【感想・ネタバレ】人はなぜ記憶するのか 脳と自己の科学のレビュー

あらすじ

脳は「過去を思い出す」ときも「未来を描く」ときも、同じ場所を使っていた──記憶の正体に迫る

記憶とは、頭の中に情報を保存するだけでなく、感覚と結びつきながらその都度よみがえる動的な現象である──神経科学者であり心理学者でもある著者が、記憶=固定的なものというイメージを覆し、数々のメディアで年間ベストに選ばれた、知覚をめぐるサイエンス

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Posted by ブクログ

 人生は短い。記憶が一過性のものであるだけに人生はなおさら短く感じられやすい。過去をつなぎ とめてくれるものが記憶だと私たちは考えがちだが、じつは単に過去の経験をしまっておくだけが人 間の脳の仕事ではない。脳はそれをはるかに超えた存在である(どれだけ超えているかはこれから本 書で学んでいく)。忘れることは記憶の欠陥ではない。周囲の状況を理解して複雑な世の中をたくみ に渡っていくには、その目的に役立つ情報を優先させる必要がある。脳内にはそういうプロセスがあ り、そのプロセスが働いた結果として忘れるという現象が起きる。しかし、私たちが能動的に取り組めば忘れ方をコントロールできる。現在において意識的な選択をすることで、選ばれた記憶の充実したセットをつくり、それを携えて未来に向かっていくのである。


 心的時間旅行からメリットを得るには、時間旅行の能力をそもそもどうして人間の脳が進化させたかを考えるといい。それは特筆すべき経験から学ぶためだ。過去の文脈に旅すると、現在に対する見方を改めさせるような経験にアクセスできる。ネガティブな出来事の記憶をよみがえらせれば、かつて学んだ過去の教訓を再度思い起こす機会になり、それが現在においてよりよい決断を下す役に立つ。ポジティブな出来事を振り返れば自分がよりよい人間になるための助けが得られ、いま以上に他者を思いやりながら他者のために行動できるようになる。ある研究によると、人助けをした出来事を鮮明に思い出した人は、そうでない人より他者の苦境に共感しやすく、困っている人に進んで力を貸そうとする傾向にある。思いやりや賢明さ、あるいは忍耐や勇気を発揮した瞬間に立ち戻ることで、私たちは過去とつながる。そしてそのつながりを利用することで、自分に何ができて何者になれるのかをもっと広い視点でとらえられるようになる。


 スキーマのおかげで私たちは出来事の表層だけにとらわれずに、すべてがどうつながり合っているかという深い部分まで見通すことができる。その過程で何百何千という経験の記憶を圧縮して一つのフォーマットに変え、そのフォーマットを用いることで、まだ経験していない出来事に関しても推測や予測ができるようになる。すでに起きたことに関する知識を利用すれば、これから起きることに対して有利なスタートを切れるわけだ。
 しかし次章で説明するように、こうした生成的記憶システムはメリットを与えてくれる一方で、潜在的なコストも抱えもっている。私たちがスキーマに頼りすぎ、さまざまな出来事に対して知識を再利用していると、実際に起きたことから逸脱するかたちで記憶の空白を埋めてしまうおそれがある。その場合はいったいどうなるのだろうか。


 ほかの神経修飾物質と同じようにドーパミンも神経可塑性を高める。しかもドーパミンが放出される場所は、報酬を得る方法の学習を助けるうえで重要な脳領域に集中している傾向にある。その一つは扁桃体――恐怖を学習するのと同じ脳構造――であり、扁桃体内のドーパミンは報酬が近いことを告げる手がかりを学習するのを助ける。もう一つは海馬で、海馬内のドーパミンは報酬を得られそうな文脈について学習するのを助ける。最後の一つは側坐核(かつては脳の「快楽中枢」とみなされていた)であり、側坐核内のドーパミンは報酬を得るために何をする必要があるかを学習するのを助ける。ドーパミンは報酬へと至る手がかり・文脈・行動を関連づける記憶を形成しやすくし、実際に報酬を得たときにどんな経験をするかの期待値を設定する。
 私たちが大きな報酬を得るたびに脳は多くを学習すると読者は思うかもしれない。しかし実際は、結果が期待と一致しなかったときにのみ学習するように脳はできている。ドーパミンは私たちが報酬を期待しているときに増加し、脳が報酬にどう反応するかをその期待が決めている。たとえば給与のように、得た報酬が完全に予想どおりだった場合、ドーパミン値はおそらく変化しない。報酬を得はしたが、何かが給与から差し引かれるなどして報酬が期待を下回ればドーパミン値は低下し、事前通告なしにボーナスがもらえるなどして報酬が期待を上回ればドーパミン値が上昇する可能性がある。
 ベリッジのラットのような動物実験を踏まえるなら、ドーパミンの活性レベルが急に低下すると意欲が失われ、逆に活性レベルが上昇すると活力が与えられる(ただしそれが快感とは限らない)ようである。だとすれば、一杯のコーヒーや焼き立てのクッキーで嬉しくなるか、何も変わらないか、はたまたひどくがっかりするかは、過去の経験から何を期待するかでおおむね決まることになる。ドーパミン値がこのように変動するせいで、私たちは快楽のはずみ車から降りられなくなり、喪失感をまぬかれたいばかりに喜びもないまま働きすぎてしまうのかもしれない。


 以上のことからいえるのは、記憶のほかの側面がすべてそうであるように、既知感にも良い面と悪い面があるということだ。脳が知覚の効率を絶えず高めるうえでの有用な副産物となり得る一方で、とらえどころがないだけに、単に何かに接した結果として脳内の処理が容易になると、それが意識のレーダーをかいくぐって私たちの選択や判断や行動に影響を及ぼしかねない。何も考えずに、いわば自動操縦モードで行動していると、既知感によって選択肢が限定されて結果的に自分の世界が狭くなるおそれがある。
 だが自動操縦モードは避けられないわけではない。すでに学んだように、注意と意図を用いれば有益な物事を記憶することに集中できる。それに、過去の経験から来る重要でない印象と、現在において重要な情報とを区別する能力を私たちはもっている。既知感がいかに自分の行動に影響するかを忘れずにいれば、私たちは自分の自由意志を少し取り戻すことができる。


 ここまで、記憶と探究の循環的な関係について掘り下げてきた。私たちは記憶を使って予測をする。予測誤差が起きると、私たちは新しい情報を得るよう促され、その情報が優先的に記憶される。問題はただ一つ―――かならずそうなるとは限らない点だ。マティアスのトリビア問題研究では、好奇心がどれくらい学習効果を高めるかにかなりの個人差があった。好奇心を抱いているときに学習効果が大幅に向上した人もいれば、向上がいっさい見られない人もいたのである。好奇心のもつ学習効果に個人差が現れるのはどうしてなのか、いま私たちは解明しようとしており、その理由の一端は気質にあるかもしれないとの可能性が浮上している。
 好奇心による学習効果の最も高い人は、「開放性」と呼ばれる性格特性でも高いスコアをとることが私たちの研究からは示唆されている。このことは別の研究結果ともうまくなじむ。何かというと、開放性をもつことが、単に学問の追究に興味があること以上に学習効果をうらなう指標になると示されているのだ。開放性で高いスコアをとる人は型破りな考えを受け入れやすく、信念や文化的慣行の多様性を尊重し、新しい場所や新しいテーマを探究するのを厭わず、特定の目標や成果がなくても学習するのを楽しむ傾向にある。気質が好奇心に寄与しているかどうかについてはさらなる研究が必要ではあるものの、情報を探し求めたいという人間の根本的欲求がいま挙げた行動のすべてに表れていると考えるのはけっして的外れではない。


 私たちの記憶は石に刻み込まれているわけではない。たったいま学習したり経験したりしたことを反映するために更新されるので、記憶は絶えず変化している。意外に思うかもしれないが、思い出すという行為こそが記憶の更新を引き起こしている。私たちが何かを思い出すとき、ただ受動的に過去を再生しているのではない。記憶にアクセスすることは、「再生」と「録画」のボタンを同時に押すのに近い。心のなかで過去を再訪するたびに私たちは現在の情報を携えていき、それが記憶の中身を微妙に改変するおそれがある。アイヴンズのケースのように、重大な改変がなされる場合すらある。したがって、私たちが何かの経験を想起するたびに、それを最後に思い出したときの名残が記憶に充満している。そしてそれは繰り返されていく。その一回一回が、神経の鎖を構成する一個の環であり、しかもそれは編集や更新をまぬかれない。このため、私たちの記憶は時とともに当初の出来事からますます離れていきやすい。


 臨床の現場で再固定化を利用して安定した結果が出せるかどうかについては、まだ結論が出ていないと私は考えている。それでも、こうした研究からは一段深いメッセージが読み取れる。すでに明らかになっているように、記憶は引き出した瞬間から強めることも弱めることも、修正することもできる。この種の記憶の更新は心理療法の根幹をなしており、要は新たな情報に直面したときに古い接続を変化させることにほかならない。心理療法が目指すのは過去の記憶を消し去ることではなく、違った角度からアプローチすることで新しい状況に適応できるように記憶を更新し、自らと過去との関係を改めることにある。
 これはトラウマの記憶に限る話ではない。私たちが日々の経験を少し不快な感情とともに思い出すことはよくある。誰かに悪いことをしてしまった記憶や、誰かから不当に扱われた記憶などがそうだ。私たちの脳は進化を通してこうした記憶を修正できるようになった。つまり、新しい視点を取り入れればそれらの記憶に対する感情を組み立て直すことができるということだ。上司に叱責されたことを思い出すとき、きっと向こうは相当にストレスが溜まっていたのだろうと考えればその記憶に対する見方を変えられる。デートがうまくいかなかった記憶にしても、自分がパートナーにどういう性質を求めるかを学ぶいい機会になったととらえ直せばいい。思い出すことを利用して過去に対する見方を改められるようになれば、つらい記憶を更新して耐えやすいものに変えることができる。ひいてはそれが自分の成長につながるかもしれない。


 いま振り返ってみると、もっと何年も前からこの方式を導入しておけばよかった。というのも、この方式は人間の脳機能のもつ単純な原理を活用したものだからだ。私たちの脳は失敗と困難から学ぶようにできており、これを「エラー駆動型学習」と呼ぶ。この単純な原理はさまざまな現象を説き明かしてくれると私は考えている。学習効果が最も上がるのはどういう状況で、忘却につながるのはどういう状況かもこの原理からわかるし、ことによると寝ているあいだに記憶が変化する理由までもがこの原理で説明できるかもしれない。


 エラー駆動型学習について新たに生まれつつある理解は、教育のやり方に対して大きな意味をもっている。教育者は何世代も前から、優秀な人間を選抜するための手段としてテストをとらえ、生徒は教科書を繰り返し読むことでテスト勉強をしてきた。繰り返すたびに頭に入る情報量が格段に増えるという考え方がそこにはある。だが芝居の演出家が初演に向けてただ台本を繰り返し読めと役者に指示するだけで、覚えたセリフを暗誦させようとしないとしたらどうだろうか。
 エラー駆動型学習の効果は単に情報の記憶力がアップするというだけにとどまらない。学習を取り巻く文化において、正しい姿勢で臨むことがいかに大切かを際立たせてもいる。従来型の教育のやり方は結果を重視している。つまり授業の内容を学習しているのかしていないのかが重要になる。中国やインドなどのアジア諸国で実施されている統一試験(過酷なことで知られる中国の大学入学試験「高考〔正式名称は「普通高等学校招生全国統一考試」〕」など)は成果を測る尺度として用いられており、しかも受験生の将来にきわめて大きな影響力をもっている。アメリカでは(とくに大学や医科校や法科大学院の入試に関しては)統一試験より成績のほうに重きが置かれているものの、トップレベルの成績を修めるにはつねにテストで高得点を取る必要がある。あいにくこの種のテストは土壇場の詰め込み勉強向きであって、短期的な成果を向上させはするが学習内容を保持する役には立たない。それだけでなく、私たちは知識を蓄えるうえでの脳の自然なメカニズムにも反しているようである。学校は朝早くから始まるので生徒は睡眠不足になりやすく、休息したり振り返ったりする時間もほとんど与えられない。十分な睡眠が奨励されていないうえに、回復のための活動をするダウンタイムも奪われているわけだから、生徒は脳本来の学習メカニズムを活用する機会をもてずにいる。それができさえすれば情報どうしのつながりを見出して、学んだことを有益な知識に変換できるのだが。
 大人になる前の私は、あらゆるテストでいい成績を取ることが学校での自分の仕事だといつも思っていた。いまならわかるが、やりようはもっといくらでもある。つねに正解するわけではないエラー駆動型学習からは、長続きするメリットが得られる。情報を丸暗記してから求めに応じて吐き出すだけよりも、自分の知識の限界まで奮闘するほうが学習の効果はアップするし、学習内容を保持する効果も高まる。私たちは成功に報いるのではなく、間違いや失敗を当たり前のものとしたうえで、絶えず改善を図るよう動機づけすべきなのかもしれない。習得することに重きを置くのではなく、失敗しながら苦戦することをたたえる必要がある。自分が何かを学んだことを証明するのではなく、学ぶために努力していくことが大事なのだ。

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2026年09月26日

Posted by ブクログ

 記憶、学習という領域に留まらず、過去をどのように位置づけるのか、どのような人生を送るのかといった事象にまで届く、たいへん興味深く有益な本だった。
 記憶というものがどのような脳のしくみによって作られ、保持されているのかという生理学的なベースの話から、私たちが日常よく経験している実感のある話まで、著者は驚くほどスムーズに話を繋げる。脳の機能についての科学的な話が、これほど読み物として優れているのは珍しいし、ありがたいことだ。

 記憶というのはスチール写真のように脳に刻まれているものではなく、思い出すたびに再作成されていると思ったほうがよいらしい。そして、思い出すたびに強化される。想起することは、再生と録画のボタンを同時に押しているようなものであり、ニセの記憶でさえ定着させることができる。想起されるたびに強化される記憶がある一方で、関連の枝葉の情報は忘却される。

 間違いのほうから、人は多くを学ぶ。何十回も本を読むより、適切なタイミングでテストを受けるほうが記憶として定着する。間違いじたいが有益なのではなく、学習した内容を引き出そうと自らを駆り立てることからその効果は由来している。
人は忘れる、それは悪いことではない。不要な情報をそぎ落とし、意味のある情報を残すことで効率が上がる。忘れることは柔軟性を取り戻すことであり、新しい意味づけを可能にすることである。

 記憶はゆがむ。後付けの情報で、正しい記憶が上書きされるし、上書きされたことに気がつかない場合もある。肯定的な情報(善行)より、否定的な情報(不正とか)のほうが記憶される。フェイクニュースは記憶に残りやすい。それまでの信念と合致する情報を強化するバイアスを脳は持っているし、強い感情をかき立てられると記憶に定着しやすくなるし、くり返し情報に接することでも強化されるし、情報源を信頼できると見なしている場合はより信じる度合いが大きくなる。

 集団として作り上げて共有する記憶は、個人的記憶にも、アイデンティティー形成・構築にもちろん影響を与える。記憶とは「私とは誰か」という自己像の核でもある。グループで記憶を共有すると、声の大きい(発言が多い)人の記憶に干渉されて、一人ひとりの記憶は抑制される方向に働く。反対にグループのメンバーが協力し合い、個性と差異を尊重できる場合は、より豊かな記憶が残る。

 何のために記憶というものがあるのか。もちろんただ、過去を振り返るためではなく、過去を教訓として、将来を予測し、いまこの瞬間によりよい選択をするために発達してきたということを本書はベースとしている。本書じたいが単に「記憶」についての科学的知見を紹介するという役割を超えて、人間とはどういう存在なのかという興味深い問いについての考察になっている。

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2026年03月14日

Posted by ブクログ

本書は「記憶」についての認識を新たにさせる本である。本書では、最新の科学的な知見から、記憶は過去を保存するためではなく、未来を形作り、自己を保ち、他者とつながるための中核的な仕組みとして、解説されている。
「はじめに」で「記憶する自己」について問いかける。「あなたの<記憶する自己>はほぼすべての決断に影響を及ぼすことで、あなたの現在と未来を絶えずーしかも大きくー方向づけている」
記憶は、過去の記録ではなく、未来の行動を導くためのシステムとして捉えられ、その仕組みについて、脳機能イメージングや様々な実験が紹介されている。
記憶についての基本的な仕組みとして、かつては前頭前野がワーキングメモリーで一時的に記憶を保持し、海馬が長期記憶を担うと説明されていたが、そのような単純なものではなく、前頭前野は中央実行系として様々なネットワークの活動を連携させており、海馬はエピソード記憶を形作るものとして複数のセル・アセンブリと接続している。
さらに、ある瞬間の文脈をとらえた記憶を海馬が形成し、偏桃体はその記憶を生存回路と結び付けて生々しい感覚を生み出し、既視感については嗅周野が担っているという脳のより詳細な働きについてもfMRIなどにより解明されている。
そして、著者が強調しているのは、「記憶は未来を予測するためのものである」ということである。そして予測が間違えるとき(予測誤差)、現実とのギャップを探ってそれを解消し、新たな情報が記憶の中で優先される。
また、記憶を想起するとき、再生と録画ボタンを同時に押すように働くという。記憶は上書きされていくという点も科学的に説明されている。
実用的な内容としては、以下の点。
・後で見つけやすい記憶を形成するには、「意図」の力で「注意」を導いて具体的な物事に固定させること
・チャンキング(意味のある塊に整理・分割する)
・テストを行い、間違えることによって学ぶ(エラー駆動型学習)
・睡眠(「睡眠によって私たちは記憶を知恵に変えられる」)

【原題】
Why We Remember: Unlocking Memory's Power to Hold on to What Matters

【目次】
はじめに──〈記憶する自己〉を知る

第I部 記憶の基本
第1章 私の心はどこにある──覚えていることと忘れることがあるのはなぜ?
第2章 時間と空間を旅する──思い出すとその時間・その場所に戻れる
第3章 削減、再利用、再生──少なく記憶したほうが多く思い出せる

第II部 見えない力
第4章 単なる想像──想起と想像は分かちがたく結びついている
第5章 感情以上──記憶と記憶に対する感情が異なるのはなぜか
第6章 辺りは見慣れた顔ばかり──忘れていても学習はできる
第7章 振り返って未知と対峙する──新しいもの・予期せぬものへと記憶が導く

第III部 変化する記憶
第8章 再生と録画のボタンを同時に押す──想起が記憶を変える
第9章 多少の痛みが利益を増やす──間違いからのほうが多くを学べる
第10章 一緒に思い出すとき──人とのかかわりのなかで記憶がつくられる

おわりに──記憶は絶えず変化する

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2026年03月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

記憶は録画ではなく、未来を予測するためにある。よって不完全であり、忘却こそも効率化戦略であると。
お得情報満載といえば陳腐だが、唸る納得感を随所に得ることができる。
また、救われる。私たちの脳は思っているより優秀で、優しさに満ち溢れた機関なのかもしれない。

"私たちが現実をどう知覚し、何を選択し、どのような計画を立て、誰と交流し、さらには自分が何者かさえも、すべては記憶が方向づけている。"

記憶は未来だ。

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2026年01月31日

Posted by ブクログ

前頭前野が思春期を超えて成長し、脳機能の統合をつかさどる、これが成長しないと気を散らされて、目的に向かうことができない。
海馬はエピソード記憶をつかさどりこれにより、時間の流れを意識に上げることができる、この想起する際に、いろいろバージョンが変わってくる。一方想起されなければだんだん忘れていく。

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2026年04月15日

Posted by ブクログ

全体で334ページあるなかで、76ページ(23%)が参考文献と巻末注に当てられています。このことが示唆するように、そして解説で澤田誠名古屋大学名誉教授が語るように、記憶について科学的な厳密さを備えつつ、物語として語っています。だから、読み易い、とは私には思えませんでした。

それでも、「記憶を「未来志向のシステム」」として描き出しているところは重要で、科学の啓発書としてひかれるポイントです。「記憶する自己」が、アイデンティティや社会的世界を変化させるのです。

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2026年03月19日

Posted by ブクログ

記憶について、以前からのいろいろな研究をわかりやすく解説してくれている本なのだけれど、少し飽きて斜め読みしてしまった。225頁の子どもの記憶への家族が共通の経験を一緒に語り合ったり、自分の経験の感情的な側面を話す家庭の場合は10歳から思春期の子どもはその記憶を意味ある物語のなかに位置付けることができて、結果的に対人面でも学業でも、自分に自信が持てるようになるとの記述があり、記憶は起こったことを周囲の人がポジティブな記憶に書き換える働きをすれば、書き換えられていくことを自分の川に流された経験が良い方向に書き換えられた体験を示していた。これは過去の記憶への働きかけへの大切さをセラピストの働きかけにあると結論付けていた。
そして記憶は認知機能の低下にも働きかけることができるのではと今後の研究に言及している。
そしてSNSによって、大衆の記憶を書き換えることもできる怖さも書いてあった。
自己の記憶を良いものとして変えるのも自分による部分が大きいように読み取れた。

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2026年02月22日

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