あらすじ
文学に憧れて家業の魚屋を放り出して上京するが、生活できずに故郷の小田原へと逃げ帰る。生家の海岸に近い物置小屋に住みこんで私娼窟へと通う、気ままながらの男女のしがらみを一種の哀感をもって描写、徳田秋声、宇野浩二に近づきを得、日本文学の一系譜を継承する。老年になって若い女と結婚した「ふっつ・とみうら」、「徳田秋声の周囲」なども収録。
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Posted by ブクログ
つげ義春が「貧困旅行記」所収の「大原・富浦」で、「ふっつ・とみうら」に言及していたので知った作家。
その後、西村賢太界隈でも見聞きして気になっていた。
確かにそのふたりがラブコールを送るだけある。
文体も面白くて、わざと助詞を飛ばす砕けた表現。
「根が云々」に似た言い回しも一冊の中で数回登場した。
構成がどうこうではなく、尻切れトンボだったり、それがまたいい抒情を出していたり。
徹底することで生まれる味。
で、いま個人的映画祭をしている小津安二郎と、芸者を巡って張り合っていた、というのも面白情報。
■父の死
たった4ページ。父の死の床で遺言を聞く。魚屋を次男に継がせろと言われた、長男私。親の期待を裏切って文学へと。文学極道。
■無題
徳田秋声推薦の文壇デビュー作。
カフェ「ゆたか」女給の、お明とお安と。タイプの違うふたりとの関係について。ぐずぐずしているうちに山路と結婚したお明が、借金の依頼に来て、一晩泊まってくくればと持ち掛ける。が、電報為替の扱い時間がオーバーしており、別れる。翌日絶好の手紙が来る。が、また話して、結局関係を持って。グダグダ。ラストがブツ切りで、小説としての完成度云々より、コジラセたあれこれをアケスケに書き残す営為自体が凄い。
■軍用人足
徴用された参五が、命令されるままに軽トラに、沖縄出身の城間と乗って、向かった先は小隊長宅。徴発してきた食料を運び込み、小隊長の奥さんに感謝の言葉と煙草を貰う。そんな出来事のスケッチ。
軍隊なので私生活から切り離され、文学極道の自意識がないためか、割と普通の小説。
■抹香町
小田原の赤線地帯の名称らしい。「抹香町もの」で戦後プチブームになったという。
川上竹六56歳。東京から帰り、実家近くの物置小屋に暮らす。健康のため散歩。気晴らしに抹香町のほうへ。半月前からだという初めての女の部屋へ。故郷に帰ったら訪ねていくから会ってくれと約束。その証拠に、髪を「おくれよ。おくれよう」とねだったところに、他の客が来て「帰ってっ!」「又きてっ」。それから何度か通ったが、女はあるときふっと帰ってしまった。しらけてしまった。
という話。
もう、駄目な男だわ……しかしこの、自身のドン詰まりを解放してくれるかもしれないと、女に一瞬期待をかけて、でもありえないということはもうわかっているという、悪あがきと諦念は、つげ義春でまんま同じものを読んだ気がする。
「無題」にもつながるが、確かつげ、お隣の奥さんを共同便所かどこかで犯しかけて手酷く追い払われたのに、でも少し後に関係持ったみたいな話を描いていたような(ヤカンの水を口移しで飲ませてくれていたような)。
その作品でも、似た切望感を覚えた記憶。
■ふっつ・とみうら
つげ義春が「貧困旅行記」所収の「大原・富浦」で、言及していたのが本作。
「健康問題で胃腸の悪くなった作者が、歩きながら屁をこくことで空気中に拡散して誤魔化す」みたいな記述があったように強烈に記憶しているが、実際はそこまでの露悪的表現ではなかった。
また不思議な語感のタイトル、富津(ふっつ)富浦(とみうら)どちらも地名。
60を超えて30も年下の「P子」と所帯を持ち、房総へフェリー旅行をするというもの。
「抹香町」のブームで集まってきた(邪推するに)グルーヴィー的な女性読者らとただれた関係になり、その中のひとりと、という、なんとも裏山怪しからん話である。
しかもこのP子が実にまめまめしく世話を焼いてくれて。
火葬場の煙突を見かけて、自分の死後残された女を思う。
と、P子素晴らしい台詞〈あの、ね。あんた死んだら、遣ったお金貰って、私アフリカへ行くわ。行けるでしょ。――そう、あんたの法事済ましてからね。アフリカへ行って、お金なくなったら、異土の乞食(かたい)になって、それから死ぬわ〉。
結局は妻萌えのおのろけ小説だった!
■路傍
小川。65歳で脳出血。5年後70歳の今は後遺症に悩まされながら、健康のため歩く。結婚10年目の妻に見送られて。で、久しぶりに会ったのは、時子。40歳のころ、東洋軒の女中である時子およびお君と交際していた。お君は結婚。時子と砂浜で寝そべって、あわや関係が越えそうになったが、足を突っ張って拒否されて、それから通わなくなった。という回想。その後の小川の零落の生活。そして30年後、また会っているのだ。
という、なんというまあプレイボーイになりそうな、なれなさそうな、交際記録。うらやまけしからん。
砂浜で〈こうしているといい気持だろ。砂がひんやりして――〉というのも、なんだかつげにありそうな。ちょっと違うが、猫の肉球を瞼にあてて(ひとりだが)似た台詞を言っていたんじゃないかしらん。
■日没前
父の死。弟への家業相続。弟の妻が、義母を疎む。母の死。弟の不倫。私はいま75歳。
■墓まいり
母の33回忌。親族が集まる。甥(弟の子)が商売で苦戦している。弟の不倫は続いている。
■徳田秋声の周囲
若く、徳田秋声宅に出入りしていたころ、細君を亡くした徳田秋声に、言い寄っていた山田順子(ゆきこ)について。
◇解説 秋山駿
◇年譜、著者目録、参考文献