あらすじ
風土とは単なる自然環境ではなくして、人間の精神構造の中に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない。こうした観点から著者はモンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型を設定し、日本をはじめ世界各地域の民族・文化・社会の特質を見事に浮彫りにした。今日なお論議をよんでやまぬ比較文化論の一大労作である。 (解説 井上光貞)
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大昔教科書で少し読んだ記憶があるが初めて通読。今更ながら哲学者和辻の観察、考察、審美眼がものすごい。インド人アラビア人エジプト人はもとよりギリシャ人ローマ人中国人そして日本人の考察には舌を巻く。
沙漠(砂漠ではない)的人間は他の多くの人間を教育した...その特性ゆえに他の人間よりも深く人間を自覚したからである。南欧の明朗と西欧の陰欝を含む楽土的な牧場的風土により西洋人にとって自然は単調で征服する対象であり、合理性、理性の精神を育んだ。風土による中国人の無感動性、無政府的な性格は中国民衆を最大の不幸にまで追い込んでいった。中国の文化復興は世界の新しい進展にとって絶対必要であると和辻は言う。
台風大雪をはじめとする過酷かつ豊穣な自然環境への忍従性そして桜の花に象徴される日本人の気質は熱しやすく冷めやすく、しめやかな激情と戦闘的恬淡を育んだ。また、日本人には「家」があるが西洋人にはただ個人と社会がある。日本人には社会への関心、繋がりが弱く、政治への関心も低い。日本人の重要な「間柄」が「家」であるが、それを拡大し国家を天皇を宗家とする大家族とすることには無理があるとしている。後年太平洋戦争で多くの悲劇がそこから生まれた事実は重い。日本においては「家」の精神的構造によっても、公共的なるものへの無関心を伴った忍従が発達し、欧米においては公共的なるものへの強い関心関与とともに自己の主張の尊重が発達した、デモクラシーは後者において真に可能となるという。最終的にはヨーロッパ人と日本人との比較に当たり前に力点が置かれている。
論陣は芸術的比較論にも及ぶ。ギリシャ~現代ヨーロッパ芸術の特徴を合理的規則性とし、東洋の芸術の「まとめ方」はそうではない。ヨーロッパ人工庭園と日本の自然庭園が象徴するように。
最終章はヘルデルからカントヘーゲルマルクスら観念論哲学者における風土哲学の解釈、変遷についての考察。
もとより本書は比較文明論であり「人間の存在の仕方」について述べられた哲学書でもある。自分とは、我々とは、かの国の人々とは何者か。自己と他との違いを理解してはじめて自身を自覚する、特に自身の優越性を自覚するわけであるから。またそれは風土的歴史的に限定されていると和辻は言う。己の性格を認識することはその限界を超えて進む道をも悟る、また己と異なる性格を理解し他の長を取って己の短を補う道をも開く。日本人の政治的無関心、公共への無関心は大変な問題であると思うが、その構造を理解しなければ矯正のしようもない。折々、己の文化的側面の来し方を振り返ることは重要であろう。
読後感としては、これらの思索において日本人的精神に対する著者の深い愛情と誇りが感じられ、的確な考察に古さは全く感じない。ただ、世界との距離が急激になくなってきた今後の社会において風土性の重要性や価値がどう変化していくかが非常に興味深いテーマではある。
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風土と人間的素性の関係がよくわかる。風土が違うのだから違って当然でそこに優劣がないという西洋中心主義に対する批判が見える。旅行でその土地の風土と人の関係性を感じたいと思った。
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著名な哲学者、和辻哲郎さんの著作『風土』。 元々地理に興味のある私からすると、かなり難解ではあるものの、地理、世界史の広い分野における、知識と観点、様々な示唆と課題を与えて頂くことができた、今回の読書であったと思います。
私の主観ですが、1900年代前半に世に現れた本書は、日本語としては、現代のそれと
甚だかけ離れてはおらず、その点に関しては読みやすかったです。しかし、和辻さんの天才的、詩人的感性から生まれ来る洗練された言葉の一つ一つは、長く連なることで、非常に難解な壁となって眼前に迫ってくるように感じました。
しかしながら、その点を踏まえても、この本が、長い年月を経ても尚、岩波文庫の書物として世に存在しているからには、古典的な価値があるということに違いはないだろうし、読んでみると、生意気ながらもその面について感じるものがありました。
具体的な内容のうちに、この本の大きな軸になる、風土性から来る民族的な性質というものがあります。
例えば、
日本の気候は、大別するとモンスーン地帯に属するが、夏には突発的な台風が、冬には大雪が訪れるという特殊性を持っています。
和辻さんは、この日本の気候が持つ特殊性に着目し、この台風と大雪の並存するような熱帯性、寒帯性の二重性、台風に見られるような季節性、突発性の二重性は、モンスーン地帯に住む人々に共通する受容的、忍従的な性質に特殊な条件を与え、
“しめやかでありつつも、突如、激情に転じ得る如き感情、戦闘的な恬淡”というような、“国民的性格”を生み出したとみています。
このように、風土の中では民族の性質を風土側からのアプローチによって明らかにしようとしています。こうしたアプローチの中には、環境決定論という今の地理学界ではタブーとされる考え方が含まれるそうですが、それにしても、風土からの人間社会解明のアプローチは意味深いものだと思います。
その理由は、『風土』の中にちりばめられた言葉の端々から、和辻さんの多文化を尊重する気持ち、すなわち、平和への願いと言い得るものが感じられたことに関係しています。
決して先進国的な要素が強いから幸せではなく、人道的な見地からみた、その土地、その風土に根ざした、自然な平和的生活そのものだって十分に、絶対的に幸せであることに、私自身、異論はありません。
その意味で、もっと原始的生活や、それに近しい文化を尊重し、大切にしなければいけないと思いますし、もっと言えば、他人に自分の幸せ、価値観をもって迫ってはいけないなと思いました。
あくまでも私自身の解釈に依りますが、世界的な単位からみた時の、細胞にあたる私達一人一人が、他人の幸せを尊重できることが、大小関わらずに、平和に繋がる一つの大切にしなければいけないアプローチの仕方だと、この本は教えてくれたのです。
その意識と同時に、自らの生まれ育った風土をも尊重し、その長所や短所を冷静に認めた上で、他文化(多文化)の理解をし、その長所を自らのうちに活かしていくべきであると思いました。
つまり、日本人であることに誇りをも持ちながらも、欠点を受け止めて、他文化を正しく理解して吸収していくことが、健全な自己を作り、これからさらに進むグローバル化(世界の均質化)の波に乗っていく中で大切なことであると考えるのです。
長くなりましたが、広く、人文系の学問、特に歴史、地理学系に興味のある方や、世界についてもっと知りたい!方には特にオススメです。
Posted by ブクログ
[ところの視点]人間は特殊な「風土的過去」を背負っていると主張し、モンスーン地帯、砂漠、牧場の三形態を基に、その影響を考察した一冊。優れた直感に基づいた諸文化との比較から、今日においても読み継がれる日本文化論の代表的作品です(初版の刊行は1931年)。著者は、『古寺巡礼』でも知られる和辻哲郎。
解説で述べられているとおり、数々の観点からの批判が可能な作品ではあるのですが、その着眼点の新鮮さ、そしてすっと胸に落ちてくる説得力は今日的魅力を多分に有しているかと。抽象的故に理解が難しい箇所が散見されたのですが、上記の風土の三形態をシンプルに読み比べるだけでも、本書の主要なエッセンスは十分に吸収できるのではないかと思います。
和辻氏の世界観として、「いくつかの小世界が存在する」という根底が存在していることが本作からは読み取れます(風土を「比較」するという点においてそうなることは必然でもあるように思えますが......)。その小世界の区切り方として世界の風土をどのように和辻氏が切り取ったか、また切り取っていないかを知ることができるのも本書の魅力の一つだと感じました。
〜人間が己れの存在の深い根を自覚してそれを客体的に表現するとき、その仕方はただに歴史的のみならず風土的に限定されている。〜
考えるヒントを与えてくれる良作☆5つ
Posted by ブクログ
社会や文化を学ぶなら一度は通る本!
モンスーンがある、雨が多いなど風土の特色が社会文化の基本になっているという論について書かれています。
全てが正しい論理ではないと言われていますが、それでも考え方としては面白いですし、全く見当違いではないはずです。
うさぎや自治医大店 田崎
Posted by ブクログ
情報を読む力 学問する心などリファレンス多数。「寒さ」「冷たさ」などの言葉に人が反応する感覚は、単に気温が低いというのもあれば、風が強い、乾燥している、雪が冷たいなどそれぞれが在り得るわけで。
その他にも「神」や「芸術」など、こうした言葉と感覚のもつギャップを、主にシルクロードを遡る形で拾い集めていく本書を通じて著者が浮き彫りにしたかったのは、日本の四季が、我々にもたらすものが如何に多様かという点ではないだろうか。
発刊と同時に批判があったという点も、一般化という観点から言えば頷ける部分も多いにあるが、それは本書を単なるフィールドワークと履き違えているが故であろう。
本書が指すのは、文化風俗の形成プロセスに対する仮説という、科学的アプローチと言える。
Posted by ブクログ
地誌学の目指すべき姿。既存タグに民俗学とあるが、せめて民族学なら理解できる。個人的には、四章が興味深い。庭園芸術の比較、日本庭園における釣り合いの連関および組織的統合と、五章で比喩された個々の文字と単語の関係、つまり意味を持つのは文字ではなく単語であるという表現は示唆的だ。外に現れた姿で内なるものを示す、文字の連結から意味を理解する方法が、本書の立場と言えば分かりやすいかもしれない。表音文字ではない表意文字である漢字を組合せている我々の仕方は、日本庭園の釣り合いの構造と連関すると言えるだろう。
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書かれた時代を念頭に置く必要があるが当時の日本文化の独自性や日本人(民族?)のものの考え方の根底に流れるところを解き明かそうとするもの。グローバル化が進む現代においては、異文化の尊重と自分の文化の認識が、必要である。戦前に書かれたこの本であるが、このメッセージを読みとった。
Posted by ブクログ
もう少しわかりやすく書ける筈だと思う。九鬼周造などのがわかりやすい。やはりモンスーン・砂漠・牧場と分けたコンセプトが秀逸で、それ以外はどうなのか。中国論や日本論は時代を感じさせる。一部は極論と思うし、稲作を指摘しないのも確かに片手落ちではないか。
Posted by ブクログ
民俗学を勉強し始めて、地理に関する考察も必要とわかってきたところに読んだのが本書。
風土や地理によって歴史を見る、文化の発展を考察する。
自分は民俗学の勉強を深めるために読んだが、どちらかというと比較文化の方が近い。あと哲学的要素も多く、文体も哲学っぽい。認識論とか形而上学とか…。
○自分の住む世界がどういうところなのかという認識は、他の地域・世界を旅してこそ認識できる。→たくさん旅をして最後に故郷に戻り故郷と感じた坂口安吾と通じるものを感じた。
○それぞれの民族部族は、そこに生きる土地、風土でその性格が規定せられる。生き方、文明、文化の生まれる素地もどのような風土で生きているかで決まる。
→私自身としては、部族とか民族とかそういうものに自分が所属しているような認識はないけれども、個人としても集団としても、そこに生まれた土地に縛られるということは今も変わらないと思う。例えば田舎か都会か、など。
○ 風土がその民族の性格を決定するという基礎に基づいているが、ちがう性格の民族から良いところを学び自らに取り入れることはできる。しかし住む土地は変わらない。
性格とは何か。生きるためにどう自然と付き合うか或いは克服・征服するか。寒さをしのぐであるとか、食べ物を求めて遊牧し他国を征服するとか。風土に応じた自然の克服の仕方を通して文明や芸術がうまれる。
○うちとそと 家内とか宅という家と家の外=世間とを分けるのは日本の特徴。家の作りも襖で仕切るのみ。うちとそとの分け方では個人の区別は消滅する。(ヨーロッパは自室に鍵をかけるが家自体の出入りは開放的なので個人という区切りの次は家ではなくもっと開かれた地域)
→外に対しては必ず戸締りをする…と述べているが田舎だと戸締りしないし近所の人も敷地内には気軽に入ってくる話を聞く。戸締りをしない村落は村の中での区別が消滅する単位になるということか?と解釈してみる。
○日本人の性格を表す言葉としてしめやかな激情。と表現している。
→特攻をした兵士、天皇万歳で自殺した人、国歌斉唱を拒んで自殺した人、切腹した武士それぞれに通じるものなのかと読んでいて感じた。
○これも日本人の特徴として、社会のことは自分のことではないのである。公共的なるものをよそものとして感じている。
→日本人の政治への関わり方としてなるほどと思った。けして満足してはいないが投票率は高くない。外国で見られるような大規模なデモは起こりにくい。
○人間だけではなく、大地も生である。地球は絶えず変化し、大地が変わればそれは人の生活にも影響する。
後半では筆致がダイナミックというか人の感情に訴えかける書き方で印象に残る。
結び…民俗学で地理風土の重要性はよく認識できた。文化の規定についてはそれは飛躍してないか?って思ったところもいくつかはあった。
Posted by ブクログ
和辻哲郎 「 風土 」風土(気候)が 人間の気質に影響し 文化を形成するとした本。日本人論としても読める。特に面白いのは 「日本人の家(ウチと外の関係)」「気合いの日本芸術」「日本人のモンスーン的な受容性と忍従性」
日本人の家について
*個人と社会の間に家がある
*家(うち)は 外に対して区別→家の内部で室の独立はない→門や垣根が外と区別し 玄関で脱ぐ
*社会のことは 自分(うち)のことではない
気合いの芸術(日本庭園、能楽、茶、歌舞伎)
*無秩序な自然に 自然の姿を見た→人工を自然に従わせる
*我々の感情のバランス(気合い)において 全体が統一→気を合わせるために 規則性は回避
*自然の不規則性、不合理性→自然は征服できないもの→自然とともに生きる
日本のモンスーン的受容性/感情は活発で敏感→疲れやすく持久力がない→疲労は 休養でなく 新しい刺激により癒される
日本のモンスーン的忍従性/あきらめつつ 反抗しながら 気短に辛抱する
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非常に面白かったです。
風や雨がもたらす恵みや災い、その土地の環境そのものが人類に多様な影響を与えてきた。
砂漠やジャングルや温暖な地域、寒冷地など環境に応じて生活様式や思考方法が培われ、更に発展して宗教や芸術を生み出していく。
ローマの繁栄やギリシャの芸術性、アラブなど砂漠地帯の思考方法などを紹介してくれています。年代的に硬い文章ではありますが、豊潤で濃厚な表現で綴られていて読み進めるほどに興味をそそるいい本でした。
やはり日本の章には驚きと発見が多く、とても面白かったです。さすがに書かれた年代が古いので読み進めるのは苦労しましたが「こんな年代にこういう考察をしていた人がいたんだなぁ」って、そんな印象が自分にはとても面白かったです。
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弟くんのオススメ本。
「日本人の特性がどこからどうやって形成されたのか、知りたい~!」と騒いでいたら、勧められたのがこの本。
気候を3つの類型に分け、そこからそこに住む人の特性を導き出そうという試み。
外的環境が人の特性に影響を与えるというのは、感覚的に納得できる。
特に日本と中国の考察については、とっても興味深く読みました。
中国に対する印象など、「ああ~分かる!なるほど~!」と納得することしきり。
ただ、それだけで全て説明するのは無理があるような…。
的もやもや感は、解説にきっちり指摘してあってすっきり。
全面的に賛同するのは難しいけど、一読の価値アリ。面白かった。
Posted by ブクログ
人間の性質は風土で決まるかどうか?を、「砂漠」「湿潤」「熱帯」の3種類の風土に分けて比較検討した本。ちょうどモロッコから帰国したてで読み、「砂漠」風土から生まれる人間の性質が、私が見て来たモロッコ人と多くの点で似ていたので、とても興味深く読めた。ちなみに日本人は、この本で言う「湿潤」に属するそう。独創的な文化人類学論。
Posted by ブクログ
和辻哲郎が風土によって国民性が変わると説く本。
まず、世界を3つの気候区分に分ける。
ヨーロッパ型の牧場。
オリエントや中東を含む、砂漠。
アジアを含む、モンスーン。
ヨーロッパ型の牧場は、気候が穏やかで自然は統治しやすいため、技術で自然を押さえつけられるため、合理的な考え方に。
砂漠は、その気候に対抗しないと生きていけないため、攻撃的な性格に。また一神教も生み出す。
モンスーンは湿度が高いため、恵みも多いが天候が急変しやすく、旱魃や洪水で飢饉も起こるため、自然に対して忍従する性格になった。
Posted by ブクログ
気候区分で世界を分け、実在論的視点で
その風土がそれぞれの文化、思想構造にかかわりを
及ぼしているかを論じた。
西田幾多郎の禅的な実在論とならべ
近代日本の哲学的支柱となっていると思う。
気候区分などで、批判はあるが、
1990年以降の里山の自然環境など
モンスーン気候の東端にある日本の文化的価値を
国際的に高める上で再評価されていい。
とくに、和辻以降、まとまった風土的視点で
日本の多様な言語的環境論を述べたのが
フランス人のオギュタン・ベルグであることを考慮するとベルグの投げかけに応えるべきタイミングにあると思う。
Posted by ブクログ
実は読んでなかったが、内容を何となく知っているために読んだつもりになっていた本。
巻頭、フッサールやハイデガーを踏まえた現象学的な記述で始まり、意外と哲学的な本だったか、と思ったものの、そのあとは文化論。
後半のほうに出てくる「うち」「そと」の区分と、「家」を中心とした日本文化の特色を論じた部分が面白い。このへんはその後の大量の「日本人論」の嚆矢だろう。
確かに小集団を「家族」的なものと見なす雰囲気が日本には強い。「学級」から、会社もお役所もそうだ。そういえばこの構造は、『フィロソフィア・ヤポニカ』の中沢新一=田邊元的な「種の論理」に該当するものではないだろうか。良い悪いは別として、アメリカ人などとは明らかに違う文化傾向だ。
この本には各国文化の芸術を論じた箇所があるが、ベルクソンのへっぽこ芸術観などとは違って、なかなかに適切な批評になっていると思う。
戦前に書かれたということを考えると、やはりこれは「名著」と呼ぶべきものだろう。
Posted by ブクログ
日本文化論の本で、各国の風土、具体的には日本や中国を含めたモンスーン型、中東やアフリカの砂漠型、そしてヨーロッパの牧歌型の3つをもとに、人間の存在について考察する。ある意味で、地政学的な見方をしているが、本書の解説にあるように、イデオロギーや学問的な手続きに注目すると、本書はその点において不明瞭である。
Posted by ブクログ
高校生時代の「倫理社会」の先生が、”和辻哲郎の「風土」を読む”という課題を我々に与えたことを思い出した。先生の意図は全く覚えていないが、難しくて途中で投げ出したのは事実。それで今回リベンジのつもりで読みだしたものの、やはり今回も第三章まででリタイヤした。
章立ては次の通り。
序 言
第一章 風土の基礎理論
一 風土の現象
二 人間存在の風土的規定
第二章 三つの類型
一 モンスーン
二 沙 漠
三 牧 場
第三章 モンスーン的風土の特殊形態
一 シ ナ
二 日 本
イ 台風的性格
ロ 日本の珍しさ
第四章 芸術の風土的性格
第五章 風土学の歴史的考察
一 ヘルデルに至るまでの風土学
二 ヘルデルの精神風土学
三 ヘーゲルの風土哲学
四 ヘーゲル以後の風土学
著者は、この「風土」に関する考えを、ハイデッガーの「存在と時間」から発展させたようだ。同書を読んだことがないので、本当のところはよくわからないが、ハイデッガーは人の存在の構造を「時間性」として把握したのに対し、著者は「空間性」として把握することを試みたようである。
本書で「風土」の定義は、「土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称」とされており、これが「時間性」に対する「空間性」を意味しているのだと思う。
第一章からやや難解に感じた。「風土の基礎理論」であるから、これが本書の前提なのだろうと思うが、著者の個人的見解のようにも思えるし、理論というには一面的なとらえ方のようにも感じた。
「寒さ」の感じ方を例にとって、人によって「寒さ」の感じ方が異なることを述べていたように思う。「寒さ」はデジタルに気温などで表現可能であるが、人によってその感じ方が異なる。しかし、同じ土地で暮らす人々=複数の人)に共通の感じ方(=共有できる感覚)があるということを述べる。
自然科学的な実験結果として明らかになった「寒さ」というよりも、その土地の地味とか地形とか景観などが影響して、すなわち「風土」が影響して、その土地の人々に共通に感じられる「寒さ」である。このことを、本書では「風土における自己了解」と言っているようだ。
ある地域の人間の「寒さ」に対する自己了解は、家屋の様式に現れたり、着物の形に現れたり、火鉢や炭焼きなど「道具」の形として現れるという。道具というのは、複数の人の感覚の共有の証明であるという。
そして道具に見られるような「風土の影響による人間の自己了解」はさらに、文芸、美術、宗教、風習、あらゆる人間生活の表現のうちに見出すことができると述べている。
ハイデッガーの考えも踏まえ、人間の存在構造を時間性のみならず空間性からも把握することを、「歴史と離れた風土もなければ、風土と離れた歴史もない。」と表現している。
この考えを前提として、次章では、著者が主だった風土をもつ地域として3つのエリアを選定して述べている。
それが「モンスーン」「砂漠」「牧場」のエリアである。これらの三つの風土から生まれる「人間の自己了解」とはいかなるものかの著者論を展開している。どのような文化が生まれ、どのような美術が生まれ、どのような宗教が生まれるのかをロジカルに述べている(ように思えるが、ロジックをとってつけたように感じる部分もあるのは私だけだろうか)。
本稿は、昭和3年の執筆であるが、当時著者がこの代表的な風土を持つエリアを実際に訪れながら、人間学的観察をしたことをまとめたものと思われる。紀行文+地理学的な発想+民俗学的な発想をミックスして、エッセイに仕上げたという感じである。第一章よりは読みやすかった。
モンスーンとは、夏に南西から、冬に北東から吹く季節風のことで、日本を含むその季節風の影響を受けるエリアの風土論を展開する。その特徴は夏の湿気に含まれる耐え難い不快感と、さらに一つは、台風、大雨、または洪水、旱魃などの人間が対抗できないような自然災害の多さである。
このような風土の特徴から、このエリアで生活する人々は、「受容的」であり「忍従的」であると著者は結論づける。日本人やインド人の受容性、忍従性から、どのような文化、どのような建物、どのような宗教が生まれたかについて述べていく。
モンスーンという風土の代表として、日本人も含みつつ、インドの人々の特徴を考察し、戦闘よりも智慧の力を重視する性質、推理的ではなく直感による情的思惟(大乗仏教などに続く)、無抵抗主義的な闘争(つまりは非暴力・智慧の戦い)などが、この風土から生まれた特徴と述べていた。
次に「沙漠」について。desertという言葉が表す「荒れ地的な風土」(必ずしも砂漠に限らず、海や山の荒廃した地形をも含む)を取り扱っている。この沙漠をイメージを著者は「死」のイメージでとらえている。
沙漠(死)の中に存在する生との接点=オアシス的なものの獲得に、人々は命がけであり、その争奪のための部族間での戦闘が始まるという。従ってある部族という共同体に属するという行為は自身の生死を分けることに直結する。つまり、この風土に生きる人々は、その共同体への服従と、対立する部族との闘争という二つの側面をもつという。この風土における人々の性質は「服従的・戦闘的」の二重性格であるという。
この風土の中から生まれたフィフィ教(回教)やユダヤ教は、絶対服従的・戦闘的な性質を含んでいるという。
3つめの「牧場」について。著者は「一般にヨーロッパの人間の文化がいかに牧場的であるかを考察する」と述べている。
著者がいうこの地の特徴は、「湿潤と乾燥の総合である」という。すなわち、モンスーンという風土の特徴と沙漠という風土の特徴の総合であると言っている。この地で暮らす人々は放牧やオリーブ栽培、ブドウ栽培などで、自然と融合しあいながら暮らしている様子を紹介している。その姿は、自然に忍従する必要も対抗する必要もなく、自然と融和しているイメージだ。
ヨーロッパの「湿潤と乾燥の総合である」という特徴かから、古代ギリシャでは静的でユークリッド幾何学的、彫刻的、儀礼的な文化が生まれたといい、近代西欧からは、動的、微積分学的、音楽的、意志的な文化が生まれと述べている。
3つの代表的な風土とそこで暮らす人々の性質、そしてまたそこから生まれた宗教、文化などには異なる特徴がみられるということを述べるとともに、相互の風土の短所・長所を自覚し、学ぶことによって、それぞれの風土の限界を超えて成長していくことができるのではないかと述べている。この目的観は良い発想であると思った。
第三章では、「モンスーン的風土の特殊形態」として日本の風土について述べている。
台風的忍従性として、「生への執着」からさらに「生への超越」の特徴を述べていた。桜のように散るという発想は、「生への超越」からくるものか。
あるいは親のため、家族のために一生を犠牲にするというのも「生への超越」から来た特徴か。
西洋の家の構造と日本の家の構造の違いの話が興味深かった。西洋では家族で住む家において、個室に鍵をかける。すなわち個人主義である。一方日本においては、家の玄関に鍵をかけるのであり、家の中は「うち」、家の外は「そと」という区分である。これは家族に個人が埋没した発想である。
あるいはこの発想の発展系として、日本国民は一同に「うち」、外国は「そと」という発想に拡張することにより、国民を国家の犠牲と考えた時代があった。そういう発想に陥りやすい風土であるということであろうか。
日本の歴史を振り返った記述があった。
①神話・伝説の時代(古墳時代)は、祭司の権力に個人は伏していた。
②大化の改新の時代は、天皇の権力に個人は伏していた。
③封建的組織の再興の時代は、君主の権力に伏する時代であった。
④戦国時代は、支配階級がくつがえされる時代であった。
⑤明治維新は、再び中央集権国家となり、天皇に伏する時代となった。
本稿は、明治維新後、西洋文化を取り入れ、鉄道や自動車が日本で見られる時代となった昭和初期の執筆である。著者は、その光景を見て違和感を感じる。風土の異なる地域から、その風土の産物である道具としての電車や自動車を取り込んだことによる違和感であろう。
しかし時代とともに、電車や車の違和感はなくなった。もはや風土的特徴をもつ道具ではなくなったということだろう。
著者の考察は、一見独断的なように見えるけれども、例えば代表的な3つの風土に暮らす人々の性質は、妥当であるようにも感じられ、しかも現代においても通用するようにも感じられる。国民性といわれるものに近い、地域性のようなものだ。
少々記述が古くて、現代に当てはめて考えることが難しいと感じるが、文化等の発祥の考え方としては面白く読めたと思う。
Posted by ブクログ
◾️概要
風土とは自然環境ではない、の真意を知るため読みました。最も印象的だったのは「文化は文明とは違って、その民族に固有な、したがって原生的なものに根ざしている。その民族が悠久の昔から営んできている一定の生活の仕方、観念の形態で、歴史の展開・生活の変化にも関わらずなお残っているようなもの。」です。
◾️所感
文化、という言葉は日常的に使っているが、その真意を考えたことはなかった。また、それが自然環境と密接な関係にあり、人間の精神構造に刻み込まれているものというのは示唆に富む表現であった。
Posted by ブクログ
日本人がせこせこしているのに対してシナ人はゆったりしている。しかしそれは感情の細かなあるいは過敏な動きを超克して到達した境地、すなわち物事に動じなくなった腹の据わりなのではない。もともと彼らは動じないのである。
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題名からは想像できない(小タイトルにはなっているが)、深い文化人類学的な哲学書。昔の日本人の知識と文章力には脱帽させられる。ただ、内容については諸説あるようだ。特にまだ世界と交わりが少ない時代に書かれたものなので、各人種の類型化が現代の目で見るとかなり偏狭。ただ、日本人の考察については戦前に書かれた本であるのに、まるで太平洋戦争、その後の復興を予言しているようなところがあり、やはり考察が深い。
Posted by ブクログ
「…さらにまたこの種の政治家によって統制される社会が、その経済的の病弊のために刻々として危機に近づいていくのを見ても、それは「家の外」のことであり、また何人かがおそらく責めを負うであろうこととして、それに対する明白な態度決定をさえも示さぬ。すなわち社会のことは自分のことではないのである」
第1章からいきなりむずかしくてつまづきそうになるが、第2章までいけば個別具体的な議論になってわかりやすい。有名なモンスーン・沙漠・牧場の3類型などはなるほどと思わせる(現代の水準でどの程度の妥当性があるかは疑問だが)。
日本人の政治に対する無関心についての箇所(3章の最後)は、ごく短い記述ながら現代に日本においてもがっつり適合してしまうのが興味深い。
Posted by ブクログ
文化や国民性を「風土」という視点から掘り下げたもの。モンスーン的風土の特殊形態だけを読んでも参考になる。日本人が公共性を持ち得ない理由を、「家」の概念から考察する。
Posted by ブクログ
自然環境と人間活動の共通点や対立点が詳しく書かれている本です。人間はどうして自然と戦って、自然に服従しているのかを哲学的に分析しています。特に、日本について書かれている項がお薦めです!!
Posted by ブクログ
「芸術の風土的性格」の章が印象深かったのでまとめる。
日本人≒ギリシャ人⇔ローマ人 という構造
ギリシャ人→舞台背景に自然の景色を使う。自然や風景への愛。これは自然のまま放っておいても美しい。
ローマ人→風景の美を顧みず、人工的なもののうちに享楽する。人工によって自然を支配する。
日本人→人口は自然を看護することで、却って自然を内から従わせることができる。人には、季節の移り変わりに従い、調和を保つ役割がある。庭園には注意・手入れが必要。苔や石などの間には「気」が合っている。
日本のことが出てきて身近に感じられるようになってからは読みやすかったが、冒頭部分は読みにくく、時間がかかってしまった。
Posted by ブクログ
大学時代に読まされた本。
確かユニバーサルデザイン論の先生に勧められて皆買わされたんだったww
これは知っておくべきと言う本らしい。私、一度無くしてまた買って、出て来て二冊ありますww