【感想・ネタバレ】阿部一族 他二篇のレビュー

あらすじ

細川忠利公の死で後を追った忠臣が18名を数えたのに、なぜか阿部弥一右衛門の場合は──許されぬ殉死が招く一族の悲劇。武士道が支配する封建制下の日本社会で、人間はいかなる思想心情のもとに生き、また死んだか。初期歴史小説の代表作「興津弥五右衛門の遺書」「佐橋甚五郎」の2篇を併せて収録。解説=斎藤茂吉。改版

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Posted by ブクログ

ネタバレ

他の家来、皆殉死が許されてるのに自分だけ許されない。理由はホントにしょーもない。なぜかいけ好かないから。殉死できない。自分だけ生き延びることで周りから命惜しい奴と思われる。そして、自害。残された子供たちも、父の無念を晴らそうとするけど、、、どうしてこうなった。

死ぬ事も美学。そんな印象だった。
日死ぬと言われる妻や子供の気持ちを想像してしまうのは、私が女だからだろうか。
何が殉死だろう。狂ってる。
その死生観が、つい100年前の日本で蔓延っていたのだからやるせない。
淡々と人が死ぬ。鷹も死ぬ。犬も殺される。
死ぬこと自体意味は無い。死までの期間に意味があるのだと思った。どう、自分で意味をつけるか。

色んな意味で心をえぐられる小説。鴎外、すごい。

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2022年04月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

初の森鴎外です。

阿部一族については、死生観や命の捉え方が今とは違う中での、淡々とした語り口で驚くような事実を描いている歴史もの。
殉死が身近にありすぎる! しかしどこかで今の価値観の中にもこういう空気がゼロではない…我々の中にも脈々とありそう…というところも。

他の作品も読みたい。

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2023年02月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

正直言って、私にはこの本は重すぎた。
字が小さいとはいえかなり薄いのに、久々に読み終えて頭が痛くなるほど考えた一冊になった。

あえて『阿部一族』だけについて書きたい。
細川忠利の死に伴い、十八人が殉死した。
彼らはすなわち、忠利公の了解あるいは暗黙の了解によって許しを得て、彼の死後自ら命を絶った者達である。許しを得ずに死ぬのは、犬死であり、武士が最も嫌うものに入る。
一方、阿部弥一右衛門通信は、忠利公からその許しを得ることができなかった。
よく仕えてくれているのだが、性が合わないというか、忠利公は彼の言うことはなんだか聞かない性質を持っていたためである。
世間は勝手なもので、弥一右衛門が死ななかったのは命を惜しんだためだと噂し、それを知った彼はすぐさま自死を選ぶ。

と、まあここまではまだ納得できたのだが、ここからが問題だ。かなり感情的に記すのをお許しいただきたい(一応本文を確認しながら書いているが、私見が多分に入っているので、ぜひ原作をお読みいただきたい)。

弥一右衛門は忠利公の許しを得られなかったとはいえ、本来であれば「殉死」として差支えの無い状態だった。
だが、光尚公は大目附役の進言を聞き入れて、阿部一族の処遇を他家より一段下げたものにしてしまった。
その結果、阿部家の次期当主である権兵衛は「弥一右衛門にも一族にも申し訳が立たない」として忠利公の一周忌の焼香で、己の番が回ってきた時に髻を切ってしまうのである。
それを自分の処遇への当てつけととり不快に思った光尚公は、権兵衛を縛り首にした挙句、一族を討った。

私には、光尚公のしたことを批判しきることはできない。
いくら殿さまとはいえまだ若いときの話だし、いくら事情が事情と言えど、権兵衛がやったことは不敬だ。
縛り首はおかしい、せめて切腹だろうとは思うが、誰だって間違いはある。
大体にして彼は殿さまだから、そこはまあ、そういうことをしても当時としてはそう不思議はない。殿さまの言うこと絶対だからね、基本。

でも、「分かるよ」と言えてしまうのは、阿部一族の方も同じなのだ。
いくら殿さまの下知だとしても、納得のいかない処遇なのは確かだもの。
事の発端は忠利公の意固地と世間の勝手な噂であって、阿部一族そのものが悪い訳ではないもの。
弥一右衛門、せめて権兵衛で終わっておくべき話なのだ。
一族討手は、いくら何でも、どう考えたって行き過ぎだ。いや、当時としては不思議じゃないのは分かってるんだけど。

何より私が打ちのめされたのは、この話において、光尚公が自分の決定的な過ちに気付いていないところだ。
かなり勝手な言い分なのは承知の上だが、光尚公には、公言しなくていいから「しまった」くらいは思っていてほしかったのだ、私は。
当時としては不思議なことではなかったのだとしても、自分の若さと甘さと浅慮が招いた結果ではあるんだから。
たとえ馬を鹿と言っても許される立場だったとしても、馬は馬、鹿は鹿だと分かっていてほしかった。
なのに、「今討ち入ったな」は、そんなのってない。

私は、武家社会では殿のすることは絶対とされるべきだと思っている。
失敗は許されるべきではないし、たとえ失敗したとしても、それは失敗と認めるべきではない。認めざるを得ない失敗は、臣下が代わりに責を負うものだと思っている。
そうでなければ国の治世はたちまち立ち行かなくなっただろう。
だが、殿に後悔はしてほしいし、公言しないとしても、世間ではどう語られていようと、責を負った臣下と殿の間に「言わないけど、分かってるよ」というものが、どうしても、あってほしい。
むしろ、そうでないなら「貴人の軽挙は配下が負う習わし」自体、存在してはいけないとさえ思っている。
だって、そうでなければ、臣下という立場があまりに虚しすぎる。
本当に、これは私の勝手な我がままなのだけれど。

もちろん、これがあくまで創作であることは重々承知している。
森鴎外が描かなかっただけで、実際には光尚公は後悔したかもしれない。随分後になってからでも、悔やんだのかもしれない。
今更、そうだったからといって何が変わる訳でもないけれど、『阿部一族』に事実と異なる部分があってほしいと、心から願わずにはいられない。

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2015年12月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

【総評】
殉死について書かれた物語が2つ収録されており、日本における殉死文化の変遷を調べるきっかけになった本(時代ごとに意味が変わってることや意外と15世紀に禁止令が出てることを知れた)

また、森鴎外が年齢設定のミスを複数していることを斎藤茂吉が解説で述べており、森鷗外のような人でミスるなら、自分が色々とミスしても当然だよな、と自己肯定感が上がった

【興津弥五右衛門 】
命より誇りを大事する傾向が強い武士文化の時代に生まれなくてよかったなと思う。からかい一つが命取りになるなんて、俺は命がいくつあっても足りない

【阿部一族】
阿部一族よりも彼らに仕える部下がなぜ、討ち死にがほぼ確定する中で死んでいったのかが気になる。
仕え先が潰えるのだから、残された家族が面倒を見てもらえるわけでもなく、自分の主君の意思決定というよりは主君の兄弟や父親のせいで死ぬわけであり、納得いかない人もいたんじゃないかな。
生きることより殉死を良しとする武士道とか、そもそも物理的に逃がしてもらえない環境だったとかいろいろあるんだろう。
武士道って主君にとって都合が良いように作られてる気がしてて、信者に高額のお布施をさせる宗教と近しいものがある気がする。

【佐橋甚五郎】
江戸時代にいる視点から書かれている小説だと思ったら、最後の締めで「佐橋甚五郎について私の説はこうだ。異説を知っている人がいれば著者に連絡してほしい」と投げかける。まるでブログの投稿のような形式。

似た形式のダレンシャンとは違って最初からは明かされてはおらず、一番最後に明かされる形式だから意表を突かれて楽しめた

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2025年02月13日

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