あらすじ
関羽、張飛、諸葛亮……最高傑作「蜀篇」!
非情にも見える劉備を、なぜ男たちはそれほど愛したのか?
数千年の時をこえて、中国歴史小説の第一人者によって初めて見出された真実。
関羽、張飛、諸葛亮、趙雲……。
「めずらしいほど無垢な人」劉備に、どこまでもついていった男たちの純情と覚悟。
いまも愛される英雄たちの挽歌。
『三国志』全十二巻の大河小説を刊行している宮城谷さんにとっても、この『三国志名臣列伝 蜀篇』は、まさに珠玉の一冊であり、三国志名臣列伝の最高傑作である。
三国志時代、最も小さな国・蜀。
誰もが知る関羽、張飛、諸葛亮、趙雲から劉備の死後に活躍する李恢、王平、費緯まで、
七人の名臣を丁寧に描くことにより、一見、非情にも見える劉備の不思議な魅力を炙り出す。
今もなお愛され続ける英雄たちの光と影。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
蜀の話。私としては、歴史の勝者魏が好きなのだが(勝ち馬に乗っていくスタイル)、やはり三国志の力はすごくて蜀の人々は馴染みがありすぎる。調べてみたら、魏のあとの司馬氏晋を倒した王朝が三国志を持て囃して現在の人気らしい。わかる。
名前は中国の名前なので、スッキリ出てこないのが当然だと思うのだけれど、三国志の場合、こうしてまとめている半分くらいの人名はちゃんと予測変換で出てくるのが、すごい。三国志の人名であっても、どの程度の人がわざわざ書くか考えると、あまりにも人気すぎる三国志だなぁと感心せざるを得ない。
関羽。字を雲長。人助けのために顔役を殺して解県から出奔。商隊の警護人に紛れ込み全国を転々とする。劉備玄徳の家に住み込んで用心棒になる。黄巾の乱の時に劉備とともに義勇兵になる。劉備の隊の武功は上に認められ、安喜県の尉に任命される。次に宦官を討つべく何進の義勇兵になり、高唐県の尉から高唐県令になる。呂布が劉備を殺そうとして、劉備は逃げて、曹操は劉備を匿い、呂布を討つ。劉備は袁術を討つため出兵してトンズラする。
この時期に関羽は二人の息子関平と関興を呼び寄せている。赤壁の戦い。
劉備は益州と荊州を領していたが、呉軍が攻め入る。和睦する。だが引く時に呉の罠にかかって関羽の首はなぜか孫権から曹操に贈られた。曹操は礼をもって葬った。
張飛の家は劉備の家の近所だった。転がり込んできた関羽と張飛は語り合う。黄巾の乱の後、公孫瓚と結ぶが手切れとなる。劉子平が玄徳を殺しにきたが殺せず帰る。劉備は呂布に命を狙われるが、最終的には呂布に迎えられ妻子を返される。次に曹操が荊州平定にやってくる。逃げる。孫権の妹孫夫人が劉備の息子劉禅をさらって逃げたが、趙雲が取り戻した。劉備は益州を手にする。曹操びっくり。
この後劉備は皇帝に。張飛は右将軍になる。関羽は亡くなる。孫権に報復のために出師した。その出陣の途中で張飛は部下に打たれた。
張飛の二人の娘は劉禅の皇后になった。
諸葛亮 幼い日を奉高県で過ごした。兄が諸葛瑾、弟が諸葛均。兄は洛陽に留学。曹操軍が攻めてきて、退却していった。袁術の誘いが来たが断った。いろいろあって劉備が訪ねてくる。3回目に初めて会う。天下三分の計を披露する。劉表が没する。曹操が荊州に入ってくる。赤壁の戦い。この後関羽や張飛が頑張って荊州が盤石に。次は益州。
劉備は皇帝になって孫権に向けて出師の命令を出す。このあと劉備は病気に。諸葛亮に「曹丕の10倍才能があるから頑張ってくれ」と頼む。その後泣いて馬謖を斬る。そのあと劉備が病没した。諸葛亮は司馬懿と好敵手であった。
趙雲。字は子龍。義勇兵として公孫瓚に差し出される。劉備につくように言われた。部下たちが常山に帰りたがるので一度平原を去る。公孫瓚は袁紹に攻められて自殺。劉備が曹操に攻められて鄴県に逃げ込んだところで、趙雲合流。子叔とともに兵を集める。劉備は袁紹のもとで曹操と戦うが負ける。劉備は劉辟らとともに許県周辺を荒らしまわる。関羽が曹操のもとから帰ってきて、曹仁に攻められて逃げる。蔡陽が攻めてきた時は戦った。官渡の戦いが終わる。諸葛亮加わる。劉表が病気に倒れ、曹操が掃討軍を動かす。劉備は逃げたが、趙雲は甘夫人と阿斗を救いにいく。
孫権の妹の孫夫人はかねてから劉備と離婚したがっていたが、故郷に帰る時に手土産として阿斗を連れ去った。趙雲は阿斗を取り返す。
そのあといろいろ曹操と戦って、益州は蜀となり劉備は皇帝になり劉禅(阿斗)が践祚し、諸葛亮は北伐を行う。翌年趙雲死す。
李恢 董和の推挙により成都へいくことになったが、途中気が変わり劉備につく。馬超が助けを求めてきたので、李恢は迎えにいく。そのあと李恢は誣告されるが、逆に昇進する。
劉備は皇帝になる。南中が乱逆したため南征を決意。李恢は中路軍の将帥となる。李恢は多くの功を立て、漢興亭侯、安漢将軍になる。
王平 字は子均。夏侯淵が劉備に倒された時、王平は曹操のもとにいて校尉だった。あまり曹操軍の居心地は良くなかったので、先陣を任された時にこれ幸いと劉備に降った。
やがて劉備は皇帝になり、病没。諸葛亮の軍が祁山を攻撃。王平は馬謖の下にいる。馬謖が山に籠って攻めるというのを反対したが聞き入れられず。世に聞こえる惨敗となり、王平は兵をまとめて引き上げた。3年後また祁山を攻める。王平は張郃に攻められたが持ち堪え、張郃は戦死した。
諸葛亮が病没した時、出兵している兵たちが内乱状態になりかけたが、王平は収め、前監軍、鎮北大将軍になる。曹爽が攻めてきたが守り切る。
費禕 字は文偉。劉備が皇帝になって、費禕と董允を太子舎人に任じた。劉禅が即位すると黄門侍郎になった。孫権への使いを果たして侍中になり、尚書令になり、大将軍・録尚書事に上った。
曹爽が攻め込んできて、王平がこれを迎え撃ち、費禕が退却せしめた。段々みんなが死んでいき、人材が乏しくなる。費禕が宴会で刺殺された後、10年ほどで蜀は滅亡する。
Posted by ブクログ
同じシリーズの「魏」篇に登場する名臣の場合、取り上げられた人物についての私の知識が乏しく、備忘録として人物ごとにやや詳しくレビュー(記録)しました。
本書、「蜀」篇の場合、関羽、張飛、諸葛亮、趙雲・・など、それぞれが主役になれる人物ばかりだったので、詳しくは書かず、トピックに留めます。
なお筆者は文庫版の後書きで、本当は孫乾、簡雍、糜竺も描きたかったが、史料があまりにも少なく、事実を書けないので諦めた、と書かれていました。
・張飛イケメン説
張飛というと、毛むくじゃらの大男というイメージで、美男からは程遠いイメージでした。ですが、本書の考察では、彼の2女が共に後宮に入ったことから、張飛イケメン説を取り上げています。
・趙雲の空城の計
徳川家康の三方原の戦いの1400年ほど前に、趙雲がすでにやっていた。
・趙雲の名言
馬謖大敗時に、別の場所で戦った趙雲も降格されてしまう。趙雲は文句を言わなかった。死ぬ間際の言葉。「無言ほど豊かな言葉はない」
・王平は堅守の人。守りにめっぽう強い。
Posted by ブクログ
平凡ながら三国志といえば蜀好きの私はついつい買ってしまいました。名臣ごとに書いているので、史実の記載はだいぶ重なりがありますが、さすがは宮城谷先生!
楽しく読ませていただきました。
Posted by ブクログ
現代の作家達が想像を加えて描く「三国志」の中では、一を吉川英治、次いで北方謙三と思っている。だが、それらに描かれなかったピースを、この宮城谷の「列伝」は扱ってくれている。李恢という人物が、関羽、張飛、趙雲などと並んで章立てされているのは、新鮮である。