あらすじ
インターネット上にある文章の多くは、「誰かに読まれることを前提に書かれた文章」です。
「どうすれば自分の文章が読者に認められるか?」を目的に書かれています。
しかし、文章が「伝わらない」「うまく書けない」という悩みの原因は、まさに「他人に見せるため」に書いているからです。
自分が何を考えているのかを自分で深く知った上で「ほんとうのこと」だけを書くのでない限り、いくら巧みに言語化しても、それは借り物の言葉です。
もしその文章がバズって、他人に認められて、フォロワーが増えたとしても、それは「偽の自分」が社会とつながることになってしまう。
それは、自分自身でも気づけない「生きにくさ」につながっていると著者は言います。
本書は、まず誰にも見せない文を書く場所を確保して、自分を深く知ることに重点を置きます。
その上で、「自分にしか書けない文章」の書き方を身につけて、他人に読まれるまでの道筋を示します。
「自己肯定感」と「文章力」が同時に上がる、新しい文章の書き方。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
タイトルから想像すると、これは文章を書きたい人向けの本だと限定されそうだけど、全くもって違う。
これは「生き方」について書かれた本だと思う。
私のなかで再読したいトップ3に入っている本のなかに、土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」が入っている。
当時、こんなにも自分自身の痛みを深掘り、他者に差し出し、そして最後にその痛みを大切に抱きしめながら生きていっている人がいるのか、と衝撃を受けたことを覚えている。
なんでこんなにも心を鷲掴みにされるのだろうと、当時の自分は疑問に思っていたけれど、今作を読んで腑に落ちた。
土門蘭さんは、「ほんとうのこと」を書いているからだ。
まだ未読の方は、ぜひ、2作合わせて読んでほしい。
今作の土門さんの文章のなかで以下のものがある。
「お互いの孤独の先で、いつか出会える日を楽しみにしている」
すごく素敵な言葉。
今作にも挙げられている、江國香織さんの「人はみんな天涯孤独だ」という言葉。
まさしくそうだよな、と思う。
本来、孤独は寂しいものではなく、安心できるものなのかも知れない。そして、孤独の先で、孤独のまんまで他者と繋がる。その関係性って、すごく素敵。
いやー、久々に良い本を読んだなと、幸福感満ち満ち状態です。
土門さんの本に影響されて、江國さんの本を読みたくなってきたなー
Posted by ブクログ
☑️ほんとうのことを、書くための練習は、
誰にも読ませない文章を、ひたすらにたくさん書くこと。毎日、言葉の水路を掃除するように、脳の思考を排水する。
☑️書くとは「生きて考える」ことだから、いろんな場所に出かけて挑戦をして体験をすること。生きるとは他者とかかわること。考えるとは自分自身と向き合うこと。これらをつなげて考えたことを、書く。
☑️苦手なのは書くこと?読まれること?不安を分解してみる。
☑️自分以外の人のことを記載するとき、その言葉は暴力になる。その人の認識が、事実が異なっている危険性があるから。許可を取り、読んでもらって確認を取ろう。
Posted by ブクログ
自分の気持ちに気がつくって案外できてないなって最近思う。そんな時に、先生の本を読んで「書くこと」に希望を感じました。
私も自分の気持ちが知りたい。
この本はお守りにします。
書いてくれてありがとう。
Posted by ブクログ
自分の中で大切にしている「ほんとうのこと」を理解するために、何から始められるかアイデアがたくさん。書く私と読む私の邂逅、理解と共感の違い。かの揺さぶられた言葉の力はこれだったのかと腑に落ちたり。私も少しずつ書き始めてみようと思います。
Posted by ブクログ
文章術の本だと思って読み始めたら、変身術の本だった。僕も変われるという希望、あるいは、まだ観ぬ自分に変身する勇気をくれる一冊。
まず、不思議なサブタイトルに惹かれた。本当のことを書くことが、なぜ他者とつながることに通じているのか?むしろ、真逆では?そんな疑問に、静かで、だけど力強い筆が、グワリと応えてくれる。
ちょいちょい出てくる高校教師さん、新聞記者さんのエピソード。彼女自身が、いかに「他者から受け入れて変身し続け」てきたか。その歩みが滲んでくる。そこが信頼できる。きっと彼女は、仮面ライダーもびっくりの変身上手。ほんとうのことを書くという行為を通じて、「恐怖と期待が入り混じった変わるという行為」を礼賛している。一方で、それは決してカンタンではない。ほんとうとは何か?には、カンタンにはたどり着けない。しっかり練習し続けないと得られないのだと、マッチョに現実を突きつけてもくる一冊でもあった。でも、全然冷たくない。星新一もびっくりの激アツの熱血漢な温度を感じる。だから好きだ。
何だか、いい先生、恩師に出会えた気分だ。土門先生に、高校生で出会える人生でいたかった。いやでも、まだ遅くない。僕にとっての、「ほんとうのこと」とは何なのか?土門先生の言葉を胸に、今日から僕も、練習しよう。手を動かそう。
p.s.ただの偶然だけど、この本を読んだ翌日読んだ本は、ハン・ガンの『光と糸』だった。今日も戦争のニュースが絶えない。恐ろしいことに、どこか慣れちゃってる自分もでてきたり。そんな中、ハン・ガンさんは「ほんとうのこと」を書き、届けてくれている。彼女もまた、「ほんとうのこと」の書き手なのだなと、土門本のおかげで、しみじみ感じ取ることができました。感謝。
Posted by ブクログ
夜8時に、東海道線の下り電車でハンバートハンバートを聴きながら、同書を読んでいると、著者の感じている不安や物悲しさがふと乗り移ってきて、なんだか目に涙が滲んでしまった。本を読んで感動することはたまにあるが、こうやって電車というパブリックな場所で、我慢できずに感極まってしまうことはとても珍しい。彼女の文章には僕の心を動かすなんらかの力があるのだろう。
あらためて考えてみれば、やはり「ほんとうのこと」を書くというのはとても難しいことだ。一回立ち止まって、自分としっかりと向き合うこと、周りを冷静に見つめることが必要だし、その上で、自分が感じたことを、言語化して相手に伝わるように表現する力が必要だ。
私が電車の中で感動してしまったのは、それらが彼女には備わっており、彼女の本当のことに私の心が深くゆすらされ自分の何かと共振してしまったからだと思った。
Posted by ブクログ
“ほんとうのこと”
を
綴れるのは
飾りっ気のない素の自分だけ。
✾ほんとうのことを書く練習
✾土門蘭
✾ダイヤモンド社
めいいっぱい考えて書く。
読む人がどう思うか、そんなことまで考える。
考えすぎて誰かに読んでもらうのに躊躇する。
読まれる怖さ、否定される怖さに不自由になる。
でも縛られて書けなくなるなんて、“とんでもなく不自由”だ。
じゃあ、どうやって自由になる?
“自分を受け入れる”こと。
“自分を愛する”こと。
“自分の心身を目一杯使って「生き」て「考え」る限り、私たちは無限に文章が書ける。”【引用】という。
そして個性を意識して出そうとせず、素の自分を見つけられたらそれが個性なんだ、と理解した。
だから自分の中にある言葉を観る。
言葉を探して探して、今の気持ちにぴったりの100%に近い言葉を当てる。
書いては消して。
消しては書いて。
それの繰り返し。
自分の中の“ほんとうのこと”をアウトプットするために逡巡する。推敲する。
この1冊から受けられる影響は多大だ。
この本から読書記録に連ねた言葉がたくさんある。
それらを自分のものにしてこれからよりたくさん『書いて』いきたい。そう期待に胸を膨らませる1冊になりました✧
“「死にたくなったら100冊本を読みなさい。きっと100冊に至る前に死にたくなくなるから。」”【引用】という言葉に心打たれました。
本ってやっぱりすごい!
それなのに、たった5名の選考委員のリアクションに縛られて、いまとんでもなく不自由になっている。
読まれることはこわい。だけど、書きたいし読まれたい。褒められなくても、否定されても、「私はここで生きているのだ」と伝え続けたい。
「書く」ことは「問う」ことなのだ
個性は消して、消して、消しなさい。そうして残ったものが、あなたの個性だよ。
孤独な人間は独りきりであり、それゆえ「自分自身と一緒にいることができる」。人間は「自分自身と話す」能力を持っているからである。ハンナ・アーレント
孤独とは「ひとり」なのではなく、自分と自分の「ふたり」でいられることだというのだ。
最低限の配慮が足りないものも「ほんとうのこと」が書かれた文章ではない。ほんとうの自分を見せたいからといって、裸に近い格好で外を出歩けば、周りの人は目のやりどころに困るし、嫌な気持ちになる人もいるだろう。書いたあとの配慮がないものは、ただの「排泄」であって、「ほんとうのこと」ではない。
読んでいると、深く呼吸ができるようになるか。心が落ち着いたり、軽やかになったりするか。自分でも何か書いてみよう、と思うか。少しでも、自由な気持ちになれるか。
「死にたくなったら100冊本を読みなさい。きっと100冊に至る前に死にたくなくなるから。」
自分の中の「読み手」を育成する。
「書き手と読み手が均等に存在する」ことが大事
「自由」になる条件は、「自分を受け入れる」ことだと思う。意のままに振る舞うことを許すこと、その振る舞いをすべて受け入れること。
言葉も同じだ。人の中には、言葉が通る水路がある。その水路は「ほんとうのこと」が湧いてくる自分の水源と、外の世界をつないでいる。きれいにしておかないと、いくら水源から「ほんとうのこと」が湧いたって、通りが悪くて外に出ない。
言葉の水路をなるべくきれいに保っておくための、毎日の排水作業。
嫌なことは書いて流し、嬉しいことは書いて固める。
自分だけは、何を言っても否定しない、拒まない、受け止めてくれるんだと実感すること。つまり、自分を受容すること、愛すること。
自分の心身を目一杯使って「生き」て「考え」る限り、私たちは無限に文章が書ける。
考えるな。考えるのは後だ。第1稿はハートで書く。リライトには頭を使う。文章を書くときは、考えずに書くこと「生きる(他者に触れる)」「考える(自分と向き合う)」の両者だ。前者だけでは社交になり、後者だけでは内省になる。
小説とは、架空の他者を主人公にしたエッセイなのではないか。
どれだけ鮮明に他者のことを想像できるか。小説はそこにかかっている。
自分の中の「ほんとうのこと」を書くのがエッセイ。自分を超えた「ほんとうのこと」を書くのが小説。
インタビューで大事なのも、やはり「対話」であるということだ。
今日会う相手とは「ほんとうのこと」しか話さない
本当の「情報化」とは「五感から入ってきたものを情報に変えて人に伝える」こと
養老孟子さんに聞く、もう半分の世界のことより
私たちにしかできないことは「情報化」。つまり、まだ情報になっていないものを情報にすること、まだ言葉になっていないものを言葉にすること、まだわからないことをわかるようにすることだ、わからないことは、人間にしか書けない。
自分自身の中でOKが出たら、あとは半分覚悟、半分諦めの気持ちで、文章を差し出しています
他者にどう受け取られどう評価されるかについてはいくらかんがえてもわからないから、諦めている
私には私の『ほんとうのこと』があるのに、あなたほどの文章力がない私には、うまくそれを表現できない。だから黙ることしかできない。
私が文章を書けているのは、周囲の他者との関係があってこそだ。
言葉には「力」がある。それがエンパワメントにつながることもあれば、暴力につながることもある。
言葉の「力」は、何かを壊すためではなく、何かを生み出すために使うべきものだから。
もちろん、対話がうまくいかず、分かり合えない場合もあるだろうが、対話を試みること自体は大切なことだと思う。
書き手は読者に「共感」を求めることはできない、ということで。読まれる際のゴールには、あくまで「理解」に設定するべきだと考えている。
「共感」とは、感覚的にわかってもらうこと。
「理解」は論理的にわかってもらうことだ。
独りなのは、私ひとりではないんだ
当然、なかには私の文章に拒否感や嫌悪感を持つ方もいた。そのたび、傷ついたり、揺らいだりもしたが、仕方ないと思うようになった。
inspire
鼓舞する・創造的刺激を与える
「もっと自由になっていいんだ」と思ってもらえること
Posted by ブクログ
よかった。時たま希死念慮に襲われる今、誰にも見せない日記を、少しずつ書いてみようと思った。なぜ自分が文章を読み、書くのかに対する思い巡らしにもなった。どちらかといえば私は生きるために「読む」。けれどそれじゃもったいないので、書いてみることもしてみる。
Posted by ブクログ
『死ぬまで生きる日記』を読んでこの人の文体好きだなと思っていたので、今回文体の話に触れられたところで、私の中のそれは土門さんですよと嬉しくなった。読み終えて、三日坊主だった日記をまた書き始めることにした。
Posted by ブクログ
『死ぬまで生きる日記』がロングセラーとなっている文筆家 土門蘭さんの『ほんとうのこと』を書く練習の本です。
ほんとうのこととは何なのかどのように書いていくのか、ひとつずつ丁寧に伝えてくれています。
土門さんのノウハウがこれでもかと詰まっています。本文は難しくなく大変読みやすいので、文章をこれから書こうと思っている人、書きあぐねている人、読む専門の人、どんな方にもおすすめです。
土門さんが序章で書いているこの文章が、この本の紹介としてはやっぱり1番分かりやすいので、以下に引用します。
『これは「ほんとうのこと」を書くための本だ。
どうすれば、自分の中にある「ほんとうのこと」を掴み、言葉にできるか。
そして、どうすればそれを他者に伝えることができるか。
つまり、どうすれば自分のままで社会とつながれるか。
一つひとつ考えながら、文章にした。
この本を読んだあと、「自分も何か書いてみようかな」と感じてもらえたら嬉しい。
本来、書くことは、とても自由でおもしろいことのはずだから。必ず、あなたにしか書けないことがあるはずだから。
いつか私は、それを読みたい。』p13〜14
Posted by ブクログ
地に足のついた「ほんとうのこと」を書こうと思ったし、村上春樹や養老孟司などの引用の文章も印象的だった。読み終わったあと、小説を執筆しようとしている友人にプレゼントした。