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日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
東大で名誉教授を務めた社会人類学者である中根千枝による書籍。 1967年発行。 日本の社会的構造を他国のそれと比較する形で分析し、その特徴を解明することが本書の主題とされている。 本書における筆者の主張をまとめると、下記の3つである。 ①日本社会における集団意識では「場」が優先される ② 日...続きを読む本人は「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、人間関係の機能の強弱は実際の接触の長さ、激しさに比例する ③日本の組織の階層は強い「タテ」の関係で構成される ①は、一定の個人から成る社会集団の構成の要因は、二つの異なる原理「資格」と「場」の共通性に大分できるという前提に立つ。 「資格」とは、社会的個人の一定の属性を表すものであり、先天的な性別・血縁、後天的な学歴・地位・職業などがある。 これに対して「場」とは、地域、所属機関のように資格の相違を問わず、一定の枠によって一定の個人が集団を構成している場合を指す。 日本社会の組織においては、この比重が「場」に重く置かれている。日本人は、記者であるとかエンジニアであるというよりも、まずA社の者ということを言うし、他人も第一に場を知りたがる。 これは、日本社会は非常に単一性が強い上に、集団が「場」によってできているので、常に枠をはっきりさせて、集団成員が「他とは違うんだ」ということを意識しなければ、他との区別がなくなりやすいためだとされる。 そのために、日本のグループは知らず知らずのうちに強い「ウチ」「ソト」の意識を強めることになってしまう。 結果、ローカリズムが強まり、自集団でしか通用しない共通認識・共通言語が発達する。 さらに、ローカルであることは直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びつく。 つまり、日本社会における人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例する。日本のいかなる社会集団においても、「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置付けられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。 これが②の主張に該当する。 「場」の共通性によって構成された集団は、閉ざされた世界を形成し、成員のエモーションな全面的参加により一体感が醸成され、集団として強い機能をもつようになる。 これが大きい集団になると、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要となる。 理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。たとえば、前者は「親子」「上司・部下」関係であり、後者は「兄弟姉妹」「同僚」関係である。 「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。 この内、日本の組織は「タテ」の関係で構成されることが多く、それが故に、同一集団内の同一資格を有する者であっても何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって、驚くほど精緻な序列が形成されることになる。 例えば、同じ実力の資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次の長短などによって差が生じるというのはこのためである。 これが3番目の主張になる。 以上が本書における著者の主な主張である。 さらに本書ではここから発展して、日本的階層構造の成り立ちと功罪、日本人の能力平等観、社会的分業、日本的宗教観についても述べられる。 また日本的社会構造から帰着するリーダー論と階層のモビリティ(移動性)についても著者の自論が述べられており、非常に興味深かった。 これは、日本の階層構造は強い「タテ」関係で成り立つので、一見弾力性がなく硬直した組織のように見えるが、内部構造は実は非常にルーズに作られているという論である。 つまり、「タテ」線の機能が強く密着しているので、個人の能力次第で自分の上司や先輩の仕事に侵入することができる。これは他の社会であれば強いタブーとして扱われるが、日本の集団内部構造は許容される。 だからこそ、能力の高い若手は自由に羽を伸ばして活動できるので、序列偏重の年功序列の強い組織にいながらそこまで不満を蓄積することなく働けているのだ。 故に、リーダー個人の能力の有無はそれほど大きな問題ではない。日本のリーダーの威力というものは、部下との人間的な接触を通して発揮される。優れた能力をもつ子分を人格的に惹きつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。 これは非常に興味深い考察であると思った。 個人的にも、能力とモチベーションの高い若手が職位を越えて、その組織のタスクを実質的に回しているケースを見てきた。得てしてそうした若手の処遇は年功序列に阻まれて無能な上司・先輩よりも悪いが、彼自身が自由に仕事ができていること、彼の功績は後年になって昇進という形で返ってくるため我慢していることが多い。 従来はそれでもよかったかもしれないが、不確定性が高まり、人材流動性が高まった現在においてこのタイムラグは致命的である。JTCの人事は無能故にこれに気付けていないが。 この議論は本書とは筋が異なるので据え置く。 本書は日本的社会構造の特質、その問題点を鋭く分析した本である。50年以上前の本であるが、その分析は現在にも通ずる精緻なもので、かつ以降の議論に多大な影響を与えてきた。 こうした思考を頭の中に入れておくことで視野が広げ視座を高めることができる。 久しぶりに良い本に出会った。
本書は1967年に初版が出されたものではあるが、現代社会の会社の中に、そして政治を動かす政党、官僚組織にも概ね当てはまる内容である。少なくとも私が所属する会社も一般的には社員規模数万人の大企業と言われ、本社組織だけでも1000人以上が働く会社であり、本書の言うタテの構造が全く当てはまっている。今日も...続きを読む誰かが書いた稟議書を眺めながら、誰かが提出してくる企画書を忙しく眺めながら、「そこだけ担当してる立場ではないから、こんなに専門的に(さも知ってるかの様に)書かれても解らないよ」との考えを頭の隅に追いやって、まるで無意識でもある様に書類を決裁者に回す。時折、自分の存在に自信を失うほど、決まりきったタテの構造の一部に陥った自分の姿を客観的に眺めて、果たしてこれで良いのかと疑問に苛まれる。但しこうした構造があるからこそ、更に上の上司が世に言う盲印でもそれ程大きな問題になる事もない。決裁もその分早いのかもしれない。一方、他の部署との調整ごとはいつも難を極める。高く、分厚い壁を設けてくる部門間折衝ほど自分の力を発揮できそうで楽しいのだが、無駄な時間に感じられる事が多い。今日数名の部下と面談したが、正に本書でいうタテ構造の中で評価を勝ち得るか。その難しさに話が集中したりする。本来は組織の枠を超えて十分話し合い、役割分担を明確にしてから、スピード感ある施策を施さなければならないのに、どうも本書記載の通り、互いのチームに如何に仕事を持ち帰らないかの闘いの様相を呈して来る。知り合いのデジタル庁職員から話を聞く限り、各省庁間の横の連携も、概ね同じ様な形で仕事が進められているようだ。果たしてこの構造がいつまで続くだろうか。一つヒントになるのは従来の日本型雇用である、新卒一括採用と年功序列から役やり・能力をベースに組織化する形から、欧米のジョブ型雇用に変わりつつある点である。「うちの会社」も早くから実験的にジョブ型雇用を取り入れてはいるもの圧倒的な指示方=トップダウン式の仕事から脱却に至っていない。その辺りが日本的雇用体系、タテ組織の我が国にあっていないのか、中々当社で本格的に進めるのはハードルが高い。 少子化だからこそ、ジョブ型雇用の形を取りたいのだが、何となく上からの抵抗に毎回頓挫する事態だ。 これじゃあいつまで経っても大会社で組織の存在意義を100%意味のあるものにして、有機的に動かすなんて無理なのでは。その様な疑問を抱きながら、自社の組織に置き換えて、時にはメンバーや他の管理職の皆さんの顔が思い浮かびながら、ニヤニヤ読んでいる自分がいた。部門長の皆さんの机の上に配布でもしようかしら。
1967年2月に初版が発行されているが、小生が大学1年の時だ.日本社会の形態を見事に描写している好著だと感じた.大学卒業後、会社生活を40年間過ごしたが、本書にある「タテ」社会は本当に実感するものだった.「ヨコ」「コントラクト」に関する記述もあったが、そのような形態をゴリ押しすると、必ず反発があった...続きを読むと記憶している.長い歴史が作り上げてきた組織構成なので、一朝一夕に変化させることはできないが、別の形態もあるのだという発想はぜひ持ち続けたいものだ.
1967年の本だそうだが、今でも全く古びてないと思う。社会構造はそう変わらない訳だが、単一社会ではなくなりつつあるので、実は変化が起こりつつあるのかもしれない。
50年前に書かれた本とは思えないほど現代社会にも通じる良書。身分や職業などの「資格」を重視する社会と家や会社など「場」を重視する社会。日本は後者でそれ故よりエモーショナルな繋がりが深くなり、ウチとよそ者の境界が濃くなる。日本が多文化コミュニケーションや共生が苦手な理由もここにあるのだと思いながら読ん...続きを読むだ。
1967年に書かれた本なのに、今となんら変わっていない。日本社会の単一性、「場」による集団の形成は、身をもって感じているが、認識は出来ていなかった。インドや他の国との対比では、こんなにも違うのかと驚いた。 複数の場への所属は、日本人は心理的にすごく抵抗があるが、中国の方はどんどん転職されていた。 ...続きを読む 親分・子分や序列意識では、笑ってしまうぐらい身の回りで起きている「タテ」の関係だった。能力主義も序列システムの枠内の狭い範囲で、改めて見回してみると確かにそうだと感心してしまった。 「タテ」から抜け出して、生産的な会議が開催される日はまだまだ遠そう。
1967年発刊だが,色あせない.日本のタテ社会(資格ではなく場を強調する社会),ウチ/ヨソ者的発想のムラ社会を冷静に考察.批評や議論する際に,論理より感情が優先されるという指摘は確かに.FBなどTwitterなどコミュニケーション方法が変わっても本質的には変わっていない.
去年、働き方改革のセミナーで、これまでの日本社会の特徴を説明した本として紹介されていた一冊。気になって買ったものの1年以上積読。やっと読みました。 「資格」ではなく「場」で集団構成される日本社会。そこで重視されるタテの関係。 俺が生まれる前に書かれた本ではあるものの、今でも変わらないところ、この前ま...続きを読むえそうだったってところがたくさん。 いい悪いではなく、組織論を議論する前提として、頭の整理になった。
刊行から50年とのことだが近著と言われてもわからない程、現代の日本にも当てはまっている。それは日本が今もまだ同質の単一社会であり続けているからだろうか。 では今後の日本はどうあるべきかというところまではは本書が扱う範疇を超えているが、これが世に出てからは可成の議論が可能であった筈。それなのに現代社会...続きを読むがその弊害をそのまま抱え続けてきたことに対し、先人達に失望せざるを得ない。 とは言えかく言う自分自身もこの社会の一員として、知ってか知らずか相応の振舞いをしてしまっている以上、非難すべからざるところか。反省。 他文化との比較に於いて論証が不十分の嫌いはあるが、新書という形式上この程度かなと割り切って読んだ。
なぜ日本では傑出したリーダーが生まれないのか、なぜ日本の労働力の流動性が低いのか、年功序列はどのように機能しているのか、、、そういった疑問について1つの枠組みを得ることができた。 60年前の本とは思えないほど、現代でも当てはまることが多くあった。社会が変わるということが、それほど難しいということなの...続きを読むかもしれない。 本書の内容が記憶に新しいうちに『タテ社会の力学』も読むと、筆者の主張がより理解できました。
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