あらすじ
飛騨天生(あもう)峠、高野の旅僧は道に迷った薬売りを救おうとあとを追う。蛇や山蛭の棲む山路をやっと切りぬけて辿りついた峠の孤家(ひとつや)で、僧は匂うばかりの妖艶な美女にもてなされるが……彼女は淫心を抱いて近づく男を畜生に変えてしまう妖怪であった。幽谷に非現実境を展開する『高野聖』ほか、豊かな語彙、独特の旋律で綴る浪漫の名作『歌行燈』『女客』『国貞えがく』『売色鴨南蛮』を収める。
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Posted by ブクログ
高野聖だけ完読。5月の感想会。あれ?最近読んだドグラ・マグラと雰囲気が似ていた!と思う。さらに現代文ではないので読みにくさもあった。男は東京から敦賀に向かう電車で僧と知り合い、僧は若い頃の飛騨の山を旅した体験を話す。若い僧は、信州・松本へ向う道で怖ろしい蛇に出くわし、気味悪い山蛭の降ってくる森をなんとか切り抜けた。そこで妖しい美女の住む家に着く。その家には肥った少年もいた。僧の汚れた体を女が全裸になって奇麗にし、癒してくれる。そこから一気にクライマックス!この森にいる動物というのは実は。。。怖いお話し!⑤
Posted by ブクログ
泉鏡花を読んだことがなかったがとても面白い。
聞き手が臆病で甘えたがりで、それでいて気の良い人なのが分かって、もう泉鏡花のことが好きになった。
話としてはそう珍しいものでもないが、もしかしたらこういう怪奇系の話の走りが、「高野聖」だったのかなと思った。
しかし親仁はなぜ無事なのか?あの人の狂言かもしれないけど、それは話としては面白くないので無いだろう。
あの人は、女と世俗との唯一の繋がりなのかな。
「女客」
もう死んでしまおうかと思った男。お民は寝ている、寝ているけれども、お堀に飛び込もうとすれば必ず後ろから引き留めてくれる、と信じていた。相手を神のようにすら思う形の愛情がある。
最後、子供が鼬の夢を見たと言って起きてくるシーンは、子供を邪魔に思った母親の生霊だと思った。それなのに2人とも笑顔で話が終わるのが不気味だった。
Posted by ブクログ
NHKのテレビ番組のJブンガクを見ています。
2010年の8月に 高野聖を紹介していたので読み直しました。
日の光を遮って昼もなお暗い大木が切々に1つ一つ蛭になって了(しま)うのに相違ないと,いや,全くの事で。
というくだりを
Each of the trees here, any of them big enough to block sun at midday, would crumble into small pieces, turning into even more leeches - just imagine that!
と訳していました。
へー,そういう意味なんだと
高野聖 の中身と英語の勉強になりました。
英語にしてみると高野聖 の良さと日本語の良さを再認識できることが分かりました
Posted by ブクログ
『高野聖』の官能的な描写は素晴らしいと感じた。ただ単に肉体の官能を文章にするような局部的な官能ではなく、文章全体の流れから官能を呼び起こす総体的な官能であり、幻想的という言葉がよく合う小説であると感じた。
『歌行燈』は、泉鏡花が芸術に対して持っている愛のようなものさえ感じる小説。装飾品の美しい描写が特徴的であり、行燈が暗闇を照らしているような、朧気な雰囲気が漂う耽美的と言える小説であると感じた。