あらすじ
敬語は相手を苛立たせもし、怖がらせもする。店員のミスに腹を立てた客が、「責任者呼んでこい」と怒鳴るのと、落ち着いた低い声で、「支配人にお目にかかりたいのですが」と言うのとでは、後者のほうが店員を震え上がらせる。敬語とはそういうものである。(本文より)現代日本人に最も好まれている敬語「いただく」の過剰使用からマニュアル敬語まで。豊富な誤用例をもとに、言葉とコミュニケーションの問題を考える一冊。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
目次を見ただけで、いつもの自分の言葉遣いに思い当たるところが多々あり、どんな問題があるのかワクワクしながら読み進めた(ワクワクするところじゃないかもしれないけれど...)。
この本は、敬語の誤用例について、敬語の本来の使い方や意味を示しながら、どこがなぜ誤っているのかを教えてくれる。
面白いのは、どうしてそのような誤りをしてしまうのかという分析もなされているところだ。
言葉を使う人の心理だ。
だから、単純に言葉遣いの正誤に関する知識が得られるのにとどまらず、自分自身のコミュニケーションのあり方、他者に対する向き合い方も考えさせられた。
「よろしくお願いします」や「〜ればと思います」が丁寧な形をとっているようで、場合によっては相手に自分の意見を押し付けたり、自分の意思を察することを求めるものになりうること。
もう一歩言葉を選んで使う努力をすべきなのに、なんとなく通じるだろうと思って手を抜いてしまう自分のあり方を反省した。
「意味を無視する癖がつくと、心にもないことを平気で言うようになる。」という著者の言葉にヒヤリとした。
他方、今までの言葉遣いでは現在のコミュニケーションのあり方に合ってないのではないかと思えるものもあった。
「いいえ」という意味の「大丈夫です。」については、たしかに紛らわしい。しかし、「結構です。」というのは語気が強く感じる。もう少し優しく言いたいという話し手の思いに合う言葉はないのだろうか。
人との距離のとり方が「結構です。」が使われていたときとは変化していると思う。
著者はもちろん、言葉が社会とともに変化しうるものであることは念頭に置いている。
その上で、敬語が誤った方向に急激に変化していくことに危機感を抱いている。
なぜ急激に敬誤が出てきたのか、敬誤が増えればどうなるのか、考えてみようと思う。
Posted by ブクログ
一番印象に残ったのは、なんでもかんでも「よろしくお願いします」「いただきます」をつけず別の表現を考える、ということ。
状況も言葉と立場の違いを何も考えず「なんとなく」丁寧にしようと思っているからおかしな敬語になってしまうのだと思う。敬語をほとんど体系的に習ったことがなかったので今までの会話ではおかしな敬語を使っていたかも。。。
Posted by ブクログ
先週、首相が「さ入れ」で答弁しているのを聞きました。映画の舞台挨拶付き上映会に行けば、壇上の大半の俳優が「○○役を演じさせていただきました」と言う。「させていただく」の多用が大嫌いな私はいつも、「“させていただく”言うとったらええっちゅうもんちゃうで」と怒りをおぼえていますが、これは文としては間違っているわけではない。呆れるのは「○○役をやらさせていただきました」というヤツです。
成人している著名人が公の場で「お母さんに教えていただきました」、あるいは親である有名人が自分の子どもの話をするときに「○○ちゃんに買ってあげた」などと言うのにも違和感があります。家柄もよろしいようなのに言葉遣いの教育は受けてこられなかったのですかと嫌みのひとつも言いたくなる。
携帯電話の普及で、話したい相手の親を経由することがなくなり、プチ敬語すら使う機会がありません。付け焼き刃では無理だから、社会に出て取引先などと話をしなければならなくなったとき、自分が敬語を使えないことに初めて気づく。でも本当に気づくでしょうか。今や正しくない日本語が普通で、銀行に行っても妙な敬語で応対されたりする。周囲がみんな妙な敬語を使っているなら、自分が気にする必要もないということになるのでは。
本書にある「挨拶の言葉にはそれぞれ意味がある。意味を無視する癖がつくと、心にもないことを平気で言うようになる」。「便利だからと言って使いすぎると、言葉はすり切れる」。これがすべてだと思います。しかし、この本を手に取るのは、「正しい日本語を使いたい」と常日頃から思っている人のはず。「さ入れ」、「れ足す」を使い(「ら抜き」はもうあきらめました(笑))、何でもかんでも「~させていただく」と言って自分は丁寧な日本語を喋っているつもりになっている人は、悲しいかな、この本を読まないのではないでしょうかね。
あぁ、なんだか上から目線のレビューになってしまった。すみません。(^^;
Posted by ブクログ
著者は日本語・フランス語の教師
シンプルで正しい日本語とは何か。日本語教員として、初級から中級レベルの外国人学習者に教えるべき日本語がそれだという。
学習者はできるだけ正確に聞き取り、正確に読み取り、正確に話し、正確に書けるようになりたいのだと、あとがきで触れている。
日本語教員はそれに応えるべく知恵を絞り、何を教えるか教えないかを決めているそうだ。
そういう教師の書いた敬語に関する本は、日本人である自分にも耳が痛かった。
誤用の敬語が一般化している昨今。
バイト用語と言われる接客用語も、今や若い人だけでなく中年以上の人も使っているのに遭遇する。
「~で、よろしかったでしょうか」
「こちら、〇〇になります」
「千円からお預かりします」
私には鳥肌が立つくらい嫌いな言い方だ。
このことも本書では解説されている。
気持ち悪さが、ここにあるのかと、なんとなくわかる気がした。
再読して、もう少し勉強したいと思った。
Posted by ブクログ
敬語について改めて考えさせられる本。
第1章の「いくら何でも、いただきすぎ」というタイトルのネーミングはいい。書かれている内容に共感。
また「れ足す」「さ入れ」「を入れ」など、文法的な問題についても正しく学べる。
「〜レバと思います。」は私自身よく使っていたので、自分の言葉を見直すよい機会にもなった。
Posted by ブクログ
自分自身の敬語の使い方自体に正直自信を持てないのであるが、職場や立ち寄った店で使われる敬語の中で、思わず首をかしげてしまう事例は多い。そんな事例をあげながら、どう間違っているか、どうすべきかを学べる。とはいえ、なぜ変な敬語の使われ方が発明され、継続されるようになってしまったのかまで掘り下げないといけないようにも感じた。箸の使い方(これも自信ないな)と合わせて、日本人として持ち合わせておきたいと改めて感じさせられた1冊でした。
Posted by ブクログ
最後の方は、著者の現状への不満が書かれているようにも思いますが、前半の誤用については、日常で気になることがたくさんあり、よく書いてくださったと思いました。
時代によって言葉は変化し、自身も今風の言葉をその時々で使うことはあります。
一方で、敬語は年齢などの属性が異なる幅広い人に向けてのものであることから、「正しさ」に関して簡単に変わって良いとは思えません。
筆者が前半で指摘している「させていただく」の乱用は、なぜそう言う言い方が一般化したのか考察してみると面白そうです。ひとつは「自身の行動すべてに許可が求められる、周囲の不寛容性」、ひとつは「自身の行動への自信の無さ」、もうひとつは「自身の行動の影響性を、まずは多くの人に配慮する傾向」だと思われますが、個と多数との関係性に変化が起きているものと思ったりします。
ともかく、発表会だとかで「発表させていただきます」「調べさせていただきました」と言われると「許可を求められた覚えは無いし」と思ってしまいます。
Posted by ブクログ
この本を読んで思ったのは、私がいかに敬語を知らないか。日本語を知らないか。このことである。私自身敬語は学校で少し習った記憶はあるが、敬語を使い始めて間も無いこともあり全然知らなかったし、意味わからないところもしばしばあった。
しかし知らないことを知ることで、敬語を使うことの難しさや大切さなども知ることになった。もっともっと勉強して日本語である敬語の理解、使用をしていきたいと思った。
気になることがあればすぐに参照し、この本を自分のものにしたい。
Posted by ブクログ
普段使ってる言葉が、何ともチグハグな日本語であったことがよくわかった。多分、小学生か中学生で習う、謙譲語と尊敬語の使い方、これにテレビやメールなんかで流行り言葉的に使う表現が絡まると・・・。とりあえず丁寧語で何とか乗り切るしかない。この本を一回眺めた程度では、とても使いこなすことは出来ない、日本語は奥深い。
Posted by ブクログ
言葉の意味が全く考慮されず、ただ惰性のみで使われている失礼な敬語。過剰使用と誤用により本来の言葉の意味さえ喪失している。言葉の危うさを指弾する警世の書である。随所に目を見張る新しい言辞がころがっている。「お越しをいただく」「お招きをいただく」、「を」いれ言葉。「ぎ」とり言葉。「して」とり言葉。肝心な部分をはしおった「れば」言葉。などなど。しばしば話題にされる「させていただく」などにもしっかり言及している。謙虚で奥ゆかしい言葉「いただく」に失礼だろと小さな諧謔も。読ませて考察させる。純然たるアカデミックの書。読み下すにはそれなりのエネルギーを要するが非常に有益な時間を過ごすことができた。