【感想・ネタバレ】風土-人間学的考察のレビュー

あらすじ

風土とは単なる自然環境ではなくして、人間の精神構造の中に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない。こうした観点から著者はモンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型を設定し、日本をはじめ世界各地域の民族・文化・社会の特質を見事に浮彫りにした。今日なお論議をよんでやまぬ比較文化論の一大労作である。 (解説 井上光貞)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

著名な哲学者、和辻哲郎さんの著作『風土』。 元々地理に興味のある私からすると、かなり難解ではあるものの、地理、世界史の広い分野における、知識と観点、様々な示唆と課題を与えて頂くことができた、今回の読書であったと思います。

私の主観ですが、1900年代前半に世に現れた本書は、日本語としては、現代のそれと
甚だかけ離れてはおらず、その点に関しては読みやすかったです。しかし、和辻さんの天才的、詩人的感性から生まれ来る洗練された言葉の一つ一つは、長く連なることで、非常に難解な壁となって眼前に迫ってくるように感じました。

しかしながら、その点を踏まえても、この本が、長い年月を経ても尚、岩波文庫の書物として世に存在しているからには、古典的な価値があるということに違いはないだろうし、読んでみると、生意気ながらもその面について感じるものがありました。

具体的な内容のうちに、この本の大きな軸になる、風土性から来る民族的な性質というものがあります。

例えば、

日本の気候は、大別するとモンスーン地帯に属するが、夏には突発的な台風が、冬には大雪が訪れるという特殊性を持っています。
和辻さんは、この日本の気候が持つ特殊性に着目し、この台風と大雪の並存するような熱帯性、寒帯性の二重性、台風に見られるような季節性、突発性の二重性は、モンスーン地帯に住む人々に共通する受容的、忍従的な性質に特殊な条件を与え、
“しめやかでありつつも、突如、激情に転じ得る如き感情、戦闘的な恬淡”というような、“国民的性格”を生み出したとみています。
このように、風土の中では民族の性質を風土側からのアプローチによって明らかにしようとしています。こうしたアプローチの中には、環境決定論という今の地理学界ではタブーとされる考え方が含まれるそうですが、それにしても、風土からの人間社会解明のアプローチは意味深いものだと思います。
その理由は、『風土』の中にちりばめられた言葉の端々から、和辻さんの多文化を尊重する気持ち、すなわち、平和への願いと言い得るものが感じられたことに関係しています。

決して先進国的な要素が強いから幸せではなく、人道的な見地からみた、その土地、その風土に根ざした、自然な平和的生活そのものだって十分に、絶対的に幸せであることに、私自身、異論はありません。
その意味で、もっと原始的生活や、それに近しい文化を尊重し、大切にしなければいけないと思いますし、もっと言えば、他人に自分の幸せ、価値観をもって迫ってはいけないなと思いました。

あくまでも私自身の解釈に依りますが、世界的な単位からみた時の、細胞にあたる私達一人一人が、他人の幸せを尊重できることが、大小関わらずに、平和に繋がる一つの大切にしなければいけないアプローチの仕方だと、この本は教えてくれたのです。

その意識と同時に、自らの生まれ育った風土をも尊重し、その長所や短所を冷静に認めた上で、他文化(多文化)の理解をし、その長所を自らのうちに活かしていくべきであると思いました。

つまり、日本人であることに誇りをも持ちながらも、欠点を受け止めて、他文化を正しく理解して吸収していくことが、健全な自己を作り、これからさらに進むグローバル化(世界の均質化)の波に乗っていく中で大切なことであると考えるのです。

長くなりましたが、広く、人文系の学問、特に歴史、地理学系に興味のある方や、世界についてもっと知りたい!方には特にオススメです。

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2019年04月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

地誌学の目指すべき姿。既存タグに民俗学とあるが、せめて民族学なら理解できる。個人的には、四章が興味深い。庭園芸術の比較、日本庭園における釣り合いの連関および組織的統合と、五章で比喩された個々の文字と単語の関係、つまり意味を持つのは文字ではなく単語であるという表現は示唆的だ。外に現れた姿で内なるものを示す、文字の連結から意味を理解する方法が、本書の立場と言えば分かりやすいかもしれない。表音文字ではない表意文字である漢字を組合せている我々の仕方は、日本庭園の釣り合いの構造と連関すると言えるだろう。

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2013年06月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

高校生時代の「倫理社会」の先生が、”和辻哲郎の「風土」を読む”という課題を我々に与えたことを思い出した。先生の意図は全く覚えていないが、難しくて途中で投げ出したのは事実。それで今回リベンジのつもりで読みだしたものの、やはり今回も第三章まででリタイヤした。

章立ては次の通り。
序  言
第一章 風土の基礎理論
 一 風土の現象
 二 人間存在の風土的規定
第二章 三つの類型
 一 モンスーン
 二 沙  漠
 三 牧  場
第三章 モンスーン的風土の特殊形態
 一 シ  ナ
 二 日  本
   イ 台風的性格
   ロ 日本の珍しさ
第四章 芸術の風土的性格
第五章 風土学の歴史的考察
 一 ヘルデルに至るまでの風土学
 二 ヘルデルの精神風土学
 三 ヘーゲルの風土哲学
 四 ヘーゲル以後の風土学

著者は、この「風土」に関する考えを、ハイデッガーの「存在と時間」から発展させたようだ。同書を読んだことがないので、本当のところはよくわからないが、ハイデッガーは人の存在の構造を「時間性」として把握したのに対し、著者は「空間性」として把握することを試みたようである。

本書で「風土」の定義は、「土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称」とされており、これが「時間性」に対する「空間性」を意味しているのだと思う。

第一章からやや難解に感じた。「風土の基礎理論」であるから、これが本書の前提なのだろうと思うが、著者の個人的見解のようにも思えるし、理論というには一面的なとらえ方のようにも感じた。

「寒さ」の感じ方を例にとって、人によって「寒さ」の感じ方が異なることを述べていたように思う。「寒さ」はデジタルに気温などで表現可能であるが、人によってその感じ方が異なる。しかし、同じ土地で暮らす人々=複数の人)に共通の感じ方(=共有できる感覚)があるということを述べる。

自然科学的な実験結果として明らかになった「寒さ」というよりも、その土地の地味とか地形とか景観などが影響して、すなわち「風土」が影響して、その土地の人々に共通に感じられる「寒さ」である。このことを、本書では「風土における自己了解」と言っているようだ。

ある地域の人間の「寒さ」に対する自己了解は、家屋の様式に現れたり、着物の形に現れたり、火鉢や炭焼きなど「道具」の形として現れるという。道具というのは、複数の人の感覚の共有の証明であるという。

そして道具に見られるような「風土の影響による人間の自己了解」はさらに、文芸、美術、宗教、風習、あらゆる人間生活の表現のうちに見出すことができると述べている。

ハイデッガーの考えも踏まえ、人間の存在構造を時間性のみならず空間性からも把握することを、「歴史と離れた風土もなければ、風土と離れた歴史もない。」と表現している。

この考えを前提として、次章では、著者が主だった風土をもつ地域として3つのエリアを選定して述べている。
それが「モンスーン」「砂漠」「牧場」のエリアである。これらの三つの風土から生まれる「人間の自己了解」とはいかなるものかの著者論を展開している。どのような文化が生まれ、どのような美術が生まれ、どのような宗教が生まれるのかをロジカルに述べている(ように思えるが、ロジックをとってつけたように感じる部分もあるのは私だけだろうか)。

本稿は、昭和3年の執筆であるが、当時著者がこの代表的な風土を持つエリアを実際に訪れながら、人間学的観察をしたことをまとめたものと思われる。紀行文+地理学的な発想+民俗学的な発想をミックスして、エッセイに仕上げたという感じである。第一章よりは読みやすかった。

モンスーンとは、夏に南西から、冬に北東から吹く季節風のことで、日本を含むその季節風の影響を受けるエリアの風土論を展開する。その特徴は夏の湿気に含まれる耐え難い不快感と、さらに一つは、台風、大雨、または洪水、旱魃などの人間が対抗できないような自然災害の多さである。

このような風土の特徴から、このエリアで生活する人々は、「受容的」であり「忍従的」であると著者は結論づける。日本人やインド人の受容性、忍従性から、どのような文化、どのような建物、どのような宗教が生まれたかについて述べていく。

モンスーンという風土の代表として、日本人も含みつつ、インドの人々の特徴を考察し、戦闘よりも智慧の力を重視する性質、推理的ではなく直感による情的思惟(大乗仏教などに続く)、無抵抗主義的な闘争(つまりは非暴力・智慧の戦い)などが、この風土から生まれた特徴と述べていた。

次に「沙漠」について。desertという言葉が表す「荒れ地的な風土」(必ずしも砂漠に限らず、海や山の荒廃した地形をも含む)を取り扱っている。この沙漠をイメージを著者は「死」のイメージでとらえている。

沙漠(死)の中に存在する生との接点=オアシス的なものの獲得に、人々は命がけであり、その争奪のための部族間での戦闘が始まるという。従ってある部族という共同体に属するという行為は自身の生死を分けることに直結する。つまり、この風土に生きる人々は、その共同体への服従と、対立する部族との闘争という二つの側面をもつという。この風土における人々の性質は「服従的・戦闘的」の二重性格であるという。

この風土の中から生まれたフィフィ教(回教)やユダヤ教は、絶対服従的・戦闘的な性質を含んでいるという。

3つめの「牧場」について。著者は「一般にヨーロッパの人間の文化がいかに牧場的であるかを考察する」と述べている。

著者がいうこの地の特徴は、「湿潤と乾燥の総合である」という。すなわち、モンスーンという風土の特徴と沙漠という風土の特徴の総合であると言っている。この地で暮らす人々は放牧やオリーブ栽培、ブドウ栽培などで、自然と融合しあいながら暮らしている様子を紹介している。その姿は、自然に忍従する必要も対抗する必要もなく、自然と融和しているイメージだ。

ヨーロッパの「湿潤と乾燥の総合である」という特徴かから、古代ギリシャでは静的でユークリッド幾何学的、彫刻的、儀礼的な文化が生まれたといい、近代西欧からは、動的、微積分学的、音楽的、意志的な文化が生まれと述べている。

3つの代表的な風土とそこで暮らす人々の性質、そしてまたそこから生まれた宗教、文化などには異なる特徴がみられるということを述べるとともに、相互の風土の短所・長所を自覚し、学ぶことによって、それぞれの風土の限界を超えて成長していくことができるのではないかと述べている。この目的観は良い発想であると思った。

第三章では、「モンスーン的風土の特殊形態」として日本の風土について述べている。

台風的忍従性として、「生への執着」からさらに「生への超越」の特徴を述べていた。桜のように散るという発想は、「生への超越」からくるものか。

あるいは親のため、家族のために一生を犠牲にするというのも「生への超越」から来た特徴か。

西洋の家の構造と日本の家の構造の違いの話が興味深かった。西洋では家族で住む家において、個室に鍵をかける。すなわち個人主義である。一方日本においては、家の玄関に鍵をかけるのであり、家の中は「うち」、家の外は「そと」という区分である。これは家族に個人が埋没した発想である。

あるいはこの発想の発展系として、日本国民は一同に「うち」、外国は「そと」という発想に拡張することにより、国民を国家の犠牲と考えた時代があった。そういう発想に陥りやすい風土であるということであろうか。

日本の歴史を振り返った記述があった。
①神話・伝説の時代(古墳時代)は、祭司の権力に個人は伏していた。
②大化の改新の時代は、天皇の権力に個人は伏していた。
③封建的組織の再興の時代は、君主の権力に伏する時代であった。
④戦国時代は、支配階級がくつがえされる時代であった。
⑤明治維新は、再び中央集権国家となり、天皇に伏する時代となった。

本稿は、明治維新後、西洋文化を取り入れ、鉄道や自動車が日本で見られる時代となった昭和初期の執筆である。著者は、その光景を見て違和感を感じる。風土の異なる地域から、その風土の産物である道具としての電車や自動車を取り込んだことによる違和感であろう。

しかし時代とともに、電車や車の違和感はなくなった。もはや風土的特徴をもつ道具ではなくなったということだろう。

著者の考察は、一見独断的なように見えるけれども、例えば代表的な3つの風土に暮らす人々の性質は、妥当であるようにも感じられ、しかも現代においても通用するようにも感じられる。国民性といわれるものに近い、地域性のようなものだ。

少々記述が古くて、現代に当てはめて考えることが難しいと感じるが、文化等の発祥の考え方としては面白く読めたと思う。

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2023年06月16日

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