あらすじ
ニーチェが問うた真に本質的な問題とは何か。哲学とは主張ではない。徹頭徹尾、問いである。〈神の死〉を語り、道徳を批判し、力への意志を説いた希代の哲学者の問いの構造を、見るも鮮やかに抉り出す快著。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
正直、あまり分からなかった。ニーチェ思想がニヒリズムの代表例で、生に意味がないという事を自明にした上で、生を味わい尽くそうとする姿勢であることは、改めて理解することができた。よく誤解されてるのは、ニーチェは生きる意味なんてないから、退廃的で何も頑張る必要もないんだと諦めの思想で捉えられることがある気がするが、実際にはそうでなく、どうせ意味なんてないのだから、期待を捨てて前向きに味わおう、という視点なのだろうと思った。宗教の権威性が失われてきている現代社会だからこそ、求められる思想なのではないだろうか。毎日上司と嫁の言いなりになっているロボットのような日本のサラリーマンも、考え方としては救われるのではないだろうか?
Posted by ブクログ
まずニーチェを知ろうと思い「ニーチェ入門」を読み込み、次にこれを読んだ
非常に衝撃を受けた。自分の中にあったニーチェ感がまさしく全て転倒された。
「ルサンチマンの哲学」を次に読んでみたい
Posted by ブクログ
読むのにとても疲れた。
しかし、こうした哲学的なプロセスはとても面白かった。
わからない用語や一般的なニーチェ空間の扱いについては、山川の倫理用語集を参考にした。
一歩一歩、対話形式で読むといいかもしれない。
Posted by ブクログ
難しい. どうまとめたら良いか,上手く表現できない. ただ多くの気づきがあ流と同時に味わいきれない歯痒さもある.
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筆者の問い
・ニーチェや彼の哲学について書かれたにある何か有益なものを抜きだそうという姿勢への批判
・多くの書物がニーチェから問いではなく答えを受け取っている。
"哲学は主張ではない。それは、徹頭徹尾、問いであり、問いの空間の設定であり、その空間をめぐる研究である。"
"子供は無垢であり、忘却である。新しい始まりであり、遊びである。自ら回る車輪であり、自動運動であり、聖なる肯定である。"
「どうして人を殺してはいけないのか」
ある種の人はこの手の素朴な質問を素直に受け取れない。問い自体に不穏なものを感じ取る。
→ダメなものはダメなんだという大人より、そこに真正な問いがあると見抜いた質問者こそが誠実さと真理への意思を持つもの。
実際の回答でありがちなのは相互性の原理。→自分にやられたくないことをしてはいけない。→もし自分が「いつ死んでも良い」と思っている人には通じない。
→
いつ死んでもいいと思う人(無敵の人、ジョーカー)に倫理は無力。
倫理の自分の生を基本的に肯定していることが基盤となる。
→子供にまず教えるべきなのは道徳ではなく、自己と生が根源的に肯定されるべきものだということを体に思い込ませること。
生の肯定あっての倫理。逆は成り立たない
ニーチェ→究極に空気を読まない人?ラディカルの極み?
道徳を否定する道徳
・道徳的判断が真理に基づいていることの否定
・道徳がある行動を駆り立てたことの否定
"すべての宗教は、人類初期の未熟な知性にその起源をおうと言う特徴を持つ。それらはどれも真理を語るという義務を驚くほど軽視する"
"真理が有益であるかどうか、真理が自分に災害をもたらすんじゃないか、そんな疑問を持ってはならない。"
”キリスト教道徳によって育まれた誠実な真理への意思は,これまでの人生に意味を与えていたものが嘘であることを宣言することによってーさらにはそのような新入り意思そのものの卑しい出自を自己暴露することによってー人々を徹底的なニヒリズムに陥れる”
”本当は無であるものを誠実に無と認めたこと,真実をごまかさずに直視し,真理を認識したということを,それは意味する.”
狐「あれは酸っぱい葡萄だ」→相手の価値空間の内部で価値を引き下げているに過ぎない.
「葡萄を食べない人生こそが良い人生だ」と自分の内部で実感する価値の転倒=ルサンチマンが発揮する創造性,新しい世界解釈
罪を犯すものおよびそれを罰する者(報いる者)= 債務者と債権者
”キリスト教の本質は個々の人間が唯一の神に対して負債を追っている.という解釈の創造”
→人は生まれながらにして罪(負債)を背負っているという設定の強制
”この解釈こそが人間を救うのである.はけ口を失った不安な生は「罪人」という烙印を押されることによって,初めて意味を持つからである”
→「罪人」という烙印に救われる人間がいる.
”人間の生全体を「罪」という観点から意味付ける,新たな強力な道徳空間”
→「まだ気づいてないかもしれないがお前は生まれながらにして莫大な借金を抱えているんだ.でもその借金は俺たちの親分が支払ってくれたんだ.」という欺瞞・でっちあげ.
・キリストの磔刑は債権者が愛を持って債務者に手を差し伸べるというさらにより返せない債務を押し付ける行為
”僧侶は,この世で苦悩の原因を取り除いてはくれないが,それに意味を与えることで,生に希望を与えてくれるのだ.”
“真理は醜い,真理によって滅びないために我々は芸術を持つ”
キリスト教:罪にどう抗うか
仏教:苦しみにどう抗うか
意味を問わず,あるもの・起きたことををあるがままに受容し,それ自体を肯定する.
永劫回帰.
Posted by ブクログ
タイトルが不遜だとして批判している評を頻く見かけるが、誤読するを語るに落ちていることに失笑せざるを得ない。もちろんこのタイトルは意図的に一種のギャグであり、ニーチェ流デュオニソス的明るいニヒリズムの正鵠を得た表現である。ニーチェキーワードを時系列に並べながら、むしろ非論理的に、古い言い方ならスキゾ的に論を進めた挙句の最終章での「全否定という肯定」との結論に開いた口がふさがらなかった。だがむしろそれは、難解で長ったらしい数式の解がゼロになるような快さがある。感動的だ。ほとんど引かれていないが、本当に必要な個所でのニーチェ本人の境遇の記述により、本稿がむしろニーチェの人間像をも明確に浮かびあげさせ、かつ章構造自体が、ニーチェ的あまりにニーチェ的な虚無的世界を表現する仕掛けとなっている。最終章の躁病ともいえる筆運びがニーチェ晩年の発狂を想起させるほど。永井均はニヤニヤしながら本作を書いていたに違いない。
Posted by ブクログ
昔読んだような気がするが、なんとなく気になって読むことに。結果、大正解。誤解を恐れずに言えば、たいしたことは言ってないんだが、当たり前のことを回りくどく言う、いや示すのは気持ちいいなと。
もちろん完全に永井さんのことを理解はしてないが、この本から肉をそぎ落として骨だけにするとそうたいしたら、相対主義のパラドクスを道徳的な展開をしたということになるんではないかと。
あと、ニーチェを読んでいて存在と時間の実存主義に近いよな、と感じたがそれは中途半端なニーチェ主義なんだろう。むしろ突き詰めていくと、ハイデッガーの嫌ったダスマンの方が超人に見えてくるのは気のせいか?
導入の仕方が秀逸。なぜ人を殺してはいけないかという問いをもってきて、道徳的に答える大江健三郎をこき下ろす。誠実に、正直に考えるなら、人を殺してはいけない理由なんてあるわけないのだ。そもそも問い自体が道徳的で、その目的を達しようと思うなら答えを言うのではなく、この世界に生きることがどんなに素晴らしいのかを伝えたほうがいい。至極もっともな話で、思わず妻に読ませて2人で共感した。
Posted by ブクログ
筆者の解釈ではあるが、ニーチェ哲学の危険な面も含め、純粋に学問的に、容赦なく解説している書。(筆者の言葉を借りると)反社会的な内容が多分に含まれる。
社会人が読めば怒りを覚えるかもしれないが、学生が読めば一般にタブーとされる内容にまで踏み込んだ議論がされているのでスカッとするかもしれない。
また、筆者はニーチェ哲学に世の中的な価値はないとの立場だが、一概にそうとは言えず、ニーチェの結論である「人生の無意味さを楽しむ」という思想は、社会人にとって極めて実用的な考え方だと思う。
これを実践すると、些細な失敗や意見の相違が気にならなくなるので自然仏のような性格になってゆくだろう。ストレス耐性が高まるし、人当たりの良い性格は人を惹きつけるので、成功への道が開けやすくなるはずだ。
私自身、大学受験浪人時代に読んで、強烈な影響を受けている一冊。
Posted by ブクログ
とても興味深く読めた。
おそらく難解であろうニーチェをわかりやすく解説してくれている。とはいえそれでもじっくり読まないと途中で分からなくなってしまうけど。
ニーチェの思想の変遷を、筋道に沿って追って行っている感があり、納得しやすい。
いろいろと参考になることが書いてあるので、また読みたい。
以下、印象に残った考え方。
動物の最大の幸福は過去を忘れること。
物には固有の価値基準があるが、人間にはそれがない。
Posted by ブクログ
一応全部読み終えては見たものの、あまりわからなかった。哲学的な素養が僕にないだけかもしれないが、ちょっと断片的にわかったような気がするところがあると思ったら、またすぐにわからなくなった。何回も繰り返し繰り返し読んで咀嚼したい
Posted by ブクログ
自身がニーチェについてよく知らないということがわかった。しばらくしてもう一度読んだらもう少し自分なりに咀嚼できるかもしれない。今分かるのはニーチェの考えは視点によって解釈が変わること
Posted by ブクログ
ルサンチマン(弱者)を内包した社会やキリスト教を批判し、ニヒリズムを克服し、生を肯定するためのニーチェの問いを整理した本
#講談社現代新書 #永井均 「 これが #ニーチェ だ 」
内容としては かなり難しいが、#ツァラトゥストラ 「精神が 駱駝となり、獅子となり、子供になる」の意味がよくわかる構成になっている
ニーチェ=無神論という解釈は間違いであるとのこと。人生の無意味さを肯定することにより、自分の中に別の意味の〈神〉が生き返る、という主張。なるほどと思う
「人生の価値は、人の役に立ったとか、そういうところにあるのではない〜そこには、何の意味も必然性もない。その事実そのものが、そのままの意義であり、価値なのである」
ツァラトゥストラ 「精神が 駱駝となり、獅子となり、子供になる」の意味とリンクさせた内容
*駱駝=生の否定、ルサンチマン
*獅子=強者を目指した力への意志
*子供=忘却と聖なる肯定による自分の世界の獲得〜自分を限られた視界のうちに閉じ込める
*自己を否定するキリスト教道徳への批判
「真理とは錯覚であることを忘れられた錯覚〜社会的に公認された真理とは虚偽のこと」
「すべては力への意志である〜生あるものには必ず力への意志があった〜生とは、内から発して多くの外部を服従させ、自分に同化吸収していく力への意志なのである」
「意味のない苦悩に満ちた生をそれ自体として肯定する〜苦悩の意味が、悲劇的(=矛盾があっても生を欲すること)であれば至福」
*神の死
人間の生の価値を否定したキリスト教道徳が、キリスト教の神を殺したという論調。このニヒリズムを克服することにより、別の意味の〈神〉が生き返る
*ルサンチマンの弱さ
力の意志は、真理を信じこむことなしに生きていけない弱者の存在様式
弱者の力への意志を、解釈する意志に変換する〜自分に有利な何かに解釈を変える
「反社会性〜人間が社会性によって傷つかないことを目指す〜弱者は徹底的に没落すべきである〜あるがままを肯定する」
*ディオニュソス
現に存在するすべてのものに対する肯定
*永遠回帰
来世はない〜わたしはこの生以外の生を生きる可能性はない
生き方の内容の選択の余地は始めからない〜どれほど惨めな人生であっても、自分の生であり、それが存在したことに外部からの評価を加えることはできない。それがそのように存在したこと、そうであったこと、それがそのまま価値なのである
「この世界を現実であることそれ自体によって、この瞬間を今であることそれ自体によって、この人生を自分であることそれ自体によって、そのまま肯定する」
「すべては、ただの偶然、ただそうあるだけのことであり、現にこうであることに、何の根拠も、何の理由も、何の意味もない」
永遠回帰
*全偶然を偶然性を維持したまま必然化する
*力への意志も欲望もなしに、ただ肯定され、ただ是認されるべきもの
つかのまの生は、その内部に喜びや悲しみがあるにしても、生自体としては空しいものにすぎない。そのことを嘆いて、生に外からの意味を与えるべきではない。それが神の死であり、人生の無意味さを肯定することが神の復活の出発点
世界は同一の状態を永遠に反復している→世界は神によって創造されたとするキリスト教的世界観の否定
世界は始まりも終わりもなく、目的も意味もない。ただ存在しているだけ→ニヒリズムの徹底により 理想への回帰を封じる
*超人
ニヒリズムの極限を意志の力によって克服する〜その力をもった形象として描かれるのが「超人」
超人とは肯定する人〜永遠回帰を望み、自己と世界、偶然的な現実を肯定する
超人は本質的に社会的存在ではない〜超人は孤独な者にしかなされない。超人は連帯しない
「人生の価値は、人の役に立ったとか、そういうところにあるのではない。起こったとおりのことが起こったことにある〜そこには何の意味も必然性もない。その事実そのものが、そのままの意義であり、価値なのである」
Posted by ブクログ
哲学初心者の私ですらこの分野のアイドル的存在との認識がある、ニーチェ関連本に初挑戦。しかし、永井均先生の主張が多分に織り込まれており読み解くのに四苦八苦してしまったのです。
なぜ読むのに苦労するのかと考えると、ニーチェの王道的な思想を学ぶ前に、本作の世間一般的なニーチェ論に対する批判と対峙することになったからだろうと憶測されます。でも逆に、私のニーチェ像は本作から出発することとなり、ある意味で恵まれているではあるのかなと感覚的に察する。
相手の気持ちを慮ってできることを手助けしようといった慈愛なんてものは、何となく刷り込まれているけどもそれが同情になっているとそれは暴力であると指摘する。その精神的な侵略は逆に相手を傷つけてしまう可能性を感じた。
P47:敵は私を理解しようなどとはしない。だから、私の固有性は敵からはいつも守られている。だが、同情者は違う。彼らはいつも自分自身の知性と感性を携えて私の内面深くに入り込んできて、私を理解という名の暴力でずたずたにされてしまう。
ルサンチマンにおける僧侶的価値評価の巧妙な例え。タームとしては、奴隷道徳に該当するのかな。
P95:ぶどうに手の届かなかった狐が、「あれは酸っぱい部ぶどうだ」と言ったとしても、それはすでにある価値空間の内部で対象の価値を引き下げているにすぎない。・・価値の転倒が起こるのは「ぶどうを食べない人生こそが良い人生である」と‐人に言いふらすだけでなく‐自分の内部で実感したときである。
「力への意志」概念について言及していると思われるが、理解が追い付かない。むずい。。。
P140:いまだ実現していない自分の欲望を「そうあるべき」という形で世界に押し付け、それゆえに暗に「ものごとの進行の全体を断罪」しないではいられない。欠如と苦悩を背負った者の隠微な復習意思を起点とする、本質的にルサンチマン的で、そうであるがゆえにロマンティックな世界観である。
ここにも「力への意志」を理解する一助となる文章がある。
P144:ニーチェの力への意志説は贋金をモデルにした貨幣論なのである。それは何かを‐じつは自分の必要から‐真理であると信じ込むことなしに生きてはいけない弱者の存在様式をモデルにした人間理解であり、弱さと卑小性を最も抽象化された本質を世界へ投影した世界解釈なのである。
永遠回帰は仏教にある輪廻と相似かなと思ったら、全然違った。たった一つの固有である人生を良いも悪いも一切合切違わぬ形で永遠に繰り返すという思想だった。諦観・無常なんて概念はなく、途轍もなく人生への熱量が大きい気力たっぷりの概念かなと理解。
「超人」は実社会には全く適応できない感は否めない。偶然の連鎖における必然性。話が逡巡するしていて掴みどころがないが、胸のわくわく感は止まらない。そんな感じ。
P208:人生の無意味さは、耐えるべきものなのではなく、愛すべきものであり、悦ぶべきものであり、楽しむべきものなのである。
ニーチェの第一歩を踏み出しましたが、ここにハマると沼だな。過激でカリスマ性を感じずにはいられない。気持ちを落ち着かせるためにも、次はもう少しフラットなニーチェ解説をしている本で中和しようと思う。
Posted by ブクログ
これぞタイトル買い。
ニーチェの本は読んだことがない。今まで読んだ本にたくさん引用があったけれど。100分de名著のようなものを読むのをやめて原典にあたろうと思っていたものの、これは積dle。
この本は著者の永井氏のニーチェ論であり、学術的な「正しい」ものを解説しているというよりは、ひとりの人間として感じたことが書かれている。
宗教的比較で仏教にも触れられているのだが、いわゆる正しい認識でないなと自分は感じたものの、永井氏の書かれるニーチェ像がかなり真宗チックで意図せずそうなっているならすごいなと思った。ニヒリズムからの絶対の肯定。うーむ。
「第一空間」、「第二空間」、「第三空間」というニーチェの思想の変遷、それぞれの段階で展開されたこと。ニーチェ自身の人生も合わさって、なんだか著者によってニーチェっていう変な人がいたんだぜっていうお話を聞いている感覚もある。
「永遠回帰」の解説。
”人生の価値は、何か有意義なことを行ったとか、人の役に立ったとか、そういうことにあるのではない。むしろ、起こったとおりのことが起こったことにある。他にたくさんの可能性があったはずなのに、まさにこれが私の人生だったのだ。そこには、何の意味も必然性もない。何の理由も根拠もない。その事実そのものが、そのまま意義であり、価値なのである。偶然であると同時に必然でもあるこの剥き出しの事実性のうちにこそ、神性が顕現している。そこにこそ〈神〉が存在する。その奇跡に感嘆し、その〈神〉を讃えて、ニーチェがなした祝福の祈りこそ「永遠回帰」の祈りなのである。”
意味のない人生こそがわれわれの悦びの根源…。絶望の壁を眺めていたらそれがそれでいいなと思えるみたいな感じかな。こういうのって詩的な人がきっと共感するものでないかな。芸術性の高い人とか。と勝手に思う。なんとなく二種深信。
この本ではおおよそのニーチェの思想がつかめるし、勢いのある著者のニーチェ論も楽しく読める。ただし専門的なものを求めている人には向かないのではないかと思う。
著者おすすめは『この人を見よ』(自伝)、『悦ばしき知識』、『反キリスト』。自分用メモ。
Posted by ブクログ
ニーチェ的な視点からニーチェを批判していくという試み。著者の熱量と詩的表現が素晴らしい。ただ気になるのは、この本を含め、どのニーチェ入門書にも「ニーチェ哲学を社会の役に立たせようとすることは不可能」といった注意書きがあるのに、少なくとも現時点での私のニーチェ解釈では、むしろこんなにも「社会の役に立つ」思想もなかなか無いのではないかと感じてしまうところだ。「歪めて」理解することのないように、今後もニーチェ自身のテキストはもちろん他の有名なニーチェ論を渉猟したい。
Posted by ブクログ
この本が導きだした結末に、僕はバカボンのパパを見た。
軽くググってみると、どうやら同じ感想を抱いた人は多いようで、ちらほらと同様のことが記されているページを確認することができる。
「これでいいのだ」という言葉を見たり、聞いたりすることで、ほっとしたり、どこか救われたような気がするのは、ニーチェがその身一つで普遍的道徳にメスを入れ、様々な嘘やごまかしに誠実に立ち向かった結果、たどり着いた境地だったからなのかもしれない。
もちろん「これでいいのだ」の裏にニーチェがいると断言できるわけはないし、そもそも赤塚不二夫がニーチェを知っていたかもわからない。そんなことはどうでもいい。
これは、とんでもなくおめでたい考えなのかもしれないけれど、そんな当たり前のことを導きだすために、尽力しつづけたニーチェはやっぱり偉大だと、僕は思った。
そして、その結末が図らずとも日本人なら誰もが知っている「これでいいのだ」に帰結するのは、単なる偶然でありながら、それは偶然性を維持した上での必然でもあり、そんな事実でさえも「これでいいのだ」と言ってしまいたくなった。
そんなこんなが、僕のニーチェだ。
Posted by ブクログ
永井本の中では読みやすい。(が、すべてさらっとは頭に入らない)
・だからニーチェは「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」と言ったのではない。彼は「やむをえない」と言ったのではなく、究極的には「そうするべきだ」と言ったのである。
・人生の価値は、何か有意義なことをおこなったとか、人の役に立ったとか、そういういことにあるのではない。むしろ、起こったとおりのことが起こったことにある。他にたくさんの可能性があったはずなのに、まさにこれが私の人生だったのだ。そこには、何の意味も必然性もない。何の理由も根拠もない。その事実そのものが、そのまま意義であり、価値なのである。偶然であると同時に必然でもあるこの剥き出しの事実性のうちにこそ、神性が顕現している。そこにこそ<神>が存在する。その奇跡に感嘆し、その<神>を讃えて、ニーチェがなした祝福の祈りこを「永遠回帰」の祈りなのである。
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ニーチェはニヒリズムの人だ。ニヒリズムというのは一般的には全てのものごとには意味や価値なんてないという考えだろう。
以前,哲学史の本でニーチェの考えに触れたとき,私の心はすごく動揺した記憶がある。もちろん,ニーチェの考えの表面的なことしかそこにかかれていなかったが,自分の心をひどく動揺させた。
道徳的に正しいとか言われることは,ただ偶然に社会に好都合であるから,誰かが考えたその論理が「正しい」とされ残されてきたにすぎないのかもしれない。世の中で正しいと言われていることは偽りなのかもしれない。
強者は優良であることを,弱者は善良であることを「よい」とする。しかし,どちらも自分の立場から見た視点から自分を正当化する論理でしかないのだ。
これを見て,キリスト教において,キリストの言った言葉を思い出した。
”この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」”
もし,これを金持ちが実践し,資産を投げ出し,貧しくなったときに前記の考えに至った場合,どうすればよいのか。正しいと思っていたことが,ただの虚偽でしかなかった場合,絶望するだろう。正しいとして行ったはずなのだが,宗教の教えや道徳は弱者が自分を正当化するための一つのツールであり偽りに過ぎないんだったら,どうすればいいのだろう。
ニーチェの考えを知るためにこの本を手にとった。入門書というわりには,そのことについて説明される前に,その後の概念がちらほら出てくるため,思っていた以上に難しく感じられた。
しかし,最後まで読んでみて,なんとなく少しわかったような気がする。もちろん哲学者が人生をかけて考えたことを一瞬で理解することはできないのだろうから,これからよく考えてみないといけないだろう。
結びにニーチェの引用でこのようなものがあった。
『私に「道」を尋ねた者に私はこう答えた。「これが――私の道だ,――きみたちの道はどこか?」と。万人向きの道など,存在しないからだ。』
私の生きていく道についてこれからも考えていきたいと思う。
Posted by ブクログ
もしも「ニーチェが愛読書です。」という人がいたら、ヤバいやつかもしれないと警戒すべきだ。ニーチェの思想自体は社会の中では、いかなる意味も持たない。どんな意味でも役に立たない。それだけではない。徹底的に反社会的な思想ですらある。にも関わらず、彼の仕事は偉大であったし、最も重要な哲学者のひとりであるということは永遠に変わらないだろう。
彼の論理空間はどういったものであったのか。
ニーチェの第一空間は、誠実さと嘘が対立する空間である。キリスト教道徳が誠実さというものを育て、やがて、その誠実さがキリスト教道徳の欺瞞を暴き破壊する。
第二空間では、力への意志説、パースペクティブ主義が誠実さから生成される。
第三空間では、運命愛と永遠回帰説が示される。
「神は死んだ」とは有名な言葉であるが、どういうことであろうか。それは世の中の神性全体がもはや修復不可能なほどに破壊されてしまったのではないかという誰も立てたことがなかった問いを立てたのである。神なき世界ではニヒリズムが生まれることになる。
三段階のニヒリズムが。
第一は、人格神的なキリスト教の「神」が死んだということ。
第二は、「神」が生きている。ゆえに<神>は死んでいるという根源的ニヒリズム
第三は徹底的に「神」が死んだゆえに<神>が生きかえるという徹底的なニヒリズムだ。
Posted by ブクログ
ニーチェにすがる弱者(ニーチェを僧侶とするニーチェ教徒)の復讐意志をこれでもかと暴いてしまう本。ニーチェに共感してしまう人間に対し、誠実な哲学的冷や水を浴びせかけてくれる。良書。
Posted by ブクログ
論理的に位相の同じ話を「空間」という比喩で語る。初めに、三つの空間を設定し、空間相互の関係を随時紐解く。ニーチェその人を崇拝するような本ではなく、ニーチェが自身の思考において何をしようとしたのかを分析し、評価を加える本である。解釈と批評がまぜこぜにしてあるので、読みやすくもあり、詳細な理論はわかりにくくもある。第一空間ニヒリズム、第二空間パースペクティブ主義、第三空間永遠回帰という構成で組まれている。高度に論理的である反面、論理そのものに内在するジレンマを明確化したことに意味があると感じた。少なくともニーチェの世界観に共感することのできる人間は、感受性は高いのかもしれないが、ある面でとても鈍感で、また絶望的な人間だと思う。
Posted by ブクログ
はじめての哲学についての本だった。
これが簡単な入門書だと思って読むと辛いかも。
読んでいて「あぁなるほど、ふむふむ」と理解したつもりが、すぐ後で「で、何だっけ?」となる。そんな繰り返しだった気がする。
ただニーチェから何か人生に有用な答えを引き出そうするような、安易な解釈ではなく、ニーチェは巨大な問題提起者であるとの姿勢は共感できた。
Posted by ブクログ
ニーチェを読んだことはあったが素人解釈でしかなく、なんとなくそれっぽく知っているだけだったが、明快に構造的に批判的にニーチェの思想を読むことをこの本から学んだ。とてもよい入門本
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
哲学は主張ではない。
問いの空間の設定である。
ニーチェが提起した三つの空間を読み解く、画期的考察―。
[ 目次 ]
第1章 道徳批判―諸空間への序章
第2章 ニーチェの誕生と、『悲劇の誕生』のソクラテス像
第3章 第一空間―ニヒリズムとその系譜学
第4章 第二空間―力への意志とパースぺクティブ主義
第5章 『反キリスト』のイエス像と、ニーチェの終焉
第6章 第三空間―永遠回帰=遊ぶ子供の聖なる肯定
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
反社会的な哲学者、ニーチェ。彼を題材にした本はいくらでもあるが、永井はそのような本とは違った視点からニーチェを描いた。
ニーチェの文は答えではなく問いであること、無益な思想であること、三つの空間の設定によるニーチェ哲学分析。
私にとってニーチェの入門書となった一冊。かなりむずかしい。けどおもしろい。
Posted by ブクログ
キリスト教的価値観が崩壊し、
無意味な人生を永遠に繰り返す永劫回帰の乗り越え
新しい価値観の創造をする超人になるよう説くニーチェ
この本のおかげで
ヤスパースなどの実存主義に位置づけられる理由がわかりましたああ
Posted by ブクログ
あるところで薦められていたので読んでみました。
この本を読むに足るだけの知識が自分にはなく、読み進めるのになかなか苦労しましたが、ニーチェの「神は死んだ」について、何となくは理解できた気がします。
が、著者も書いているように、本書は著者が思うところのニーチェであって、ニーチェには、もっと多面的な見方があると思うので、時間を見つけて、他のニーチェ本も読んでみたいと思います。
哲学もそうですが、人文科学や社会科学は、数学でいうところの公理ほどは、確実な土台がないので、根本的なところを考えだすと、なかなか厄介ですね。
まあ、それはそれで面白いところはあるのですが。
Posted by ブクログ
ニーチェの認識Vs永井さんの反論という形。誰も彼もが抱える弱者であると言う意識を的確についた本。もっとも、僕も彼のパースペクティブに侵されているのかもしれない。
Posted by ブクログ
ちょっとだけ興味があって読んでみました。難しいですね。なんかあえて小難しく考えている感じ。でも、すごく納得しました。だって、だって生まれたその瞬間から原罪を負ってるなんて考え方すごく不健康。私が犯した以外の罪なんて背負えないし、責任もとれないって思う。