリスト教徒が殺された。それでも神は許されなかった。浦上の地でも長いこと迫害が続いた、しかしとうとう原子爆弾を最後に神は罰をあたえることを止めた。
原爆で死没した人々は汚れなき羔(こひつじ)として神に捧げられたのだ。(だから天使に囲まれて昇天した) 生き残った被爆者たちには神がまだ試練をあたえているのだ。我々(被爆者)は天国への入学試験に落ちた落第生だ。
この考えはあくまで同じキリスト教を信じる同志に対して語られた宗教観であって、あくまでも魂を救うための説教なのだ。だから別に責められるべきものでもないと思う。この考え方で信者が絶望の淵から立ち直り、前を向けるならそれでいい。いうなれば救済のための方便だ。全世界に向けて普遍的なメッセージを発したわけでなはい。
問題なのは、この考えを戦争の正当性に当てようとする邪な考え方だ。
文面から察するに永井博士も原爆を否定している。原爆の悲劇は浦上が最後でいいと願っている。そもそも宗教人なんだから、だいたいのことは神のみぞ知るなのだ。
だからまだ根強い、原爆が必要悪だったという考えに同調する必要はないし、被爆国の日本人としては、そのような邪な考えを絶対悪として断罪すべきであることに変わりはない。
Posted by ブクログ
描写が生々しい。
どれだけ恐ろしい惨状だったか 伝わってくる。
様々の方の落下当時の様子、結果が書かれていて
勿論無事だった時、または亡くなった時。
本という形をとうしても、恐怖が伝わってきました。
この本、永井さんの本は後世に残していくべき本であると思う。
戦争は絶対あってはならない、原子爆弾また水素爆弾等
そのような兵器は必要ない と思う。
被爆者の体験というのは、世代交代が進む中で
本当に大事な事だと思う。
10代の私達の次は おそらく戦争の体験を生の形で聞くことは
ほぼ不可能でしょう。
だからこそ、このような本が大事だと思う。
Posted by ブクログ
原爆の恐ろしさ、永井隆博士の医師としての信念の強さがわかる。キリスト教としての考え方で、これは平和を無視した罰だと捉えているのが心に残った。こんな経験があるのだから無かったことにして戦争を始めるのは絶対にダメだと思った
Posted by ブクログ
本書は戦争小説ではなく、戦争”記録”のような印象です。
当時は出版にあたってアメリカ国防総省の許可が必要だったそうで、その所為か内容は医学書寄り。
そういう意味でもとても勉強になります。
機会がありましたら、是非長崎にあります永井博士の如己堂に足を運んでみて下さい。
宗教関係なく、彼の人柄と復興への貢献には本当に頭が下がります。
Posted by ブクログ
医師で放射能の専門家(レントゲン技師)であった著者が被爆し、後遺症と戦いながら生きてゆくドキュメンターリー。
被爆時の激しい風の描写が、まるでそこにいるように感じられる程、生々しく恐ろしい。
Posted by ブクログ
「この子を残して」に続き、青空文庫で読んだ。
原爆投下の瞬間からはじまり、自ら被爆しながら直後の混乱のなかの救護活動、医師ならではの被爆者たちの克明な症状変化の実態、そして無条件降伏の詔勅、そして‥。
これは、高貴な精神の、慟哭の記録である。
Posted by ブクログ
長崎の原爆で九死に一生を得た医師の手記。建物の下敷きになったまま炎が迫り、最期に歌をうたって死んで行った学生とか、死に様の話はただ不幸なだけじゃなく、読みいってしまった。
原爆が起きた直後に、お互いに助け合い、冗談も言い合い、自分の命の危険を知りつつも他の人を助けようとした人の強さに脱帽。特に、戦争に負け、すべてを焼かれた人たちがどうして、無気力状態からたくましく立ち直れたのか、学びたいと思うほど。
原発事故を起こした今読むと、また違った感想もあり、放射能って意外とあっても大丈夫なものかもと思ったり。当時の長崎には、75年住めないという噂が流れたらしいけど、そろが本当ならまだ住めないはず。今、広島や長崎の原爆の話は毎年報道されるのに、どれくらいの放射能が残存しているのか、とか今も残るかもしれない影響については誰も検証しないのはちょっと怖いと思った。
Posted by ブクログ
長崎原爆の体験を通じた報告書、ということらしい。著者は医師で原爆投下直後の被災地で救護活動を行っており、“医師の視点で見た原爆投下直後の状況”というのがまた新鮮で臨場感がある。
読後の感想は、著者とその周囲の学ぶ意欲には本当に驚嘆した。原爆投下後の状況で、あの爆弾はなんだったのかと夜通し議論したり、一人一人の犠牲者が今後の医学の進歩のためのよいサンプルなのだといい奮い立たせる場面。不謹慎と感じる人は感じるかもしれないが、大学も焼け落ち何もかもを失った彼らがまた一から研究を立て直そうとする姿には、感動すら覚えた。
Posted by ブクログ
原爆が落とされた時の様子がわかる。
悲惨な中でも、医療従事者としての役割を果たそうとする姿に胸打たれる。
竹槍と原子力を比べるところ、
敗戦してもなお、やり返すことを考えてる人を諌めるところ、
原子時代、この力をどう使うかは私たちにかかっている。
Posted by ブクログ
長崎に原爆が落とされたその瞬間からの状況が長崎大学医学部の部長目線で描かれている。空襲に慣れていた当時の人々ですら原爆の威力に驚いていた。光とともにとてつもない爆風が押し寄せ、気付いた時に建物は吹き飛ばされ周りの人間は黒焦げになりまさに荒廃した土地へと変貌するその様は想像を絶する。そんな中でも自身が被曝しているにもかかわらず医師として傷病者を手当していく長崎大学医学部の人たちはまさに医師の理想像だ。特に日本が無条件降伏をしたと知らされてもうこれ以上手当をして国力を回復する意味がないと皆が思う中立ち上がり往診に行くのはほんとにすごいことだと思う。長崎が最後の被爆地になることを切に願う。
Posted by ブクログ
『かっと光り、どっと潰れた。』
被爆体験者である医師が、自身の経験をもとに戦争の悲惨さを訴える。とにかく、描写がこれでもかというくらいに生々しい。主体を限定せず、キャラクタに全く重み付けを行っていない点も、原爆の突発性と無慈悲さを表現するのに一役買っている。どんな人間でも、本書を読めば、戦争について何かしらの心証を抱くはず。それが必ずしも綺麗な感情じゃないにしても。何も思わなかったとすれば、それは字が読めないか、あるいは、空前の空腹でそれどころではない人だろう。
医者の観点から見た原子爆弾というのは、実は中々なかったように思える。仮に自分が医師だったとして、かかる事態に直面して、救護の意思以外に著者の抱いたような感情を抱くことができるだろうか。否、できないから志さなかったのだろう。