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日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
日本的な『ウチ』と言う時の西洋的な『私たち』とは異なる自己中心的で排他的な意識や、日本人は働き者や怠け者と言う考えはあっても、個人間の能力の差を認めない素朴な人間平等主義を持つと言う点など、改めて考えるとすごく腹落ちする部分がありましたが、人間平等主義なのに上まで行ける人は一握りで、下層では同じよう...続きを読むなレベルの人が足の引っ張り合いをしている、なかなか成長が難しい環境だなぁとも思いました。 西洋と言う物差しを使わないと言うわりには西洋との比較が出てきたり、その時代に他の人よりも西洋的なものに触れる機会の多かった個人の感想ではかいか?と思われる部分も出てきますが、戦後20年、現代から60年前の本であるにも関わらず、現代に生きる我々にも改めてハッとするような学びが多くある本だと思います。 言い過ぎかもしれませんが、日本や日本人を批判する意見の多くはこの本に書かれている日本的な気質によるものを批判しているとまで言えるかもしれません。
中根千枝の著書『タテ社会の人間関係』は、日本人の人間関係や集団構造の特質を「タテ社会」という概念によって明らかにしようとした画期的な研究である。本書は、日本社会における人間関係のあり方を、西洋的な個人主義社会と比較しながら、文化人類学的・社会構造的に分析している。 中根は、日本では個人の資格や能力...続きを読むではなく、まず「場」への所属が人間関係の基盤になるとする。肩書きや属性ではなく、その人がどの集団に属しているかが、その人の社会的位置を決定する要素となる。これを「場の論理」と呼び、欧米社会のように「資格の論理」(=能力・契約・専門性による個人の位置づけ)とは明確に異なるとする。 また、日本社会では集団内部において「序列」が非常に重視され、上下関係が常に前提とされる。入社年次、年齢、経験年数などにより、先輩・後輩の区別が明確につけられ、それによって権限や役割が配分される。このような上下関係が集団を支配する構造が「タテ社会」の核心である。人間関係は、ヨコの平等な連携ではなく、タテの上下関係によって秩序化される。同期関係が存在する場合でも、それは一時的・限定的なものであり、すぐに競争や出世によって分岐する。 タテ社会における集団は、小規模なヒエラルキー構造を連鎖的に形成しており、それぞれの小集団は密接な情的関係によって結びついている。リーダーは、その序列の中で自然に位置づけられ、特別なカリスマ性や能力によってではなく、年功や人間関係の積み重ねによって選ばれる。リーダーシップとは、構造的な位置づけの問題であり、西洋的な合理的支配や契約的支配とは異なる特徴を持つ。 さらに、日本の人間関係には「ウチ」と「ソト」の強い区別が存在する。集団内部(ウチ)においては協調や忠誠が求められ、強い情緒的連帯が形成される。一方、外部(ソト)に対しては排他的・防衛的な態度が取られることが多い。この「内と外」の分離もまた、タテ社会の重要な構造的特徴の一つである。 加えて、日本社会においては論理よりも、感情が優位に立つ傾向を指摘している。契約や原則ではなく、相手との「情」や「空気」を読み合う文化が支配しており、それが時に合理性や個人の自由を制限する要因ともなる。 ただし、現代においては、個人主義や多様性が重視される風潮も強まっており、「タテ社会」の構造が絶対的とは言い切れない。だが、依然として、日本社会に深く根づく集団意識と序列意識を理解するための有力な道具であることに変わりはない。 ・・・・・・・・・・ 164-165頁を読んだ上での考察。 昨今、意外にも、組織の中における「ゲマインシャフト的集団の弊害」があるのではないか。これは、本来合理的・機能的であるべき会社(=ゲゼルシャフト的組織)において、感情的・閉鎖的な共同体的関係(ゲマインシャフト的性格)が過度に強まり、非合理な意思決定や不透明な権限運用が起こる現象である。 人間関係が権限の源泉になる;能力や役職ではなく、「誰と仲が良いか」「どの派閥に属しているか」で権限が配分される。上司に「気に入られている」ことが実質的な影響力になる。 意思決定が情緒的になる;合理性やデータよりも、「あの人が言っているから」「雰囲気的にそうだから」という判断基準が優先される。意見の異なる人は「和を乱す存在」とされ、排除されやすい。 閉鎖性と透明性の欠如;派閥の中だけで意思決定が行われ、情報がオープンに共有されない。合理的な異議申し立てやフィードバックが機能しない。 序列と情実による評価;実績よりも「長くいる」「気心が知れている」「上に気に入られている」といった要素が昇進に影響する。
紛れもなく名著。 日本の対立軸としてインドを持ってくることで説得力を増している。 社交、家族、本当の血縁、日本人的一方で所属、ステータスソサイエティ、その組織に一番早く入った人という意味での老人天国など目から鱗だ。 日本は商売下手で製造が得意というのも、本論の枠組みで理解できる。
東大で名誉教授を務めた社会人類学者である中根千枝による書籍。 1967年発行。 日本の社会的構造を他国のそれと比較する形で分析し、その特徴を解明することが本書の主題とされている。 本書における筆者の主張をまとめると、下記の3つである。 ①日本社会における集団意識では「場」が優先される ② 日...続きを読む本人は「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、人間関係の機能の強弱は実際の接触の長さ、激しさに比例する ③日本の組織の階層は強い「タテ」の関係で構成される ①は、一定の個人から成る社会集団の構成の要因は、二つの異なる原理「資格」と「場」の共通性に大分できるという前提に立つ。 「資格」とは、社会的個人の一定の属性を表すものであり、先天的な性別・血縁、後天的な学歴・地位・職業などがある。 これに対して「場」とは、地域、所属機関のように資格の相違を問わず、一定の枠によって一定の個人が集団を構成している場合を指す。 日本社会の組織においては、この比重が「場」に重く置かれている。日本人は、記者であるとかエンジニアであるというよりも、まずA社の者ということを言うし、他人も第一に場を知りたがる。 これは、日本社会は非常に単一性が強い上に、集団が「場」によってできているので、常に枠をはっきりさせて、集団成員が「他とは違うんだ」ということを意識しなければ、他との区別がなくなりやすいためだとされる。 そのために、日本のグループは知らず知らずのうちに強い「ウチ」「ソト」の意識を強めることになってしまう。 結果、ローカリズムが強まり、自集団でしか通用しない共通認識・共通言語が発達する。 さらに、ローカルであることは直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びつく。 つまり、日本社会における人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例する。日本のいかなる社会集団においても、「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置付けられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。 これが②の主張に該当する。 「場」の共通性によって構成された集団は、閉ざされた世界を形成し、成員のエモーションな全面的参加により一体感が醸成され、集団として強い機能をもつようになる。 これが大きい集団になると、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要となる。 理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。たとえば、前者は「親子」「上司・部下」関係であり、後者は「兄弟姉妹」「同僚」関係である。 「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。 この内、日本の組織は「タテ」の関係で構成されることが多く、それが故に、同一集団内の同一資格を有する者であっても何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって、驚くほど精緻な序列が形成されることになる。 例えば、同じ実力の資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次の長短などによって差が生じるというのはこのためである。 これが3番目の主張になる。 以上が本書における著者の主な主張である。 さらに本書ではここから発展して、日本的階層構造の成り立ちと功罪、日本人の能力平等観、社会的分業、日本的宗教観についても述べられる。 また日本的社会構造から帰着するリーダー論と階層のモビリティ(移動性)についても著者の自論が述べられており、非常に興味深かった。 これは、日本の階層構造は強い「タテ」関係で成り立つので、一見弾力性がなく硬直した組織のように見えるが、内部構造は実は非常にルーズに作られているという論である。 つまり、「タテ」線の機能が強く密着しているので、個人の能力次第で自分の上司や先輩の仕事に侵入することができる。これは他の社会であれば強いタブーとして扱われるが、日本の集団内部構造は許容される。 だからこそ、能力の高い若手は自由に羽を伸ばして活動できるので、序列偏重の年功序列の強い組織にいながらそこまで不満を蓄積することなく働けているのだ。 故に、リーダー個人の能力の有無はそれほど大きな問題ではない。日本のリーダーの威力というものは、部下との人間的な接触を通して発揮される。優れた能力をもつ子分を人格的に惹きつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。 これは非常に興味深い考察であると思った。 個人的にも、能力とモチベーションの高い若手が職位を越えて、その組織のタスクを実質的に回しているケースを見てきた。得てしてそうした若手の処遇は年功序列に阻まれて無能な上司・先輩よりも悪いが、彼自身が自由に仕事ができていること、彼の功績は後年になって昇進という形で返ってくるため我慢していることが多い。 従来はそれでもよかったかもしれないが、不確定性が高まり、人材流動性が高まった現在においてこのタイムラグは致命的である。JTCの人事は無能故にこれに気付けていないが。 この議論は本書とは筋が異なるので据え置く。 本書は日本的社会構造の特質、その問題点を鋭く分析した本である。50年以上前の本であるが、その分析は現在にも通ずる精緻なもので、かつ以降の議論に多大な影響を与えてきた。 こうした思考を頭の中に入れておくことで視野が広げ視座を高めることができる。 久しぶりに良い本に出会った。
本書は1967年に初版が出されたものではあるが、現代社会の会社の中に、そして政治を動かす政党、官僚組織にも概ね当てはまる内容である。少なくとも私が所属する会社も一般的には社員規模数万人の大企業と言われ、本社組織だけでも1000人以上が働く会社であり、本書の言うタテの構造が全く当てはまっている。今日も...続きを読む誰かが書いた稟議書を眺めながら、誰かが提出してくる企画書を忙しく眺めながら、「そこだけ担当してる立場ではないから、こんなに専門的に(さも知ってるかの様に)書かれても解らないよ」との考えを頭の隅に追いやって、まるで無意識でもある様に書類を決裁者に回す。時折、自分の存在に自信を失うほど、決まりきったタテの構造の一部に陥った自分の姿を客観的に眺めて、果たしてこれで良いのかと疑問に苛まれる。但しこうした構造があるからこそ、更に上の上司が世に言う盲印でもそれ程大きな問題になる事もない。決裁もその分早いのかもしれない。一方、他の部署との調整ごとはいつも難を極める。高く、分厚い壁を設けてくる部門間折衝ほど自分の力を発揮できそうで楽しいのだが、無駄な時間に感じられる事が多い。今日数名の部下と面談したが、正に本書でいうタテ構造の中で評価を勝ち得るか。その難しさに話が集中したりする。本来は組織の枠を超えて十分話し合い、役割分担を明確にしてから、スピード感ある施策を施さなければならないのに、どうも本書記載の通り、互いのチームに如何に仕事を持ち帰らないかの闘いの様相を呈して来る。知り合いのデジタル庁職員から話を聞く限り、各省庁間の横の連携も、概ね同じ様な形で仕事が進められているようだ。果たしてこの構造がいつまで続くだろうか。一つヒントになるのは従来の日本型雇用である、新卒一括採用と年功序列から役やり・能力をベースに組織化する形から、欧米のジョブ型雇用に変わりつつある点である。「うちの会社」も早くから実験的にジョブ型雇用を取り入れてはいるもの圧倒的な指示方=トップダウン式の仕事から脱却に至っていない。その辺りが日本的雇用体系、タテ組織の我が国にあっていないのか、中々当社で本格的に進めるのはハードルが高い。 少子化だからこそ、ジョブ型雇用の形を取りたいのだが、何となく上からの抵抗に毎回頓挫する事態だ。 これじゃあいつまで経っても大会社で組織の存在意義を100%意味のあるものにして、有機的に動かすなんて無理なのでは。その様な疑問を抱きながら、自社の組織に置き換えて、時にはメンバーや他の管理職の皆さんの顔が思い浮かびながら、ニヤニヤ読んでいる自分がいた。部門長の皆さんの机の上に配布でもしようかしら。
1967年2月に初版が発行されているが、小生が大学1年の時だ.日本社会の形態を見事に描写している好著だと感じた.大学卒業後、会社生活を40年間過ごしたが、本書にある「タテ」社会は本当に実感するものだった.「ヨコ」「コントラクト」に関する記述もあったが、そのような形態をゴリ押しすると、必ず反発があった...続きを読むと記憶している.長い歴史が作り上げてきた組織構成なので、一朝一夕に変化させることはできないが、別の形態もあるのだという発想はぜひ持ち続けたいものだ.
1967年の本だそうだが、今でも全く古びてないと思う。社会構造はそう変わらない訳だが、単一社会ではなくなりつつあるので、実は変化が起こりつつあるのかもしれない。
50年前に書かれた本とは思えないほど現代社会にも通じる良書。身分や職業などの「資格」を重視する社会と家や会社など「場」を重視する社会。日本は後者でそれ故よりエモーショナルな繋がりが深くなり、ウチとよそ者の境界が濃くなる。日本が多文化コミュニケーションや共生が苦手な理由もここにあるのだと思いながら読ん...続きを読むだ。
1967年に書かれた本なのに、今となんら変わっていない。日本社会の単一性、「場」による集団の形成は、身をもって感じているが、認識は出来ていなかった。インドや他の国との対比では、こんなにも違うのかと驚いた。 複数の場への所属は、日本人は心理的にすごく抵抗があるが、中国の方はどんどん転職されていた。 ...続きを読む 親分・子分や序列意識では、笑ってしまうぐらい身の回りで起きている「タテ」の関係だった。能力主義も序列システムの枠内の狭い範囲で、改めて見回してみると確かにそうだと感心してしまった。 「タテ」から抜け出して、生産的な会議が開催される日はまだまだ遠そう。
1967年発刊だが,色あせない.日本のタテ社会(資格ではなく場を強調する社会),ウチ/ヨソ者的発想のムラ社会を冷静に考察.批評や議論する際に,論理より感情が優先されるという指摘は確かに.FBなどTwitterなどコミュニケーション方法が変わっても本質的には変わっていない.
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タテ社会の人間関係 単一社会の理論
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