あらすじ
完全独占企業が莫大な宣伝広告費を使う理由とは!? 博報堂の元社員が、広告代理店の仕事の実態を、内部の視点から生々しく描き、広告費ランキング、原発事故関連書籍発行数ランキング、メディアの収入における広告費の割合など、さまざまな資料から、日本の報道を「支配」する構造、すなわち「巨大広告主―大手広告代理店―メディア」の強固なトライアングルを浮き彫りにする。
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Posted by ブクログ
表題につられ読んだが
1章と 最後の章以外は 広告代理店の仕事の仕方に多くのページがさかれている。
そのクライアント(メーカや広告主)とメディア(テレビ 新聞など)の間を取り持つのが広告代理店であり その仕事の仕方が
日本の民主主義の根幹をくさらした一因になっていることを教えてくれるため
この本を読む価値は高い。
博報堂出身の著者が 電通を名指しで批判しているというより
広告代理店と癒着するメディアという構造を批判している本である。
その癒着もビジネスにとってお互い利があるからで
国民にためになっていないことまが 明らかなのだから
これは 国民が立ち上がらないといけない。
Posted by ブクログ
ツイッターにしろブログ界隈にしろ、兎に角世界は常に何者かのあくどい陰謀によって支配され、陰謀者は美味しい思いをして、我々貧乏人は徹底的に搾取される、そんな話が絶える日は無い。
ある一面に於いてそれは確かにその通りではある。弱肉強食の現実は間違いなく存在し、そこには所謂勝ち組と負け組がいる。そして勝ち組は益々勝ち、負け組はどんどん負けるという残酷な現実も存在はする。
しかし、もう一つの側面から現実社会にアプローチすると、また違った面も見えてくる。それはどんな光景か?自らに課せられた義務を果たすため、世界が滅ぼうが人が死のうが、兎に角自身のミッション達成のためにがむしゃらに突き進んでいる人たちがひしめき合う社会だ。
今回、反・脱原発界隈でちょっとだけ話題になっていた本を読んでみた。本間龍さんの『電通と原発報道 巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』という本なのだが、タイトルだけ見ると「おや、また全ては電通の陰謀であるって、その手の本?」と思ってしまうのだが、さに非ず。
実は著者は元・博報堂の営業マン。「昔の商売敵で本を書いたのかよ!w」などと思いつつまえがきを読み、本文をどどどと読んでみたのだが、実はこの本、ある種の広告業界本だった。いや、むしろ業界のあり方の概要を割と丁寧に説明しながら、そのあり方にこそネット上などのメディア陰謀論に繋がるようなある種の業界内/間のもたれかかり合いがあるのだということを示していた。
俺のように広告業などに関して余り知識が無い人間にとってはそもそも広告代理店とはどんな仕事をしている会社なのか、から知ることが出来る入門本にすらなり得る。逆に言えば、その業界について詳しい人が読んでも余り面白くない本なのかも知れない。ましてや、強烈な反・脱原発的業界内告発を期待する向きには全くと言って良いほど向いていない本でもある。
しかし、個人的にはこの本、読後に妙な納得感を味わった本だ。
そう、大抵の現実は実に散文的な実態なのだ。どこかに強烈な悪意を持った大ボスが居るわけではなく、ましてや完全無欠の正義のヒーローが居るわけでもない。
この本で描かれる電通・博報堂(デンパク)の人々は、兎に角クライアントの利益を上げる、守る為にありとあらゆる方策を用いる。挙げ句、同じ社内でも部署が違えば半ば敵同士だったり取引相手だったりと、間を取り持つ担当者は東奔西走。ある意味でそこらの忙しい商社マンや経営者などと大して変わらないのだ。
あとがきの一節を引用したい。
” しかしあえていうなら、原発という悪魔の商品販売を目標に狂奔した東電はじめ原発推進団体に比べれば、デンパクに明確な自己の意思などありません。なぜなら広告代理店には売るべき製品があるわけではなく、彼のレーゾンデートルは「得意先の課題解決を通じてその対価をもらう代理人」であるからです。”
では意思を持たないから罪は無いのか?と問われれば決してそんなことはないのだが、それと広告代理店陰謀主体論が正しいかは全く別の話になる。まさにこれは、「戦争における兵士の責任」に近いと言えるかも知れないが、それはまた別の話で。
そしてこの構造は別に広告代理店に限らず、他ならぬ東電や推進団体、政府、立法府、司法府、他の団体、そして個人にも同様に言えるのではないかとすら思う。
つまり、「自分たちしか見えていない」。
自分たちしか見えていないから自分たちが果たすべき役目、使命をひたすらこなそうとする。そしてそれが目的化する。一種の官僚主義である。そして責任を徹底的に細分化することにより、全体に於いて誰も責任が取れないままの状態へと突き進んでいく。まさに現代の、我が国。緩やかな無間地獄。首謀者無き陰謀が進行していると言うわけだ。
俺は一々陰謀論、または「真実」を信じている人たちをとやかく言うつもりは無い。もしかしたら俺が信じている何かだって、それに類するものなのかも知れないし、それが客観化出来ていない中で他人にどうこう言うというのも非常に気が引ける。
しかし、時に全体を、あるいはある問題を俯瞰する時に、実は全体がそれぞれに「ピタゴラ装置」(ルーブ・ゴールドバーグ・マシン)になっていて、それらの装置同士が思わぬ反応動作をし合っているだけだったという視点も持てた時、案外どの辺に問題の本質が隠れているのかが妙に見えてくる瞬間もある。そこで動き回る人間の姿は悲哀に満ち、自分もその中の一つの装置なのかと思うときの妙な無常感は何とも言えない。
そして何より、そんな馬鹿馬鹿しくもどうにもならない仕組みのせいで、多くの人々が不幸になったり命を失っているという現実こそが最も悲しい現実だ。