【感想・ネタバレ】集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのかのレビュー

あらすじ

1980年代、「ポストモダン」が流行語となり現代思想ブームが起きた。なにが20年前の若者を熱狂させたのか。丸山眞男など戦後思想との比較をふまえ、浅田彰や中沢新一らの言説からポストモダンの功罪を論じる。思想界の沈滞の原因を80年代に探り、思想本来の批判精神の再生を説く、鬼才による現代思想論。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

日本の現代思想を学ぶ入門書としては最高の書籍だと思う。
ポストモダンをいきなり語るのではなく、マルクス主義からの流れで書かれているので、その成り立つ背景なども学ぶことができ、より理解がしやすい。

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2011年12月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「現代思想」:脱・中心化もしくは脱・体系化していく傾向。p12

【マルクス主義】p32
①労農派:直接的に社会主義革命を目指すべきだと主張するグループ。
②講座派:封建制の残滓である天皇制を中心とする「絶対主義」耐性を生み出した明治維新は本来の意味でのブルジョア革命ではないので、他の反体制勢力と協力しながらブルジョア民主主義革命の完遂を目指すべきだとする"二段階革命論"を提唱するグループ。

後期フッサールの「共同主観性(=間主観性)」p76
廣松渉『世界の共同主観的存在構造』:「物象化」と「共同主観性」の不可分性。

ベンヤミン『パサージュ論』:パリの中心部に出来上がったパサージュ(アーケード)を中心とする都市の景観を遊歩者(フラヌール)の視点から描き出した。ベンヤミンは、都市空間の中に様々な形で「表象=再現前化 represent」されているブルジョワジーの欲望を、商品の発するユートピア的なファンタスマゴリー作用という面から理解することを試みた。p88
※「ファンタスマゴリー」:何の変哲もないただのオブジェに光を照射することによって、スクリーンの上に怪物のような巨大な影を映し出す「幻灯装置」。Cf. マルクス「物象化論」

ボードリヤール『消費社会の神話と構造』
記号論的世界観への転回

サルトル「実存主義的マルクス主義」:「疎外」された状況を克服しようとする主体的な「実践」によって、(下部構造によって決定されう)「歴史」の中で自由の空間を切り開くことが可能であるとする立場。『弁証法的理性批判』

普遍的な進歩史観を相対化する構造主義と、「歴史」の中での主体的な「実践」の意義を強調する実存主義的なマルクス主義の対立構図。p116

【フーコーのエピステーメー論】p116
エピステーメー(知の体系):各時代に偏在する。
エピステーメーによって、その時代の「知」の在り方が条件付けられることを、フーコーは「歴史的アプリオリ」と呼ぶ。p117

フーコー「生・権力 bio-pouvoir」:我々の日常生活の様々な場面にいつのまにか入り込み、我々を「内」から支配している"小さな権力"をめぐる問題。p122

デリダ「二項対立図式を免れて、純粋に真実を映し出せるような透明なエクリチュールはない。p130

「オイディプス・コンプレックス by ドゥルーズ=ガタリ」:「主/客」未分化状態にある母子の原初的な関係が、父=主体の介入によって切り裂かれ、母が自分のものではなく、父のものであったことを知らされた子が、父に対して嫉妬しながらも、自らも父の男根と同化したいという願望を抱くようになり、父に倣って「主体化」していくようになる、というストーリー。p134

「欲望する機械 by ドゥルーズ=ガタリ」:自己増殖し続ける無意識的な欲望の連鎖。p137

「外」から暴力的な破壊活動を加えるまでもなく、「資本」の流動性と「主体」の消費欲の拡大によって「資本主義」自体が「内」から不可避的に変質していく、という彼らの議論は、大量消費社会という現実、とりわけ80年代の日本社会の実情にうまく対応していた。p139

構造主義以降に出てきたフランスの思想家・社会理論家たちは、全てを説明できる絶対的な統一理論のようなものは目指さない、むしろそういうものを構築しようとする欲望に抵抗することを、"共通項"にしていたようなところがある。p145 Cf. リオタール『ポスト・モダンの条件』=「大きな物語の終焉」

【栗本慎一郎の祝祭論】p147
経済人類学者の栗本慎一郎
ポランニー、バタイユらに着想。
Cf. ネイティブ・アメリカンにおける「ポトラッチ」
『パンツをはいた猿』<メモ>草なぎくんの露出事件
「生産的に労働する人間」観から「蕩尽する人間」観へのパラダイムシフト。

「不均衡累積過程論 by 岩井克人」:「物」と「物」との交換媒体として生まれてきた「貨幣」、とくに紙幣は、それ自体としては(使用)価値はほぼゼロのはずだが、その貨幣に人々が競って群がって、次第に「貨幣」が膨張していくのは、どうしてか。
貨幣経済の社会においては、"流通している"という事実それ自体によって、貨幣によって表示される"価値の総量"が次第に増加していく、という、不思議な事態が生じる。

【パラノからの逃走】p169
浅田彰『構造と力』第6章「クラインの壺からリゾームへ」
ブラックホールに吸引されるようにみんなが一つの方向へ引きづられながら、自己差異化的な循環運動を続けているモダンな状態、つまりパラノイア的な状態から、運動の方向性がスキゾ的に分散化していくポストモダンな状態へと移行していく可能性を示唆。
※「リゾーム(根茎)rhizome」:樹木(ツリー)のように系統的に発展しているのではなく、菌類の根のように、どこを中心として、どういう方向に根を張っていくのか、全体図がよく読めないような発展をしているということ。

ヘーゲル=マルクス弁証法:正(テーゼ)→反(アンチテーゼ)→合(ジンテーゼ)

ゲーデル「不完全性定理」:いかなる無矛盾な体系においても、その体系自体の中では証明も否定もできない論理式=命題が存在する、ということ。
Cf. 論理学における「自己言及性のパラドックス」メタ・メタ・メタ...自己回転を免れない。

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2013年07月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この本で著者は、保守vsマルクス主義、マルクス主義陣営の内乱、ポストモダン、そして現在の論壇、という現代思想の流れを扱いながら、思想が世の中を動かす絶対的な装置だと自惚れた思想家に対して、冷ややかな目で横目で見ながら持論を展開している。

思想というものは絶対的なものなんかではなく、世の中の分析装置のひとつにすぎない、と述べられている。

思想を職業としている自らの自己否定かと思いきや、冷静な目で現代思想を活用していこうというポジティブな見解を示しており、妙な説得力に感心させられた。
特に印象に残ったところとしては、ポストモダンの記述について、ポストモダンが流行らなくなってきている現在の方がポストモダンの最盛期よりもよりポストモダン的である、という逆説的な分析に興味が惹かれ、現代思想を学ぶ意欲が掻き立てられた。

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2011年12月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
1980年代、「ポストモダン」が流行語となり現代思想ブームが起きた。
「現代思想」は、この国の戦後思想をどのような形で継承したのか。
海外思想をどのように咀嚼して成り立ったのか。
なぜ80年代の若者は「現代思想」にハマったのか。
丸山眞男や吉本隆明など戦後思想との比較をふまえ、浅田彰や中沢新一らの言説からポストモダンの功罪を論じる。
思想界の迷走の原因を80年代に探り、思想本来の批判精神の再生を説く。
沈滞した論壇で唯一気を吐く鬼才による、異色の現代思想論。

[ 目次 ]
序 かつて、「現代思想」というものがあった
1 空回りしたマルクス主義(現実離れの戦後マルクス主義;大衆社会のサヨク思想)
2 生産から消費へ―「現代思想」の背景(ポストモダンの社会的条件;近代知の限界―構造主義からポスト構造主義へ)
3 八〇年代に何が起きたのか(日本版「現代思想」の誕生;「ニュー・アカデミズム」の広がり)
4 「現代思想」の左転回(なぜ「現代思想」は「終焉」したのか;カンタン化する「現代思想」)

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2011年06月11日

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