【感想・ネタバレ】愛国者は信用できるかのレビュー

あらすじ

愛国者は偉いか? 愛国者は信用できるか!? 三島由紀夫が「愛国心は嫌いだ」といった意味は何だったのか? そして意外にも女帝賛成論だったという事実! 新右翼の大物が書き下ろす全く新しい天皇制と国家論! (講談社現代新書)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

チェック項目14箇所。今の日本は、「ともかく愛国心を持て」「愛国心は常識だ」「愛国心さえもてばいい生徒、いい日本人になれる」と言っている、冗談じゃない、そんな単純なものではない、だから、この本では初心に返って愛国心とは何か、を考えてみた、愛国心は宝石にもなるし凶器にもなる、一面だけを見るのは危険だ。「愛国者」を自任する人は、家族や町、市、県からは孤立し、嫌われ、そのくせ「俺は愛国者だ」と言っている人が多い、三島の言うように、この共同体をピョンと飛び出して、国と自分が対等になって「愛している」と言っている、これでは思い上がりだし、錯覚だ。日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であって、「愛」ではない、もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限定無条件でなければならない、従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない、なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。三島は「愛」ではなく、「恋」でいいという、この二つはどう違うのか、僕が思うに、恋は一方的なものだ、相手がどう思っているか知らないが、一方的に思いを寄せる、人が結婚する時も愛ゆえだが、離婚する時も愛ゆえだ、「こんなに愛しているのに、応えてくれなかった」と自分の愛の大きさをでもって、相手の愛の小ささを攻撃する、また「彼女を一番愛していりうのは自分だ。彼女を幸せに出来るのは自分しかない」と思いつめる若者も多い、ストーカーも愛ゆえだ、愛は相手を縛り、拘束、時には暴力的になる。日本の場合は、二千年以上も国家を意識しないできた、明治維新以降、「西欧に追いつき追い越せ」で、急遽、近代国家をつくったのだ、憲法をつくり、国旗・国家をつくり、愛国心を教えた、西欧列強と肩を並べるために、近代国家・国民国家にならなくてはならない、アメリカのような愛国心を取り入れる必要がある、国の成り立ちが全く違うのに、そう思った、そこに無理がある。西郷軍が強かったのは西郷という強力なカリスマがいたからだ、こちらにはない、それで急遽、天皇を前面に持ってきた、それまでは「公家の代表」で雅びな天皇を、国家の中心にし、カリスマにしようとした、国家の求心力にしようとした。天皇独裁の国だったら戦争を止められただろう、しかし立憲君主国家だから、天皇も憲法のもとだ、国会が決めたことは覆せない、マスコミだって、「戦争やるべし!」と煽った、最後のギリギリになって、天皇の聖断にすがりつくしかなかった。まず愛国は保守的であり、憂国は革新的である、愛国はともかく美点を見つけ出し賞めなくてはならない、この日本のすべてを認め、愛する、現状容認だ、これを変えるのは嫌なのだ、現状維持的であり、保守的であり、受身だ、憂国は、この国の状態を憂うるのだ、もちろんこの国は好きだし、愛情はある、しかし、これでいいのかと怒り、憂うるのだ。憂国は暴発的な決起に結びつき、危険な連鎖のように見える、愛国は現状維持的で平和なように映る、しかし、一概にそうは言えない、憂国は、時に暴力的になり、暴発し、連鎖する、しかし、あくまでも個々人の自発的な意志に任されている。「尊重」と「強制」は全然違う、例えば僕は日の丸・君が代は好きだし尊重している、だからこそ大事にしたいし、やたらに強制してほしくない。国旗も国家も明治維新以後につくられた、実は初めは「五つの君が代」があったという、オペラ風のものもあれば、雅楽風のものもあり、讃美歌風のものもあった。明治維新は武士が中心になり幕府を倒した、っでは、武士が中心の世の中になったか、そんなことはない、刀を捨て、チョンマゲを捨て、藩まで捨て、武士という存在すべてを消滅させた、勝利者が自らを消滅させるなんて、歴史上、他にはない、「巨大な自己否定」だ。明治維新前は、日本人に「愛国心」はなかった、国への帰属意識も一体感もなかったからだ、「くに」は日本国ではなく、藩だった。企業はさらに<国家>的だ、献身を要求される、いや、企業の方が、より強い、いま、「国のため」に死ぬ人はいないが、「企業のため」に死ぬ人は多い、仕事のし過ぎで、過労死する。

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2013年07月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 愛国運動歴40年の著者が語る「愛国心」。

気になった点

・あの三島由紀夫は「愛国心」という言葉が嫌いだった。これは官製で押し付けがましく、国を単なる愛玩物に貶める言葉だったからだという

・そんな三島は押し付けがましくて現状維持を是とする「愛国」に代わって、「この国はこのままでいいのか?」と憂う革新的な「憂国」を旨とした。だからこそ自衛隊に決起を促そうとしたのであろう

・明治時代の右翼団体・玄洋社は孫文の中国国民党や朝鮮の東学党を支援したことがある。玄洋社は国家権力なくしては民衆の権利は守れないと考えた。

・改憲派の憲法学者である小林節は、改憲案に愛国心を盛り込もうとした自民党に対して「いかがなものか」と言ったら学者仲間にはぶられた。愛国心は自然に育つもののはずなのに、わざわざ国の最高法規である憲法にいちいち明記することか?

・内ゲバというと、右翼団体より左翼団体の方に多く見られる現象のように思うが、右翼団体内にもあったそうな。大体は玄洋社のような伝統的な派と、今のネット右翼と同じようなことを掲げる派の二つに分かれていたという

・日の丸、君が代を式で強制したら、日の丸と君が代がかわいそう

・ドイツ出身の医学者でお雇い外国人ベルツの『ベルツの日記』にはよく言えば謙虚、悪く言えば自虐的な日本人の姿が描かれている。彼は日本人以上に日本が好きだったそうな

 保守派を自認する私の愛国心に関する見解は、著者である鈴木氏にかなり近いものがあります。愛国心があるからこそ、国民が一丸となって大業丕績を成し遂げることもあれば、とんでもない惨事を招いてしまうこともあるでしょう。鈴木氏の言う「愛国心は宝石にも凶器にもなる」というのはまさに至言。

 某F県では学校の通知表に「愛国心」という項目を導入したことがあります。日の丸を見て涙を流すほど感動したり、君が代を大声で歌うようなことをすれば愛国心があると見なされるのか… ましてや憲法に愛国心を盛り込む必要があるのか… 少なくとも私は反対です。 
 
 ちなみに私は日の丸のシンプルかつ鮮やかなデザインも君が代の厳かな雰囲気も大好きです。小中高時代は校歌より君が代のほうを大きな声で歌った覚えがあります。パフォーマンスでも何でもなく、自然的な感情に基づいた行動です。
 学校と愛国心というと、自虐史観うんぬんの問題になることが多いですが、近現代史は授業日数の関係で深くは扱わなかったし、日本だけが特別悪く書かれているということも感じませんでした。こんなことを言っている私って暢気なのかなあ…

 今でも一部の、いわゆる「ネット右翼」は排他的で偏狭で軽薄なナショナリズムを掲げ、自分たちと同じ考えを持たない人間に「国賊」、「売国奴」のレッテルを貼り、罵る。愛国心という言葉も人によって定義が大きく変わるから何とも言えない部分もあるが… まあ、彼らは不安だからこそ偏狭なナショナリズムに走るのだろう。

 海外から帰ってきたとき、懐かしい気分を感じると共に白いご飯や味噌汁を頂きたくなるだろう?野球やサッカーの国際試合では日本を応援するでしょう?それで十分愛国心と呼べると思う。

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2011年06月06日

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