あらすじ
何もさえぎるものない丘の上の新しい家。主人公はまず"風よけの木"のことを考える。家の団欒を深く静かに支えようとする意志。季節季節の自然との交流を詩情豊に描く、読売文学賞受賞の名作。
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次男の正次郎が風邪をひいて冬至の柚子湯に入れなかった時に、母と姉が洗面器でその湯を汲んで、その中に柚子の汁をしぼり入れて、そこに浸したタオルで顔をふいてやるとか、ほのぼのエピソードがいっぱい。
世の中がどんなに変わろうとも、庄野潤三の世界観のようなものを、自分の中の片隅に置いておきたい。
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一家族の何気ない日常、でもそれは二度とはない日々の連なり。そういったものを小説に描いた一作。
なのでストーリーに頼った(それが悪いと言ってはいないです、誤解なきよう)小説のように大きな出来事が起こることはない。
なのに読んでいて楽しい。それは家族の会話だったり、周りの人との関係性が暖かかったり、季節や気候、または動植物への視座と描写。作者の巧み且つわかりやすい表現でとても味がありました。
全13話(章?)にわかれ繋がってはいるものの短編としても十分読めるので、好きな話を何度も読みたくなる、とても好きな1冊になりました。
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はっきり言って何も起きない、筋書きがあるともいえない、ないないづくしの家族小説(大きな出来事は落雷くらい)。なのだけれど、この平凡な家族の生活をいつまでも見ていたいような、不思議な気分に浸ってしまった。そう思わせるのは、解説が指摘するように、結局はこの平凡な生活が永遠には続かないことへの切なさが、背後に流れているからだろうか。
本作は、1964年9月~65年1月の『日本経済新聞』夕刊連載小説。つまり、東京五輪とまさに同時期なわけで、五輪の「華やかさ」で印象付けられる年に、こうした静謐な作品が連載されていたことに、高度成長という時代の多面性も感じた。
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なんでもない日常の光景が、こんなに輝いていたなんて。
近所の野山で遊んだり、学校帰りに梨を買ったり、部屋にムカデが出たり、風邪ひいたり…。
懐かしくて、温かくて、優しい毎日が、美しく移ろってゆく。
ずっと浸っていたい空気がここにある。
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丘の上の新しい家に越してきた家族が、その土地になじみ毎日を過ごしていく様子を穏やかに描いています。
この小説には、萩、金木犀、山茶花、ムカデ、梨・・・といった季節季節の自然が出てきます。
自然と交流しながら成長していく子供達、子供とのやりとりを楽しみ支えていこうとする主人公の父親、家族にそっと寄り添う母親が目に浮かびます。
一見して、平凡で当たり前で目立たない、落ち着いた生活を見つめた作品です。
しかし、作者の柔らかく美しい文章が、そうした生活の尊さや深さに気づかせてくれます。
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<poka>
小田急線生田駅近くの西三田団地が舞台の家族小説。
大学がその近くだったので懐かしかった。
文体は穏やかで疲れることはありません。こんな文章を書きたくなります。
<だいこんまる>
ビートたけしは、生田大学のあの階段を上るのが面倒で大学を辞めたとか。
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まず前提として、本書は“純文学”であるということを分かっていなければならない。決してエンタメ小説ではない。基本、“退屈でつまらない”、それが純文学である。人を楽しませるために書かれた本ではない。
前情報なく、本書を読み始めると、「何だこの退屈な小説は」と思い、途中で投げ出してしまうかもしれない。なので、巻末の解説を最初に読むことをおすすめする。
「幸せとは何でもない日常にこそあるのだ」
確かにそうだろう。そう思って読んでいた。退屈を愛でること、それこそが幸福であると。
しかし、どうやらそんな単純な話ではないことに途中気づいた。
当たり前の日常は、当たり前“だけ”ではない。退屈な日常は、実は、退屈ばかりではない。
そこには必ず、“危うさ”が潜んでいる。
当たり前も、退屈も、いつそれが消えてなくなってもおかしくない。実はとても不安定で、危ういものである。夕べの雲のように、いまの形は次の瞬間には変わっている、言い換えれば、いまの形は次の瞬間には“消えている”のである。そう考えると、いまの平凡な日常が、“いま”であるはずなのに、どこか懐かしく思われてくる。
ただただ退屈を愛でるだけでは、退屈な日常を真に理解しているとはいえない。
「幸せとは何でもない日常にこそある」
確かにそうであるが、その裏側に潜む“危うさ”もセットにして日常を捉えること。
「懐かしい」には、「哀しい」が含まれている。懐かしいと思うとき、そこにはどこか哀しい気持ちも含まれている。そのような、懐かしくて哀しい気持ちをもって、今を、日常を、見つめる。ありふれた日常がまた違って見えてくる。私は退屈を愛でるだろう。
私の幸福は、不幸と表裏一体であることで存在している。常にそういった気持ちでありたい。
最後に。
小説なのだが、どこか詩的な感じがした。詩を読んでいるような気持ちになった。
また、途中、「梶井基次郎の作品っぽいな」と感じたのだが、作家案内にもあったように、やはり影響を受けているのかなと思った。
少々長く感じたので、『静物』くらいの長さでもよかったかも、というのが正直な感想。
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著者の出身地の近くに現在自分が住んでいる事もあり、以前から作品を読んでみたいと思っていたが、先日読んだ島田潤一郎「古くてあたらしい仕事」にも触れられていたので読んでみた。
著者の日記の様な作品であるし、実際事実に基づいた部分も一定以上あるだろう。日常を土台とし、飛躍はない。エンターテイメント性は皆無だが、読み進めて行くとずっと読んでいたくなる中毒性も含まれる。他人の日記を読む面白さにも似た感じか。
ホームドラマへの懐古趣味と切り捨てられるかも知れないが、日々を丁寧に生きる姿は今も共通して尊いものだ。
蔦谷書店京都岡崎店にて購入。
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なんて事のない日常が淡々と描かれているのだが、花や木、果物、虫などの描写が季節を感じさせ、自然と関わりながら生活する家族の様子が理想に思えた。何気ない家族の行動や会話の描写がおもしろく、読みながらクスっと笑えたり、あーそうそうと同感できたりして、心が温まる一冊だった。各章のタイトルも素敵だった。
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一周回って、ここまでのたわいない日常を小説にできるのはすごいことだ。大きな荷物を手に下げて歩く時に地面に擦ってしまって「またやった」と思うだなんて、そんなこと、執筆しながらよく思いつくと思う。こんな日常こそが幸せなんだなと思う。
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須賀敦子が日本を説明するのにということでイタリア語訳したという。
中井久夫の言によると、「家族の日常を描いて筋があるかなきか」の小説。しかし、ここには筋はなくとも家族のかおりのようなものがある。私自身の子供時代とは20年くらいのずれがあるものの、なつかしい気分にさせられる。これから私の家族にも、時代こそ違えどこんな情景が訪れるだろうか。
冒頭の萩の成長、ラストの切り開かれた山とお墓は移ろいゆく時間の象徴か。
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静かだけど、毎日変化している 自然と 家族を リンクさせて記述した短編集。各章のタイトルが出てきたところを起点に 物語が転じる
「うまくいかないことは目立つが、うまくいっていることは案外 目立たない」が この本のテーゼ
風は 大きな変化、自然破壊、戦争 を意味するのではないか。そんな中でも 静かに 毎日変化している自然と家族は 案外うまくいっている というふうに 解釈した
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ずっと読んでみたかった本、読み終えてしまった。
少しイメージとは違った。
何となく緊張感があり、少しカタさもあった気がする。
もっとも、一気読みする類の本ではないだろうから、
読み返したら印象も変わるだろうけど。
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家族の日常を淡々と綴っているだけなのに、なんでこんなに沁みるのか。描かれる山の道、家の周りの木々、子どもたちの姿、なぜか懐かしく、情景をありありと思い浮かべることができてしまう不思議。なにも特別なことは起きないけれど、忘れたくないことがたくさんある日々。
庄野潤三 は、たまに読むと心が柔らかくなる、気がする。
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昭和39年9月から40年1月まで日経新聞夕刊に連載された家族の日常を描いた小説。
丘の上に家を建てた著者と家族を、大浦家の5人家族として表し、淡々と描いているが、家族のユーモラスな会話が散りばめられ、全体的に温かくほのぼのとしている。 四季の自然が詩情豊かに描かれているのも特徴。
長男で中学生の安雄が帰り道、毎日、梨売りの爺さんから梨を買う話、大浦の細君が刺されたことから広がっていくムカデの話、細君が、次男の正次郎の風邪を大根おろしと梅干し入りのお茶で治そうとする話など、興味深く面白かった。
今のように贅沢な物が溢れる時代ではないからこそ、生き物や自然に目が向き、素朴ながらも家族の団欒の中で生活の経験値を高めていけたのだろう。そんな時代を振り返らせてくれた小説だった。
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何気ない日常を描かせると、確かに神様。引っ越した先が丘の上で、とても風が強い。昔から住んでいる人々はちょっと引っ込んだところとか、風よけの林を背負っているところに住居を構えている。昔の人はえらいもんだと感心し我が家も木を植えねばと思いつつ、面倒になって後回しになる。そのうちに予想もしなかったバラなどが生え、庭が賑やかになる。家を守らねばという思いと、いざやろうとすると面倒で、なんとかなるだろうという怠け心。これ、いろいろな場面で思い当たるところがあり、うまいこと表現するもんだなあと感心。さすが小説の神様。