あらすじ
『私を生んだのは姉だった』小説家の解良(けら)は、万能著述支援用マシン“ワーカム”から、言語空間を揺るがす文章の支援を拒否される。友人の古屋は、解良の文章が世界を崩壊させる危険性を指摘するが・・・・・「綺文」ほか、地上800階の階層社会で太古の“小説”を夢見る家族の物語「没文」、個人が所有するポットで言葉を育てる世界を描いた「栽培文」など9篇の連作集にして、神林言語SFの極北。第16回日本SF大賞受賞作
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彼は本当に言葉使い師であり続けようとしている。
そう感じた。
神林長平の短篇集。
言葉とコミュニケーションが彼の中に自分が言葉使い師である上で重要な問題なのだろう。
素敵な、雪風のフェアリィ星を彷彿とさせるような章名と
言葉が手段として生命としてある今の世界と違うたくさんの世界を描いた物語たち。
言葉は力を持ち、力を与え、力を削がれ、人間をよく見てきた。
初めの章の
ワーカム(文章執筆支援ソフト)の危機は既に迫っている。
その時に私たちを襲うのはなにものだろうか。誰の意志なんだろうか。
この本を読んでない人がいたら無言で私は差し出したいくらい。
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メチャクチャ面白かった。
『言葉』について書かれた短編集。なんというか、とても迫力のある小説でした。「言葉の力」はすごいなぁ、と思ってみたり。
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「私を生んだのは姉だった」
この言葉から始まるのは、人と、機械と、言葉とそして世界の物語。叙述支援機能を持つワープロ、匂いで構築される物語、言葉を育てるポットなど、読者を想像のさらに向こうへと連れていくその筆力と発想は、「言葉使い師」神林長平のまさに真骨頂だと思います。おすすめです。
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神林長平がいかに「言葉」を大切にしているSF作家か分かる小説。
言葉は凶器になり、世界を滅ぼし、世界を救う。
哲学的でエンターテインメント。
もう好きとしか言えない(笑)
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神林長平初挑戦。
現実なのか、単なる作られた言葉(妄想?)なのか分からなくなっていくところが好み。
他の作品も読んでみたいけど、数が多くて迷うなあ。
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文字によるSF。または
ブラのへ字文るよにFS、
レター。読んでいる間、
のるいてめし楽はれこ
だろうか?と不安にな
単簡もといがIAがたっ
に文章を作る今となっ
ののののの者作、はて
の の の の のの の
の (null)
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「言葉」を扱ったSF短篇集。面白かったが、凄くエネルギーを消費する。しかし、こういう小説こそ、神林長平の小説だろう。一読しただけでは不十分に思える。最後の「碑分」での締め括り方に衝撃を受けた。
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20年前にこれを書いているのは凄いの一言。理にかなった推論により物語を紡ぐ。ここに描かれているのは推論の延長。水位は確実に上昇中で部分的には形になっていたり。書くことについての話なので書くことに興味のある人たちにはプラスの楽しみがあるだろうし一億総発信者といえる今の社会において読んでみると少し怖くなる。面白い作品だった。
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落ち着いたラノベみたいな感じの台詞が行き交う。台詞は正直余り上手じゃないと思う。
しかし、題材がすごい。短編小説って大体長編にはできない物語の残滓みたいなのを無理矢理昇華させてる気がするけど、これは短編小説にはもったいないくらいの密度がある。なぜ長編にしなかったんだろう?もう少し短編同士の繋がりを強めて長編っぽくまとめれば、もっとすごいものが生まれたんじゃないかって思う。
言葉の機能や役割を、小説という枠を超えた深さで掘り下げようとしている。めちゃくちゃ面白かった。
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私を生んだのは姉だった。
この言葉から始まる、最初の収録話「綺文」で何処か新しい世界に連れて行ってもらえるような予感を感じた。
結果として、難しくてよくわからなかったというのが正直なところ。
ただ、物語の流れに沿いながら、初めて言葉に対して考える機会を持つことが出来た。
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ワーカムという、人工知能に近い言語に特化したワープロを軸にしたSF短編集。
機械学習の権化のような端末が人々に与える影響から、普段は気づかない「言葉」というものの強さ、恐ろしさが垣間見える。円城塔さんの解説文まで、ワーカムのスタイルで統一されており、解説文も作品に取り込むこの本には、魔力すら感じさせられる。
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解説にもあるが、これが1994年に書かれたことを考えると、小説家の想像力の射程の長さには舌を巻くばかりである。
小説家の想像力の射程というアングルに限って言えば、「リトルピープルの時代」で宇野氏が、村上春樹のそれに触れている。
言壺の、神林氏の射程は近づく先から逃げて行くような、遠い遠い先を見据えているように感じられる。
人間と、その他の動物との生きる世界の違いを、言葉(と、それによって作られた想像上の社会)の有無という視点から、一刀両断している件が好き。
最後の「碑文」にある一人称「我」は、いつでも私たちの隙をつかんと覗いている。
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’94。言語SFがよく書かれるようになったのは、いままでSFが示してきたように、これが未来だからなのか。それとも既に言語に取り込まれているのか、それは現在か未来か。…楽しい。
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例えば嗅覚の話で、嗅覚による「思考」ではなく、「嗅覚言語」に、話がいきなり跳んでしまうことに違和感がある。指や腸による思考であるとか、脳以外の非言語的合理思考が話題になったのは一昔前だから、その手の知見を取り込めてないんじゃないの。個人的は以前、言語を介しない、高度な抽象思考は可能かとか、そもそも人間の思考は視覚的なパターン認識みたいなもので、言語の影響は過大評価されてるんじゃないだろうかとか、その手のことを考えてた時期があるので、言語と思考をそのままイコールで結んでしまう感じが、どうにもいただけない。それから、全編に漂うおっさん臭さに辟易。
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ワーカムという叙述支援機能を持つ文書作成端末をめぐる短編集である。
現実の虚構である言葉が現実を構成する様を描く。
人間は外界を感じる諸器官と脳を根幹とする神経系で現実を感じ認識し構築するのである。言葉はそれを外界に戻すとともに他人と現実を共有するのである。
小説を初めとする虚構の文章とはなにか。人は何のために虚構を作るのか。何を表現したいのか。文章で虚構を表現できなくなったとき人はどうするのか。
また、言葉が勝手に現実を紡ぎはじめるとどうなるのか。
どうも私はこの手のSFは不得手である。
Posted by ブクログ
近未来、意思をもったかのようなワープロとのやり取りをテーマにしたSF連作短編
ただ短編と割り切るにはつながりが深すぎ、長編とみたほうがいい
そう見ると全体の頂点は「栽培文」、そして本作が神林版の華氏451度だったのだと私は一度は納得したんだけど、その後も付け足しのような展開があって、何がなんだかわからなくなった
現実と虚構が入り組むさまはディックの世界
ただの言葉遊びのような面もある
こういう小説を読むと改めてSFというジャンルは何なんだろうと思ってしまう
クラークはSFだけどアシモフは人情物だと、私は思う
では神林さんの本作は?
よくわからない・・・