あらすじ
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。(講談社現代新書)
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日本的な『ウチ』と言う時の西洋的な『私たち』とは異なる自己中心的で排他的な意識や、日本人は働き者や怠け者と言う考えはあっても、個人間の能力の差を認めない素朴な人間平等主義を持つと言う点など、改めて考えるとすごく腹落ちする部分がありましたが、人間平等主義なのに上まで行ける人は一握りで、下層では同じようなレベルの人が足の引っ張り合いをしている、なかなか成長が難しい環境だなぁとも思いました。
西洋と言う物差しを使わないと言うわりには西洋との比較が出てきたり、その時代に他の人よりも西洋的なものに触れる機会の多かった個人の感想ではかいか?と思われる部分も出てきますが、戦後20年、現代から60年前の本であるにも関わらず、現代に生きる我々にも改めてハッとするような学びが多くある本だと思います。
言い過ぎかもしれませんが、日本や日本人を批判する意見の多くはこの本に書かれている日本的な気質によるものを批判しているとまで言えるかもしれません。
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中根千枝の著書『タテ社会の人間関係』は、日本人の人間関係や集団構造の特質を「タテ社会」という概念によって明らかにしようとした画期的な研究である。本書は、日本社会における人間関係のあり方を、西洋的な個人主義社会と比較しながら、文化人類学的・社会構造的に分析している。
中根は、日本では個人の資格や能力ではなく、まず「場」への所属が人間関係の基盤になるとする。肩書きや属性ではなく、その人がどの集団に属しているかが、その人の社会的位置を決定する要素となる。これを「場の論理」と呼び、欧米社会のように「資格の論理」(=能力・契約・専門性による個人の位置づけ)とは明確に異なるとする。
また、日本社会では集団内部において「序列」が非常に重視され、上下関係が常に前提とされる。入社年次、年齢、経験年数などにより、先輩・後輩の区別が明確につけられ、それによって権限や役割が配分される。このような上下関係が集団を支配する構造が「タテ社会」の核心である。人間関係は、ヨコの平等な連携ではなく、タテの上下関係によって秩序化される。同期関係が存在する場合でも、それは一時的・限定的なものであり、すぐに競争や出世によって分岐する。
タテ社会における集団は、小規模なヒエラルキー構造を連鎖的に形成しており、それぞれの小集団は密接な情的関係によって結びついている。リーダーは、その序列の中で自然に位置づけられ、特別なカリスマ性や能力によってではなく、年功や人間関係の積み重ねによって選ばれる。リーダーシップとは、構造的な位置づけの問題であり、西洋的な合理的支配や契約的支配とは異なる特徴を持つ。
さらに、日本の人間関係には「ウチ」と「ソト」の強い区別が存在する。集団内部(ウチ)においては協調や忠誠が求められ、強い情緒的連帯が形成される。一方、外部(ソト)に対しては排他的・防衛的な態度が取られることが多い。この「内と外」の分離もまた、タテ社会の重要な構造的特徴の一つである。
加えて、日本社会においては論理よりも、感情が優位に立つ傾向を指摘している。契約や原則ではなく、相手との「情」や「空気」を読み合う文化が支配しており、それが時に合理性や個人の自由を制限する要因ともなる。
ただし、現代においては、個人主義や多様性が重視される風潮も強まっており、「タテ社会」の構造が絶対的とは言い切れない。だが、依然として、日本社会に深く根づく集団意識と序列意識を理解するための有力な道具であることに変わりはない。
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164-165頁を読んだ上での考察。
昨今、意外にも、組織の中における「ゲマインシャフト的集団の弊害」があるのではないか。これは、本来合理的・機能的であるべき会社(=ゲゼルシャフト的組織)において、感情的・閉鎖的な共同体的関係(ゲマインシャフト的性格)が過度に強まり、非合理な意思決定や不透明な権限運用が起こる現象である。
人間関係が権限の源泉になる;能力や役職ではなく、「誰と仲が良いか」「どの派閥に属しているか」で権限が配分される。上司に「気に入られている」ことが実質的な影響力になる。
意思決定が情緒的になる;合理性やデータよりも、「あの人が言っているから」「雰囲気的にそうだから」という判断基準が優先される。意見の異なる人は「和を乱す存在」とされ、排除されやすい。
閉鎖性と透明性の欠如;派閥の中だけで意思決定が行われ、情報がオープンに共有されない。合理的な異議申し立てやフィードバックが機能しない。
序列と情実による評価;実績よりも「長くいる」「気心が知れている」「上に気に入られている」といった要素が昇進に影響する。
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紛れもなく名著。
日本の対立軸としてインドを持ってくることで説得力を増している。
社交、家族、本当の血縁、日本人的一方で所属、ステータスソサイエティ、その組織に一番早く入った人という意味での老人天国など目から鱗だ。
日本は商売下手で製造が得意というのも、本論の枠組みで理解できる。
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東大で名誉教授を務めた社会人類学者である中根千枝による書籍。
1967年発行。
日本の社会的構造を他国のそれと比較する形で分析し、その特徴を解明することが本書の主題とされている。
本書における筆者の主張をまとめると、下記の3つである。
①日本社会における集団意識では「場」が優先される
② 日本人は「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、人間関係の機能の強弱は実際の接触の長さ、激しさに比例する
③日本の組織の階層は強い「タテ」の関係で構成される
①は、一定の個人から成る社会集団の構成の要因は、二つの異なる原理「資格」と「場」の共通性に大分できるという前提に立つ。
「資格」とは、社会的個人の一定の属性を表すものであり、先天的な性別・血縁、後天的な学歴・地位・職業などがある。
これに対して「場」とは、地域、所属機関のように資格の相違を問わず、一定の枠によって一定の個人が集団を構成している場合を指す。
日本社会の組織においては、この比重が「場」に重く置かれている。日本人は、記者であるとかエンジニアであるというよりも、まずA社の者ということを言うし、他人も第一に場を知りたがる。
これは、日本社会は非常に単一性が強い上に、集団が「場」によってできているので、常に枠をはっきりさせて、集団成員が「他とは違うんだ」ということを意識しなければ、他との区別がなくなりやすいためだとされる。
そのために、日本のグループは知らず知らずのうちに強い「ウチ」「ソト」の意識を強めることになってしまう。
結果、ローカリズムが強まり、自集団でしか通用しない共通認識・共通言語が発達する。
さらに、ローカルであることは直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びつく。
つまり、日本社会における人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例する。日本のいかなる社会集団においても、「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置付けられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。
これが②の主張に該当する。
「場」の共通性によって構成された集団は、閉ざされた世界を形成し、成員のエモーションな全面的参加により一体感が醸成され、集団として強い機能をもつようになる。
これが大きい集団になると、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要となる。
理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。たとえば、前者は「親子」「上司・部下」関係であり、後者は「兄弟姉妹」「同僚」関係である。
「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。
この内、日本の組織は「タテ」の関係で構成されることが多く、それが故に、同一集団内の同一資格を有する者であっても何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって、驚くほど精緻な序列が形成されることになる。
例えば、同じ実力の資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次の長短などによって差が生じるというのはこのためである。
これが3番目の主張になる。
以上が本書における著者の主な主張である。
さらに本書ではここから発展して、日本的階層構造の成り立ちと功罪、日本人の能力平等観、社会的分業、日本的宗教観についても述べられる。
また日本的社会構造から帰着するリーダー論と階層のモビリティ(移動性)についても著者の自論が述べられており、非常に興味深かった。
これは、日本の階層構造は強い「タテ」関係で成り立つので、一見弾力性がなく硬直した組織のように見えるが、内部構造は実は非常にルーズに作られているという論である。
つまり、「タテ」線の機能が強く密着しているので、個人の能力次第で自分の上司や先輩の仕事に侵入することができる。これは他の社会であれば強いタブーとして扱われるが、日本の集団内部構造は許容される。
だからこそ、能力の高い若手は自由に羽を伸ばして活動できるので、序列偏重の年功序列の強い組織にいながらそこまで不満を蓄積することなく働けているのだ。
故に、リーダー個人の能力の有無はそれほど大きな問題ではない。日本のリーダーの威力というものは、部下との人間的な接触を通して発揮される。優れた能力をもつ子分を人格的に惹きつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。
これは非常に興味深い考察であると思った。
個人的にも、能力とモチベーションの高い若手が職位を越えて、その組織のタスクを実質的に回しているケースを見てきた。得てしてそうした若手の処遇は年功序列に阻まれて無能な上司・先輩よりも悪いが、彼自身が自由に仕事ができていること、彼の功績は後年になって昇進という形で返ってくるため我慢していることが多い。
従来はそれでもよかったかもしれないが、不確定性が高まり、人材流動性が高まった現在においてこのタイムラグは致命的である。JTCの人事は無能故にこれに気付けていないが。
この議論は本書とは筋が異なるので据え置く。
本書は日本的社会構造の特質、その問題点を鋭く分析した本である。50年以上前の本であるが、その分析は現在にも通ずる精緻なもので、かつ以降の議論に多大な影響を与えてきた。
こうした思考を頭の中に入れておくことで視野が広げ視座を高めることができる。
久しぶりに良い本に出会った。
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本書は1967年に初版が出されたものではあるが、現代社会の会社の中に、そして政治を動かす政党、官僚組織にも概ね当てはまる内容である。少なくとも私が所属する会社も一般的には社員規模数万人の大企業と言われ、本社組織だけでも1000人以上が働く会社であり、本書の言うタテの構造が全く当てはまっている。今日も誰かが書いた稟議書を眺めながら、誰かが提出してくる企画書を忙しく眺めながら、「そこだけ担当してる立場ではないから、こんなに専門的に(さも知ってるかの様に)書かれても解らないよ」との考えを頭の隅に追いやって、まるで無意識でもある様に書類を決裁者に回す。時折、自分の存在に自信を失うほど、決まりきったタテの構造の一部に陥った自分の姿を客観的に眺めて、果たしてこれで良いのかと疑問に苛まれる。但しこうした構造があるからこそ、更に上の上司が世に言う盲印でもそれ程大きな問題になる事もない。決裁もその分早いのかもしれない。一方、他の部署との調整ごとはいつも難を極める。高く、分厚い壁を設けてくる部門間折衝ほど自分の力を発揮できそうで楽しいのだが、無駄な時間に感じられる事が多い。今日数名の部下と面談したが、正に本書でいうタテ構造の中で評価を勝ち得るか。その難しさに話が集中したりする。本来は組織の枠を超えて十分話し合い、役割分担を明確にしてから、スピード感ある施策を施さなければならないのに、どうも本書記載の通り、互いのチームに如何に仕事を持ち帰らないかの闘いの様相を呈して来る。知り合いのデジタル庁職員から話を聞く限り、各省庁間の横の連携も、概ね同じ様な形で仕事が進められているようだ。果たしてこの構造がいつまで続くだろうか。一つヒントになるのは従来の日本型雇用である、新卒一括採用と年功序列から役やり・能力をベースに組織化する形から、欧米のジョブ型雇用に変わりつつある点である。「うちの会社」も早くから実験的にジョブ型雇用を取り入れてはいるもの圧倒的な指示方=トップダウン式の仕事から脱却に至っていない。その辺りが日本的雇用体系、タテ組織の我が国にあっていないのか、中々当社で本格的に進めるのはハードルが高い。
少子化だからこそ、ジョブ型雇用の形を取りたいのだが、何となく上からの抵抗に毎回頓挫する事態だ。
これじゃあいつまで経っても大会社で組織の存在意義を100%意味のあるものにして、有機的に動かすなんて無理なのでは。その様な疑問を抱きながら、自社の組織に置き換えて、時にはメンバーや他の管理職の皆さんの顔が思い浮かびながら、ニヤニヤ読んでいる自分がいた。部門長の皆さんの机の上に配布でもしようかしら。
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1967年2月に初版が発行されているが、小生が大学1年の時だ.日本社会の形態を見事に描写している好著だと感じた.大学卒業後、会社生活を40年間過ごしたが、本書にある「タテ」社会は本当に実感するものだった.「ヨコ」「コントラクト」に関する記述もあったが、そのような形態をゴリ押しすると、必ず反発があったと記憶している.長い歴史が作り上げてきた組織構成なので、一朝一夕に変化させることはできないが、別の形態もあるのだという発想はぜひ持ち続けたいものだ.
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1967年の本だそうだが、今でも全く古びてないと思う。社会構造はそう変わらない訳だが、単一社会ではなくなりつつあるので、実は変化が起こりつつあるのかもしれない。
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50年前に書かれた本とは思えないほど現代社会にも通じる良書。身分や職業などの「資格」を重視する社会と家や会社など「場」を重視する社会。日本は後者でそれ故よりエモーショナルな繋がりが深くなり、ウチとよそ者の境界が濃くなる。日本が多文化コミュニケーションや共生が苦手な理由もここにあるのだと思いながら読んだ。
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1967年に書かれた本なのに、今となんら変わっていない。日本社会の単一性、「場」による集団の形成は、身をもって感じているが、認識は出来ていなかった。インドや他の国との対比では、こんなにも違うのかと驚いた。
複数の場への所属は、日本人は心理的にすごく抵抗があるが、中国の方はどんどん転職されていた。
親分・子分や序列意識では、笑ってしまうぐらい身の回りで起きている「タテ」の関係だった。能力主義も序列システムの枠内の狭い範囲で、改めて見回してみると確かにそうだと感心してしまった。
「タテ」から抜け出して、生産的な会議が開催される日はまだまだ遠そう。
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1967年発刊だが,色あせない.日本のタテ社会(資格ではなく場を強調する社会),ウチ/ヨソ者的発想のムラ社会を冷静に考察.批評や議論する際に,論理より感情が優先されるという指摘は確かに.FBなどTwitterなどコミュニケーション方法が変わっても本質的には変わっていない.
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去年、働き方改革のセミナーで、これまでの日本社会の特徴を説明した本として紹介されていた一冊。気になって買ったものの1年以上積読。やっと読みました。
「資格」ではなく「場」で集団構成される日本社会。そこで重視されるタテの関係。
俺が生まれる前に書かれた本ではあるものの、今でも変わらないところ、この前まえそうだったってところがたくさん。
いい悪いではなく、組織論を議論する前提として、頭の整理になった。
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日本人が大好きな<タテ社会>という言葉を世に広めたすごい本。
人類学者の著者が人間関係や組織・集団について分析したもので、世界的に見て独特な日本の社会構造を丸裸にしてこき下ろし、トドメを刺しつつ最後にお情けでちょっとだけ光を照らしていくスタイルとなっている。
したがって、伝統ある日本的組織に臣従している愛国心に溢れたピュアな企業戦士のような人が読むと、かえって気分を害することになるでしょう。
いっぽうで、ある程度社会経験を積んでおり、会社という組織に違和感を覚えながらもやもやとした社畜生活を送っている大多数の人にとっては、言いたいことを全部言ってくれている気持ちの良い著作です。
初版1963年なのにいまの世の中にも言えることがたくさん書いてあって、名著と言われるのも頷ける内容。
[目に見える文化という点では、これほどに変わってきているのに、日常の人々の付き合い方とか、人と人とのやりとりの仕方においては、基本的な面ではほとんど変わっていない](序論より、21ページ)
ところでなんですけど、<タテ社会>というタイトルが的確でわかりやすいために一種のパワーワードになっているし、実際のところ世の中に浸透するくらいだからインパクトがあるのですが、これは本書の枝葉の1つにすぎず、実はキーワードは副題の<単一社会>。
・就活に象徴される、職種よりも会社名にとらわれる風潮(資格よりも場が大事)
・下克上という文化にもあらわれた、誰でもがんばれば上に行けるボーダレス社会(人間平等主義)
・メディアや学校、同じようなものが競争しながら存在しているという浪エネ社会(同族意識、同類競争)
・人間関係が理由でこじれる職場、感情という不安定要素で成り立つ人間関係(理性より感情が優先する世界)
社会全体を見ても宗教や階層、地域によるはっきりした独自性がなく、会社や教育機関など各集団を見ても似たりよったり。
出る杭は打たれてゆき個性による違いが均されて、共感と同情がお手本的な全体を形成していった結果としてできた単一社会。
ここには色がないために、人は中身よりも色が塗られた看板にひかれるし、ヨコの多様性がないために、自然とタテの序列が生まれる。
こうして生まれたタテ構造の同類どうしで争い、それぞれのタテ構造内では人間関係を契約やルールではなく、忠誠心や師弟愛や包容力といったふんわりした精神論でつなげている。
対外的には柔軟性がなく、相互的にはエネルギーの無駄、内部的には不安定。
こうした日本的集団の弊害はすべて単一社会から来ているという論旨は、それこそ日本的集団の一員である私にとっては共感の嵐でした。
一番印象深かったし、著者も何度も念押ししているのが、単一社会の組織では、人間関係を感情が支配しているという点でした。
日本人はしばしば、職場で人間関係に悩んだり、それが原因でやめちゃったりする。
これはそもそも、精神論によることでしか集団を保てないという構造のほうに問題があるのであって、職場になじめない新人や上下の板挟みで今にも気が狂いそうになる管理職、彼ら個人の意識を変えるだけでは解決しない壮大な問題なのかもしれないなぁと思いました。
そして感情重視志向が人間関係や組織論だけに根付いた特徴ではなく、あらゆる面について回り、決して悪いことばかりではないところが、日本という国の面白いところです。
感情が大好きな日本、という内容は、最近読んだ岩波新書の<論理的思考とは何か>にも、文章や議論という本書とは違う分野で書かれていて、目的によっては論理的思考という形で、感情的なものである経験と共感が力になってあらわれる場合もあるとされています。
本書が分析する人間関係や組織においても、忠誠心が悪を討ち滅ぼした歴史や戦争からの復興といったように、感情に重点が置かれているからこそ人は覚悟し、団結し、集団としてブチ上がる場合もある、そんな希望も見いだせる内容でした。
社会や組織に根付いた構造を変えるのは難しいし、構造を無理やり変えた時に起こる弊害は、本書が指摘しているようなこの構造が伝統的に抱えている問題点よりも、さらに大きなものに違いないでしょう。
ならば私たちはこの構造を受け容れ、弊害は弊害として理解をしつつ、強みを生かしていくことが順当かと思います。
ただ、本書では日本のような単一社会のネガティブな一面に眩しいくらいにスポットを当てている一方で、その強みに関してはあまり触れられていませんでした。
だからこそ、自分なりに考えてみようかなと思ったし、むしろこの本は、酷評を浴びせた上で、そういう課題を提示しているんじゃないでしょうか。
普段厳しいうえにあとは自分で考えろと突き放す、でもごもっともだから毛嫌いできない謎の先生みたいな本。
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なぜ日本では傑出したリーダーが生まれないのか、なぜ日本の労働力の流動性が低いのか、年功序列はどのように機能しているのか、、、そういった疑問について1つの枠組みを得ることができた。
60年前の本とは思えないほど、現代でも当てはまることが多くあった。社会が変わるということが、それほど難しいということなのかもしれない。
本書の内容が記憶に新しいうちに『タテ社会の力学』も読むと、筆者の主張がより理解できました。
Posted by ブクログ
50年前に刊行されていまだに読み継がれているという日本社会を論じた代表的な書籍になります。いままで読む機会がなくようやく読みましたが、納得する点も多々ありました。原則ではなく人間関係がモノを言う、「ウチ」と「ソト」の意識、などの概念は今でも十分通用すると思います。ただ学術書ではなく一般書を意識してあえてそうしたのかもしれませんが、データの裏付けや検証部分については省かれていて、うがった見方をすれば「それは著者の周囲の偏った社会の中だけではないのか?」ということも言えるわけです。また海外との比較もたまに書かれていますが、英国、インドとこちらもかなり限られたサンプルとの比較であることは否めません。
5節では集団の構造分析ということでタテ、ヨコ、外周というような形で構造分析がなされていますが、私は本書のフレームよりも、エマニュエル・トッドが示した家族構造のモデルの方がピンときています(詳細は例えば『世界の多様性』などをご覧ください)。ただトッドも日本社会の分析となるとあまり切れ味が鋭くないことから(日本人の実感に合わない分析も多々ある)、そこは日本人の中根さんに軍配が上がる、ということで、日本社会の分析については本書が役立つと思いましたが、構造の一般化についてはさほど感銘を受けませんでした。
Posted by ブクログ
明晰な文章。簡潔で歯切れがよい。
あまりにも人口に膾炙したタテ社会論。これ以前の日本人は自分たちのことをどう見ていたのだろうかと思うくらい。50年を経て日本の社会構造は多少なりとも変化しているのかどうか考えてみる。少なくとも企業社会はタテ社会の構造が色濃いか。
Posted by ブクログ
中根先生の訃報を聞きようやく読めた。日本人の本質というのは変わらないのだな、1967年初版だもの。それを憂うことはないが日々の仕事生活で感じることばかりだった。そして飲み会の意義…!
…海外駐在者の苦労がまたひとつわかった気がする。
Posted by ブクログ
●企業に入社した頃に読んだ本です。家族的、よそ者意識、単一主義、能力平等観、同僚意識・・・日本社会のキーワードが出てくる。実際に組織では、納得いく言葉だ。
●それらを、日本のメリットと考えるかデメリットと思うのかは人それぞれ。価値観の差はあると思うが、メリットを伸ばすのが賢明と思います。
Posted by ブクログ
中根千枝 「 タテ社会の人間関係 」
会社などの社会集団から日本社会の特徴を抽出した本。
否定的な論調だが、会社に関しては、契約や論理より 感情や一体感を優先させる日本的集団の方が、明確な指揮命令や統率のとれた組織行動に 経営合理性があるように思う。
日本的集団の問題点
「序列で物事が決まり、個性が奪われ、法律が無視され、ウチとヨソモノの意識が強まり、ヨソモノ排除へ向かう」
日本的集団の特徴
*2つの集団の合併は、一方による乗っ取りでしかなく、序列により系列化しているだけ
*提携は 表現であって、実態の構造を反映していない
*リーダーは一人であり、リーダーの交代は困難
*集団は 乗っ取りか 分裂 により破局する
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1967年に発行された本が、今でもこれだけ現代日本社会の本質を突いていることに驚く。良書!
日本の「能力平等観」「人間平等主義」についての指摘はごもっともだと思ったし、だから平等論について欧米と分かり合えない部分があるんだな…
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40年以上前に書かれたものとは思えない先見性を感じられる。メイン内容は組織論としてのタテ社会、日本は序列重視の社会であり、西欧、インド、中国とはまったく異なる人とのつながり方を分析されている。(特に本書の著者はインドをよく例にあげられていた)
40年以上経過した現在でも、この考えは廃れるどころか、国際社会の中で日本という国が他国とどう渉りあっていくか、理解しあっていくかを考える上で非常に考えさせられた。
また、いわゆる成果主義といわれる考え方が、序列重視の日本人と相容れることの難しさを実感することができる。
形の上では序列をなくすということは可能でも、日本人である限りは完全に欧米化することは困難だろう。
世界的に珍しい単一民族を現在まで維持してきたという特殊性が今日の国民性を形成してきたと言われているが、今後、移民・難民受け入れに関しても、慎重な姿勢は崩してはいけないと思われる。
Posted by ブクログ
もう半世紀も前に発行されたものだが、内容は全く色あせておらず、社会組織の構造を見事に分析している。
社会集団の構成要因は、資格(属性)の共通性にあるものと、場の共有によるものがある。資格には、氏、学歴、地位、職業などがあり、職業集団、血縁集団、カースト集団などが構成される。場とは、地域、所属機関などの枠のこと。
場の共有による社会集団は、枠によって閉ざされた世界を形成し、構成員の異質性による不安定さを克服するために、集団意識を高揚する必要がある。日本社会では、人間関係の強弱は、接触の長さや強さに比例するため、集団に加わってからの年数が、個人の位置づけを決定する重要な要因になっている。これが年功序列の温床であり、同じ資格を持つものの間でも序列による差が意識され、同期生との平等意識を駆り立てる。これは、能力主義の人事管理を阻むことになる。接触の長さは個人の社会的資本となるため、集団を移動する場合の損失となる。
タテの関係が強い社会では、ヨコの関係は弱い。能力差を認めようとしない西欧とは異なる平等主義のため、集団の間でも同業他社などの同じ種類の集団とは競争となる。どの社も同じ製品をつくり、同じ商品を出し、分業は行われず、過当競争となる。
タテの集団では、既存のいずれかの構成員との関係を持つことによって、新たな成員の入団が認められる。ヨコの集団では、新たな成員の入団には全員の承認を必要とし、明確に規定されたルールに従って認められることが多い。
タテの集団では、リーダーは、直属する幹部を通してすべての成員を把握している。そのため、幹部成員の発言権は強く、リーダーは2人以上の幹部の調整役的立場に立たされることもある。党中党や派閥が作られやすく、分裂の可能性も高い。日本のあらゆる集団では、リーダーの権力発動は特定分野や特定条件に限られ、きわめて制約されている。リーダーに対して部下の力が強いことから、民主主義とは違った平等主義がはびこる。
タテの集団、ヨコの集団のほかに、契約関係がある。西欧では、広くから目的にあった者を抜擢・招聘することによって構成される場合が多く、コントラクトが結ばれると、リーダーの命令は絶対的なものとして服従される。この精神は日本人には全く欠如している。
<考察>
場の共有に基づく集団は、動かすことができない土地で営む農業の社会から生まれたものと推測できる。属性の共通性に基づく集団は、様々な人々が行き交う都市的、大陸的なものから生まれたことを想像させる。
Posted by ブクログ
新書の古典。人と人のつながりを、タテの関係とヨコの関係に分けて日本の社会や家族、企業などに当てはめてその関係性を解説していく。
「集団の内部構造」が図解されていてわかりやすい。が、他にビジュアルが少なく、タテヨコの関係が文章だけだと理解しにくい面もあった。
もう一つ「場と資格」に二分して同じく社会を説明していくことで、日本の社会の構図を大まかに説明してあってわかりやすかった。
Posted by ブクログ
2/25
日本社会の社会学的構造分析の本。1966年に書かれたもの。日本社会における集団の役割や人と人の関わり方など日本の単一性から生まれる日本ならではの特徴が述べられていた。
Todo
この特徴を知った上で、どうすればさらに幸せになれるのかを探求していく。
Posted by ブクログ
西欧の理論ではなく、日本社会を日本から眺めて分析しようという本でした。
まず社会集団の構成要件に、「場」の共有性と「資格」の共通性の2つが挙げられています。場というのは、例えば同じ会社とか同じ学校卒とかそういうもので、資格というのは厳密なルールがあり、同じ職種(例えば旋盤工であるとか)とか、同じ父系一族であるとかというものです。
で、日本の場合は、とにかく「場」が重視されていて、例えば「家」についても、よそに嫁いでいく娘よりも、家に入る嫁が重要であったり、独立した息子よりも番頭やお手伝いさんが一族的な立ち位置になったりと、血族という資格よりも家という場に属しているということが重視されます。で、「資格」はルールに基づいているので枠組みははっきりとしているんですが、「場」というのは枠をはっきりとさせておかなければ、曖昧になってしまうので積極的に「ウチ」と「ソト」を区別するという意識になるようです。
そして、「場」による関係性は資格の異なる構成員を結びつけなければならず、必然的に「タテ」の関係が重視されます。一方、資格の共通性による集団は、「ヨコ」の関係が重視されます。「タテ」関係は並列でないものの関係で、親分・子分のような関係です。「ヨコ」は同じ階級同士のつながりとかそういった関係性です。例えば日本の企業は「タテ」が重視され、欧米の働き方は「ヨコ」重視なのではないでしょうか。「タテ」の関係は開放性がある(ネズミ講みたいなイメージ、ヤクザの組織形態ですね)のですが、非常に厳格な上下関係があります。一方、「ヨコ」は並列でお互いに尊重しあえますが、資格外の人を排除するような排他性があります。「タテ」の関係は、開放的ですが、親分を解してしかつながりが持てないために、親分がいなくなると崩壊してしまったり、ある一定の子分を率いて独立するということが起きます。「ヨコ」の関係は、ルールに基づいていますので、親分がいようがいまいがその関係は維持されます。ただ、階級を乗り越えて「タテ」につながることは難しい組織形態になっています。(筆者はインドのカースト制をヨコの例として挙げています。同じカースト同士は非常に結びつきやすいですが、階級を乗り越えることは容易ではありません。日本の場合は、末端同士の同じ立場で団結するというより、どの派閥に属しているかが重視されます)ところで、同期同士はつながりがあるし「タテ」だけじゃなく「ヨコ」もあるという指摘もあるようですが、あくまでも同じ会社という「場」の中の「ヨコ」関係であって、「場」を超えた「ヨコ」関係は成り立ちにくいというのが著者の主張です。
Posted by ブクログ
固くて読みにくかったけど納得するところいっぱいだった!複数の組織に身をおいてみたからこそ今面白く読めるのかもな~
「それはそうだけどちょっとold fashionedじゃない?
Posted by ブクログ
日本人は、上からヒイキしてもらいたい…
・「2017/6/28出光興産の株主総会で、出光興産の創業家は、"昭和シェルとは企業文化が異なる"ことなどを理由に合併に反対の考えを示した」とのことです。
これは、この本に示されている「成員の全面的参加、家族ぐるみの雇用関係、ウチのもの意識などタテの関係、序列意識、場を強調する日本の組織」と、ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダとイギリスの企業)傘下の日本法人である「昭和シェル」が持っていると思われる「欧米的“ヨコ”につながる階層的な文化」との違いを危惧してのことだろうか?
・この本を読み終えて、感想・レビューをアップしなければ、と思っていた時に、報道されていたニュースに絡めてしまいましたが、正直、感想・レビューが書きにくい本でした。なぜならば、古い本なので仕方がないのですが、新しい発見をした驚きに乏しかったからですヾ(- -;)
・前書きに、遜った言葉があったり、文章が硬かったり、サンプルが少なかったり、変わった本だなあと思いながら読んでいたのですが、50年も前に書かれた本だったのですね。
かく言う私も思い当たる節が色々とありますが、50年後の現在、上席に座っている人たちは、崩れつつある「タテ社会の人間関係」を守ることに苦労されているようにも見えます。この本が提出している世界は、私たちが普段から意識的または無意識的に順応してしまっている日本の社会でした。
・グローバル化が進んでいるのか、私の上司たちは、私よりも若い人たちなのですが、更に上は、年齢的にも先輩なので、タテ社会的な応対を望んでるようにも見えます。私が違和感を感じたのは、ヨコ文字職業の懇親会で、あたかもタテ社会のような空気が充満していた時でした。この本で示されているタテ社会に加えて、タテの上からヒイキしてもらって引き上げてもらいたい、という意識もあるような気がします。