あらすじ
世紀末のウィーンに生まれ、20世紀初頭のケンブリッジを舞台に活躍した天才科学者ウィトゲンシュタイン。裕福なユダヤ系鉄鋼財閥の家庭に育ちながら、数奇な一生と特異な行動や風貌によって、その思想の全貌は今日なお神秘的な色彩を帯びる。彼が生涯を賭けて問いつづけた「語りえないもの」とは何か? 初期の写像理論から中期の文法理論、後期の言語ゲーム理論へと展開する独特のアイディアにみちた思想の核心にわけ入り、読者とともに考える、清新な魅力にあふれた入門書!
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「考えつつ読み、ときに立ち止まって考える、という過程を省略しないでいただきたい」と筆者が述べるように、本書はウィトゲンシュタインはもちろん、哲学の入門書にもなっている。
世界観をつくるということ。問題を提示するということ。ウィトゲンシュタイン、哲学を学び始めたいすべての人へ。
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ウィトゲンシュタイン哲学について入門書。一読してみての感想。「ウィトゲンシュタインの問題意識」に照準を合わせて、それを読者に伝えるということについては成功していると思う。ただ、新書かつ入門書という制限があるため、ウィトゲンシュタインの議論を詳細に説明し尽くしているわけではない。この点には筆者も自覚的であり、より詳しくウィトゲンシュタインについて学びたい場合には、巻末の読書案内が役立つだろう。入門書としての役割は果たされていると思う。ここまでで★4つ。
★追加要素は、「ウィトゲンシュタイン入門」でありがながら、きちんと「永井均の本」であるという点。永井均が好きなら読むべき。それが本書が「他の入門書との相違点」すなわち「持ち味」でもあると思う。逆に言えば、永井均が嫌いな場合は、読むに耐えないかもしれない。
わたしは、永井均が好きだ。彼の本を読むと、その真摯な姿勢に胸を打たれる。その点を加味して、★5つ。
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「哲学者はいかなる観念共同体の市民でもない。そのことが、彼を哲学者たらしめるのである。(断片)」
ウィトゲンシュタインは、哲学の題材を「語りうる」「語りえない」で区分けした人物と思われがちだが、永井さんの理解では、彼は「語りえぬもの」に(言語化不可能な仕方で)あらかじめ触れていた。それを人間の思考様式(言語・写像)で、どうにか掴もうと、もがき続けたのが、彼の哲学人生だったのだろう。
そして、その様が、永井さんの胸を強く打つのだろう。
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■メインテーマ
語りえないものとは何か?
■筆者の主張
言葉は論考である程度決定することが出来るが、本当はきちっと語れるものではなく、
日常生活の中で生まれた判断の一致のようなもの。
その中で言語が使われないような場面でも、意味が通ずるのは、言語ゲームの世界に
我々が生きているから。
■学び
文法などの規定の中で、私たちは世界を規定させることに成功したが
限界があることも認識する必要がある。
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読み終えた感じたのだが、本書はヴィトゲンシュタインの入門書ではないかしれない。
つまりは手っ取り早くヴィトゲンシュタインについて理解したいという「入門者」向けではなく、どちらかというとヴィトゲンシュタインのテクストを丁寧に読解していくスタイルをたのしむ、読み飛ばしせずに深く読んでいく、という「入門書」として優れた内容だった。
そのため、読んだ結果を感想として「まとめる」のはおかしな話なのだが、それでも本書についてなにがしか言おうとするならば、ヴィトゲンシュタインを新書サイズで読解するというのは想像していた以上におもしろかった、ということくらいかくらいにとどめておいたほうがよい気がする。
本書はヴィトゲンシュタインの生涯とその思想について「まとまり」があり、検証、規則などヴィトゲンシュタインの思想のキーワードについて、著者の力の入った解説をかなりたのしみながら学べた。
次に読む(同じ講談社新書から出ている)鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951』を数ページ読み始めているのだが、本書を読み返しつつ読み進めてヴィトゲンシュタインに「入門」していきたい。
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ウィトゲンシュタインの思想の変遷を追いつつ、何が「語り得ない」のか、なぜ「語り得ない」のか、を著者は語ろうとする。「語り得ないこと」こそがウィトゲンシュタインにとって重要なことであるというのは、前に別の本か何かで読んだことがあるが、それがいったいどういうことであるのかを、この本で何となくつかめた感じがする。
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ウィトゲンシュタインは難しい。はっきり言って、一つ一つの文章は、何をいっているのか、ほとんど分からない。でも、なんか気になってしょうがない。そういう存在だ。
なぜ、分かりもしないものが気になるのか?
それは、私が、彼の風変わりな人生の物語と彼の哲学を重ね合わせて読むという非常にロマンティクな読み方をしているからとしか言えない。そういう観点で、ウィトゲンシュタインを読む私にとって、もっと強烈な読書体験は、「論理哲学論考」の結語「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という言葉。
「ウィトゲンシュタイン入門」は、まさに「語りえぬもの」の問題を軸にして、ウィトゲンシュタインの哲学を初期から中期、後期へと著者独自(?)の解釈を進めていく。
著者は、ウィトゲンシュタインの「論考」での「語りえぬもの」という問題は、後期の「哲学探求」では「すべては言語ゲームであり、どんなことでも語りうる」となっているとしたうえで、「語りえない」ものは、「正当な言語の範囲拡大とともに、それは文字通りまったく語りえないものとなった」のだとする。
「入門」を超えた(しかしながら、「考えるという事が何なのかという事に関するそもそもな入門」ではある)スリリングな本であった。だけど、私にはこの本ですら、難しかったので、内容はともかく、自分の満足度としては星は4つとした。
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ウィトゲンシュタインの哲学の全体像を、独我論を中心軸として読み解こうとする試み。その点で、ウィトゲンシュタインの哲学を網羅的に紹介しているというわけではないが、『論理哲学論考』から『哲学探求』に至るまでの彼の思考の発展を、統一的視座のもとに描き出しているために、ウィトゲンシュタインが何を考えていたのかがよくわかる内容になっている。
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わたしが本書から感じた「この」感覚は、わたし以外に感じることは出来ない…この本を手にし読んだ方には、わたしが言わんとするところを理解してくれるのではないかと思う。
わたしが幼きころに抱いていた疑問に答えてくれた1冊のような気がする。
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[ 内容 ]
世紀末のウィーンに生まれ、20世紀初頭の英国ケンブリッジを舞台に活躍した天才哲学者ウィトゲンシュタイン。
ユダヤ系の鉄鋼財閥の裕福な家庭に育ちながら、その後たどった数奇な生涯と一風変わった人となりによって、彼の思想の全貌はいまも神秘的な色彩を帯びている。
彼が生涯を賭けて問いつづけた「語りえないもの」とは何か。
初期の写像理論から中期の文法理論、後期の言語ゲーム理論へと展開する独特のアイディアにみちた思想の核心にわけ入り、読者とともに考える、清新な魅力にあふれた入門書。
[ 目次 ]
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰
第1章 生い立ち
第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学
第3章 復帰
第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学
第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学
第6章 最期
終章 語りえぬもの―光と陰、再び
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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巻末の読書案内が優れる。
Key concept; 規則、
ウィトゲンシュタインに関する書物
ノーマン・マルコム ☆読みたい
黒田
アンソニー・ケニー
藤本隆志
滝浦静雄
AJエイヤー
ACグレーリング
クリスティアンヌ・ショヴィレ
ウィトゲンシュタインを含む書
シュテークミュラー『現代哲学の主潮流2』第9章 入手
黒田 『経験と言語』の? ☆
飯田隆『言語哲学大全?』の第1,2章 ☆
本格的な研究
PMSハッカー
『洞察と幻想』
ウィトゲンシュタイン的な考えを展開し直接さまざまな問題にアプローチ
古典
心 ノーマン・マルコム『心の諸問題』 ☆
科学 Nハンソン『科学理論はいかにして生まれるか』
社会 Pウィンチ「社会科学の理念』 済
より最近
クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』 古典のウィンチと読み比べて「規則」理解の違いは後期ウィト的問題の中核 ☆
クリプキ以降のウィト解釈を社会理論への適用例
落合仁司『保守主義の社会理論』 クリプキ以降のウィト解釈の社会理論への適用例 済
Wittgensteinと分析哲学との関係
マイケル・ダメット『真理という謎』 済 中央
リチャード・ローティ『哲学と自然の鏡』 直接読む 済 ICU
現代思想全体との関連
Hステーテン『ウィトゲンシュタインとデリダ』 ウィト哲学になじんでいる人向けにデリダとの関連を説く
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ウィトゲンシュタインの生涯と彼が遺した著作、草稿から彼の思想と意図を紐解く。彼の著作『論理哲学論考』は、のちにウィーン学団を結成した論理実証主義者に影響を与えたが、真に重要なことに沈黙するのではなく、排除すべきものと見なした。
Posted by ブクログ
難しいのは難しい。人物伝が少ないので考え方の部分が簡潔に書かれているとは思う。少しわかるような気になったが、もっと読み込まないと理解は深まらないのかも。「言語ゲーム」や「語りえぬもの」、キャッチーでありつつちゃんとわかるのは難しい。
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難解なものを低いレベルに引き落としてまで分かりやすく解説することに意義を感じないとする筆者の態度が、もう、めちゃくちゃに伝わってくる。
ので、難しい。
論理学のような因果関係で結ばれる関係性が、言語とその対象や描写しようとしているものには存在しない。だから言語は生活に深く織り込まれており、暗黙のうちに言語に縛られている。ってこと?
あらゆる事を表現しようとしてもどうやっても言語から逃れることは出来ず、暗黙のルールによって取り組まれているゲーム(勝ち負け系ではなく遊び系)のようだ。ゲーム規範/ルールがあってゲームがあるのではなく、ただゲームがあるのであり、ゲームの外からルールを把握することはできない。
「私の痛み」というときの、「私」には、今この文章を書いている私と、それぞれの個人が自己を指すときの一人称としての私があり、同じ「私」でも絶対に意味が共有されない。ってこと?
検証可能な命題に意味があるのではなく、「青」や「黄色」のような経験によって満たされる言語が意味をもつ。???
むずかしー
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ウィトゲンシュタインの哲学について触れることができる本。
しかし,その考えは難しく,「入門」と書かれたこの本を読んでも細かい部分については理解しきれず,なんとなくその考えの表面部分が分かったような気がするという程度までしか至らなかった。
それは著者の書き方が悪いのではなく,その内容の難しさに原因があると思う。
しかし,表面の部分はさらっと触れた気がする。さらに詳しく理解するのは,他のウィトゲンシュタインについての本も読んで,自分の頭で考えなければいけないかもしれない。それはまたの機会を楽しみにしておこうと思う。
Posted by ブクログ
結構難しいけど面白い予感がするよ~。
『翔太と猫のインサイトの夏休み』はかなり前に読んで、とても面白い!と思った記憶があるけど、この本とおんなじ作者とは気付かなかった。インサイトの本、もう一度読み返したくなったよ。
しかし、インサイトみたいに分かりやすく本を書ける作者であるのに、本書は何度か行きつ戻りつしないとなかなか理解できなかったよ。きっと著者が言うように、プロの哲学者でもウィトゲンシュタインの著作を誤解するひとが結構いそう、というのは想像つくよ。
「言語ゲーム」は、なんだかゾクリとする言葉だよ。より理解できたら、私の思う疑問と端っこがリンクしそうでちょっとワクワクしたよ。でもこの為だけにウィトゲンシュタインを詳しく調べるのには、エネルギーが要りそうだな…
Posted by ブクログ
うーん、難しい…
語り得ないものについては沈黙しなければいけない。この時の語り得るものと語り得ないものの画定はどこなのか?最後まで明瞭にイメージ出来なかった。また、言語ゲームとは一体なんなのか、亀とアキレスのパラドックスは何を言わんとしているのか、ボヤッと理解したつもりでも、他人に説明出来なければ、それはやはり理解したとは言えないのだろう。そういう意味で、ウィトゲンシュタインの哲学はまだ消化されてない。次は鬼界先生の著作に挑戦。少しは予備知識がついたはず。
Posted by ブクログ
*前期ウィトゲンシュタイン:論理哲学論考
沈黙すべきものを内側から限界づけ、そのことによってそれに正当な位置を与えるための書物。世界認識のための言語の限界を語る。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
経験によって知られるA→Bの関係(因果関係)が成立するとき、外的関係(経験的関係)と言える。しかし、言語と世界との結びつきは、それ以外が考えられないような内的関係(先験的関係)であると言える。この独特な関係は、「論理形式」を共有することで成り立っている
存在論として、事態とは諸対象が特定の仕方で結びついたもので、成立した事態のことを事実と呼ぶ。要素的な事態が複合的に結びつくと、状態になる。世界とは、論理空間の中の事実の全集合を示す。これは、「世界について語りうるためには、このようにできているのでなければならない」という論理から、言語と同じ構造である。論理空間そのものは全く偶然性がないが、どれが現実化するかはすべて偶然である。
あらゆるものを現実に表現し直すとそれは写像になるが、その写像関係それ自体を表現することはできない。命題は像であり、像を構成する諸要素は、それによって写像されるものの持つ諸要素に対応する。命題は対象の名前から成る名辞から成り立つ。命題における名辞の配列の仕方は、事態における対象の配列の仕方に対応する。ここから、世界の構成要素と言語の構成要素は対応していると言える。まとめると、命題は事実がいかにあるかを語り、名辞は命題の中において対象の配列を写しとり、指示する。このようにして、言葉は世界を写像する。
要素命題は要素的事態の成立を主張し、複合命題は複合的な事態=状態の成立を主張する。各要素命題間にはいかなる論理的依存関係もない。命題は現実を写像するために共有しなければならないものを、写像形式と呼ぶ。この外では言語の内に写像されない。したがって、写像形式は写像できない(例:『雨が降った』は雨が降ったことを意味する→循環論法。写像形式は写像不能)。ゆえに、これは語り得ない。
語り得ぬものは2つある。1つは、世界の形式そのものであるがゆえに語り得ない「先験的」なもの(論理)。もう1つが、世界の外にあるがゆえに語り得ない「超越論的」なもの(倫理)。世界の論理形式は変わることはないが、限界が変わることで世界の総体として実態が変わりうる。
独我論として、「言語」という先験的なものと「私」という超越的なものは、「私の言語」という媒体によって統一される。そして、私の言語の限界は私の世界の限界であり、主体は世界に属さず世界の限界となる。他人には他人の世界がある。
*中期ウィトゲンシュタイン
検証方法こそが命題の意味を始めて定める。語られるものは、まず真理(願望、仮説など)への志向があってそれが語られる。
*後期
言語ゲームとは、決して語られることのない、対象化されざる生活形式に基盤を持つ。そこに規則はなく、それを支えるものもない。例えば、実体化された「文法」は幻想である。
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ウィトゲンシュタインの哲学について書かれたものだが、題に「入門」とあるものの、難度の高い本。これは、本書の書かれ方によるものではなく、そもそもウィトゲンシュタインの哲学の難度が高いためだと思う。内容について、分かったような気がする部分もあるが、厳密には理解できなかった。理解するためには、本格的に各種文献にあたる必要がある点はわかった。その点については、本書では各種文献が分かりやすく紹介されており、「入門」というにふさわしいと思う。
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「他人は『私が本当に言わんとすること』を理解できてはならない、という点が本質的なのである」("青本")
著者の理解するウィトゲンシュタイン哲学が、今までそれに触れたことがない人にも伝わるように説明されている導入本。
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入門といいながら易しい内容ではありません。前提知識のいらないように書かれているようですが、実際のところは哲学上の語句や論理学上の知識が求められているように思います。
さらに、ウィトゲンシュタインが言うところの”語り得ぬもの”という問題について、かなり踏み込んだところまで解説しているので、かなり入念に読んで考えないとその意味することろが想像しにくいです。前述の知識の問題と相まって、読んでいてなかなかイメージのわかない印象があります。もしかしたら、著者が言うように、”語り得ぬもの”についての問題意識を共有できない人にしかそもそも理解の難しい問題なのかも知れません。
そんなわけで、哲学的な素地も問題意識の共有もできていない私にはちょっと厳しい内容でした。ただ、ウィトゲンシュタインの問題意識を共有することができるなら、これは単にウィトゲンシュタインの思想の紹介にとどまらないで、自ら本当に哲学するための入門書となりうる内容なんじゃないかなあと思います。常に自らの中の問いに向き合い問い続けていくという姿勢自体が哲学であって、応えを見つけることが哲学ではないという著者の主張には大変考えさせられるものがあります。
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永井、ヴィトゲンシュタイン、両方とも魅力的であるが、この本を読む思考力が不足しており十分に味わい尽くしていない感がある。
論理学の理解は、自分には限界かな
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ウィトゲンシュタインの生涯は、なかなか波乱に富んでいて、興味深い。が、さて肝心の論理哲学は…残念ながら難しすぎて消化不良。哲学の専門的学習をある程度積んでいないと、これは無理だ。