あらすじ
「地中海の帝国」と語られることの多いローマ帝国は、実は「大河と森の帝国」だった? 帝国衰亡の最大原因とされる「ゲルマン民族」は、存在しなかった?──「ローマ帝国衰亡」という古代史上最大のテーマを、歴史学の最新の知見から語り直し、「栄えた国が衰えるとはどういうことか」を考えさせる、刺激的な一書。
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Posted by ブクログ
ローマ帝国(西ローマ帝国)の崩壊は、世に言う「ゲルマン人の大移動」が主因ではなく、ローマ帝国自体が時代とともに変容していき、ローマ市民自体の弱体化(権利は主張するが義務は果たさない)、異民族に対する狭量な排斥運動、皇帝(軍隊)間の内紛といったことが重なり自壊したという話。読んでいると今のアメリカを映しているようで、パクスアメリカーナも風前の灯火に思えてきて少々怖い。
Posted by ブクログ
斜陽期に入っていても、まだ日は高かった筈のローマが一気に衰亡した原因を、寛容から排他主義への人々の変容に見ています。
ローマを排他的にした原因をキリスト教とするのではなく、キリスト教もまた変容していったするのが面白かったです。
排他的になることからの視野狭窄が良い結果を生まないのは、何事にも共通していると思います。
紙面の関係か全体的に少し物足りない印象でした。
Posted by ブクログ
南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、ギボンの名著に“新”を冠する本書は、歴史学最新の成果を踏まえ地中海の帝国よりも「大河と森」の帝国の衰亡を点描する。帝国領土は確かに明るい地中海が全てではない。巨大な帝国は三十年で滅亡した。栄えた国が滅びること、国家とは何を考えさせる好著。
四世紀後半、攻勢に晒されるローマは「尊敬される国家」をかなぐり捨て、全盛期の推進軸(市民権の平等と寛容)とは対極の「排他的ローマ主義」へ傾く。国家の統合よりも差別と排除を優先させ、実質的にローマを支える「他者」を野蛮と軽蔑し、排除した。
「この『排他的ローマ主義』に帝国政治の担い手が乗っかかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力を失い、『尊敬されない国』へと転落していく」。著者は安易に現代と比較することに控えめだが歴史は大切なことを教えてくれる。
私は歴史学者じゃないけど、先のようなかたちでの「歴史から学ぶ」ということは必要なんだろうと思う。確かに、ゲルマン民族云々によって西ローマ帝国どーんていうのが教科書的「学び」なんだろうけれども、その転換に、繁栄から凋落へというのは(要するに寛容から排除)、アクチュアリティがあるわな
国が傾くと、声高な外交にシフトすることで、本当に考えなければならない問題をスルーさせ、瞬間最大風速的な一時しのぎの求心力を得るために排外主義に傾き、失敗してきたのは世の常。しかし、ローマ帝国もそのひとつというのは、常々「ネットで真実!」と刮目したネトウヨ諸氏にも紐解いてもらいたい
私自身はそういう内向きなものだけでなくて全てのナショナルなものは……松下電器は嫌いだけど……唾棄すべきと思っているけど、その手前に留まるとしても、自分が何であるように、他者も何であるという、自覚とその相互認識という手順が割愛されていくと、ほんと目も当てられなくなってしまう。
ざっくりとしたもの謂いをすれば、一口にギリシア・ローマといっても、ギリシアは、まさに「排外主義」に基礎づけられた自己認識によってどん尻になってゆく、ローマに超克されてゆく。そしてローマは、先験的な条件ではない「であること」の選択としての「市民権」により他者から魅力を集めた。
ついでに言及すれば、本来的に、カテゴリーに準拠されえないイエスの“戦い”が、斜陽するローマ帝国の国教となった時点で、その普遍的なものが歪められてしまうっていうのも、まあ、時期的にはローマ帝国の排外主義の生成の時を同じくしていくというのは、難ですよ。これぞ枠内猫パンチというヤツか
しかし、まあ、これはキリスト教に限定され得ない話ではあるわけなので、この世を撃つ眼差しが、この世の仮象たるものの下位に序列化されたときの問題として考えておかないと、あまり意味はない。江戸期以降の仏教や、戦前日本の諸宗教が「私たちこそ国家に有益な宗教」競争をしたわけだしね。